2度ほど質問を削除されてしまい、それは自分も覚悟の上だから構わなかったのですが、回答してくれた方に悪いことをしてしまったので質問を控えていたのですが、このカテゴリなら大丈夫そうなので質問します。

 「死」って悲しむべきことなんでしょうか?「死」は悲しまなければいけないみたいな、安易なヒューマニズムみたいなのが鬱陶しいです。「生」ある限り「死」は自然のことで受け入れるべきものだと思いますし、納得のいく「死」というのはむしろ喜ばしいことのように思います。

A 回答 (14件中1~10件)

悲しむべきかはわかりませんが、私は人が死ぬと悲しいです…。


でも悲しくても、泣いたりはしません。
それは自分の立場で考えたときに、私は死ぬことより産まれることのほうが辛いと思うからです。
「死」というのは、私にとっては現実=辛い世界 からの解放だと思っています。
だからその人がいなくなるのは辛いけど、受け入れるようにしています。

文才ないので伝わりにくかったらスミマセン(^^;
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

 友人から聞いた誰かの話なのですが、「この世に生まれてきたこと」「生きていかなければいけないこと」「いつかは死ななければならないこと」を憎むと言ってました。

お礼日時:2005/07/14 18:41

失うことによって、初めてその価値がわかるものと言われます。

つまりその人の死が、自分にとってどれだけ大切な人かによって、悲しみが変わると思います。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

 「失って初めてわかる」というのはよく聞く話ですね。

お礼日時:2005/07/14 18:37

自分の死については自然の流れ、かなと思います。


ただ、家族や友人、親しい人の死は悲しいです。
死んだことが悲しいというか、それまでに何気なくしてきたこと…話したり、笑ったり、ケンカしたり、泣いたり…そういった時間をどんなに頑張ってもこれからは2度と共有できないっていうことが私は悲しいです。

なので私にとって、「死」そのものは悲しまなければいけないものではないと思います。
死んだ者が「誰か」によって、私の中での感情が変化するんだと思ってます。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

 親しい相手が死んだら、僕ならそうだな、「残念だな」とは思うかな。

お礼日時:2005/07/14 18:35

こんばんは



病気で人を亡くすのと
ある日突然人を亡くすのは、心構えというか
うまく言えませんが、急激なショックの度というか
受け入れというか、が違いました。あと年齢も。

納得のいく死とは老衰ということですかね。

特に、身近な人の死では、死というものに、悲しまなければならないって考えてないですから。

信じれない、受け入れれない、なんで?ときて、他人事に思っていたことが人って本当に死んでしまうんだと思った。

あなたが身近な人の死を目にした時に、悲しまなければいけないんだなんて思わないと思います。また、あなたが思う納得のいく死を目にしても、悲しむのではないでしょうか?実際目にしたらわかります。

友達は電話恐怖症になってしまいました。
(友達の亡くなった連絡を受けたので)
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

 僕は多分、死を他人事にように捉えてないのだと思います、何故なら死は日常に溢れているからです、普通は細菌や虫の死になど気にとめないのでしょうが、僕は多分普通の人よりそのことに気をとめることが多いのだと思う。毎日散歩に行っていた犬が突然死んだときも「ああ、死んだか」という具合で殊更悲しむということはありませんでした。犬の死と人間の死は別ですが、ある意味同じでもあります。

お礼日時:2005/07/14 18:29

生まれたときからずっと同居していた祖父(明治生まれ)が亡くなっても、私はしばらくその死に対して悲しく思えませんでした。


祖父は大往生でしたので、あなたのいっているように考えていました。
でも火葬場で最後のお別れという時に、「ああ、じいさんに触れることが二度と出来ないんだな」と思った瞬間、ものすごい寂しさから、声をあげて泣いてしまいました。
私はそれまで「悲しい」という感情を理解できていなかったのではないかと、思うこともあります。

こういう経験をふまえて考えると、自分と関係がある人が死ぬという事は、悲しいことだと思います。
これは死んだ当人が自分の人生に納得していても関係ありません。
残された人が、失われた故人との関係に納得ができるかどうか、それだけです。
しかし悲しさはその人との関係から生まれてくるものだろうから、関係の浅い人が死んだ時に悲しむ「べき」ものではないとも思います。

余談
死を喜ばしいこと思うのは勝手ですが、具体的な誰かの死についてでは、口に出すのは出来るだけ避けたほうが良いような気がします。
死を悲しんでいる人には「いなくなって良かった」という侮辱に聞こえることがあるからです。
もし祖父の葬儀に来ていた人が、死を喜ばしいだなどと言っていたなら、私はその人をぶん殴っていたでしょう。

この回答への補足

 3ヶ月も放っていたので今更お礼を述べても意味がないとは思いますが、自分の中でのけじめとして書いておきます。
 お礼が遅くなって申し訳ございませんでした。

補足日時:2005/07/14 18:17
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

 思うに、死には悲しい面もありますし喜ばしい面もある、悲しい面だけにとらわれるというのは僕の性分としてできそうもありません。

 死を「喜ばしい」と言って殴られたら殴り返してやります(笑)、別に侮辱するつもりなどないのですし。悲しむのが普通だとしても、それが正しいというわけではないのですから。

お礼日時:2005/07/14 18:16

現代的な問題ですね。

医療が発達し、必要ないかもしれないのに延命が行われます。その裏には、死は避けなければならないことという捉えられ方が見えると思います。

死といってもいろいろな死があると思います。何も関係ないのに殺人に巻き込まれた場合の死は、悲しいと思います。精一杯人生を送り、老衰していく死も悲しくもあるが、充実した人生だったろうと振り返り喜ばしくも感じるかもしれません。受け入れられる死もあれば、受け入れられない死もあります。でも、真っ先にまずは死は、悲しいですね。その感情があって、その人の立場になって考えた時に色々と思うところが沸いてくるといった感じではないでしょうか?

~べきだとなるのはなぜでしょうか?なぜyellobutterflyさんが「べき」を使おうと思ったのかが知りたいです。何か、「べきだ」という表現で訴えていた評論にでも出会ったのでしょうか?悲しむか悲しまないかは、個人によって違ってくると思います。

回答のポイントがずれていたらすいません。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

 「べき」を使ったのは、「死」を客観的に捉えた意見を述べたら「冷たい」と言われたからです。

 「あの時に死んでいればよかった」なんて思いながら死んだとしたら最低じゃないですか、それでも死は避けなければならないことなんでしょうかね。

お礼日時:2005/04/18 06:54

死の捉え方は人それぞれあると思います。


自分も身内で、おばあさんが死んだ時、
悲しかったけど、90歳近くまで、認知症にならず、
寝たきりにもならず、ひ孫の面倒まで見られて、
死ぬ時も、ちょっと風邪をこじらせて、自宅の自分の部屋で、自然死のような形で死んだことを思うと、
とても幸せだったし、喜ばしいことだと思いました。
でも、やはり、若くしてなくったり、
志半ばでなくなったりしたら、悲しい以外にはないと
思います。

つい何年か前、ヨーロッパのある国王が崩御された時、
王妃は、国王の死は悲しいものではないから、
みなに、喪服は着てこないで欲しいという
通常の概念ではありえない形でのお葬式がありました。

こんな感じですかね。

ここからの意見は無視して構いません。
心理学的な捉え方をさせてもらうと、
質問者は、過去に、もっというなら、前世で、
とても悲しいことがあり、
悲しみを感じることに恐れを抱いているのでしょうか。
そんな感情にふたをしているのでしょうか。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

 僕が王妃であれば、「国王の死は悲しむべきものというわけではないから、喪服は着たい者だけ着ればいい」とでも言うのでしょうか、そんでもって自分は喪服を着ない。
悲しみを感じていないわけではないけれど、それを他人にアピールする必要性は感じないので。

 心理学的捉え方、面白いです。
 過去にとても悲しい経験をしたというわけではないのですが、飢餓に苦しむ子供たちなどに悲しみ、食用のために殺される家畜などに悲しみ、人間の身勝手で殺される虫や細菌などにまで悲しみしているうちに、悲しみという感情が希釈されていっているのかもしれません。すべてを真剣に受け止めていたら、この世界の悲しみに押しつぶされてしまいますからね。

 こんな私は冷血漢らしいですけどね、何度か言われたことがあります。

お礼日時:2005/04/18 06:44

納得いこうといかないと、あなたの母なり父が死ねば、悲しいんじゃないの?


理屈じゃなくて感情だからね。
第三者の死は悲しくないよ。
悲しいのは愛する者の死だけだよ。
死にもいろいろあって、全部の死を「悲しまなければならない」なんて誰も考えないでしょ。
必ず人は死ぬのは当たり前だけど、もしもあなたの母、父が死んだとしたらあなたも悲しいんじゃないの?
他の兄弟がその死で凄く悲しんで泣いてたとしたら「そんなヒューマニズム、うっとうしいわ」って言ったらまあみんなにぶん殴られるでしょうね。
もしもあなたがいつか子供出来たとして、何かの事故で死んだとき、「悲しむべき」とかちんたらどうのより、ただ悲しいんじゃないの?
それが自分の子供じゃないとしても、想像力あれば解るでしょ。
だから理屈じゃないの。
勿論納得した死ってあるよ。
80年十分に生きて「我が人生悔いはなし。幸せだった。みんなありがとう」って遺書があれば家族は納得するよ。
でも身内の死は悲しいよ。
だから悲しいのは自分と親密な関係の死だけ。
でも「死は恵み」って言葉もある訳だから、生きてる人間は知らないだけで、ひょっとしたら本人は気持ちがいいのかもしれないね。
死んだ人が毎晩夢に出てきてくれて「死ぬっていいよ」って教えてくれたら安心するのにね。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

 幸い両親は健在なので、彼らが死んで悲しいかどうかはわかりませんが、おそらく悲しいと思うと同時に喜ばしいとも思うのではないかと思います、自分の子供の「死」だとしてもそうだと思う。短絡的で視野の狭い人はこんなことを言うと何て無慈悲な人間なんだと思うかもしれませんが、喜ばしいというのはこの世のしがらみから開放されて喜ばしいということです。

 感情、感情と言うけれど、それは経験からつくりだされた幻想だと思います。何も知らない赤子が両親の死を悲しむことができるか、本当のところは知りませんけど、悲しむことはできないのではないかと思います。つまり、「死」は喜ばしいものだと刷り込まれれば、「死」に対して喜ばしいという感情が湧くようになるのではないかと思います。

お礼日時:2005/04/18 06:26

悲しむ”べき”とは思いません。

ですが、悲しんでいる人を間違っているとも思えません。感じ方は人それぞれですから。

20代のうちに、同級生が何人か亡くなりました。(事故や病死です)今、思い出しても寂しいです。自分はこれからの人生をどう生きるかについて、考えさせられました。今でも結論は出ていません。

誰かが言ってましたが(ドラマのせりふだったかも)
”人は死ぬまで生きなくてはいけない” と。

 死 は、本人が納得しようと、していなかろうと、残された人間に疑問や寂しさをいつまでも残すものだと思っています。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

 僕も、「死」を悲しむのが間違いだとは思いません、たとえ故人が悲しまれることを望んでいなかったとしても悲しみたければ悲しめばいい、それは個人の自由です。

お礼日時:2005/04/18 06:11

2度と会えなくなるわけだから悲しいことではあると思います。


卒業式や送別会ですら2度と会えなくなるわけでもないのに、悲しむ人がいるんだから。

卒業式と同じく、悲しいことだけど喜んで送り出していくのが一番いいかなと思います。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

 問題は、悲しい面ばかりを見て、喜ばしい面をあまり見ないことなのだと思います。

お礼日時:2005/04/18 06:06

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