クリスチャンでも仏教徒でもありません。クリスチャンの方たちは、信じる者に永遠の魂が与えられるといいます。しかし聖書に書いてある事柄以外の宗教的観念については口を閉ざしてしまいます。仏教では魂は永遠でありまた甦るものとしています。霊能者は前世をも見ることが出来るといいます。どちらも永遠には変わりません。例えば、輪廻転生を信じているクリスチャンっておかしいですか?誰か教えて下さい。ついでに言うと、私の意向は、神はやはり唯一のもの(イエスキリスト)のような気がしています。仏教は霊や魂も神と崇めているんですよね?間違っていたら教えて下さい。

A 回答 (3件)

私はどの宗教も信じていませんが、宗教を研究する


ことが好きです、キリスト教には輪廻転生という考え
はないようです、ただイエスの死後、復活を信じた
弟子たちが昇天の10日後最後の晩餐の部屋に集まった
ところに聖霊が降り注ぎ、ここからキリスト教が
始まったといわれています。なお絶対の神はNO1,2の方のとおりヤハウエというこの世界を作った
唯一の神といわれています、この神の言葉を伝える
宗教指導者がユダヤ教のアブラハム、モーゼ、イスラム教のムハマッドでキリストはキリスト教ではメシア
救世主の一人といわれています。仏教では仏陀になり
悟りを開くことをめざしており霊や魂をあがめるという考えはないように思われます、そして悟りを開き
仏陀になったのがお釈迦様といわれています、そして
仏陀イコールお釈迦様ということになったといわれて
います、宗教は奥が深く研究するのはおもしろいですよ!

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80% …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。仏陀イコールお釈迦様なのですね。神ではなく悟りだと言うことも今回の件で初めて知りました。色々と勉強してみます。

お礼日時:2005/04/14 10:56

キリスト教には輪廻転生という考え方はありません。

死んだらしばらく死んだままで、その後「最後の審判」の日がやってきます。このときに、天国行きと地獄行きに分けられ、その後、天国または地獄で永遠の平安または苦痛を味わうことになっています。

したがって、「輪廻転生を信じているクリスチャン」はおかしいです。それは実際にはクリスチャンではないか、少なくとも異端です。中世なら火あぶりです。

ちなみに、かなり古くから、キリストは神の一つの形態ということになっています。父なる神ヤーウェと子キリスト、それに聖霊は、別のものではなく、一つのものの三種類の現れとされています。大変理解しにくい考えですが、これを三位一体と言います。ただし、この考えは原始キリスト教にはなかったかもしれません。

仏教には「神」という概念はありません。解脱した修行者である菩薩、または仏がいるだけです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。なるほどクリスチャンは神を崇め、仏教は神とは言わないのですね。死後の世界については仏教の説き方のほうが幸せな感じがしますね。

お礼日時:2005/04/14 09:58

最初に私もどちらの教徒でもありませんし、宗教研究家でも無いし、完全な無神論者です。


また、微妙な問題なので関係者の方には不快に思われる表現があるかも知れない事を最初に断っておきます。

輪廻転生は人間だけでなく広く生物界で生まれ変わるという考え。
キリスト教の場合はその人の魂限定で存在すると言った感じではないでしょうか。

>輪廻転生を信じているクリスチャンっておかしいですか?

聖書の教えには輪廻転生は無かったと思いますからおかしいと言えばおかしい。
(そもそも信じる信じないは個人の自由ですが。)
キリスト教では今でも進化論を「そういう説もある」といったスタンスで否定しています。
(アメリカなどでは神が人間を作り、進化論は間違っていると教える学校すらあるそうです。)
この進化論、ダーウィンが発表した当時もキリスト教関係者などから批判され、欧米では中々受け入れられなかったのに対して、仏教を信じていた日本にこの考え方が入ってきた時、すんなりと受け入れられました。
それは「輪廻転生」という考えが「進化」と無理なくマッチしたからです。

>神はやはり唯一のもの(イエスキリスト)のような気がしています。

キリストは神ではありません。
キリスト教の唯一神は「エホバ」または「ヤハウェ」です。
因にユダヤ教、キリスト教、イスラム教は源流は同じです。
極論すれば「エホバ」と「アラー」は同じです。

>仏教は霊や魂も神と崇めているんですよね?

仏教に神と言う概念はありません。(宗派によってはある事はあります。)
「悟り」によって自分自身を高めることが教えです。

以下余談。
私は人間が存在しないと神も存在しないと思っています。
神は人間が作り出した概念です。
動物が神に感謝しているとか崇拝しているなんて話は一度たりとも聞いた事がありません
人間は地球に最初に生命が誕生してからずっと後で現れました。
よく、地球の今までを一年に置き換えるとなどと言うのがありますが、人間なんて大みそかの夜中に初めて出てきた程度の歴史しか有りません。
神を信じも崇拝もしない動物を先に創るのも変だと思いませんか?(神だから人間が及びつかないと云われればそれまでですが。)
おっと、ここでまた進化論云々に逆戻りしてしまう。
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この回答へのお礼

こういう話には確固たる証拠がない上、つまるところ個人の自由ということになるのですね。私は小学校の教科書で進化論を習いました。でも聖書の天地創造の物語はロマンティックで好きです。輪廻転生を信じるならば、随分多くの課題を残してくれたものだと皮肉に思たりします。聖書以外の神については私も同じように人間の意識の世界が作り出したものと思う節も。壮大で壮絶な歴史のトリックには、人間が一生かかっても大晦日の夜中に出てきた程度の理解がせいぜいなのでしょうね。ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/14 10:40

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こんなに物乞い仏僧が多いのだから数撃ちゃ当たる寸法で
誰か1人くらい奇跡的に的を得た悟りを開いても良いと思う
   ↑
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悟りを開いたら、他者にその至高の悟りを語らずに
悦に入ってしまうのでしょうか?
   ↑
上座部仏教は、己の悟りが第一義ですから、
そういうことになるのかも
しれません。



タイやミャンマーでは新しい悟りを開いている人が
無数にいるのでしょうか?
   ↑
タイやミャンマーは上座部ですから、
あるいはそうかもしれません。



私にもタイやミャンマーで新しい悟りを開いた方の
新しい悟りとやらを聞いてみたいです。
   ↑
昔、悟った人に訊いたことがありましたが、
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先入観からなかなか鵜呑みにできず、質問させていただきました。御存知の方がいらっしゃいましたら御教授いただけませんでしょうか。お願いします。

Aベストアンサー

まず、宗教上で信仰・崇拝・理想とされる対象を便宜上「神」と呼ぶだけであって、バラモン教、仏教やヒンズー教のデーヴァやヤクシャなどの神々とユダヤ教・キリスト教・イスラームの創造主。神道のカミは本来は異なる概念です。
 問題は、キリスト教的な創造主まで「神」と一律に翻訳してしまったが為に、東洋思想や日本の信仰体系における神と混同されるようになったことです。東洋的な神は「絶対者」ではなく、“人間と異なる力を有する存在”ぐらいの意味でいいかと思います。

「仏教は無神論」というのは、キリスト教的な人格神的な絶対的創造主を想定せず、あくまでも自身がダルマ(法)に目覚めることを目標とする教えであるところから打ち立てられた認識です。
 つまりキリスト教的神学、西欧的宗教学で仏教を捉えたときに言い出されたことであって、仏教自身が無神論であるとはいってません。いわばキリスト教中心史観とでもいいましょうか。

仏教はバラモン教への批判という面があり、バラモン教における「固定化された神話体系」・「人格的な想創造神」を批判します。しかし、「創造神」としてバラモン教の神々は批判しますが、「護法神」としての神々まで否定しません。
初期仏典の『スッタニパータ』にもインドラ(帝釈天)やブラフマン(梵天)や「神性を有するもの」などの護法神は登場します。それはバラモン教における崇拝対象としてでなく、仏教の護法神として再構築された神々です。
またバラモンという名称も「固定化された神話世界に基づき祭祀を行う者」「定型化された身分としての神官」という意味では批判的に扱われますが、同時に「人々を導く優れた宗教指導者」という意味でも使われています。

特に密教ではダルマ(法)が具体的に顕現する、その形態の一つとして帝釈天・梵天・四天王・阿修羅・夜叉・竜王を捉えます。ですから同じブラフマンであっても、仏教とバラモン教ではその位置づけ、性格、認識が異なるのです。

日本に仏教が伝来し、広まるに従って日本の神祇も護法神として信仰に取り込まれます。特に中世期では仏・菩薩が日本人を救済するのにふさわしい姿として神祇として顕現するという「本地垂迹」信仰が拡大します。

>>お経に神が登場するんですか!
経典に登場する神々は天人・竜王・夜叉・阿修羅などのインドの鬼神です。当然ですが仏典はインド語を漢訳したものですから、日本の神祇は登場しません。
ただし、日本人の僧侶が記した論書には神祇の名が上がることはあります。

経…仏教の教えをしましたもの。
論…経に基づき、その教えを解釈・考察したもの。

まず、宗教上で信仰・崇拝・理想とされる対象を便宜上「神」と呼ぶだけであって、バラモン教、仏教やヒンズー教のデーヴァやヤクシャなどの神々とユダヤ教・キリスト教・イスラームの創造主。神道のカミは本来は異なる概念です。
 問題は、キリスト教的な創造主まで「神」と一律に翻訳してしまったが為に、東洋思想や日本の信仰体系における神と混同されるようになったことです。東洋的な神は「絶対者」ではなく、“人間と異なる力を有する存在”ぐらいの意味でいいかと思います。

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Aベストアンサー

その記憶喪失というのは失われたのは過去の知識のみであり基本的な人格そのものに変化はないはず。
悟りというのは机上の知識ではなく、悟ったことを覚えているから執着心がないわけでもなく、ゆえに過去の知識の有無によって失われることはない。
というのが私の答えです。

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Aベストアンサー

仏教では、
釈迦時代のインド時代に信仰されていた
バラモン教(後のヒンズー教)の神々も、
仏陀の真理に服従仏教徒を守護する諸天善神として、
キリスト教の天使的存在として取り込みました。
創造神ブラフマー梵天
善なる勇者が武神に転生したインドラが帝釈天
勝負事と富の神クベーラが上杉謙信お気に入りの毘沙門天
というふうに、たくさん神います。


日蓮宗などでは、同様に天照大神なども、日蓮真筆の本尊中に、
諸天善神の一つに記してあり、日本神道の神も
仏陀の家来の神であるとしてます。

※ただし、仏教では
神も輪廻転生の過程の途中に過ぎず、
天界で天文学的長寿ですが、
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凡夫に、すぎません_(‥ )

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仏教のお坊さんで悟りを開いたお坊さんはどれ位いるのでしょうか?
高僧と言われる人は悟りを開いた人なのでしょうか?
悟りを開いたお坊さんとそうでないお坊さんはどこでわかるのでしょうか?

Aベストアンサー

>仏教のお坊さんで悟りを開いたお坊さんはどれ位いるのでしょうか?

・一人もおりません。

>高僧と言われる人は悟りを開いた人なのでしょうか?

・違います。

>悟りを開いたお坊さんとそうでないお坊さんはどこでわかるのでしょうか?

・お坊さんは悟りを開いてはおりません。

※ご質問の中に、「仏教」とありますので、仏教で言うところの『悟り』についての記述には、「物事の道理を明らかに感知すること。迷いを離れ真理・実相を証得すること。成仏の境地・仏果を得ること。」とあります。

そもそも、「僧」と言われる立場の方々は、古来より伝わる仏典、釈書によって仏教を研鑽し、その教えを行じてきました。あるものはその宗門に残り、あるものは独自の宗派を開いてきました。しかしながら、全てそれらの教えが、釈尊よりの教えを正しく理解し行じているかといえばそうではなく、独自の解釈や全く仏意を度外視した内容としてしまったり、また、時代の流れの中で、寺をその周囲の住民を管理させるもの(檀家制度)としてしまったり、仏の本意からは大きくかけ離れてしまっているのが現状です。

しかし、その中で、鎌倉時代の僧「日蓮」は、末法の世の中に流布するべき『南無妙法蓮華経』を御題目として世の中に取り出しただけではなく、御本尊として末法の衆生に曼荼羅として残してくださいました。
先に、「鎌倉の僧」と書きましたが、釈尊の法華経には「末法に於いて、上行菩薩を筆頭とした地涌の菩薩が出現し、末法の世に法華経を広めるであろう」との記述があり、「末法に法華経を広めれば数々の難が起きる」ということ、身をもって体験されたのが日蓮大聖人であり、まさしく末法の御本仏としてこの世に生誕され本懐を遂げられました。
そういった意味で、単なる「僧」というにはあまりにもかけ離れている為、上記の回答といたしました。

>仏教のお坊さんで悟りを開いたお坊さんはどれ位いるのでしょうか?

・一人もおりません。

>高僧と言われる人は悟りを開いた人なのでしょうか?

・違います。

>悟りを開いたお坊さんとそうでないお坊さんはどこでわかるのでしょうか?

・お坊さんは悟りを開いてはおりません。

※ご質問の中に、「仏教」とありますので、仏教で言うところの『悟り』についての記述には、「物事の道理を明らかに感知すること。迷いを離れ真理・実相を証得すること。成仏の境地・仏果を得ること。」とあります。

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Q仏教とは?仏教の聖典とは?

仏教とは?仏教の聖典とは?
良いか悪いかは別として、キリスト教には、新旧約聖書、イスラム教にはコーラン、という、それぞれ、宗教をある程度つかむための代表的な聖典(半分、聖人と呼ばれる人の生きてきた昔話みたいな)、共通の理解すべき分かり易い対象があり、人々の間にも文化として根付いていると思います。それに対して、仏教には、なぜ、代表的聖典というものが無いのでしょうか。庶民には、およそ意味の分からぬ、頭ごなしに有難がるしかない、お経を聞くことぐらいしか、身近に接することはありません。
(1)仏教とは、サルにもわかるように言うと何でしょうか?
(2)仏教に、これ一冊が大方の人に読まれてますよ、という聖典はあるのでしょうか?、新旧約聖書に相当するような昔話のようなタイプの聖典もありますか?サルにも分かるような聖典もありますか?
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Aベストアンサー

1)仏教とは、サルにもわかるように言うと何でしょうか

七佛通解ゲというお経に書いてあります。
「諸悪幕作 衆善奉行 自淨其意 是諸仏教」「諸悪を作すことなかれ、衆(もろもろ)の善は奉行し、自らその心を浄くせよ、是れ諸仏の教えなり」これは過去七仏通解と云われ、根本仏教より仏教が道徳の根源となっていることを説いていることを表すものです

良いことをしなさい。悪いことをするな。これが仏教です。(筆者訳)

2)仏教に、これ一冊が大方の人に読まれてますよ、という聖典はあるのでしょうか
仏教聖典と言って、世界各国語に翻訳されてます。日本語版は、200円くらいで、手にはいります。聖書と同じですね。
http://www.bdk-jp.org/buddhism/book01.html

ここでは、525円となっているようですが。。


3)日本の庶民の文化として、仏教は息づいてい無いと思いますが、なぜですか

一応、信教の自由ってことですので、本来、日本人に合ってはいるのですが、気がついていない人が多いのでしょう。

外国で庶民文化として仏教が息づいている国はあるのでしょうか
たくさんありますよね。タイとか、仏教が国の宗教ですから。
中国も、チベット仏教とかは、そうなんですが、漢民族が、認めてませんね。

1)仏教とは、サルにもわかるように言うと何でしょうか

七佛通解ゲというお経に書いてあります。
「諸悪幕作 衆善奉行 自淨其意 是諸仏教」「諸悪を作すことなかれ、衆(もろもろ)の善は奉行し、自らその心を浄くせよ、是れ諸仏の教えなり」これは過去七仏通解と云われ、根本仏教より仏教が道徳の根源となっていることを説いていることを表すものです

良いことをしなさい。悪いことをするな。これが仏教です。(筆者訳)

2)仏教に、これ一冊が大方の人に読まれてますよ、という聖典はあるのでし...続きを読む


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