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No.20
- 回答日時:
挑戦者には、逆風が吹くものです。
それは、その挑戦が歓迎されている証に他なりません。
その戦いを楽しんで、是非栄光を手にしてください。
野茂英雄も、大谷翔平も、チャンピオンやユニコーンになった人は皆はじめは挑戦者なのです。世の逆風が吹かないと言うことは、まだ世の中において挑戦者として認められていないということです。
何よりも自分を信じて。
私もそのように致します。
明けましておめでとうございます。
明けましておめでとうございます。
>それは、その挑戦が歓迎されている証に他なりません。
そういうことなのでしょうか?
逆風は人を鍛え上げます。だから、それを楽しめる人が本当の満足感を味わえると思います。
目的は同じでも、そこへのルートはそれぞれ。まあ、それが多様性というものの真意だろうと思います。
No.19
- 回答日時:
すこし、千々れた文章を書くこととなってしまいましたが、そのまま進呈いたします。
・・・・・・・・・・・・・
瞋り、ですか。
わたしの見立てや感じるところでは、それは哀しみであると思います。
そして最たる哀しみは、人の苦しみを知らないと言う哀しみです。
人の苦しみを知らないために悪を為してしまう。苦しみを知れば人はやさしくなるからです。そうならないのならば彼は人ではない。
それで見てみると、現世の衆生に完全な衆生はおらず、皆、徳の欠片を有していることが知られます。
お前は違う、間違ってる、俺の言ってることをわかってない、→瞋りとなるわけですが、その根本は哀しみの湖が広がっているのです。
故に仏菩薩は誰をも悲しませまいとする。それは悪魔に対しても同様のようです。
瞋りや憎悪に対して正義の剣撃を振るうのは帝釈天のような天部衆でしょう。彼らは仏道の者たちを仰ぎ見て、自分もいつかはと思っている存在です。英雄に力を貸すのも天部衆でしょう。
人は実は皆、大事にされることを望んでいます。そして実は、出来るなら、自分も人を大事に思える人でありたいと思っています。
いつかは死ぬ身でありながら、相手もまたそうであると思いはせた時に、争いは静まる。その様な気が失せてしまうからです。
不死性を目指す者どもの哀しみと愚かさは、このような形で明らかに知られる所となります。
古代中国では、強大な権力者は永遠の生命を欲したと聞きますが、その哀しさが、市井のある人々には分かっていたのです。ずっと。
所で民度とは、私はそのような人々がどれくらいいるか、という話だと思います。民度は啓蒙や教育によって上がるだろうか?上がると思います。
例えば別に、経典を学べとは言いませんが、経典のこころを学ぶべきだとは言える。
経典のこころとは、結局は、人々が各々に自己を立たせて、後に続く者たちに対して、私が学んだものと同じようなそのこころを身につけて欲しい、必ずできるはずだから、との思いで綴ったその思い、菩提心、壊れ行く、離れ行く、永続せざるもの、そのような人を大事にする心、限られた時を大事にする心を言うのです。どれだけ人を大切に思おうともいつかは別れる。だからこそ・・・のところに、真実が在る。
私はこのように考えます。民度とは、発達した文明に依るところではありません。豊かな文化性に依るところでもないのです。ほかならぬ、人の欲するところ(=清浄心、これはバイ菌などが少ないと言う意味ではなく。)が何であるかを知っている、その度合いを言うのだと思います。
永遠を志向すること、この過った志向性すら方便として、人を導かなければならない。
私はそのように考えております。
・・・・・・・・・・・・・
哀しみを知らない人というのは、20歳までに大きな失敗をしたことのない人、と私は思います。
エリート層に多いでしょう。家庭はそこそこ以上裕福で、両親がまあ常識的な人で、そこそこ以上勉強ができ、スポーツなどもでき、志望の大学に入り、志望の企業(公務員)に入り、そこそこ以上の奥さんと結婚し、人生にリスクを冒さない人達。
私の兄が半分こうなんです。冷血じゃないですけれど、冷たいですよね、年齢ともに冷たさが増しています。彼は、ムリをしないんです。リスクを避けるんですね。
私はリスクを求めて生きてきました。無理ばかりしてきました。苦しんでばかりの人生でした。まあ、馬鹿です。
ハッキリ言って現代はそういう、兄のような生き方の人がどんどん増えていると思います。そうした意味で日本は民度が低いと言えましょう。
No.17
- 回答日時:
大衆を先導する、明るく目立った白いリーダーは、暗殺されます。
なので、クロサギの意義が出てくる。世直しをしたいならば、それはステルス戦になると思います。大衆を盛り上げて権力構造を転覆するやり方、革命は、方法論として既に時代遅れだと私は思います。何故なら、悪を断罪する以前に大衆は自身の欲望に支配されており、悪を断罪した後に、また自らの内から悪を生み出すからです。言葉は人々の無意識にまで作用します。想いもまた同じです。市井の人々の想いや言葉を整えたり、善なるものにするのは道の作用です。
ヘドロを微生物が浄化して行くように、人類社会の巨悪は見えない善の大量伝播によって消し去って行くのが私の考える理想の成り行きです。
中世の終わりのように、悪とされる支配者を吊し上げて断頭台にのせ、断罪するようなことは不可能です。
何故なら、巨悪の名前すら僕らは知ることができません。現代、彼らは表には決して出て来ない。
金による経済の支配が終わるための方策ならば、何か考えれば筋道はつきそうな気もするのですが、悪を調伏するのは、罪を憎んで人を憎まず、更生していただく以外に私には思いつきません。
菩薩仏ならそれも可能でしょう。
にゃんポコさんの考える勇気ある大衆像と言うのは、どのようにして現実に出現するのでしょうか?
民主主義の前提として、一個一個が自立した人々の集団としての社会組織を実現したならば、勇気ある市民集団は実現しそうな気がします。軍人も漏れなくこの市民の一人になるならば、影の支配者は力を失う。
人間の法に照らして攻撃命令に反することができたなら、戦争も無くせる。
市民意識を高めることは、新なイデオロギーを提唱することで、他の世俗のイデオロギーと対立し、闘い、勝ち抜いて、多くの市民の支持を得ることで、成功すると思います。それは難しいことではありますが、混沌とした情報化社会である今の世間では正攻法のように思えます。
その表現媒体は何でも良いですし、論文、作文、文藝、アート、政治活動、など、どのような働きかけにもその作用を持たせることが出来ます。
思想や感性の入り乱れる現代において、多数の普遍傾向を生み出すことは一人ではできないでしょう。
やはり道に基づく他、私には何もないように思います。
主義の問題でもなく、権力構造の問題でもなく、言ってみれば「民度」の問題です。
現代日本は知性においても先進国であると多くの日本人が思っていると思いますが、例えば、「人権」とか「民主」とかの基本的概念すら満足に説明できない民族です、残念ながら。
学校教育のせいです。学校の教員であっても、哲学的、思想的な概念を教科書に載っている言葉で説明することがやっとの大人が多いと思います。
それと、日本語の構造が欧米の言語と違うのに、学者が、同じだとしている大きな誤りをしていて、それが故に哲学・思想関係の本の誤訳があると主張する学者がいます。そういう事も有り得るだろうと思います。
それから、精神性の問題で、これは便利で快適すぎる文明の中で生きている弊害だと考えていますが、人間が怠惰になり、自分が偉くなり、我儘になることによって、人が人を信じられなくなり、いがみ合いばかりになっている。
そうするとどうなるかと言えば、自分さえ良ければいいとなり、夢とか理想とか愛とかがダサいものになる。(世界的にこの傾向だと思う)
そういう精神性の民衆の国では、どんなに法整備をしても、システムを変えても、よくなるはずがないと思います。
私が主張することは、人間の精神性と知性を変革することです。「人間革命」です。
「ステルス戦」、うーん、よく見えない部分もありますが、どうなんでしょうか?
そして、その「人間革命」は仏法哲学の理解と実践によって可能であると私は考えています。これが、私にとっての「道」です。
と言えば布教活動ではないか?となりましょうが、必ずしもそうではなくて、理解するだけでも変わってくると思います。信仰をするしないは自由ですし。
私一人ではどうなるものでもなく、私が所属する大組織である教団の存在があり、だから私はこういう事が考えられるのです。
哲学体系、思想、構想、教材的なものはたくさんそろっています。外部から見れば危ないものにしか思えないでしょうが、私は納得しています。しかし、残念ながらほとんどの会員は理解していないです。
が、理解が進み、昔のように宗教的団結心が戻れば、一大民衆運動になると思います。
今は、政党支援、新聞の拡張という方法論が目的にすり替わっているというふうに思っています。
No.16
- 回答日時:
シロサギをうまく利用すると言うのは、餌を与えて良く太らせたマグロを、人間が収穫する様な事です。
シロサギを使って好いように、必要なだけ文明を進歩させて、手ごろな満足を人々に与えてなんらかの目的を達成しやすくすると言う事です。神の視点に思われるかもしれませんが、クロサギというものがいるなら、その様な方法を取るのではないかと思います。シロサギを獲物とすると言うからには、シロサギよりも偉大な目的をクロサギは持っていなければなりません。その目的が何かは知りませんが、文明の進歩の先にある何かを期待しているのかもしれません。先ほどの回答では、成田さんが詐欺師と言いたいわけでは無くて、シロサギは、このような見方が出来ると言う事を言いたかったのです。
成田さんの人格の事はあったこともないので確かには分かりませんが、例にもれず陰があり、多角的な見方、変則的な見方を好む方なんだろうなという印象です。
世の中、文明の流れとしてデータ化、デジタル化の流れは止められません。それは合理化精神と相性が良すぎるからです。合理の精神は、名称の通りに、ロゴスが生まれた時に生まれたものですから、この2000年期を支配している人間の言語形態に基づいている現代社会の根幹の潮流です。(次の潮流は感情に纏わる言葉がグレードアップして、世を支配するでしょう。次代に生じる感情は論理よりも複雑で表現が難しいですが、それを表現するための二代目ミュトスのような言語形態が現れてくると私は見ています。啓示や詩吟、霊感が古代の産物とみなされるように、ロゴスも又、遺物になる。加速するデータ化、デジタル化の流れとは、ロゴスを遺物化する流れと言っても良いものです。)
しかしながら、私が思う最重要なことは、人間が生まれた時より興っている"道"に関する事柄です。道は言語を支配するダルマ(法)によって形成されています。なので、より基盤にある人間精神を構成する仕組みだと思えば良いと思います。
成田さんは別の動画で、自分のやってることはあっても無くても良いんではないかと思うことがあると言っておられます。この方もまた道を見いだせていないのです。(彼の仕事は社会を合理化し、正しく用いれば人々を楽にさせる可能性の高いものだとは思います。)
道を見出すかどうかと、能力の有無は関係がありません。心根の問題だからです。しかし、人を説得できるかどうかは能力と機会の問題です。成田さんのような著名な影響力を持つ人物と接触する機会はないし、彼らを説得できるようなセリフも世を改革する志も私は持ち合わせておりません。それに成田さんは、世間から隠れた巨悪については触れたくないという感じです。触れたら消されるからです。僕らがここであることないこと言いたい放題できるのは、何の影響力も持たないからです。
巨悪の天敵は大衆です。大衆は獲物であると同時に、天敵なのです。それで、金と権力を握る支配者は隠れるようになった。存在がバレたなら革命が起きて世から排除されるからです。自分達の世の中における存在意義を公正明大に表明できないのです。影から大衆を支配するのが巨悪ならば、巨悪をまたその影、より深みから観察するのがクロサギです。僕らから見ればはるかに遠いところにいる人であって、会うことも、情報として知ることもないでしょう。存在すら疑わしい。
ところで私には一つ疑問があって、隠れた巨大権力者は果たして悪なのかどうかという点です。会ったことも無いのだから分からないと言うのが正直なところだし、巨万の富を集積して、それを使って何をしたいのかの目的が分かりません。富の集積は文明を強力に進歩させますが、文明を進歩させてどうしたいのか?人類の生き方が向上すると信じているのか、どうなのか、文明は確かに人類の庇護者でもありますが、ひとたび牙をむけば悲惨な地獄を見せます。結局文明はコントロールされなければならず、庇護者は人類の命に従うものでなければなりません。そして結局、人類を導くのは道であって科学ではありません。例えば、心臓は意識的に止めることが出来ません。道も同じです。小手先で何をしようとも、その大きく深い潮流を止めることは出来ないのです。そして道は、どの人の胸中にも存在する。
大衆、シロサギ、クロサギ(このクロサギと言うワードはとある漫画から引用しているのですが)、の関係は食物連鎖に過ぎません。善悪は絡みますが、関係性の本質は自然の掟です。
ところが"道"に関する事柄は、食物連鎖などの自然の掟を超えたものです。
そこには敵対関係とか、協調関係とか言う関係性自体が、枝葉のもの、いわゆる世間のものとして語られます。
私たちに出来る事は、ただ"道”を歩いてそれを各々に完成させることだろうというのが、私の知るところです。
影の勢力を是正するには自然の掟の範疇(生死の範疇)で勝負しなければなりません。それは、道の歩みとは異なる生き方です。
道の歩みはそれらの範疇を超えていてしかも、影なる巨大な勢力に根底から響くものです。例えば自動車で都市間を速やかに行き来できるのは、高速道路があるからです。道にかんすることがらは、つまりは自動車に注目するのではなく高速道路に注目する様な事です。自動車とは、個々人の人生であり、社会集団であり、大きなものであれば時代のような乗り物です。高速道路とは、それらを運ぶ潮流です。
思慮の浅い人は、出来た実りにのみ注目する。思慮の深い人は実りをもたらす土や日照・気候に注目する。
その人が何に注目し、どのレイヤーで生きていきたいのかはその人次第です。正直、ニャンポコさんがよく言う若者がどうとか中高年がどうとか言った世代分断の側面は世俗(表面)の事柄であり道の本質ではありません。
例えば人間を知る大人は、様々な人種や階層の子供たちが、同じ公園で遊ぶことを良しとするでしょう。そして、分け隔てなく見守るはずです。
子どもたちが、属性でグループに分かれて対立したり、或いは仲間外れを作って排他するのを良しとしないでしょう。
ですが、リーダー格の子供がいて、またそれぞれの立場(慰め役、とりなし役、盛り上げ役、気をつける役など)を子供たちが見出していくこと自体は、容認するでしょう。子どもたちがどのような子供社会を作るかについては基本的に口は出さないでしょう。
道の人も同じです。世俗がどのような形態を望もうとも、基本的には干渉しません。ただ、道を安全に歩く基本的なことは折々に伝える。人類社会全体が脱線しない様に、暗に明に、影響するでしょう。無意識的にか意識的にかは別にせずに。
なにはともあれ、寒いです。お風邪などひかないよう、健康にはご留意くださいませ。
このような不節操な話し相手ですが、お話相手になってくださりありがとうございます。
シロサギ・クロサギ云々については、了解しました。
私としては、一刻も早く科学技術文明の限界を人類が知り、新たな文明の開花を見たいということだけです。
そのためには、若い世代にやりたいことをやってほしいと思います。明治維新が青年の成したことであったように。
そして、今の文明がダメなことを証明してほしい。そのうえで、新しい人間文明を提唱してゆけば、我々は「クロサギ」ということになりますね。
成田氏の動画をいくつか見ました。確かに頭は切れるし、具体的アイディアを持っているという印象ですが、やはり、古いものに対し「瞋り」を持っている。
ご存じのように仏教では「瞋り」は三毒の内の一つで、よくない心です。それに支配された心を持っているということなので、人格的に高いとは言えないと思います。
坂本龍馬達は、愚痴の一つくらいは言ったでしょうが、そんなことよりも進んで行動をしたのです。
ホリエモンは行動力はありましたが、今の若い世代は総体的に行動力がなく、物事をひねって考えることが好きで、しかし、行動は人と同じことしかしない。
ホリエモンのような人物がどんどん出てきてほしいですね。
>世の中、文明の流れとして~
なるほど、流れとしては賛成です。しかし、壮大な話ですので、一旦おいておきましょう。
「道」とは、つまり、宇宙の中の地球の自然の中で自由を与えられて生きている我々人間がどのように生きるべきかということですね?
先史時代を含めると長い人類の歴史がありました。その中で人類は経験と直感に基づいた文化・文明をいくつも築いてきたと思います。それらは庶民が一生をかけて作ってきたもので、権力者はそれを利用しただけです。それだけでなく権力者は侵略・支配をし、多くの人命と文化を破壊し、強引に統一化をしてきました。
私が思うに、つまり巨悪とは昔も今も変わらず、庶民を軽く見て、しかも嘘をついて正義に見せて騙し、生かさず殺さず、自分らの快楽のために、ケツの毛まで抜こうとすることです。
ハラリ氏が言った「ホモ=デウス」の世界です。
巨悪は、学校教育を支配できます。情報操作はお手のもの。立法権を持ったものと、財力を持ったものが結託(大商人と悪代官の結託)すれば、鬼に金棒と言えます。
巨悪の天敵は大衆です。しかし、それは勇気ある大衆のことです。勇気がなければ支配されるのみです。
No.14
- 回答日時:
これ分かりやすくておもしろいですね。シロサギはこういう見方をしていると言うのがよく分かります。
成田悠輔氏、近頃よく見ますね。30代の彼は、観念の遊戯のようなことは大嫌いで、つとめて分かり易く語ろうとしていると思いますが、それにしても思考は単調だと思います。
ホリエモン氏とかひろゆき氏などもしかりで、要するに物事をデジタル化し、AIですべて判断してゆけば世の中はよくなるから、そうなるような言論をしているという意味で同類に見えます。
シロサギですか、うむ。
中高年がデジタルを理解せず、単に倫理観のみで反対をしていると彼らは考え、それが社会の発展を遅らせていると考え、中高年の男性を偏見の目で見ていることは残念です。
私もそうですが、データをデジタル化し、AIによる判断をし、それが即実行される社会になれば、多くの点で現在より良くなるであろうという意見が多数派であろうと思います、中高年でも。
しかし、すべての前提が、現在の科学文明を「正義」としているということが根本的な問題であるということを主張します、小鉄さんも同様でしょう。
人間の精神の問題、また自然環境の問題等は、科学では十分に分からずに結論を出してしまうということがあまりにも危険だろうということです。
また、一つの現象が複数の要素によって有機的に成り立っているという事実を科学は解明しているのか?です。
若い世代は総じて、そういう哲学的思考を嫌います。そういう哲学的、全方向的思考をする人は年を取り、亡くなっています。
ですから、自分で言っちゃいますが、私たちのような人間が貴重だと思います。力をつけるべきです。
No.13
- 回答日時:
大衆感情は研究対象になるし、研究成果も活かしやすいと思います。
文化物でも動かせるし、イデオロギーでもメディアでも幾らでも動かせる。草の根活動で良い方に持っていきたいなら、善い言葉や善い想い、要するに一人一人がやさしい気持ちになるなら世界はやさしくなる。それが出来ないように扇動されているだけです。
一方、金と権力の表に出ない黒幕は、大衆(人間)を研究する側です。なので、大衆(人間)を研究する人間を研究する姿勢と言うのが必要になって来る。上には上がいるけれど、シロサギ(詐欺師)に対するクロサギ(詐欺師を獲物にする詐欺師)みたいな、漆黒のヒーローが期待されます。当然難易度は後者の方が高いと思います。
なるほど。
ウォール街などには、「我こそ神」という輩がゴロゴロしていると言います。
アメリカのビジネスでは、随分前から心理戦だと言います。
なので、大衆の心理はかなり理解し、データも持っていることでしょう。そして、大衆は、すでにかなり情報操作により洗脳されていることでしょう。
しかし、金の匂いには敏感でも、良心などには全く疎いかも知れません。また、「慢心は阿呆」と言いますから、そこが最大の狙い目だとは言えそうです。
こちらが、どこまで高みに行けるかですね。
いやいや、サッカーを見てしまいました。眠いです。
No.12
- 回答日時:
あるいはもしかすると、大悪は、それが誰かもわからない少数の権力や力のある人が抱いているのではなく、大衆の中に在るのかもしれません。
つまり、小さな悪が数を為して大悪となっていると言う事です。そういう事なら打つ手は沢山ありそうな気がいたします。あるいは両方かもしれませんが。後者であれば、確かに耳に痛い言葉は一定の効果を発揮すると思います。意識を失いかけている人々の目を醒まさせたいと言うニャンポコさんのお気持ちは分かります。
私も聴かねばならない言葉は数あると思います。
大悪とは、力を持った人間が慢心のゆえに生まれてくるものだと思います。力を持てば社会はすり寄ってきます。だから、皆が認めているように錯覚をするのでしょう。その錯覚が、時に一千万人の同胞を虐殺するなどという蛮行に至ったりするのです。
その大悪は、多くの支持者によって支えられているということが社会の重要な原理であると思います。
>そういう事なら打つ手は沢山ありそうな気がいたします
頼もしいですね。是非教えて下さい。
No.11
- 回答日時:
>だから、道理に基づいた、悪く聞こえる「正しい言葉」が必要だということです。
私はこういう言い方をしてみます。これは確かに善い言葉の内の一つに数えられます。
いわゆる、耳に痛い言葉の事だと思います。これは効能がありますが、厚顔無恥の輩に通じるかどうか分かりません。俺が悪?だからなんやねんwその通りだが?で終わってしまう可能性も高いですし、様々な批判非難に紛れてしまいそれらの内の一つに数えられてしまう可能性もあります。例えば強面が怒声を発して真っ当なことを言っても、ある人々にとっては恐怖が先んじて言葉が聞こえなくなるようなものです。特に、大悪を抱くようなタイプの人には、痛みを与えたことに注意が行き、つまり、俺をけなした、俺を罵った、と捉えて、言葉の中身を捉えない可能性が濃くあると思います。
善き言葉は、
1.真実の言葉(善知識)
2.理法の言葉
3.やさしい言葉
4.耳に痛い言葉
の順に続くと思います。何故耳に痛い言葉の方がやさしい言葉よりも優れないのか疑問があると思います。やさしい言葉は、厚顔無恥の人の心根にあるかすかな光を撫でて発揚する可能性があるからだと私は考えます。やさしい言葉は一見届きにくいかもしれないし、増長を生むように思われるのですが、結局、人はやさしくされたいのだと言う根本の欲求に届き、敵意を持たれることがありません。バリアを一つ外すことが出来るのではないかと思われます。傷ついた荒くれ者を癒すのが女性であるようなものです。
更に良いのは理法の言葉です。これは一度聞いてしまえばそれに反するときに、ちょっとした戸惑いをその人に与えると思います。理法は静かな言葉ですがよく通り、しっかりと胸の奥に良い意味で刺さる。薬のような言葉です。理法が道を示したものであるがゆえに、それに反する自分を自分が見過ごすことが出来なくなる。
人は他者を矯めることが出来ず、自ら矯めるしかない。大悪を抱く人が自らを矯めるには、自分自身で正しい道を知るしか方法が無く、その道を示すのが理法の言葉と言う事になる。
最後に真実の言葉ですが、これは意図して発することが出来ないものです。
ただ人の一大事において、そこに居合わせたこころ直ぐなる人の口から発せられるようです。ある人はこれを聴いて発心し、またある人は解脱するので、これを善知識と呼びます。
以上述べたことは、講釈染みていてそぐわないかもしれませんが、既に大きな火となった大悪を是正することは私一人では無理ですし、大きな力と作用が要ります。そのウェーブを起すためにも、企画ではなく、心根の広まりのようなものが必要なのだと思うのですが、具体には中々思いつかないです。人々が言葉の効能について知ってもらえれば良いのですが。。
みなぼんやりとさせられて、次第に反発力を失うように仕向けられているようにも思え、蛇かそこらへんの毒にやられているようにも見えます。かといって稲妻に撃たれたような過敏な感覚では、照準がぶれてしまう。まともな意識に定めることが大事になってくると言うか、前提かと思いますが、自分の事をまともと思っている人は肝心を知らないでいて、自分の事をまともじゃないと思っている人は自信を失っていて、まともかまともで無いかを論議すること自体が藪蛇になっていますね。
確りと気をつけて道を行く以外には私は思いつかず、世のために何かしようと思えるほど愛に熱くもなく、しかし誰か一人は護りたいという思いはちゃんとあって、精々にこの世の中で自分を保っていると言うのが実際かもしれません。
ニャンポコさんは何か良いお考えはお持ちですか?
うむ、なるほど。
厚顔無恥の徒とは、四悪趣、即ち、うらめしや、何かが欲しくてしょうがない、弱きをいじめ強きに媚びる、勝他の念に囚われた心、の人々ですから、真実の言葉が耳に痛い言葉になると思います。やさしい言葉は基本的には通じないだろうと思います。全く通じないということではなく、何かのタイミングでは心に中に入ってゆくこともあるでしょうから、必要なことでしょう。
乱暴な言葉は排するべきですね。真実の言葉=究極の「南無妙法蓮華経」とそれに連なる、真実の言葉、道理にかなった言葉を発信し続けることだと思います。
厚顔無恥な徒には反発されても、世間一般に支持されれば「世論」になってゆきます。
発信者同士が対立するのが、まあ普通と言えますね。しかし、それでは社会全体が対立することになってしまいます。
だから、発信者、もっと言えば一人一人の人間が、対話するべきだと思います。
その対話を可能にするものは、部分的な利益を全体とするのではなく、全体の利益を全体とする価値観でしょう。
部分的な利益に固執する「価値観」を異端とすべきでしょう。その価値観を持つ人間までも異端とするならば、それは「人間主義」という全体の利益を守るべきと言う価値観に反するので、それは間違いだとするべきです。
いや、口で言うのは容易いですが、これを貫くことは大変でしょうね。
後は、発信の方法ですが、言論・理論という形のほかに、詩・小説・音楽・芸術・映画・アニメ等々。私がこれらのものを創出することは、まあ無理でしょうから、いいと思うものをインフルエンスするということになるでしょう。
今、私が考えていることは、自身のささやかな言論活動を質量ともにパワーアップさせること、そのブランドみたいなものを創ることとか、発信者同士を繋ぐ役割をするとか、情報発信のまとめ役みたいなことをするとか…いや、まだ具体性はないですが。
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思想でなく、感情で動く人間がとても多いというのが一つの特徴と言えそうです。
宮台真司氏とは、このようなことを言い続けている人です。
「隠されたものは腐る」と以前申し上げましたが、現代の傾向として、現代の問題点を指摘すれば、一定量以上の炎上をします。それは、御存じのように議論ではなく、悪口をぶつけてくるというものです。
そういう活動をしているものはおそらく全体の一割にも持たないだろうと思いますが、皆恐れています。更に、綺麗な言葉で飾り事なきを得ようとしています。そのことが、現代の問題点を隠すことに他ならないと思います。
巨悪を成すものと、そういう活動を成す者の心理は同じだと思います。瞋りです。
議論ができないのは若者だけでなく、中高年も同じです。その論理性のなさは、ハッキリ言って腰が抜けます。今の若者を育てたのは中高年です。
要は文明・文化が悪いということを言うべきだと考えているということです。
不節操なのは私の方でしょう(笑)。つまらなければ長話などしません。
宮台氏は30年も前に「言論はもう通じない」と言っていますし、成田氏も「議論して何になる?」と言っています。
その通りですね。だいたいが論理性がないですから。論破されても気が付かない、気がついても認めないで汚いことをする。だから、言論のみではダメですね。
心ある人間は「こうすればいいだろう」という理想・構想・理論をそれぞれ持っている。心ある者同士なら、言論は通じる可能性がある。議論をし、そのうえで現実での証明がなんとしても必要です。
その証明とは、広い意味で「文化創造」と言えるでしょう。それは、直接的表現でなくとも現体制に反するものであれば、「必ず」反対され迫害されます。それは、社会の鉄則だと思います。
知らず知らずの内ということはあり得ないと私は思います。要は「革命」ですから。ならば当然リスクがある。リスクを避ける人間にはできないということになります。