ただ今Mダメットの「真理という謎」を
読んでいるのですが、最後の章、「過去の実在」が
理解不能で本当に困っております。どなたか詳しい方、
いらっしゃいましたら、メールを送ってくださいませんか?
宜しくお願いいいたします。

A 回答 (2件)

どの辺でわかりませんか?


真理条件意味論と真理検証理論の区別は勿論クリアーされていると思いますが、藤田氏の解説を読み、「実在論」をもう一度読まれてから再度読まれるとだいぶ判ってくるのではないかと思う。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
申し訳ありません。はっきりいってチンプンカンプンです。
よろしければ、要旨を教えていただけないでしょうか??

補足日時:2001/09/14 01:03
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過去の実在?


過去という空間が存在するのか?
もしくは
時間軸は存在するのか?
という論議ですか?

まあ、読んでないのでなんとも言えないのですが私なりの解釈で(^^;

例えば、タイムスリップで過去に行くというSFものの話はよくありますよね?
ここで「過去に行く」という行動を言いなおすと、「過去という空間に行く」もしくは「時間をさかのぼる」と言い習わされるでしょう。

・「過去という空間に行く」場合
この場合、世界の真理として過去という空間が存在していなければなりません。

・「時間をさかのぼる」場合
時間軸の存在を前提としています。
ここで重要なのか時間が流れるという概念そのものが人間によって作られたものであり世界の真理として時間軸なるものが存在するのかどうかわからない。

----------------------------------
もしくは人間の時間認識の中で「過去」は存在するのか?
という論議かな?

人は時間というものを絶対の概念とし、未来と過去は存在するとしています。
また、未来は無限の可能性があり、過去は一つであると信じてます。

しかし、過去というものは「人間の記憶」によって過去たりえるわけであり、「記憶にない」ことは存在しないことと同じである。

例えば、記憶操作技術などという技術が生まれ、それによってすべての人のある事柄に関する記憶がなくなったとします。
このとき、ある事柄に関する「過去」はなかった事になります。

裏を返せば、絶対的と信じられている「過去」というものは「人間の記憶」という有機的媒体によって作り出された幻想であるとも言えるのではないでしょうか?

さて、上で述べた「過去にいく」という話に戻してみます。
過去が人間の作り出した幻想であるならば、過去という空間はなく、時間軸という概念も妄想でしかありません。
つまり、「過去は実在しない」といえるのではないでしょうか?

以上です。
わかったでしょうか?
わからなかったらレス下さい。
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簡単でいいので意味を教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「宗教的実在の段階において初めて単独者として真の自己を回復するとした」
と言う事を説明したいと思います。

「真の自己」の反対語は「仮の自分、或いはみせかけの自己、或いはかりそめの自己、或いは自分じゃない自己」と言うことになるかも知れません。或いは自分と思っているのは「自分と勘違いしているかも知れない」と言う意味合いかもしれません。

是は脳の機能の関係からです。子供時代には『疑いはありません』自分が何者かは分っていたからです。そうして親とかおじいさんとかの関係もおぼろげながら分かっていました。心の奥底からの疑いはなかったという意味です。

心底、分ったつもりでした。処が思春期頃から『人生とは何だろうか?或いは自分は何処から来て、何処へ行くのだろうか』といった疑問が湧いてきます。

自分で謎をかけて、自分の罠にはまってしまう場合の事です。この事を『失楽園』と言うものと思います。この事が二元論の始まりとなって『謎の悪循環』に落ちてゆく事になります。出口がなさそうな『問い』に悩まされると言う意味になります。

意識が抱え込む疑問や、悩みとは、本当は『分っている自分自身が』問いかける問いかけと言えます。何故ならば、他人では答えられないからです。他人の答えを聞いたところで、何にもならないからです。

自分自身で問いかけて、自分自身で答えを出します。その事を『宗教的実在の段階において初めて単独者として真の自己を回復する』と言います。

その訳を言います。人間の自我意識は左脳に存在する意識の事です。言葉を持っている意識の事です。処が右脳にも意識が在ります。右脳の意識は『無意識の意識として、或いは命を働かせている意識として、或いは目の前の事実を事実として見ている者として、或いは仏性として、或いは神として、すなわち現実を全て肯定している者』と言えます。

全てが見えている者として、自我意識には明確には、その存在を実感できなくとも確かに存在しています。自我意識には『言葉ではない情報で』伝えて来ています。

例えば高い所に上がった時に自我意識に伝えています。或いはスピードを出し過ぎた時にもです、或いは恋人に会う時などにもです。その恋人を本当に好きなのか?或いは体裁だけなのかも自我意識に教えています。この人と結婚をしても良いのか?と言う時にもです。

自我意識の機能は『分別』で出来ていますので、論理で割り切れない事は、計算でき難くなっています。従って明日の事が分からないのに論理では答えは出ないようになっています。それは機能的に『入れていないソフト』に関連する問いを出す事に相当します。

明日の事が分からないのに結婚をして幸せになれる、と思わせるものが『自我意識に』言葉によらないもので、教えているからです。

脳はコンピュータと同じ機能があります。計算する能力です。この計算式は論理的に割り切れる事が条件となっています。つまり自我意識の機能とは割り切れる問題のみのソフトが入っている事になります。そうして割り切れる問題には有限と言う名が付いています。従って自我意識には矛盾する問題や、永遠に関する問題は機能的には『ソフト』が入っていない、という事になります。

此処からが人間としての苦しみが付きまとうと言う事です。人生には矛盾が付きまとっているからです。自我意識には有限と言うソフトしかないと言いました。つまり『永遠』を理解するソフトが自我意識にはないという意味になります。

有限の命、永遠が欲しいと言う願望。この二つの意識の落差が人間の苦しみとなっています。この事を『心の矛盾』とも言います。右脳は『永遠や、宗教』で出来ているからです。有限の命も自分の事実ですが、永遠や、宗教も自分の右脳の中に『無意識の意識として、或いは仏性として』内在しているからです。

この二つの意識の落差を人間は、原罪として、或いは業として、或いは苦しみとして受け取ってきたわけです。この苦しみからの解放を『宗教文化の発展として』人間は後押しをしてきたわけです。

そうして苦しみからの解放を伝えて来ています。キリスト教においては『神に会って和解する』という事になります。禅宗であれば『禅問答を解いて』生死の問題を解決すると言う事になります。

この禅問答こそが右脳の意識に出会うためのテキストという事になります。左脳の自我意識の働きではこの問題は解けないように出来ているからです。脳の機能の問題です。言葉の無い思考方法、言葉の無い考え方の中に、解くカギが在ります。分別脳の働きが及ばない思考方法で無いと、思考できないからです。

言葉を持たない意識が出した問題が『禅問答』と言う事になります。右脳の働きが分る事を『自分自身が分かった』と言います。つまり悟りが開いたと言う事になります。

「宗教的実在の段階において初めて単独者として真の自己を回復するとした」
と言う事を説明したいと思います。

「真の自己」の反対語は「仮の自分、或いはみせかけの自己、或いはかりそめの自己、或いは自分じゃない自己」と言うことになるかも知れません。或いは自分と思っているのは「自分と勘違いしているかも知れない」と言う意味合いかもしれません。

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真理とは何か?
これは、認識論のメインテーマでしょうね。

真理=あるがままの現実をあるがままに反映した観念や判断。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私は、この「あるがまま論」が妥当であろうと思います。
ただ、「あるがまま論=鏡に映った像論」という解釈ではありません。

ところで、あるがままの現実をあるがままに反映するためには何がしかの実践が必ず介在。
で、実践を通じて<本当にあるがままか?>は検証されてより確かになっていくでしょう。
「あるがまま論」が単なる「鏡に映った像論」ではないという理由です。

たとえば、「宇宙の年齢は約130億年」は、現時点での「あるがまま論」が指し示す真理。
私は、30世紀においても、これが真理であり続けている保証はどこにもないと思っています。
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ですから、「これが100%正しい究極の真理」を21世紀の今日で知ることは不可能でしょう。
これは、平安時代や江戸時代の文献にみられる真理と今日の真理を対比すれば判ります。
30世紀の人々も21世紀初頭の真理を同じような思いを持って見ることでしょう。
ですから、「あるがまま論」のいう真理は相対的なそれであって絶対的なそれではありません。

概ね、これが私が納得している真理論の骨格です。

真理とは何か?
これは、認識論のメインテーマでしょうね。

真理=あるがままの現実をあるがままに反映した観念や判断。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私は、この「あるがまま論」が妥当であろうと思います。
ただ、「あるがまま論=鏡に映った像論」という解釈ではありません。

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Aベストアンサー

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こんにちわ、倫理の授業は取ったことないけど、いつも模試の倫理だけは高得点という者です。僕もてんで初心者に近いのですが、その分、分かりやすく説明できると思います。

 が、実在主義? そーいうのあるんですか?実存主義じゃなくて?

 (その点はかまわず話を進めると)実存主義とは、「自分」をとりもどすために頑張る姿勢とそういう人々のことです。産業革命以降、ずいぶん人は、人間性を毎日の中で失っています。それを問題ととらえ、いかに人間らしく生きるか、どーいう生き方が望ましいか?を考えることです。かなり、かんたーんに言ってますけど、これで十分。

実存主義の人々は、主張がてんでバラバラです。
キルケゴールというおっちゃんは神様に服従することが、一番よい。みたいな事を言っている反面で、同じ実存主義のニーチェという中年おやぢは、神は昔の人だから死んでますから、一人一人が超人になって生きましょう、っていいました。

ようするに、実存主義はコレっていうものではありませんが、死とか老いとか絶望とか、そういう自分の問題に対して、自己の全存在をかけて、解決しようとする人たちです。・・・かな?

っていうか、実存主義の話、しちゃったけど、実在主義って存在してたら、かなり恥ずかしい・・・ そん時は、教えてGOO内ではユーザ名変えて、別人になりすまします。

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こんにちわ、倫理の授業は取ったことないけど、いつも模試の倫理だけは高得点という者です。僕もてんで初心者に近いのですが、その分、分かりやすく説明できると思います。

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 (その点はかまわず話を進めると)実存主義とは、「自分」をとりもどすために頑張る姿勢とそういう人々のことです。産業革命以降、ずいぶん人は、人間性を毎日の中で失っています。それを問題ととらえ、いかに人間らしく生きるか、どーいう生き方が望ましいか...続きを読む

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その根拠である知識を失った時に、共に失われるものだ。


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知りたいのであれば、何故知りたいか位は、知るべきだろう。



「汝自身を知れ」

一番熱心な師は、常に中にある

Aベストアンサー

お礼、ありがとうございます。

>人生を全うするには、知識が無ければ生きていけず、知識を持ってしまうと辞典で世界を見ようとしてしまう。

私も以前は、そう思っていました。
ごく最近、考えを改めました。

知識さえも使わずに「気持ち」とか「ただそう思う」とか
ちょっとしたことのきっかけから出発し、論じるにもかかわらず
きっかけからの想像だけで話してると見受けられる人が、あまりにも多い。

反論が、「意見」じゃなく「感想」なんですよね。
バックボーンになる知識の姿が、見えてこない。

「考える」に知識を採用してないから、反論が反発だけになったり。
黙るのは逃げだけでなく、知識を使っての組み立てができないからもあるように思えます。
まだ、仮説段階で立証に向けて観察中ですが。

>手ぶらの実現は難しいでしょうが、近い生き方ならば己から離れて生きる事ですが、これも中々w

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根拠を自分で持たないから、流されて生きてしまう。
気持ちは反発しても、論じるに至る根拠が提示できない。

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和算の発達など、歴史的に頭が良かった民族性は
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お礼、ありがとうございます。

>人生を全うするには、知識が無ければ生きていけず、知識を持ってしまうと辞典で世界を見ようとしてしまう。

私も以前は、そう思っていました。
ごく最近、考えを改めました。

知識さえも使わずに「気持ち」とか「ただそう思う」とか
ちょっとしたことのきっかけから出発し、論じるにもかかわらず
きっかけからの想像だけで話してると見受けられる人が、あまりにも多い。

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Aベストアンサー

お気持ちお察しします。

私自身は、人の心の中もわからないし、その人の過去や状況もわからない、
「私は本当の事を知らない」と思うと、
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と思ったりしています。

つらいとき、自由になりたいときは、

「わたしは真理を知らないゆえに苦しんでいる。けれど、真実を信頼している。
もしわたしに、すべての真実を見通すことができたら、苦しむ事もないだろう。
けれど、真実は今も存在するのだから、見通すことができるまで、苦しみの中で待つ必要はない。
今みる事のできない真実を信頼し、今すぐ苦しみから自由にもなれる。」

と思うようにしています。


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