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出雲というのは、大和とは全く別の国だったんですか?

A 回答 (5件)

古事記には出雲の話が多く有りますが、大和朝廷の正史日本書紀では


バッサリ切り捨てられて記載が有りません、歴史は勝者が創るの
典型的な例です。
歴史から消し去りたい程、手ごわい存在だった事が推察されます。

歴史学者は天皇家に忖度して、論文を発表するので信用に足りません。

複数の遺構が発見されて隠し通せなくなって来たのは喜ばしい事です
これからの調査・研究で真の出雲の姿が明らかになるでしょう、
発表が待ち遠しいですね。
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この回答へのお礼

詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2022/12/31 10:39

出雲神話の信憑性が高まったからには、少なくとも大国主の登場前は別々の国だったということでしょう。



出雲は、ヤマタノオロチ伝説に基づけば、硬玉(硬質ヒスイ)の産地で知られる高志(越)国の勢力下にあったところに、スサノオ命が中国から朝鮮半島を経由して出雲に渡来して以降、勢力を拡大し、大国主の時代に高志の国を征服後、畿内にも攻め入って征服し、そこで出雲と大和が統一されることになっています。

大国主前の畿内の様子が良く分かりませんが、九州方面からやってきた物部氏系の一族が、大国主前の畿内で勢力を持っていたようですね。
神武天皇など初期の天皇は、畿内制圧後には、大国主系と物部系から皇后を迎えることが多くなっている。
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古事記に書かれている出雲(王国)などの神話は、架空で実在せず、荒唐無稽という学者が大勢いたようです。

しかし
平成12年から13年に大柱の遺跡が発見されて学説が覆ったのです。
推測の域は免れませんが、出雲は大和とは別の国があったようです。
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その可能性が高いとされています。


ヤマト王権が各国を従え勢力を拡大する中で、中国地方の有力国であった出雲もまた従うことになった経緯を国譲りの神話として残した、という話です。
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伝説では出雲の神と大和の神があり、大和の神に大地を担当して、とか言われたらしいです、

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