アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

真実の信仰についてあなた方にお尋ねします。
真実の信仰とはどのような信仰ですか?
真実の信仰は与えられるものですか?
真実の信仰は与えられるものではなく、自らの人間精神によって築くものではないのですか?
有瑠慶本願は与えられたものではございません。
有瑠慶本願はわたくしが自らの人間精神によって築いたものです。
「有瑠慶本願は永遠である」と感じています。
真実の信仰についてあなた方にお尋ねします。
真実の信仰とはどのような信仰ですか?

A 回答 (4件)

真実の信仰は、自身の中に神が存在している事に目覚める事です、その神とは『命そのもの』という意味ですが、少し捕捉しないと分かり難いと思います。



釈迦が云った事に『一切衆生悉有仏性』がありますが、道元は元々持っているのに、どうして修行をしないと理解出来ないのか?が、総ての原点になっています。

禅などでは、その原点の疑問は、その疑問の中に既に(答えは)用意されているとなっています。従って師家は弟子に答えを教える事が無いようです。何故ならその答えに気付くように導くだけだからです。

その道元が辿り着いた境地(自身の中の仏性と出会った体験=見性体験=悟る事=身心脱落、脱落心身)の難しさに耐えられない人達、つまり今の、曹洞宗の中の一派では『悟りと云う体験そのものは無かっったもの』として扱う様にさえもなっているようです。

日本一の大きな仏教団体でさえも、『一切衆生悉有仏性』の体得者が居ない様な事を云っていながら、釈迦の弟子を名乗っているようです。

宗教の原点は、世界中の宗教であっても同じです。国が違うとしても人種が違うとしてもです。自身の中に存在している『命の働き=生命発生装置兼生命維持機能』を神とか仏とか、或いは在りて在る者』と呼んでいます。

人間の苦しみは『自身の中のその者と、矛盾を起こしていたり、対立していたり、分裂している事に拠っています。』

仏教では、その原因を知らないで苦しんでいる様を、無明の故にとしています。言い替えるなら『人間の苦しみとは、自身の心同士が、矛盾を起こしていたり、対立していたり、分裂している事に拠っています。』と云い替えても良いようです。

人間の脳内に人格が二つ存在している科学的な根拠です。次に紹介しますが、その前に簡単な説明です。

全ての”命”在る者が持っている、仏性に付いてですが、遺伝子と云っても良いものかも知れません。

命を授かる時、細胞分裂の仕方でも順番でさえも全て知っている者の事です。生まれ落ちた瞬間でさえも『何も学ぶ事が無かったにしても』全ての行動でさえも知っている存在の事です。

貴方が今まで見てきた世界では、生まれ落ちた瞬間でさえも牛でも、馬でも全ての生き物が生き方を知っている事実の事です。人間でも例外ではありません、赤ん坊でさえも全てを知っている事です。

恐い事でも安心出来る事でも、全て知った状態で生まれています。これ等を知っている者が『仏性』と言う訳です。

死を怖がったり、永遠に憧れていたりする事にも、全て理由があるからです。

死に往く人が『安心をした状態、或いは至福な心持で』旅立つ時は、命の働き(仏性)と仲良く出来て一体になっているからです。

或いは死を恐怖している場合では、その者の存在を拒否しているからです。

或いは人間が永遠を夢見る時は、仏性に永遠の姿を感じているからです。


矛盾を起こしていたり、対立していたり、分裂している事に拠っています。』

人間の脳内に人格が二つ存在している科学的な根拠です。次に紹介します。と書きましたが、コピー出来なかったので止めましたが、ロジャースペリー分離脳研究とウイキぺデアに聞いて下さい。

又脳卒中の為に、右脳の自分と左脳の自分を交互に体験をしてその交代時に至福の体験をして語っている動画も見て下さい。

右脳の意識は無意識を司っている自分の脳です、自分の生命維持機能の全てを取り仕切っています。

人間は絶えず『意識する自分』と『無意識の自分』が交替制を取って恙無い日常が繰り返されています。

是に違和感を抱く場合に、神経症の症状を訴えたり、とか難治性の心身症の症状を訴えたりしているようです。

ききたい事があるようでしたら聞いて下さい。
    • good
    • 1

有瑠慶本願を


論理的に、現代科学との整合性、諸々の文献の裏付け(文証)
社会生活との調和と現象について、教えて下さい

有瑠慶本願から
生命の尊厳と価値、生存の実践と徳性。生活の調和と美 
人と自然との関係、人と人との関係、人間が自身との関係
我と非我、物と心、知と行を
どのように捉えているか、教えてください

有瑠慶(アルケー)等、底の浅いエセ宗教に見えるのですが
    • good
    • 0

よほどこれに凝っていますね。


あなたは伝道師ですか。

真実かどうかは信じる人次第。

仏教の1種になっているのですか。

経文の1節でしょうか。
    • good
    • 0

信仰は量より質の問題だと思いますが、そこに至るまでには


目に見え時間経過した客観量があってのこと。
継続は力なり。
信仰は試練なり。
自由は欲望が失せるという贈り物。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!