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何だか哲学者の残した言葉が有難がられているけど、所詮、仮説の域を出ない意見としか思えないんだけど。

A 回答 (17件中1~10件)

哲学とは神という言葉を使わない宗教。


宗教に仮設は必要ないので、哲学にも必要ありません。信じるか信じないかだけで、信じてその様に行動すれば結果は出現します。
好例は共産主義で、これを信じた結果で山岳ベースと言う異常な事件は起きました。
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>哲学って、科学みたいに検証を必要とする学問なの?



それはNO14にある如く、哲ではなく徹の方ですね。

>仮説の域を出ない意見としか思えないんだけど。

仮説ではなく架設しましょう。

そんな感じね。
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哲学カテを見る限り哲学は文学でしょうね。

 
その上で哲学の学問としての意義があるとすればそれは言語化出来ない事象現象を言語化しようと努めることでしょう。というのも言語思考しているの者たちにとって理解するという事は事象現象を言語化してそれを互いに紐付けるという事だからです
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哲学って、科学みたいに検証を必要とする学問なの?


 ↑
違います。
検証を必要としたら科学になって
しまいます。



仮説の域を出ない意見としか思えないんだけど。
 ↑
仮説とは違いますね。
仮説だとすると、その後の検証が
必要になり、実証を経て真実認定と
なります。

これは科学そのものです。
科学において、仮説は重要です。
仮説から定説に発展するのが科学です。

総ての学説は仮説とも言えます。

ヒロユキ流に言うと、ただの「感想」です。

ただの感想だと、説得力が無いので
もっともらしい理屈を設けて
客観化を装うのです。
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1. 学問は――そもそもの話としては―― 自然科学をふくめて 仮構として思い考え描く芸術行為です。



2. 《事実》について それが《起きている》と表現するなら その現象にかんする限り 合っていると思われるのですが それが《何であるか・どのように起きたか》にかんしては 一般に言葉という仮構によってしか表現し得ないからです。

3. 言葉で表わした内容が そのまま 変わらざる真理であるかどうかは 人間には 分からない。芸術行為のように 表現された虚構の中で 真実であるとみとめあうより他にない。

4. 事物や現象 これら経験事象については 要素に分け共通の要素を特定し それらによって事象を再構築しえたなら そこに科学的真実があると見なされる。理論だとしてみとめられる。

5. けれども 自然科学でも 相対立する理論が出て来て 並存するといった事態もありうるのではないか。

6. といった事態としてその情況において 哲学も自己表現しつつあゆむ。
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仮説の域を出ない哲学はゴミです


しかし、結果を示す事のできる哲学は、
単なる学問で終わることのない、科学に勝る人類の希望です。

科学は一方向からの見方しかしない
数式化し法則に当てはめようとした
しかし現在、それがすべてではない事が分かった
「抽象的な状態」や「波動方程式」「量子的現象」など
論理的に成立しない科学や、目的を逸脱した科学が現れた
 それを埋め合わせしてくれるのが、科学の欠点を補うのが哲学です
科学の知識を正しく使う理性、感性、意志を育てる知恵が哲学です
●科学と哲学は別なものではなく、重なっているのです。

科学で「事実」といっても一断面のみ見れば
「真実」とまったく違った様相を呈する場合もある。
また、同じ「事実」を前にしても、そのとらえ方、見方は、
方向によって、異なるばあいがあるのです
 存在と認識の一体性を的確にとらえつつ、
人間と宇宙をつらぬく万法の当体を把握しゆくのが哲学です
●科学と哲学は別なものではなく、同じです

人間は個性的であり流動的であるため個別に見ると
心理学の枠に収まらない、科学の方程式に当てはまらないのです
科学のように、画一的に結論する事はできないのが人間です
不可能を可能にする能力もあるのです
それを仮説の域でなく、それを把握したのが、検証したのが、
●科学ではなく哲学なのです
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仮説があるからこそ


科学は進化したから

科学と哲学は別なものですよ

仮説の域をでないのは事実でもあって

そういった楽しみが哲学的な楽しみでもあるとは言えますよ
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凡人には哲学は無理。


せいぜい、信条、主義、解釈、見解、曲解、狂気のいずれかをを得られるのみ。
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もちろん仮説です。

しかも有名な哲学は現代でも検証不可能な仮説ばかりです。
とはいえ、仮説は重要で、自然科学でもその最前線は仮説であり、その仮説を科学的に検証する努力が多くの科学者によって為されています。

日本人で最初のノーベル賞受賞となった湯川秀樹博士が、中間子の存在を初めて主張した「中間子理論構想」という仮説を発表したのは1934年で、当時は世界の多くの学者から猛烈に批判されていた。
しかし未発見の新たな素粒子が発見され、湯川の中間子の存在に可能性があると注目を浴びだしたのが1936年。そして1947年についに中間子が発見され、1949年に湯川がノーベル賞受賞となった。

今残っている哲学は、湯川が受けたような猛烈な批判を長年浴び続けても、生き残っている学説ばかりだ。つまり、真理である可能性が高い仮説だ。
まだ検証されていないからと云って、湯川の学説と同じように今後証明される可能性があるものだ。

〈仮説の域を出ない〉のは現状認識として正しいが、無視するためには、逆に間違いを証明する必要がある。
いずれにしても、長年批判を浴び続けても生き残っている哲学理論を単なる仮説と切り捨てる態度は如何かと思う。
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それでも「生きるための指針を与えてくれる」でしょ。


言い換えれば、ミニマリズムの塊と言えるかも?
それだけシミュレーションが良く出来ているのでしょうね。
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