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私は恋人、から自分の優先順位が低い、
大事にされていないと感じたり
知人・友人から軽く見られていると感じると
自分はなんて無価値な人間なのかと思います。
普段はあまり考えてなくともこういう時
自分は自己肯定感がいかにないか気付かされます。

例えば、自己啓発本の類に
毎日、ちょっとずつhappyを見つけること。
(例:アロマを炊いてみる)
何かひとつを極めること。
などと書いてありますが自己の行動の変化で
自己肯定はできるものですか?
上記のような例はきっかけであり、
私は最終的に、人間は他人に認められない限り
自信が持てないと思うのです。
(ここでいう他人といっても社会全体の肯定感も含めてで 例えば学歴が高い人、若い女性、社会的地位のある男性等は 例えその時認めてくれる人がいなくても、 社会全体の肯定感と言うものを日々味わっているのではないかと思うのです)


他人に認められるプロセスなくして
自己肯定感は本当に得られるのでしょうか?
また得られた方いますか?

教えて!goo グレード

A 回答 (24件中1~10件)

自分の価値は他者がつけるものだと私は考えます。



私の年齢は質問者様と近い、二十台をスタートしたばかりです。

>私は恋人から自分の優先度を低くみられている
 大事にされてない 軽く見られている
そのように感じることは私も多々あり、その点で肯定感が高いのか低いのかと聞かれれば、低い方に属する人種だと思います。
しかし、私は自分に自信がない訳ではありません。一部のことに関しては、「人並み以上にできる!」と考えることも多数あるのです。それは自分で勝手に思い込んでるだけなのかもしれませんが、肯定感云々以前に物事をポジティブに考えていくようにしています。一部は人より劣るが一方では人より秀でていると考え、良い部分では自信を持ち、行動し、悪いと思う部分では、人に助けてもらうようにしています。「人という字は支え合って(ry」と、どこかの先生が言ってましたよね!?私はそれはそれでアリなのではないかと考えています。当然一人では生きられないわけですから・・・。まずは、周囲・社会での自分の役割を理解することが大切なのではないのでしょうか。これは諦めという意味ではなく、自身が自己覚知をすることにより、変わる考えもあると思う為です。
 自己肯定感の向上よりも先に、自己覚知、つまり、自分を理解することが大切ではないかと考えます。自分を知った上で、向き不向きがわかり、よい部分、得意な分野を伸ばすことにより自己肯定感も向上すると考えるからです。また、それらに対しての他者からの評価で、それが確信に変わると思います。

 自分で得られる肯定感=仮
 他者から得られる肯定感=確信

と、私は考えます。つまり、肯定感の正誤の確認として他者からの評価のプロセスは必要なものだと私は考えます。

文章力のない文で話しがまとまらなくて申し訳ないです;
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自分が大事だと思っている人に、同じように大事に思って欲しいということでしょうか。


自分の思いに応えてもらえなかった時って確かに淋しいですよね。でもだからといって自分を無価値だと思ってはだめですよ。

あなたはまだ若い。だから自分にもほかの人にも完璧を求めているのでしょう。心の振り子が大きく揺れすぎて、思考が all or nothing になってしまっているのだと思います。

他人から否定された経験をお持ちとのこと。そのときの心の傷を誰かに癒して欲しいと思っているのですか。だとしたら恋人もしくは友人に打ち明けてみたら、どうでしょうか。あなたの本当の気持ちをわかってくれるかもしれません。
もしかしたら、大事にされていない、軽く扱われているというのはあなたの誤解かもしれません。

もし恋人が、あなたの勘違いではなく、たしかにあなたを大切にしていないのであれば、その人はあなたにふさわしい人ではない、ただそれだけのことです。
きっといつかあなたを丸ごと受け止めてくれる人が現れるはずです。その時を待ちましょう。

もしそれが友人だとしたら、あなた達はまだお互いを理解し合えていないか、または真の友人になり得ていないかでしょう。
親友だと呼べる人を持っている人って意外と少ないものです。

もしご両親だとしたら、親子の心の葛藤はなかなか難しいものですが…
私も子どもの頃、母親に十分愛されていないと感じたことがありましたが、今になってそれはお互いの性格、価値観の違いからくる誤解だと気づきました。
親というものは基本的に何よりも、時には自分の命よりも子どもが大事なのです。ただ普段はついついそのことを忘れてしまい、子どもに口うるさいことを言ってしまうのです。
私も人の子の母親になってよくわかりました。

基本的には無価値の人間はいないと思いますが、人の価値なんて、その人の生き方で決まるものと思っています。自分に自信を持てる生き方をしてください。

それから、自分の心の隙間を埋めることができるのは自分自身です。人はただそのお手伝いをするにすぎません。
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こんにちは。



興味深いご質問でしたので投稿させて頂きます。
例えば周りの愛情を一心に受けて育ってきた人間ならば
そのままうまくいけば他人に認められるプロセスなくして
自信は安易に得られるような気がします。

しかし私は幸運にもそうではないので、
若かろうが多少いい学校に入ろうがいつも人の目を気にし、焦燥感にさいなまれ、
自分を卑下していました。なのでお気持多少ですが分かります。

当たり前ですが、「他人の評価」とは、測れる物ではありませんよね。
それは流動的なものであり、ユニークなものです。5567様にとってこの人間は評価に値する、
と認められた所で、それはあなたの個性を決定付けるに値するものでしょうか?
一生その評価に責任を持って生きていけますか?
同じ様に、5567様は人を評価する権利をお持ちですが、
その価値は当人にとって如何程のものとお思いですか?

初めに私が幸運にも、と書いたのは5567様がもし痛みを知っている人間なのならば、
他人をも簡単には否定しないと想像するからです。

自分はいかに無価値で傷付きやすい人間だと私も分かっています。
けれどそれはあくまで自分の事であって、あまりバランスが崩れると、
相手に対する思い遣りの心に鈍感になってしまいます。

>他人に認められるプロセスなくして
>自己肯定感は本当に得られるのでしょうか?
>また得られた方いますか?
私はこの質問に該当する人間では無いですが、
大事な人を大事にしよう、この人に認められたい、
そして頑張り続けた結果、それが現在の自信に繋がっています。

きっかけが何であれ、敢えて自省する気持を持たれている5567様が良い方向で生きていかれる様、応援しています。
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再再度です。


ごく簡単に。
自分が大事に思ってる人から、それと同じくらい大事にされてるように感じない。
あなたがニブチンでなければ
特別ずうずうしい性格でなければ
ズバリ相手にとっては、あなたに、それだけの「重み」がないからです。
で?どうやって「重く」受け止めてもらいましょうか?
>職業と言う意味なら、将来のために努力しているといえるものはあるのですが。

自分のためにしてる努力を相手に感謝してもらいたいですか?

>いざとなれば私でなくても変わりが効く。

その程度の価値しかないということでしょう?

それからね。
>なんで人間は未熟のままで産まれてくるのでしょう?おそらく神様が人間はひとりじゃ生きていけないのよと言ってるからだと

野生動物や四つ足の動物たちを見て御覧なさい。生まれ落ちてすぐに立ち上がろうとしますね。そうしないと危険だからです。
人間は立ち上がるのに一年近くかかる人が多い。それだけ成熟度の高い社会体制を築いているからです。

二十代前半では結論なんか出せなくて当たり前。発展途上なんだから。大事に扱って欲しい気持ち100パーセントを通してもらえるのは幼いうちだけ。
いまからは自分のために積み上げていく時期に入ってるでしょう?
人のためですか?自分のためにしかできないでしょう?
いつかは大事な人を支えてあげなければならない事態に直面する日がやって来ますよ。その後になって、また御考えが変化すると思います。
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またまたvagabond_0710です。

しつこくてすみません。

>実際他人からのイメージはどうでもいいんです
それが本心だね。僕も同じ。みんな勝手に僕のイメージをつくる。だから僕は僕のイメージを創る。

>自ら。。愛しているつもりです。精一杯。
おうよ!思いっきり自分を愛しちゃおう!そして愛に満ちた存在であれば、それは周りにも感染すると思う。みんなハッピーな世界になったら最高だな。

>”他人に優しくするのは自分に優しくして欲しい為であり、無償の愛というのものはない”
ジョジョは僕も好きですよ。なんか哲学チックなセリフも多いし。このセリフの落とし穴は、自分と他人の間にボーダーラインを入れているからです。そんな国境みたいなものを越えたところに、無償の愛があるという逆説だと思います。

>自分が価値がある人間なら誰かが埋めてくれるはずだという確信があるのです
それは依存ってことかな?しかし価値がない人間っているのだろうか?

>もし何らかの価値がある人間ならその人のもとを去らない。去っていくのはマイナスだからだという思い込みがあるんです。
厳しいこと書くよ。そう思い込んでいるのはご自分なのではないでしょうか?
誤解があるようで、その場を去るというのは、たとえば、信頼関係にある彼氏(彼女)が元気づけてくれた。しかしもう朝だ。仕事に行かなきゃいけない。だからそのもとを去る。でも仕事が終わったらまた返ってくる。そういうプライベートな意味でした。
「去っていくのはマイナスだからだ」とありますが、人間誰だっていいところがあれば悪いところがあります。誰にだってマイナスはあります。そしてそのマイナスも相手によってはプラスになるし、あるいは逆の同じです。プラスがマイナスに捉えられることもある。だから僕は相手に求めません。逆に好かれようと思っていない。蹴っ飛ばしてやろうと思ってるぐらいです。とにかく本気でぶつかる。ときには相手を傷つけることもある。そして去っていく人もいます。出会いがあれば別れもある。だけど相手に何かを求めたら、自分が無限に弱くなってしまう。そうなると本気で付き合うことができない。結局その先には、人に依存するような人間になってしまうのです。それがいい・悪いはともかく、何かに依存すれば、その存在がなくなったとき、人はどうやって自分を肯定するのでしょう?どんなに愛する人と一生ともに暮らしても、死別の問題がある。僕がリスペクトを受けたおばあちゃんは、相方が病気で亡くしたけど、お会いしたら凄く元気でエネルギッシュで笑顔が素敵でこう言うんです。「本当の愛は生死を越えたものなのよ」って。そう聞いたときゾクゾクっときました。マジリスペクトです。だから、去っていったからといって、それはマイナスでもなんでもない。それをマイナスに思うのは、結局「自我」なのです。

>私は弱い人間です。
弱いなら弱い人間でいいじゃないか。そう自分を肯定する力が、逆に堂々として本当に"強い"人間になるかもしれないよ。

>お金で価値を図るなんて馬鹿馬鹿しい、
僕も同じです。お金はあくまで相対的な価値でしかない。しかも経済によって上下する価値です。まったく卑しいものだと思ってます。人間の心はそう、お金のように数字じゃ表せないものだと思ってます。

>だからこの世で一番大事なのは人と人とのつながりだと思ってます。
そうです。本当に周りの人たちに感謝です。だからこそ大切にしたい。だからこそ僕は本気でぶつかる。そうじゃないと失礼だから。このサイトでもそうです。毎回長くてすみません。でも本気でぶつかりたい。そしてその上で、お互いが見えていない点が見えてきて、有意義なものになると信じてます。

>vagabond_0710 さんの人生を切り開くエネルギー
>はとても勇気付けられますね。
ありがとうございます。逆に僕はこの言葉に勇気付けられました。^^

>たとえ認められなくも自分の信念を貫く人は本当にすごいと思いますね。
>でも現代ってこういう人いますか?
いますよ。僕です。(笑)
例えば教育問題。本当の教育とは人間として大切なことを教えることだと思ってます。大学卒業して教師になる。しかしその教師は本当に自分の人生を自分で切り開いてきたのだろうか?結局は、学歴という社会システムの中からはみ出さないように、消極的に生きてきただけなんじゃないだろうか。僕はそう思ってます。なので本当の教師とは、「自分の見習え」と言えるような存在だと思ってます。しかし現状の日本でなかなかそういう人物に出会ったことがない。いない。だったらオレがそうなろうじゃないか。そう思って生きてます。ただ教師になろうとは思ってませんが。もっと広い意味で人や社会に影響を与えることができるような人間になりたい。

>みんな人の目、人の評価を気にしているような。
>私はむしろそういうのはばかばかしいと思っています。
もちろん、人間は社会的存在であるゆえ、に他人の目を気にしないことはできないと思ってます。そんなことをしたらシカトで、絶対に孤立します。なんで人間は未熟のままで産まれてくるのでしょう?おそらく神様が人間はひとりじゃ生きていけないのよと言ってるからだと僕は思います。なので、周りの人を僕は大切に思うし、感謝するけど、だけど僕の意志は自分で決める。大切な人の意見はありがたく頂戴するけど、だけど僕の人生、自分の意志で決める。そうじゃないと責任持てない人生になっちゃうから。

どうかな?具体的に何か疑問があったら答えるから書いてね。何か参考になったら幸いです。
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そんなに認められることが必要ですかね?



多くの医者や科学者の中で生きている間認められなっかった人もいますよね。

またあまりにも認められようとして、他者をこき下ろすことにもつながります

自信を持つことと認められることとは別でしょう
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この回答へのお礼

>多くの医者や科学者の中で生きている間認められな>っかった人もいますよね。
たとえ認められなくも自分の信念を貫く人は本当にすごいと思いますね。
でも現代ってこういう人いますか?
みんな人の目、人の評価を気にしているような。

私はむしろそういうのはばかばかしいと思っています。
では何に認められたいのかというと
他の方の回答を見ていただければ分かるかと思います。

お礼日時:2005/04/16 22:33

すごい題名だなぁ・・・と思い、読ませて頂いて


何かすごく疑問に思ってしまいました。

他人に認められたり、評価されることって
そんなに大切な、重要な事なのかな?と。

私は「自分は自分」と言う考え方の方が強いです。


そもそも、人の人に対する評価なんていい加減なものじゃないかな~って思うのです。

どんなに「親友だ」と思っていても、「何よっ」と思った事はありませんか?
そして「そういう考え方するんだ・・・」って。

自分が思うのだから、相手も思っているはずだし。

5567 さんの言う、社会全体の肯定感って言うのも
あまり当てにならないような気がします。

どんなに優秀な人でも、仕事上で一度ミスすれば
そちらの印象の方が強く付いてしまうなんて事も
ありますよね。名誉挽回するのはかなり大変です。

そんな変わりやすい 頼りないもので
自分の価値を考える必要は無いんじゃないかなと
思ってしまいます。

自分の考えをしっかり持って、正しいと思えて、自分が出来る範囲内での行動と思いやりをを心がける!

コレ以上は出来ないので、相手が自分をどう評価しようがそれは相手の自由だと・・・思っています。
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この回答へのお礼

この質問をして思ったのが皆さん
自分は自分と、自我をもって生きてるんだなあと言うことです。
共感してくださった方もいますが。

もちろん自分は自分なのですが
他人と言うのは、パブリックイメージを気にしているわけではなくごく限定された大事な人の事なんです。

お礼日時:2005/04/16 22:30

No.7のvagabondです。


不幸自慢じゃないけど、僕の家族は転勤族で2年に一度転校する人生でした。今は20代の成人ですが、そんな環境に育った僕は、当然、幼馴染はいないし、地元もありません。同窓会なんて呼ばれたこともありませんよ。転校するたびにイジメの危機。友達作りもめんどくさくなりました。恋愛しても2年で転校でどうしようもない。友達って何?と小学校のころから悩んでました。さらに親父が宗教色の強い人で、TVもゲームも漫画も俗なものとして教え込まれ、その価値観を僕にも押し付けられて、小学校のときからそのようなものがない環境で育ち、友達関係はTVやゲームや漫画の話題がない僕はオミットされました。僕はずっと自分にコンプレックスを持って生きてきました。友達がいないのは当たり前。人生って何?そして常に被害妄想。でも表ではそのようなことがないように振舞ってました。成人した今でも結局僕の性格は変わってません。数人の友人がいるだけで、毎日孤独です。さらに今では社会に疑問を持ってフリーターでニートです。もういい歳なのに。

どうです?最低の人生でしょ。でもそれでも僕は自分の人生に感謝してます。結局、他人と比べるから不幸に感じるのであって、「どんな人生を歩もうとも自分が満足できる人なら、どんなときでもその人は幸せ者だな」と思うからです。

僕は、成人になってこのままじゃまずいと思い、自分で精神分析をしました。

>いざとなれば私でなくても変わりが効く
おかしい発言だと思いますよ。5567さんはこの世にひとりしか存在しません。例えば、5567さんと恋愛してお付き合いしたとして、他の人じゃ代用なんかできませんよ。つまり、5567さんだけの価値があるんですよ。

>自分の場合目標の目的が他人に認められたい。なのでまたループですね
他人に認められたい。だったら僕が5567さんのことを認めます。認めるからこそこうやって何回でも書き込みをしてます。
でもどうだろう。結局他人に認められたところ、その人にはその人の人生があって、また自分のもとを去っていってしまう。するとまた寂しい。また認めてほしい。そうなると、無限に自分が弱くなってしまいます。悪循環です。予断ですが、売春が流行ったのはその心理もあるらしいです。

5567さんの年齢がわからないのですが、20代前半なら、まだ自己アイデンティティの確立の時期だと思います。つまりそうやってみんな悩んで、苦しんで自分を確立するんです。僕もそうでした。冒頭に書いたように、自信なんてなかった。コンプレックスの塊でした。それを抜け出したきっかけが失恋でした。その後、自分を見つめなおして自分を確立しました。

>10を1人から受けるか、1ずつ10人から貰うかの違いです
人間の心は算数じゃないですよ。とても矛盾した混沌としたものです。そうじゃなきゃ悩みません。

厳しく書くよ。
>大事な人(身内、恋人、親友etc)に軽く扱われたり舐められてる
そう発言すること自体、大切な人に対して舐めてませんか?本当のことを言えば、常日頃から大切な人と本気でぶつかってないからそうなるんです。でもこれは、日本全体の問題です。競争社会で忙しい。とても人間として付き合ってられない。そういう風潮です。そしてその社会は相対的にしか価値がない。別にオレが仕事を辞めても他の代用がきく。そういう環境で育ったからこそ、今現在の日本には鬱や精神疾患の人が多いと僕はにらんでます。最近では小学生にまでひろがってます。それは親の教育が人間として大事なことを教えることができなかったからでしょう。当然僕もそうだったかもしれません。でも僕は自分で勉強して克服しました。なので不可能はないです。やるかやらないかだけの問題ですよ。自分が不可能だと思ったら、その人にとって不可能なのです。

>何を根拠にしていいかわからなくなります
僕の予想では、おそらく毎日同じような環境で同じ繰り返しのような人生を歩んでいませんか?そうなると、自分がわからなくなります。
何を根拠にすればいいのか。答えは凄くシンプルで簡単です。自分を根拠にしたらいいのです。つまり人間として全責任を負って生きればいい。そうすれば自信なんて問題じゃなくなります。自分の考えを持つ。自分で自分の人生を切り開いていく。人間と当然なことだと思うけど、現代人はその大切なことを忘れているようです。だから頼れるのはお金だけという資本主義の実状に染まる人が出てくるわけです。

下記URLを参考にしてもらえませんか。No.18が僕の回答です。何か力になれれば幸いです。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1298867
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この回答へのお礼

再度投稿ありがとうございます。
私は、二十台のスタートを切ったばかりです。

>でもどうだろう。結局他人に認められたところ、そ>の人にはその人の人生があって、また自分のもとを>去っていってしまう。
逆のことを考えたとき、もし何らかの価値がある人間ならその人のもとを去らない。去っていくのはマイナスだからだという思い込みがあるんです。
私は弱い人間です。
お金で価値を図るなんて馬鹿馬鹿しい、
だからこの世で一番大事なのは人と人とのつながりだと思ってます。


vagabond_0710 さんの人生を切り開くエネルギー
はとても勇気付けられますね。

お礼日時:2005/04/16 22:28

再度です。

また大雑把にしか書き込めないかも知れませんが御免なさいね。
私の場合ですが家庭環境が非常に悪く親自身も偏った家庭で育っていたために私に対する愛情も彼ら自身は自覚していなかったようですが一般的な親のイメージとは、だいぶズレていたと思います。「条件付」愛情と言えば、そうだったと思います。肉体的にも、ことばのうえでも暴力的な環境のなかで私自身、育ちました。
ですから、もちろん幼い頃から自責の念は持っていましたし、いま振り返ると相当歪んだ自意識で長い年月過ごして来たんだなあと分かります。中学生のとき仲の良かった友人に「自虐的だ」と指摘されたこともありました。
人並みに家庭も子も持つことがかなわない人生ですが昔のように自分を苛んだり人の思いが自分の求めるものと違っていることで気に病んだりは、もうしません。しないように自分に言い聞かせています。

どうして、ここまでに至ったかと振り返れば一番の出来事は、親の介護や身内の後始末を殆んど一人で歯を食いしばってやり遂げたことだったと思います。それ以外でも考えてみれば、よく耐えてきたなあと我ながら感心すること、たくさんありますし、何と言っても決定的なのは私がいなかったら身近の人間たちの状況はどうだったか?と検討すると明らかに私の存在が役に立っているのです。これは近頃気がついてきたことで、やはり気づくのに長い時間がかかったなあと実感しています。若い頃は想像もできなかった。

周囲の犠牲になってしまったことで自分自身の人生はメチャクチャになりましたけども代わりに自分を必要以上に責めることも他者の評価に餓えることもなくなったのです。私の犠牲の上にアグラをかいて生きている連中からは感謝など別にされません。でも平気なのです。骨の髄から分かったからなのです。

御質問者様もそうでしょうが普通は私みたいなことにはなりません。人並みの人生を送れる人は人並みなりに自分自身で何かをつくり上げていくのではありませんか?
私の場合はイヤもオウもなかったですが、強制されないで自分で自主的に行動していけることは有り難いことではないかと私は思います。

仕事・・・家庭・・・子育て・・・奉仕活動・・・自分で求め選択し気づき築いていくうちに、やがて周囲の一挙手一投足に動じない自分に近づいていくことでしょう。

その道のりは、まだまだ始まったばかりですよ!!
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この回答へのお礼

sirayukihime さんはえらいなぁ。
偉いというかすごいです。

私だったら良い愛情を受けられなかった両親の介護を1人でなんてなんで私がこんな目に?と思ってしまいそうです。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/16 22:17

他の方の回答を見て一つ思い出したことがあったので追記します。



どなたかが「親からの無償の愛情を受けてないと感じる経験がある」ということをかかれてましたよね。実は私もそうなんです。
両親どちらともから、条件付でしか愛された記憶がないんです。

勉強が出来るから、近所の人に挨拶が出来るから、何々が人より上手いから(1番じゃなきゃダメ)。小さい頃から聞かされてきたのは「あなたは○○ができて、お母さんとても鼻が高いわ」「そんなことをしたらお母さんの顔に泥を塗ることになるからやめなさい!」という言葉でした。
思えば両親がいかにして喜ぶかばかりを気にしていたような気がします。勉強が出来たのも、それなりの社会マナーがついたのも、両親が喜ぶから…でした。

多分「他人からの評価」はどうでもいい見知らぬ人からの評価ではなく、「大事な人からの評価」が気になるんだと思います。
実際知らない人から褒められたりすることはないわけではないんです。でも「本当にそう思ってるの?」って疑ってしまう自分もいるんですよね。

私には子供がいますが、子供から初めて「無条件に認められる」ということをしてもらったんです。それで今まで持ってた自己否定感などが少しずつ消えていきました。それまでは、いつ自分が死んだっていいや~なんて思ってたんです。決して社会の評価は低くなかったはずなんですが。

なので「自己肯定をするためのプロセスの一つ」として「大事な人からの自己肯定」というのがあるのは、私としては凄く自然なことで大事なことでした。

自分が親になって初めて分かりましたが、どうしても子供に「何々できない子は嫌い!」と言ったり「あなたはこれが出来て偉いね」なんて声をかけることがあるのですが、子供が欲しい言葉はそうじゃないんですよね。
「あなたはあなただから大好き」そう言って欲しいんです。

そう言ってもらった記憶ありますか?もしないのであれば、やはり誰かから(特に大事な人から)の評価が自己肯定に大きな影響を与えるのは当たり前だと思います。
本来幼児期までにしてもらわないといけなかったことが、されてないわけですから。自己肯定の最前提として「大事な人から、条件ナシで肯定されること」があるのだと思います。

基礎が出来てないところに建物を建てても崩れるのと同じで、人間の心の基礎となる「無条件の愛情」を知らなければ、いくら自己肯定を自分自身でやってもすぐに崩れちゃうと思います。

基礎が出来てないのに建物を無理やり建ててしまって「この建物は安全だ」と信じてる人もいるでしょう。無条件の愛情を受けてないにも関わらず、自己の努力だけで自己肯定してると思ってる状態です。
特に何もなければそれでも良いかもしれませんが、地震など来たらそういう建物はすぐに崩れますよね。人生においてそのような出来事があった場合はすぐに崩れてしまうのではないでしょうか。

しっかりと自己肯定をするために、大事な人から肯定されてる充実感を覚える…これはどんな努力よりもまず最初にあるべきものだと思いますが、いかがでしょうか?

社会からの肯定感などはやはり後付けのものなので、環境が変わってしまえば崩れる可能性がありますしね。

ちなみに大事な人が多ければ多いほど、その人たちからの肯定感を求めてしまうのではないでしょうか。それは逆に考えるといいことかもしれませんね。
大事だと思える人が沢山いるってのは素敵なことですもん。
私も他人からの評価が気になるのが凄く嫌でした。でもこうやって考えて、「大事だと思える人が沢山いるからなのかな?」と思いました。どうでもいい人からの評価は実際あまり気にならないですし。
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この回答へのお礼

ありがとうございました
すごく納得できました。
>多分「他人からの評価」はどうでもいい見知らぬ人>からの評価ではなく、「大事な人からの評価」が気>になるんだと思います。
はい。この通りです。
私はどうやら皆さんから見て他人の評価にいちいち
びくびくして生きている人間に移っているようですが実際他人からのイメージはどうでもいいんです。

お礼日時:2005/04/16 22:14

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