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科挙というのはなぜ経典の暗記試験だったのでしょうか?現代であれば、官僚に法律を暗記させますよね?

質問者からの補足コメント

  • なんで四書五経よりも法律を暗記させないんですか?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/11/29 08:49
  • なるほど!だからこそ現代でも、共産党政権の「徳」?が法の上位に位置していても、中国国民からは違和感なく受け容れられているわけですか?

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/11/29 11:52

A 回答 (5件)

経典?四書五経のことかな。

なぜと言われても当然としか言えません。四書五経には無知蒙昧な中国人民を統治する為の教養・思想・ノウハウ・心構えのすべてが含まれているのです。事務官僚として必須要件であります。四書五経の他に有象無象の事務官僚志望者を篩い落とす手段が思いつきません。事務官僚になれば絶大な権力を握ることになる。当然ながら天文学的な膨大な事務官僚志望者が全国から集まってくる。どうしても試験を実施して篩い落とす必要があります。誰もが納得する基準が無いと落とされた方は大人しく帰ってくれません。

【四書五経】教育の原点 「大学」「中庸」「論語」「孟子」「詩経」「書経」「礼記」「易経」「春秋」 - YouTube
この回答への補足あり
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中国では、過去に遡れば遡るほど


理想に近づいた国家、社会になる、
という思想があったからです。

論語などはそうですね。

「周」という国が、あたかも理想郷の
ような取り扱いをして
少しでも、周に近づいた国作りをしよう
としました。

そういう思想のため、先人達の知識の
集大成である四書五経などが尊ばれた
のです。




科挙というのはなぜ経典の暗記試験だったのでしょうか?
 ↑
上記した思想を背景にして。

競争率が数千倍、数万倍と言われた科挙です。
結局、
どこまで暗記しているか、
字の上手い下手、文章が揃っているか否か
なんてことで優劣をつけざるを得なく
なった結果です。
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>なんで四書五経よりも法律を暗記させないんですか?



法律を暗記させる意味は何もない。誰でも暗記できたら試験にならない。
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科挙は暗記試験もあったが、特に宗の時代からは論述が中心となっている。



それに中国では、法家を統治の中心に据えていた秦の時代を除き、儒教が統治の根幹になっていたことから、「徳」などの儒教概念が「法」の上位に置かれていた。

だから、科挙の試験内容とその回答も、儒教の最重要書物(四書)と儒教に関連が深い重要書物(五経)である四書五経に基づくものとなった。

つまり、中国における最重要の国家理念である四書五経は、法を超えた法だったということだ。
とはいえ、科挙では法を無視していたというのは違う。

中国では、法律そのものやその運用方法が正しいかどうかという議論も、四書五経の精神と合致するかどうかで行われていたということになる。

科挙の試験問題にも、様々な時代の特定の法律に関する問題もあっただろう。
だから、受験者が法律を勉強するのも当たり前のことだった。それも、その当時の法律だけでなく、昔の法律も知っていなければならなかった。

受験者が法を勉強していなかったとお考えなら、大間違いです。おそらくご質問者の想像以上に法の勉強もしていたはずです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2022/12/01 10:14

端的に言えば、受験勉強の範囲を狭めて庶民階層からでもチャレンジできるようにしたからです。

唐の頃のような詩賦だとか宋の頃の策論ですと、四書五経どころではない、文字通り万巻の書物を漁って勉強する必要があります。

ただ、科挙の試験問題を見ると、暗記だけでは解けないんですよね。
現代日本において高校教科書を丸暗記すれば、例えば東大の二次試験を突破して理科三類に合格できる、というわけではないのと同様でしょう。

以下蛇足。

元々、有力な豪族に振り回されていた後漢を経て、豪族に限らず人材を登用したいという魏晋南北朝時代の様々な試みの結果成立したのが科挙でして。
唯才是挙、と唱えた曹操ですが結局挙がってくるのは名門出身の単に品行方正と評判な人物ばかり、次代の曹丕が九品官人法を作ったのですが肝心の人材登用部門を豪族たちに握られて「上品に寒門なく、下品に勢族なし」となって貴族制度が出来上がることに。
結局隋の文帝がペーパーテストによって諸部門の官僚を選抜する、科挙(科目別選挙)を実施して「使える」官僚を選び出せるようになりましたが・・・・・・

進士科などは詩賦中心でどうやって対策したものやら、な上、最終的には貴族を中心とする吏部が採否を決定したので家柄がものを言うことには変わりなかった唐の科挙や、論述中心ゆえに膨大な書籍を漁って受験勉強する必要があり、中流以下の庶民には受験が事実上不可能だった宋の科挙など、科挙は広く人材を求めるために行われているものの結局受験者は従来の豪族中心となりました。

これに対し、四書五経中心かつ文体を八股文に定め、国立学校卒業生のみに郷試の受験資格を認めた明代以降の科挙は格段に受験対策の負担が減り、庶民階層でも一族中で最も有望な少年にリソースを集中すれば科挙合格を狙えるようになった、とされています。彼が状元とは言わずとも殿試を受けられれば一挙に社会の最上層、挙人となっただけでもステータスは格段に上がりますから、一族の命運をその男の子に賭けてみる価値のあるチャレンジでした。賭けに破れると洪秀全になったりしますが。
それとは裏腹に、八股文は文体が決まりやすく、かつ受験範囲が四書五経のみに狭まったため小手先の受験テクニックで合格できるようになったので、宋の頃のような異才が現れなくなった、とも言われます。
また、学校入学試験である童試、卒業試験である科試を受けるための試験、その試験を受けるための試験・・・・・といった調子で試験制度が複雑化し、経典の暗記中心と見られるような形になっていきます。カンニング用の豆本や、四書五経を書き込んだ下着などは世界史資料集に載っていたりします。

とはいえ、本来科挙は高級官僚選抜試験であるため、詔勅をはじめとする各種行政文書を起草する能力が問われます。郷試以降は、単なる暗記だけでは通用しなかったことでしょう。

ちなみに科挙受験者の最上位層が解いた問題として、光緒三十年(1904年)の会試・殿試の問題の邦訳を掲載したサイトを紹介しておきます。中国史上、最後の科挙でした。

https://www.visiontimesjp.com/?p=16075

清朝も末期の頃ゆえ、唐宋はもとより明・清初の頃とはかなり傾向が変わったと言われますが、少なくとも最上位層にとっては経典≒四書五経の詰め込み丸暗記オンリーで勝てる試験ではなさそうです。

会試各問中、史論は歴史の知識だけでなく論理構成能力も問われますし、策問は政策文書案の起草能力を問われます。経義は四書五経にある文章の意味を説くことを求められるのでご質問のような「経典の暗記試験」に最も近いのですが、他の試験と同じような基準で採点されるとすれば、単純に字句を解説するだけで通るとは思えません。

殿試は問題文が超大(五千字超)ということで抄訳とされていますが、ただの暗記おばけには勝てそうもない問題が並んでいます。

というわけで、単に四書五経丸暗記では合格できない試験であったと言えるでしょう。
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この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、ありがとうございました!

お礼日時:2022/12/01 10:13

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