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つまり思想統一、思考統一、すべてが同じ価値観、同じ嗜好、同じ行動を取ることが争いを避ける究極の原理ですか?

でもそれって人類補完計画じゃありませんが、要するに1つだけの生命体で良いってことですよね?

他人がいなきゃそもそも争いも起きない。

でもすべてが同一っていう世界は=何も無い世界と同じでは無いぴょんか?

すべてが白で統一されそれ以外の色が無い世界。
単一の価値観、嗜好しかない世界。

それはつまり白一色で何も無い状態と変わらないのでは?*これが黒だろうが青だろうが1色しかなければおなじこと。

A 回答 (19件中1~10件)

SDGS

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この回答へのお礼

ちょっとズレてるワン。

お礼日時:2023/01/28 09:25

ワンネス

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この回答へのお礼

宇宙と繋がることができても人とはリンクしません。

お礼日時:2023/01/28 09:26

欲望もなければ悲しみもない…それは鉱物と一緒ってことです。

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この回答へのお礼

だが、争わないということはそういうことです。
すべてが同じ。
すべてが1つ。
だが何も無いのと同じ。

すなわち無こそ平和である(;・∀・)

お礼日時:2023/01/28 09:28

いいえ


平和への最大の敵は「無関心」です
戦争を無くす最大の方法は学問です

愚かな戦争へと走る、欲望や
エゴイズムの暴走を抑える崇高
な学門があれば、愛や理性を養
う、気高き学問があれば、毒され
た精神を変革できる深い学問があればいいのです。
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この回答へのお礼

いえ、人類史を見ればずっと争いが続いてます。
絶えることがない。

戦争無くても犯罪が起きてます。

戦争が起きない学問も哲学もありません、永遠に。

それが1つになれなかった全生物の性です。

お礼日時:2023/01/28 09:25

争いを避けるには、決して思想統一、思考統一、すべてが同じ価値観になれば良いということはありません。


 大切なのは、お互いの価値観、思想、思考の違いを認め合うことです。
すなわち、あなたはこういう考え方だが、私はあなたとは違う考え方です。
しかし、あなたの考え方を決して否定はしません。ということです。
 争いが起きる一番の原因は、特定の思想、思考、あるいは宗教の教えを絶対正しいと考え、それと反対の考えを一切認めないためです。
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この回答へのお礼

うふふ。ちょうどガンダムでオールドタイプとニュータイプの差が無意識のうちに反感になり相手を恐れ警戒するとありました。

異質、自分と異なるものへの警戒感は生物の本能として当然なことです。

だから多様化を受け容れようという話も、それぞれの許容力によって変わります。

何せ人は外見だけで相手を拒否したり、嫌ったり、
意見が違うだけで嫌悪したり争うのです。

それは長い歴史での戦争が証明してます。
ヒトラーの虐殺だけでなく、植民地時代には多くの民族を根絶やしにした残虐性があるのです。

ただ違う文化、人種 、言葉というだけで。

お礼日時:2023/01/28 09:35

NARUTOという漫画をご存知でしょうか?



 幻術で夢の理想郷の完成です。
 これが間違いないですね。
 ずっと幸せな夢を見続けられる。

 争いの無い世界だわ!
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この回答へのお礼

ああ、確かそんなのありましたね。

でももっと深いところへいくと例え幻術であれ、
幻術の中で争うと思います。

なぜなら、思想、思考、嗜好、性格、すべてが異なるからです。

お礼日時:2023/01/28 09:39

「争いが無い世界」が、良い世界と言うわけでは無い、と思います。



人ごと、国ごと、民族ごと、その他、多くの「○○ごと」で、
考えが異なるのは、当然のことで、だからこそ人類は、
ここまで来ました。

全てが均一の世界、と言うのは、「死の世界」です。
人の、国の、民族の、存在意義が無い。

理想的なのが、ジャイアンの世界のように思います。

ガキ大将が居て、誰もかなわないし、各々で不満を
言うが、敵わないので、戦いもしない。

各々の独自性、感受性も失われず、必要が在れば、
同一方向を向く。

思えば、この仕組みは、日本の古い時代に有った仕組みで、
学校のクラスや学校にジャイアンが居て、学校やクラスを
仕切っていた。

誰かが、弱い者いじめをすれば、弱い者を守り、
スネ夫の頭をはたく。

今はこの方式が崩壊してしまったので、虐められる者を
守ってやる存在が失われた。

日教組様の、日本崩壊作戦が、成功したと言う事かも
知れません。
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この回答へのお礼

ジャイアンはたんに強いものによる支配であり、それが永続的に続かなかったのは日本史が証明してますし、過去は身分制度もありました。

そもそも異る存在である以上、ぶつかり合い、争うのは当然の結果です。

  それらをすべて解決するには全生物が唯1つの価値、思考、嗜好に統一されることです。

ただし、それはすなわち何も無いのと同じ状態を意味し、平和とは何も無い世界だけが唯一実現可能かもしれません。

すなわち、すべての生物が個の人格を持った時点で、全生物は永遠に争いから解放されることは無いのかと思います。

 生存本能以上に、異る存在達がわかり合うなど不可能なんです。まぁそれでも妥協点を模索し共存を図る人類の方が多いのでしょうが。

あなたも他の人とも99の点でわかりあえても、たった違う1つの点で殺し合う可能性があるのが生物なのです。まぁ現代人は間接的にしか殺し合いはしませんが。

お礼日時:2023/01/28 09:51

すべてが同一と云う世界は、現実の世界は多種多様ですから、統一のために一つの主義主張が、他の主義主張を消滅させる。

つまり大虐殺してこの世から消し去るということです。

果たしてそうやって作った世界の中から、別の価値観が誕生しないという保証があり得るのか?という問題が生じます。

過去の歴史は、武力統一と戦争の繰り返しです。
そういう中で互いの立場を尊重して武力ではなく話し合いで解決しましょうという「多くの価値観・多様性を認め合うという和の精神」が世界的に伸長し始めたわけですが、まだ戦争が止むには至っていません。

哲学的に、すべてが同一というありえない世界を空想するのは構いませんが、そのような究極の理想を掲げても、現実には争いのタネを増やすだけでしょう。
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この回答へのお礼

飛躍してるのかもしれませんが、中国共産党や社会主義って要するにすべて同じ平等に与えたり、情報統制し、考えを一致させることが幸せだと考えたのでは無いでしょうか?

皆、同じなら争いは起きなくなる。
恐らくそういう思想ですよね?

方向性としては間違ってないと思うのです(笑)

ただ、すべての人種は異る自我があり、思想から思考、嗜好、すべてを同一に保つのは無理なんです。

つまり生物は永遠に争い続けるしか無いということです。

他の色を認めることはできても、ある異なる考えが幾つも出たとき、民主主義では多数決が原則ですが、それは少数派の否定でもあります。

何かを決める以上、何かを犠牲にしなければいけませんが、その多数派が正しいとか優れているとかでは無い為、争いの火種になるでしょうね。

 例えば多数決の論理の限界は既に日本社会でも起きてます。年寄りの絶対数が多いため、純粋に全員が投票しても絶対に若者の意見は通らない。

 老人が自分達の生活を優先するのも当然であるし、
若者は若者で自分達の未来を憂うのも当然です。

つまり多数決というシステムも限界なんです。

お礼日時:2023/01/28 10:06

お礼について



飛躍してるのかもしれませんが、中国共産党や社会主義って要するにすべて同じ平等に与えたり、情報統制し、考えを一致させることが幸せだと考えたのでは無いでしょうか?

結果を見ると、他の考えを弾圧して不幸にしているだけに見えますね。

皆、同じなら争いは起きなくなる。恐らくそういう思想ですよね?

皆同じにできるはずがないし、だからよく都会ではデモ、農村では一揆が多発している。

方向性としては間違ってないと思うのです(笑)

方向性は根本的に間違っているし、それは下段のご質問者自身も書いている通り。

ただ、すべての人種は異る自我があり、思想から思考、嗜好、すべてを同一に保つのは無理なんです。
つまり生物は永遠に争い続けるしか無いということです。

その通りですよね。だから武力ではなく議論で解決する民主主義が登場した。

他の色を認めることはできても、ある異なる考えが幾つも出たとき、民主主義では多数決が原則ですが、それは少数派の否定でもあります。
何かを決める以上、何かを犠牲にしなければいけませんが、その多数派が正しいとか優れているとかでは無い為、争いの火種になるでしょうね。

民主主義が単なる多数決というのは勘違い。民主主義の根底には人権保護がセットになっていることを忘れている。人権保護とは弱者救済・少数意見尊重ということだ。多数派が身勝手な弱者弾圧・少数意見無視を禁じていることを忘れてはならない。民主主義とは、特権階級に虐げられていた民にも特権階級と同じ権利を与えるところから始まっている。その民主主義の多数派が特権階級と同じように弱者弾圧・少数意見無視をしてしまったら、かつての王侯貴族と同じ独裁者になってしまう。だから、そうならないように人権保護と民主主義はセットになっている。

 例えば多数決の論理の限界は既に日本社会でも起きてます。年寄りの絶対数が多いため、純粋に全員が投票しても絶対に若者の意見は通らない。
 老人が自分達の生活を優先するのも当然であるし、若者は若者で自分達の未来を憂うのも当然です。
つまり多数決というシステムも限界なんです。

そのために議会があり、世論がある。
議会は、議論する場だ。最終的には多数決の場となるが、国会で議論されている多くの事柄は、強者に制限を加えたり、弱者を如何に救済するか、そういう弱者保護や少数派尊重がテーマになっているものも多い。
それを多数決で決めざるを得ない場合も、少数派の意見も汲み取る努力の末に、議決でも賛成票が可能な限り多くなる努力が行われている。

もちろん、議会制民主主義には限界があるが、話し合いで解決しようという姿勢がある限り、中国共産党のやり方よりは遥かにマシと思える。

あとは、ご質問者に、人類幸福の最良の政治システムをご提案いただく日をお待ちするだけでしょうか。
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初めまして



思考を統一するという考え方は、物理的なアプローチのひとつでしか無いと思います

物理的な方法論を考える限り、理想的な世の中は実現しないのでは・・・

今の世の中に欠けているのは、人々の〝精神性の高さ〝だと思います

科学技術はかなりの水準に達しましたが、その技術を負の感情や欲望を満足させる為に使い続ける事は、非常に危険な行為です

現在の科学技術を手にしてしまった以上、それに見合う精神性の高さを手に入れる事が、人類が生き延びるカギになると思います
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