どなたかご教授ください。宜しくお願いいたします。
提題の件なのですが、中原中也さんの詩「早春の風」(在りし日の歌)のなかに「蒼き女の顎かと」という一文がありますが、その「顎」の読み方が諸説あるらしく、「あぎと」もしくは「あざと」と二つの説があるようです。
よくご存知の皆様のご見解としては、どちらで表記または朗読するのが望ましいのでしょうか?
確固たる根拠の無い私見として、でも構いません。詩人が故人である以上、調査にも限界がありますので、とにかくなるべく多くの皆様のご見解をお聞きし、判断致したいと思っています。
ぜひともご指南頂きたく、宜しくお願いいたします。

A 回答 (1件)

こんばんは。



私としては「あぎと」に軍配を上げたいと思います。
「蒼き女のあざとかと」ですと「蒼き女の痣とかと」と聞き取る人もいるかもしれません。
また「あざとさかと」と聞き違える人も、もしかするといるかもしれません。

基本的には音に出して聞いたときの印象で、美しく聞こえる方で良いのではないかと思います。
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この回答へのお礼

wanwanwawan様
早速のご意見有難うございます。
なるほど、聞いた時に美しく聞こえるか?という観点は私にはなかったので、却って新鮮なご意見で助かります。
あんまり「詩人がどう書いたか」ということにとらわれ過ぎない方が良いのかもしれませんね。特に本件は「誤植かな?」ともとれる表現なので、余計に迷うところなんです。
貴重なご意見を有難うございました。

お礼日時:2005/04/12 10:47

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Qインテグラル∫とdxについて

非常にわかりにくい質問だと思いますが、ご容赦ください。∫f(x)dxという式があったとします。これは、積分の成り立ちから考えて、dxという記号が必要なのかどうかずっと疑問なのです。
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Aベストアンサー

そもそも積分とは何か,といえば,「細切れを足したもの」が積分です.
積分を計算したければ,細切れを足す計算を実行すれば(そして,その計算が実行可能なら),それでできます.
積分とは何かを説明するにも,積分を計算するにも,「微分の逆」は本来は出てきません.
積分は微分とは無関係に定義されるものです.

ライプニッツの記法は,この積分の定義を忠実に書き取ったものになっています.
「細切れを足す」以上,足されるべき個々の「細切れ」が何かを明らかにする必要があり,「f(x) に dx を掛ける」という操作を式の中に書くのは当然です.

ところが,微積分学の基本定理の発見によって,(1変数の場合は)わざわざ細切れを足さなくても「微分の逆」を使えばうまく積分を計算できるという「裏技」(←説明のために批判を恐れずあえてこう書きます)が編み出されたのです.
「積分は微分の逆」という標語は,「結果的に成り立つ事実」「計算のための便利な公式」という程度に認識すべきで,「積分とはそういうものである」と解釈すべきではありません.

高校数学カリキュラムで原始関数を使って積分を導入しているのは,「細切れを足すのを高校生にきちんと説明するのは困難だから」という消極的な理由による「方便」です.こういう高校数学の方便としての積分の見方は,大学で微積分学を学び始める段階でリセットすべきものです.

========
ところで,こうして積分の本来の意味とライプニッツの記法を見直してみると,∫ という記号はあくまで「足す」という意味で,「微分の逆をせよ」という意味は込められていないことに気づきます.その意味で,「∫ を微分の逆の作用素とみなして, dx を書かない」というのは,新たな記法の提案としても無理があるでしょう(∫ と dx のセットで「微分の逆」と説明するのなら,本来の意味とは異なるとはいえ,結果的につじつまが合うので,高校数学の方便として通用します).
1変数に限定して,たとえば I[f(x)] で f(x) の原始関数を表すとか,dx に相当する記号を使わない積分の記法を考案するのは自由ですし,そういう試みは過去にあったかもしれません.でも,そのような記法に,すでに定着したライプニッツの記法と比べて「dx を書く手間が省ける」以上のアドバンテージがあるとは思えず,提案してもたぶん流行らないでしょう.

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中原中也の詩で、一番気に入っている詩を教えてください。
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「生ひ立ちのうた」です。
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(1)
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少年時・・みぞれのやうでありました
二十三・・ひどい吹雪とみえました
二十四・・いとしめやかになりました・・・

わずか三十年の人生を生き急いだ中也ですが
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悲しすぎますね。
この詩の(2)も
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彼の詩を読むと自分に素直になれる気がします。

Q風翔ける国のシイちゃん・・・

漫画家 中田友貴(なかた ゆうき)さんの漫画で
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懐かしい…。
DX版は1巻に収録されている第一話「シイちゃんユーリーと会う」が再録で、全30話+特別番外編2話+あとがき漫画で構成されていて、1、2巻の総集編ではありません。

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Q中原中也の「夕照」について- (外国人です!)

韓国の学生です。
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私は詩「夕照」の全体的な解析が知りたいです。
特徴的な表現(たとえば小児に踏まれし/貝の肉とかかゝるをりしも剛直の、/さあれゆかしきあきらめよ/腕拱(く)みながら歩み去る)・リズム・印象・この詩が書かれた時の背景・詩人の心境など、何でもいいから教えてください。お願いします。

   夕 照
 
丘々は、胸に手を当て
退けり。
落陽は、慈愛の色の
金のいろ。
 
原に草、
鄙唄(ひなうた)うたひ
山に樹々、
老いてつましき心ばせ。
 
かゝる折しも我ありぬ
小児に踏まれし
貝の肉。
 
かゝるをりしも剛直の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱(く)みながら歩み去る。

Aベストアンサー

s-macwin のおっしゃるとおり,難しい詩ですね。

飛躍の激しい比喩,
特に外界(自然の光景)と内面(慈愛,心ばせ,あきらめ)の隠喩に,
ヴェルレーヌやランボーやマラルメなどの
フランス象徴主義から学んだ跡が窺えると思います。

私の解釈では,
前半の2詩節は詩人(中原)自身のことではなく,
もっぱら外界の様子を歌っていると思います。

  丘々は日が沈んできたので見えなくなった
  その様子は(誰かはわからないが)心悩む人が胸に手を当て退いていく様子のようだ
  落陽は心悩む人をいたわる慈愛の色の
  金の色に輝いている

  野原の幼子のような草を眺めると
  子供らしい鄙歌を歌っているようだ
  山の老人のような樹々を見ると
  老いてつましき(遠慮深い)心ばせが感じられる

このように,田園の落日の光景と,
市井の人それぞれの暮らしを
重ね合わせているように思います。
当り前の自然の光景と,
当たり前に愚かに平凡に,しかし強く生きている人々の暮らしです。

後半は詩人自身のことになります。
s-macwin さんが
> 小児に踏まれし - 容赦の無い批判
> 貝  - 口、心の殻(心の防護壁)
> 肉  - 中身、心
と解かれましたが,
これはすばらしい解釈だと思います。
(本当に,目から鱗が落ちました。)
おかげで私のほうも考えが進みました。
ただし,私の詩の全体の解釈は s-macwin さんとはちょっと違います。

自然の光景を見ながら人々の暮らしを思っていた詩人は,
我が身を反省します。

  まさに自然はこのようにあり,人々はこのように暮らしている,それに対して私は
  子供にさえズタズタに踏みつけにされた,
  貝のように口を閉ざして反論できない,貝の肉のような脆弱な心になっている

子供は時として残酷に小動物をいたぶります。
しかし,ここで中原が言っているのは
本当の子供ではなく,子供じみた大人のことだと思います。
反論できない者を嬉々として追い詰める,残酷な理論家などです。
というのも,本当の子供は「鄙歌うたう」愛らしい存在として
すでに表現されているからです。
頭が良くて,弁の立つ理屈屋にやりこめられて,
中原は自尊心を傷つけられたのではないかと思います。

さて,このように自分の弱さを示した詩人は最後に「あきらめ」をイメージします。
詩人自身が1人称であきらめを歌うのではなく
別の人格のように「あきらめ」を登場させていることに注意しなければなりません。

  このとき剛直な,
  それでいて奥ゆかしい「あきらめ」よ,
  お前は腕を組んで歩み去っていく。

この「あきらめ」は最初の2詩節で歌われた,市井の人々の態度だと思われます。
「胸に手を当てて悩む人」「慈愛で見守る人」「歌う子供たち」「遠慮深い老人」
こうした人々も,偉そうな理屈や理論には屈してしまうでしょう。
そして,「腕を組んであきらめて」元の暮らしに戻るのでしょう。

こうして詩は終わります。
詩人(中原)自身は,はたしてあきらめることができるのか,
それともあきらめることができないのか。
市井の凡人のようにあきらめるのか,
理屈に対して理屈で戦うのか,
それとも・・・・・・詩を書くことで自分の場所を見つけるのか。

私はだいたい,以上のように解釈します。

s-macwin のおっしゃるとおり,難しい詩ですね。

飛躍の激しい比喩,
特に外界(自然の光景)と内面(慈愛,心ばせ,あきらめ)の隠喩に,
ヴェルレーヌやランボーやマラルメなどの
フランス象徴主義から学んだ跡が窺えると思います。

私の解釈では,
前半の2詩節は詩人(中原)自身のことではなく,
もっぱら外界の様子を歌っていると思います。

  丘々は日が沈んできたので見えなくなった
  その様子は(誰かはわからないが)心悩む人が胸に手を当て退いていく様子のようだ
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Q微分 (d^2)y/(dx^2)

微分で、(d^2)y/(dx^2)っていう表現よく出てきますよね? これについてそもそもなぜ2乗の位置が違うのかって言うのがわからなくなったのですが,,,


そもそもdというのはたとえばxで微分したら、微分したののあとにxで微分したことを示すためにdx、yで微分したのならそのあとにdyとかくのですよね?

そこから考えたのですが(数学的に正しいかどうかは一切わかりませんが個人的にはこれが一番筋が通りそうな気がしました)、たとえばy=x^3とかで

dy=3(x^2)dx
d(dy)=D[3(x^2)]dx
(d^2)y=6x(dx)dx=6x(dx^2)

とつまりdxのまえにxの文字式があればxで微分できるため新しいdxができるが、dyの前にyを含んだ文字がないのでyで微分できないため?といった風に考えました。。。(汗)

正確な解釈を教えてください。あとdxとかの扱い方がいまいちよくわかってないので、上ので間違ってるところの指摘お願いします。

Aベストアンサー

d dy
-- --
dx dx

を、カッコを使わずに書いて
d^2 y
-------
dx ^2
という書き方になったのではないかと、かってに推測しています。

Q中原中也「月夜の浜辺」について教えてください。

この詩の特徴、リズム、形態から、この詩の作られた背景まで、この詩に関することでしたら何でも結構ですので、あまり文学に詳しくない私にもわかるように教えていただけますでしょうか?また、小学校高学年くらいの子供にこの詩を紹介しようと思っているのですが、どういう切り口で紹介したらこの詩の素晴らしさや深みが伝わるかアドバイスいただけたらありがたいです。

Aベストアンサー

中原中也についてはくわしくないのですが、以前柳田邦男さんの「言葉の力、生きる力」という本で取り上げられていて、それによると、中原中也は2歳の愛児を失ったときにこの詩を発表したそうです。ですから
それを頭においてこの詩を読むと、すべて理解できると思うのです。ボタンは死んでしまった子供を投影しているということです。ですから、抛れずに袂にいれたということでしょう?背景を知ると、この詩の言葉がすべて意味のある言葉となってくるように思いませんか?

Qdy/dxについて

dy/dxはなぜ置換積分をする時(1)のように分数の計算みたいに計算できるんですか?高校の時も先生はそのことについてこれはこうなるという風にしか説明しませんでした。他の専門書とかにもとりあえずこうなるみたいな書き方をしてありました。そんなに難しい理論なんですか

(1)t=2x^2とすると dt/dx=4x⇒dt=4xdx

Aベストアンサー

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=236331
でほぼ同様な疑問に対してかなり突っ込んだ回答がなされています.

Q中原中也の詩に詳しい方お願いします!

ほとんどうろ覚えなのですが、以下の詩が載っている詩集教えていただけないですか?
タイトルは確か「二月」。
子供が死んだような内容で、「さう!」という一文が入っている。
早春、とか歩き出そう、とかいうような単語が入ってたような気がします。
ほぼうろ覚えで申し訳ありません。
探しても「二月」というタイトルの詩は入ってなくて・・・。
他の方の作品なんでしょうか?

中也が子供を亡くしたときに作った詩ってありますか?

Aベストアンサー

ひょつとして、これ?
http://www.nextftp.com/y_misa/tatihara/tatihara_12y.html

Qdy/dx・dxは置換積分を使ってdy?

次の微分方程式を解け 2yy'=1
とありました。解答は
--------------------------------
2y・dy/dx=1の両辺をxで微分して
∫2y (dy/dx) dx=∫dx
置換積分法により ∫2y dy=∫dx
ゆえに y^2=x+C (Cは任意定数)
--------------------------------
となっています。ここで疑問に思ったのが
”置換積分法により”という箇所です。
これはdy/dx・dxを”約分して”dyにしてはならず、
”置換積分法により”dyにしなくてはならない、
ということが言いたいのだと解釈しました。
疑問1.
そこで、ここにおける”置換積分”とは具体的には
どのような作業を指すのでしょうか?
疑問2.
以下は全て同じことを表現したいと意図している
のですが、誤解を招くことはないでしょうか?
2y・dy/dx・dx   
2y (dy/dx)・dx  
2y dy/dx dx
2ydy/dx dx
2y*dy/dx*dx
2yとdyの間に半角スペースを入れた方がよいか
・と*と半角スペースどれが妥当か
dy/dxは()でくくるべきか
などなどです。

次の微分方程式を解け 2yy'=1
とありました。解答は
--------------------------------
2y・dy/dx=1の両辺をxで微分して
∫2y (dy/dx) dx=∫dx
置換積分法により ∫2y dy=∫dx
ゆえに y^2=x+C (Cは任意定数)
--------------------------------
となっています。ここで疑問に思ったのが
”置換積分法により”という箇所です。
これはdy/dx・dxを”約分して”dyにしてはならず、
”置換積分法により”dyにしなくてはならない、
ということが言いたいのだと解釈しました。
疑問1.
そこで、ここにおける”...続きを読む

Aベストアンサー

そもそも置換積分をご存知ですか?
∫(x^2+x+c)^{100} dx とか計算したことがあれば
ご存知だと思いますが?

置換積分の公式は
高校の教科書風に書くとこんな感じ

∫f(y) dy = ∫f(g(x)) g'(x) dx
ただし,y=g(x)
#積分区間とかgの条件は省略

これをちょろっと書き換えます.
g'(x) = dy/dx とかけば

∫f(y) dy = ∫f(g(x)) g'(x) dx
= ∫f(y) dy/dx dx

となるので「形式上」ですが約分の形が成り立つのです.
したがって「置換積分より」となります.

きちんと置換積分に言及してる解説は
経験上そんなに多くはありません.
その解説を書いた人はまめというか,
きっちりした方なんでしょうね.
普通は,No.1さんのように
本当は初歩的な段階では「約分」ではないのにも関わらず
形式的に約分をしてしまう解説がほとんどです.
そもそも,dy/dx は定義してても,dyとかdxというものは
定義してないですよね?定義してないものに対して
計算を行うというのは変なんですよ

ただし,No.1さんのような「約分」というのは
実際は,上述のように「置換積分」によって正当化されるので
積分記号のもとではやってしまってかまわないのです.
そして,いちいち積分記号とか書いていると
まどろっこしいので,あとで積分で使うことを前提として
なんだかわかんないけども,dxやdyというものを使って,
さらに積分記号を省いてしまって,「普通に約分」とかして
計算してしまって,それを使うというのが現実的な解法です.

つまりは「表記の問題」にすぎません.
こういうふうに「省略して書く」というのが一般的で,
なおかつ,あまりにうまく機能するので逆にややこしい,
つまり,dxとかdyが普通の数に見えてしまうということです.

これには裏があって,じつは
もっと数学を勉強していくと,積分とかにまったく無関係に
関数 f に対して,df というものがでてきます.
微分形式というのですが,ここまでいくと
約分とか,そもそも``dx''ってなんだ?という問題は
すべて解決されます.
さらにこの微分形式ってものに対して「積分」という演算が
定義されるのですが,それは「普通の積分」とうまく
噛み合うように定義されます.

そもそも置換積分をご存知ですか?
∫(x^2+x+c)^{100} dx とか計算したことがあれば
ご存知だと思いますが?

置換積分の公式は
高校の教科書風に書くとこんな感じ

∫f(y) dy = ∫f(g(x)) g'(x) dx
ただし,y=g(x)
#積分区間とかgの条件は省略

これをちょろっと書き換えます.
g'(x) = dy/dx とかけば

∫f(y) dy = ∫f(g(x)) g'(x) dx
= ∫f(y) dy/dx dx

となるので「形式上」ですが約分の形が成り立つのです.
したがって「置換積分より」となります.

きちんと置換積分に言及して...続きを読む

Q中原中也や山田かまちのような詩人

中原中也や山田かまちのような詩を書く詩人がいたら、教えた欲しいのですがよろしくお願いします。

Aベストアンサー

質問がかなり漠然としていますが、なんか刹那的で激しく短い人生を送った人たちの詩がお好みなんでしょうか?

だったら、ありきたりですがフランスの詩人アルチュール・ランボーがオススメです。20歳にも満たないガキの頃にすさまじい喚起力をもった象徴詩を書き散らして、その後早々と詩をやめて武器商人になってしまったわけのわからない大詩人で、中原中也なんかにも大きな影響を与えたようです。
邦訳は、中也の友達の小林秀雄が訳した「地獄の季節」が岩波文庫で出てますが、これはうすいし安くておすすめです。

日本人だと、萩原朔太郎くんなんかの詩は、絶望的な雰囲気にドップリつかれてサイコーです。


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