三国志の3国連合軍と日本の織田信長とか、武田信玄とかの連合軍が戦った場合どうなるのでしょう。
仮定1 日本が中国に攻める。
仮定2 登場人物は基本的に全員出場OK
仮定3 裏切り等は無しとする。

以上、勝手な仮定ですがよろしくおねがいします。

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A 回答 (6件)

>仮定1 日本が中国に攻める。



この時点で、日本の負けです。
兵数が同等で、武器も日本軍が鉄砲を使えれば当然日本の
勝ちですが(それくらい、鉄砲の威力というのは絶大です)
日本が中国大陸に攻めるとなると、補給の問題を考えなく
てはいけません。

戦国時代末期には、外洋航海が可能な船は日本にありまし
たが、中国大陸に人員と食料と武器弾薬を不足なく運ぶだけ
の船舶は当時はなかったでしょう。

よって、上陸して二度か三度の合戦で勝っても、やがて
まず弾薬が尽き(この時点で日本のメリットが消滅)、
つぎに食料が尽きて、最後は全滅ですね。

秀吉の朝鮮出兵は補給の問題に苦しみ、日中戦争では
広大な中国大陸内部に日本軍は引きずり込まれ、蒋介石
政府を重慶に追い詰めるまで連戦連勝したにも関わらず、
敗戦まで決定的な勝利を得ることができませんでした。

現実の戦争の勝敗は、兵数・指揮者の能力・武装・補給など
多様な要素が絡み合っています。
ゲームばかりしていないで、実際の歴史がどうであったか、
一度きちんと勉強することをオススメします。

この回答への補足

ゲームばかり・・・と私に言ってるのでしょうか。それでしたら失礼というものです。私だって多少勉強してます。仮定の内容については、当時の中国ではおよそ日本まで行くほどの舟があるかないか微妙だったので(呉の水軍であっても)そうしたまでです。
弾薬が切れる と言うのは考えてませんでした。たしかに切れれば日本軍はメリットないですね。

補足日時:2005/04/14 18:59
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政治的状況とか戦略目標とかがわからないので答えるのは難しいですね。

日本が中国に攻めるとなったらおそらく秀吉のように朝鮮半島を経由することになると思いますが、その半島の情勢はどうなっているのか……とか。日本側は何を求めて中国に攻め込んだのか……とか。
更にいえば三国志、戦国時代とくくってもその中で技術革新もあるわけで、ひとまとめにはなかなかしづらいものがあります。

そこら辺に目を瞑って大雑把に戦術的に考えてみると、1400年の技術差があるので日本が有利だと思いますが、当時の日本は歩兵密集陣で遠距離戦が基本。まともな騎兵と戦ったことがほとんどないというところがネックになります(日本の騎馬隊と大陸の騎兵は大きく異なります)。また戦国期の鉄砲は漢の時代の弩と射程に大差がなく、兵器の単純な殺傷力の差というよりは驚かせて士気を奪う効果のほうが大きいのではないでしょうか(ただしその効果は、農民兵が多く士気が低いであろう三国志側に対してはかなり大きいと思います)。
騎兵と戦ったことがない日本vs鉄砲の存在すら知らない中国。もともと日本が有利でしょうが、更に対騎兵の戦い方を確立できれば日本側の勝ちになるでしょう。

No4さんが仰っている兵力差ですが、三国時代の人口はおよそ700~800万人(ただし中央政府が把握している数)、日本戦国期も同程度であると思われます(異説はあります)。おそらく最大限に兵力を集めて双方40万といったところではないでしょうか。

この回答への補足

三国志については若干詳しいのですが、そのころの中国の人口は3000万以上はいたようです。しかしながら、鉄砲という武器を始めてみたとき孔明や曹操などの知者はどうしたのでしょう。

補足日時:2005/04/14 18:53
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日本の戦国時代後半(安土桃山)は、その当時の世界では最強をほこっていると思いますが、


三国志連合のほうが勝つと思います。

いろいろな設定が足りません!!
なので、文章から、武田信玄や信長がいた頃の日本国の動員兵力と三国志の兵力を比べることにしました。
根拠資料は、ないのですが、三国志連合のほうが兵力が多いのではないでしょうか。

あと、秀吉の朝鮮出兵が参考になるのではないでしょうか。最初は善戦するけど、結局勝てないと思います。

この回答への補足

すみません。もっと詳しく設定をたててればよかったですね。

補足日時:2005/04/14 19:06
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なかなか楽しい質問です。

さて、現実的に考えるとかなり難しいです。そもそも戦(いくさ)はかなり準備をしてから戦場に行くのです。信長にしろ信玄にしろ、裏工作をして十分に勝機を得てから戦場に臨みます。ドラマのようにいきなり敵が攻めてきて戦と言う訳にはならないのです。裏工作を含めて戦と言うので、これができないと信玄にしろ諸葛孔明にしろ本来の能力が発揮できないと思います。では、ここで表題の仮説通り、日本軍と中国軍が激突した場合を考えます。両軍同じ勢力で兵装も一緒、戦場の地形も両軍にとって平等と考えます。そこで一番問題は誰が総大将を勤めるかです。せめて日中両軍の大将を誰にするかぐらいは考えて欲しかったです。私の独断と偏見で決めさせてもらうと、日本軍の大将を上杉謙信、軍奉行を武田信玄、中国軍の大将を曹操、軍奉行を孔明とした場合。



結果は引き分けだと思います。両軍ともかなり有能な武将ばかりそろえての戦いなので、下手な誘いや罠にはかかりにくく、互いにけん制しあって決着が付かないと思います。川中島の戦いがそのいい例です。互いに高度の戦闘能力を持った者同士ですと、駆け引きも巧みですが、見抜くのも巧みで決着がつきにくいと思います。
どうしても白黒はっきりつけたいと言うのなら、中国軍の勝ちでしょう。理由は戦場は中国なので日本にとっては兵站が伸びすぎで食料を確保するのが大変。さらに、現地の伝染病などにもかかったりと、兵力維持が不可能になり負けると思います。

この回答への補足

激突するなどと言う仮定は・・・・。たしかに激突するでしょうが。
 両軍ともその当時の一般的な罠のことなど知らないと思うので、罠にはまるかどうかで結構変ってきそうですね。日本が勝つにはやはり、速攻。兵糧の問題がありますので。しかし、相手は兵数が凄いので速攻も難しいですね。やはり、中国軍が勝つのでしょう。

補足日時:2005/04/14 19:08
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どこで戦うかが大きな問題。


あと、海を渡る兵站を含むかどうかも。
実際、蒙古軍も、秀吉軍が朝鮮でも勝ててませんから。

既に出ていますが、時代が大きく変わると、兵器体系も違うので、後世のほうが有利です。
ただ、昔の渡洋作戦は規模が大きいほど長続きしません。
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時代背景を全く無視するならの話ですが。


織田信長は長篠の戦いで鉄砲隊を使って、武田軍の騎馬隊を撃破しています。
中国の三国時代には鉄砲は無かったので、その時代の武器をそのまま使用できるなら、長篠の戦いと同様の戦法を取ることで日本の戦国武将軍の勝ち・・・かな?

この回答への補足

日本の当時の馬は足が大変短く足軽より遅かったそうです。よって、鉄砲隊が中国騎兵(日本より数段速い騎兵)にどういう対応が取れるのかが分かりません。

補足日時:2005/04/14 19:02
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 以下は三国時代までの大きかった州。

http://zh.wikipedia.org/zh/%E5%BE%90%E5%B7%9E_(%E5%8F%A4%E4%BB%A3)
(自動リンクでurlが括弧で切れる場合は括弧内を含めて住所としてください)
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http://zh.wikipedia.org/zh/%E6%89%AC%E5%B7%9E%E5%88%BA%E5%8F%B2%E9%83%A8
揚州(古代) 管轄は現在の安徽淮河以南部分、江蘇長江以南部分、上海、江西、浙江、福建の全部、湖北、河南の部分の地域に相当する。

http://zh.wikipedia.org/zh/%E7%9B%8A%E5%B7%9E%E5%88%BA%E5%8F%B2%E9%83%A8
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http://wenda.tianya.cn/wenda/thread?sort=wsmorv&tid=21f64694dd85c40d
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http://deutschland.de/aufeinenblick/deutschlandkarte.php?lang=2&PHPSESSID=ebaf1dbb2ad8379d12ba942ad09d51eb

州名はないけれど都市名がわかります
http://www.stadtplandienst.de/home.asp?SID=7ea37a40d207606b6ec04f9e25b30d60&oldses=1

詳細まで見れるのは
http://www.dzt-top50.de/index_neu.html/?lang=jp


他にも
http://worldatlas.com/webimage/countrys/europe/special/germaust.htm

Q長篠の合戦 (織田軍の鉄砲の三段撃ち?・武田の騎馬隊は存在しなかった?)

長篠の合戦についての通説の誤りが指摘され、新しい定説が普及しつつあります。


代表的なところでは

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2、織田軍の鉄砲の三段撃ちはなかった。それぞれ勝手に撃っていただけ。

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4、兵力も、連合軍3万8千、武田1万5千はおおげさ。せいぜい連合軍1万5千~2万5千、対、武田7千から1万。

5、合戦の性質も、野戦ではなく、織田軍が築いた土嚢の陣地を武田軍が攻めるという「城砦攻防戦」だったのではないか。


長篠の合戦に関する賛成意見・補足・反論などをお願いします。

Aベストアンサー

弾幕射撃というのは確かに効果的で世界史的にみても長城の戦いの15年後にオランダで使用されそれなりに効果があったらしいですが、但し実用化するにはまず大量の鉄砲、そして統一的な訓練が必要なわけで、オランダの例はそれらを行えるだけの資金的・時間的な余裕があったからです。

一方信長の場合は、鉄砲それ自体は早くから注目していたようで(但しこれはどの戦国大名も同じ)資金も豊富ですから数も多く所有していたようですが、当時の信長にはそちらにまわせるだけの余裕はなかったと言われており最近の定説では1000-1500挺ぐらいとされています。
実際の使われ方については、鉄砲の上手い兵士に従者を何人かつけて、撃つ人、弾込める人、火薬詰める人と役割を分けることで少しでも効率を良くしようとしていたようではありますが、これは従来から行われていた方法です。

長篠城からの援軍援軍要請が家康に、家康からの要請が信長に届いたのですが、当時畿内で忙殺されていた信長は乗り気ではなかったようです。が家康が武田と講和するとまで言い出したためにようやく重い腰をあげたと家康側の文献には載っています。であわてて駆けつけたものですから織田軍も筒井軍などの連合体であり、鉄砲もあちこちから何とかかき集めてきただけ(織田領内はこの時期軍事的に一種の空白地帯になっています)。それでさらに徳川との連合ですから、俗説的に言われていたような統制のとれた三段撃ちを行えるような準備がまずできなかったでしょう。上手い人をそれぞれの部隊から抽出して、それらに従者をまとめて付けるというような工夫ぐらいはしたかもしれませんが。
また弾・火薬も当時の価値では非常に貴重なものですから、弾幕を張るというのではなく、一撃必殺で出来るだけひきつけて使われいたようですので、そういう意味ではそれぞれ勝手に撃っていても、結果的には統制がとれていたことになるかもしれません。

でなぜそんな定説が事実として教科書にまで載るようになったかについては、元ネタは歴史書というか日記風の軍事詳報的な大田牛一の「信長公記」を元にした小瀬甫庵の歴史書というよりも小説「信長記」(江戸初期のベストセラー)に出てくる逸話で、このエピソードを明治の日本陸軍が採用したためらしいです。
※ちなみに「信長公記」では鉄砲は1000挺ですが、版によっては小さく3の字が追加されていたりして、「信長記」では完全に3000挺になっています。

なぜ陸軍が採用したかについては単に戦訓を載せる際に、具体例があった方が分かりやすいからというぐらいの単純な理由で、大事なのは史実ではなく戦訓(ex.鉄砲の前に騎馬が突撃すべきでない)ですから脚色が入っていてもかまわなかったのでしょう。

弾幕射撃というのは確かに効果的で世界史的にみても長城の戦いの15年後にオランダで使用されそれなりに効果があったらしいですが、但し実用化するにはまず大量の鉄砲、そして統一的な訓練が必要なわけで、オランダの例はそれらを行えるだけの資金的・時間的な余裕があったからです。

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Qアメリカの州地図は?

アメリカの州地図を探しています。
できれば、gifで白地図がいいのですが、jpgでもかまいません。
よろしくおねがいします。

Aベストアンサー

下記ページのものはいかがでしょうか。(JPG)
http://geography.about.com/library/blank/blxusa.htm
他にも探せばあるかも知れません。
http://www7.ocn.ne.jp/~w246/newpage5.htm

参考URL:http://geography.about.com/library/blank/,http://www7.ocn.ne.jp/~w246/newpage5.htm

Q【日本史・織田信長の死際の行動の謎】織田信長は本能寺に滞在中に家臣の明智光秀が攻めて来たという一報を

【日本史・織田信長の死際の行動の謎】織田信長は本能寺に滞在中に家臣の明智光秀が攻めて来たという一報を受けて、自分が普段座る鎮座に影武者の家臣を置いてその影武者に短い手槍を渡した。

織田信長本人は奥の間に移動して、明智光秀が攻め込む前に自害することを決意してすぐに自害用に家臣を連れて奥の間に行き介錯(かいしゃく)=自ら切腹した織田信長の首を跳ねる役の家臣を同行させて奥の間で自害した。

明智光秀がまだ攻め込こんでいないのになぜ明智光秀が攻め込むという一報を聞いて、明智光秀が攻め込む前に奥の間で自害したのか。

自害する必要がどこにあった?

なぜ織田信長は明智光秀と戦うという選択ではなく、最初から自害の道を選んでいたのか不思議じゃないですか?

おかしな話ですよね。

何かひっかかりませんか?

Aベストアンサー

光秀が攻めるときは、理詰めの確実な方法を取るはず。信長が前に出て戦闘状態になったら光秀の注文通り。
信長自身がしばらく生死不明という状況にするのが、あの夜の最善手だったからでしょう。
 事実、秀吉が引き返して山崎の合戦になったとき、秀吉側は、信長は脱出に成功、自分は信長の指示で指揮を取るという噂を流して、精神的動揺を誘ってます。

Q三国志関連ゲーム

無双OROCHIをとなりで見ていた彼女が、三国志に興味を持ったみたいです。

現在、真・三國無双の最新版である7は、
三国志の大まかな流れを理解できる内容ですか?

あまり細かなエピソードまで必要ありませんが、
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なんとなーく教えてあげたいんですw
映画レッドクリフが面白くなる程度の、各国を代表する武将の名前が覚えられる感じで。

あるいは、他に三国志の物語が楽しめるゲームがあれば教えてください。
コーエーの三國志シリーズは自由度が高すぎてダメだし、
他に物語が楽しめるゲームだと、どこまでも遡って三国志英傑伝くらいしか思いつきません(古っ!

正史や演義がどうこうというのは必要ありません。
初心者がゆるく触れられるゲームがあったら教えてください。

Aベストアンサー

真・三國無双7のストーリーモードは三国と晋のそれぞれに用意されており
特定の条件を満たすことで正史ルートとifルートに分岐しますが
正史ルートなら細かい演出を除けば概ね正史や演義の流れに沿った話になります。

正史ルートだと正史や演義の通りに死亡や離反のイベントが積み重なるため
人によってはバッドエンドと受け止めそうな展開になるので
キャラクターに興味を持って始めた人が楽しいと感じるかどうかはわかりません。

ifルートへの分岐フラグは死亡イベントの回避などを全て達成することですが
一度どちらかのルートのエンディング条件を見れば条件は開示されるので
ifルートへ進むことは難しくはありません。

Q第二次大戦中、日本軍が撤退まぎわに台湾軍属のアキレス腱を切って連合軍が使えないようにしたってホント?

昨日ネットで見た連合軍兵士の手記によると、「ニューギニアに上陸し、攻撃すると日本軍は撤退していった。 その跡に杭に縛り付けられている人間がいて、生きていて台湾人と分かった。労働力として連れてこられたと思われる。足首(lower leg)を切られていて、たぶん、連合軍に労働力として使われないようにしたんだろう」と書いてありました。でも、当時、台湾は日本領土で、台湾人は日本人だったはずです。 連合軍に救出されれば、台湾に帰って「日本軍にひどいことをされた」といいふらすでしょうから、そんなバカげたことを日本軍がしたでしょうか? もし、中国語が分かれば自分で調べるのですが、分かりません。 で、質問は、1)史実かどうか 2)日本人の台湾人に対する考えは、そのようなものだったのか? の2点です。

Aベストアンサー

1)史実かどうか

おそらく史実ではありません。
他の方が述べられたように、あえて拘束してアキレス腱を切るより
殺害した方が簡単です。普通に考察すれば、負傷で後送できないので
置いて行かれたと考えるのが妥当です。
ただし、日本軍にも多くの人員がいたので絶対に無いとは言えません。

歴史を検証するうえで、検証を経ていない証言は資料ではなく
あくまでも参考にすぎません。
本気で史実かどうか検証するためには、本人や第三者への聞き取り、
当時その付近に展開していた日本軍と徴用された台湾人軍属から
該当すると思われる人物など調べる必要があります。
そのような検証をしないうちは、あくまでも一つの証言です。



2)日本人の台湾人に対する考えは、そのようなものだったのか?

台湾人への蔑視はありました。
近年の台湾は一般的に親日といえますし、日本は台湾統治時代に
それなりの政策を行っていました。八田與一や六氏先生、
明石元二郎、後藤新平のアヘン対策などなど、よく見かけます。
では、台湾人が日本人として扱われたかというと違います。

台湾統治と朝鮮では、同じ植民地統治として明確に差別されました。
帝国大学である京城帝国大は併合後14年に対し台北帝国大は33年、
朝鮮王には皇女が嫁ぎ、伯爵(宋秉畯)に叙せられた人もいます。
志願兵の受け入れは朝鮮が1937年で台湾が1941年、朝鮮人には
許可された陸軍士官学校は台湾人は入学できない(海兵は両方不可)、
悪名高い(当時は日本人になりたくて請願された)創氏改名も、
台湾では(改姓令)許可制で3%しか認められないなど
(注:朝鮮では姓の扱いが日本と違うので創氏は強制ですが、
申告制の改名は20%)多くの待遇の差が挙げられます。
台湾では発展に取り残された民族も多く、それに対する差別も
それなりにありました。
その中で起こったのが有名な「霧社事件」です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%A7%E7%A4%BE%E4%BA%8B%E4%BB%B6
(Wikiですが閲覧注意です。残虐な写真があります)
朝鮮で有名な三一事件では、警官が惨殺されたり役場が焼き討ちに
あいましたが、死刑判決は無く、ほぼ全員が数年で釈放されましたが、
霧社事件は逮捕された者は全員留置中に死亡し、生き残った300人弱は
僻地へ移住させられるなどで、天皇陛下が事件の根本に原住民への
侮蔑があるともらしたとされています。

台湾では、二二八事件以後戒厳令が敷かれ、外省人による統治が
行われました。このことを「犬(日本のこと)が去って豚が来た」
と揶揄されたように、中華民国よりましだけど日本の統治も
良い点ばかりでは無いと思われていると考えます。
(他国の植民地政策よりは良かったと思います)



手記の記述について考察するなら、戦時中でも日本に協力的な部族も
敵対する部族もありましたが、徴用は高砂義勇隊に代表される
親日派が多く、献身的な働きをしたとされています。
よほど差別主義の隊長か怠惰な台湾人でない限り考えにくく、
この意味なら、ご質問の回答は(ニューギニアの戦地で)
「台湾人を差別した行為とは考えにくい」ということになります。

1)史実かどうか

おそらく史実ではありません。
他の方が述べられたように、あえて拘束してアキレス腱を切るより
殺害した方が簡単です。普通に考察すれば、負傷で後送できないので
置いて行かれたと考えるのが妥当です。
ただし、日本軍にも多くの人員がいたので絶対に無いとは言えません。

歴史を検証するうえで、検証を経ていない証言は資料ではなく
あくまでも参考にすぎません。
本気で史実かどうか検証するためには、本人や第三者への聞き取り、
当時その付近に展開していた日本軍と徴用された台湾人軍属...続きを読む


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