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1.
この――長い――詭弁におつきあいいただきたい。当否について吟味・検証しつつ ご教授ください。

       
2.
ひとは なにゆえ うつろいゆくことになるのか?

なにゆえ うつろいゆく側に心を置いてみようとするのか?

その心の片向きは 弱さから来るのか?
思うようにならないことにやけを起こすことからか?
ひとと心をかよわすことが出来ずにくじけてしまったからか?

3.
けれどもその片向きをえらび取るのは おのれの意志である。
おのれの心の・おのれの存在のうつろいゆくことを おのが意志が欲する。
ということが起きる。

やがて朽ちるそのことをえらばざるを得ないかのように おのれの心の腐る側へと おのが意志が向かう。
 
はっきり言えば おのれの死〔への道行き〕を意志がえらぶ。





4.
けれどもこれは タナトスなどという死の本能などではない。

愛である。

社会に生きるというその存在の互いの関係性にもとづく愛である。関係性という――社会的動物であるという――愛の関数である。

おそらく生きることを欲するゆえに 生きること・よく生きることとしての善を――その時その場の情況に合わせるかたちで――損傷させることをやむを得ないとしてでも 愛の中にいつづける。

世の中の人びとの――朽ちるほうへと急ぐかのように――うつろいゆく姿を見て それを見て見ぬふりをすることはできない・・・という愛に ともかく立った。それゆえである。



 
5.
世の悪を 《わたし》は――傲慢にも?―― 引き受けるのである。

なぜなら 《悪は存在しない》とおのが自然本性において信じているから。

愛が そこに・軽はずみとしてでも すでに起こってしまったというそれだけのこととして そういう生き方をわたしたちはえらんでいる。またえらんだままになっている。
 
知らなかったけれども 《わたし》はそれを欲したようなのである。悪を引き受けるという選択を。



       *


6. 
《うつろいゆく・朽ちる・腐る》といった――つまり要するに ひとは時間的な存在であるから 死を死ぬというさだめにある――性質がある。

この《うまれ来て 生きて やがて寿命をまっとうして死ぬ》という《わたし》の時空間の推移に問題はない。
 
それは 言うなれば善であると思われる。

 
その善なる基礎としての自然本性・そしてそのうちの自由意志には この朽ちるウゴキをみづからが早めたりわざと欲したりする向きへも時に片向きそのように出来上がったヱクトルとして作用することが起きる。

これを 負の善 つまり 善の損傷と捉え 悪と呼ぶと考えた。

さらにはこの《悪》としてのウゴキ あるいは《悪》を――すでに身の周りや世界には起きているのを見てそれらを受け留め さらに――みづからがこれをも引き受けるという〔言ってみればコジツケのような〕《愛》のチカラおよびそのハタラキがある・・・のか?



悪に同調することと悪を引き受けることと。ふたつは ことなるか?
 
考えてみれば 前者のよわいハタラキも すでに言うなれば愛である。か?

ひとの存在と生をめぐってそれは 社会性ないし関係性の関数だという原則にしたがうなら。



      *


7.
《悪は 〔善のそこないなる現象として起こるが 悪という独立したものとしては〕存在しない》という命題は 《悪に同調すること および 悪を引きうけること》といった《愛》の問題であった・・・と言えるか?


愛は すでに理屈抜きで 身と心とから成る自然本性にあって――この自然本性なる心にさからって作用したやましき自由意志にも対抗するかのように どん底より持ち上がり湧き上がって――その底力なるハタラキを表わす人間のチカラであるらしい。と言えるか?

《善に根差しつつ悪をも引き受ける》ところの《愛》・・・なのか。

悪につき合う悪。いや 善? いや やはり悪?

それは 悪魔の側へ寄って行くようなことだが
 
しかも愛か。


8.
愛とは何だ? と言われるでしょうから さしづめ おのれを活かし相手をも活かすハタラキでしょうか。


           *


9. 
以上のようですが あらためて補足して言えるだろうか。

(あ) 悪を引き受ける愛には 〔善を傷つける〕既成のウソのほかにあらたに別のウソは ない。既成のウソをむしろ閉じ込める。

(い) ウソは みづからのこころをころす。

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