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何だか哲学者の残した言葉が有難がられているけど、所詮、仮説の域を出ない意見としか思えないんだけど。

A 回答 (16件中1~10件)

屁理屈を検証しても何も出ません。

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学問は真理を追究するものですが、哲学には


真理も正解もありません
そこが欠点であり魅力でもあります
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主な研究対象は「精神」「神」「真理」といった、感覚的経験を通じて直接的に捉えることのできない対象です。

(https://www.weblio.jp/content/哲学)

とのことなので、確立されてないアイディアだったりが飛び交うのは日常茶飯事です。
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哲学の哲学者の「主観」が重視される学問ですから。



特段、哲学者でなくとも、自分の主張をすればよいのです。

回答は定まりません。
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本来、戦争に例えたら、哲学は「最前線」なんですね。


科学は、後方のすでに占領して、味方の戦力が豊富にある地帯です。

最前線は、検証とか証明や証拠なんていっていられない状況のことが多い。すこしでも前進するために、無茶な戦い方が必要なこともあったりする。

でも、現在の哲学は記号論理学か、数学みたいになってしまって役立たず。
なので、昔の哲学者の残した言葉が有難がられるのも仕方ない状況です。
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検証は不可能ですが、仮説の域を出ない意見というには時期尚早。


https://tomo8language.com/quotes-list-philosopher/
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宗教とは紙一重、言った者勝ちの世界ですわ。


先日刺された宮台真司のようなものですわ。
ホントですわ!!
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それでも「生きるための指針を与えてくれる」でしょ。


言い換えれば、ミニマリズムの塊と言えるかも?
それだけシミュレーションが良く出来ているのでしょうね。
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もちろん仮説です。

しかも有名な哲学は現代でも検証不可能な仮説ばかりです。
とはいえ、仮説は重要で、自然科学でもその最前線は仮説であり、その仮説を科学的に検証する努力が多くの科学者によって為されています。

日本人で最初のノーベル賞受賞となった湯川秀樹博士が、中間子の存在を初めて主張した「中間子理論構想」という仮説を発表したのは1934年で、当時は世界の多くの学者から猛烈に批判されていた。
しかし未発見の新たな素粒子が発見され、湯川の中間子の存在に可能性があると注目を浴びだしたのが1936年。そして1947年についに中間子が発見され、1949年に湯川がノーベル賞受賞となった。

今残っている哲学は、湯川が受けたような猛烈な批判を長年浴び続けても、生き残っている学説ばかりだ。つまり、真理である可能性が高い仮説だ。
まだ検証されていないからと云って、湯川の学説と同じように今後証明される可能性があるものだ。

〈仮説の域を出ない〉のは現状認識として正しいが、無視するためには、逆に間違いを証明する必要がある。
いずれにしても、長年批判を浴び続けても生き残っている哲学理論を単なる仮説と切り捨てる態度は如何かと思う。
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仮説があるからこそ


科学は進化したから

科学と哲学は別なものですよ

仮説の域をでないのは事実でもあって

そういった楽しみが哲学的な楽しみでもあるとは言えますよ
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