私の大好きなライト小説で流血女神伝シリーズという本があるのですが、その外伝本の題名が
『天気晴朗なれど波高し』なんです。
作者さんのあとがきに、『今回は○○○の、あの有名な言葉を借りました。○○○ファンの方が居たらすみません(笑)。』
といった感じの事が書かれてたんですが、借りた本だったので誰の台詞だったかわかりません。

誰が、どんな時に言った台詞なんでしょうか?
とても気になっているので教えてください。

A 回答 (5件)

旧海軍の秋山真之の言葉です。


日本海海戦のときに艦隊から発信した報告の一部です。
先日NHKの「その時歴史が動いた」で取り上げられていました。

http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/06history/06his …
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/AKIYAMA. …

その小説は知らないのでもしかしたら違うのかもしれませんが・・。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど、URL参考にさせていただきます。
日露戦争の時代だったんですね。もっと昔だと思っていました。
お返事ありがとうございました!

お礼日時:2005/04/16 16:24

No1,4の回答者のお答えどうり秋山真之が日本海海戦の出航直前に大本営に向けて打電した文面にあったものです。



大勝利だったのと語調がよいので有名になり、司令官の東郷元帥の言葉という説を生みました。

秋山参謀はこの文章の中に
「天気が良いので視界は良好射撃がし易い、波は高くても訓練を積んでいるので艦が揺れても命中率は高い、勝利疑いなし」 の意味をこめて電文に付け加えたらしいです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

わかりやすく教えてくださり、ありがとうございます!
てっきり天気は良いんだけど波が高くて大変、って意味だとばかり思ってました。
真逆だったんですね…。

お礼日時:2005/04/16 16:35

日本海海戦で東郷平八郎がバルチック艦隊を発見したときに大本営に


「敵艦隊見ゆとの警報に接し聯合艦隊は直ちに出動 これを撃滅せんとす本日天気晴朗なれども浪高し」
って打電したんではなかったでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そんなに長く難しい言葉だったんですか。
天気~、は一部だったんですね。
驚きです!
ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/16 16:33

#1さんが書いた秋山真之氏は、


司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公であり、
この作家もこの作品もファンが非常に多いです。

流血女神伝というのは須賀しのぶさんの作品ですよね。
題名引用元の作品はまじめな歴史小説で、
くだんの言葉もかなり緊迫した場面で出てくるので、
コメディのタイトルに使うに当たってそちらのファンに
気をつかった上でのそのあとがきになったのではないでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

小説にもなっているんですか!
凄い人だったんですね。図書館で見つけてみたいと思います。
司馬遼太郎の本なら少し探せば必ずあるはず…。

なるほど、たしかにコメディ色の強いお話でした。
そういうわけがあったのですね。

ありがとうございました、参考になりました。

お礼日時:2005/04/16 16:29

NHKの某元会長がおっしゃっていましたね。


辞任されるときの朝、報道陣に向かっての一言でした。

その小説は知りませんので、違うかもしれませんが…。
あの会長のファンなんていないだろうし。
(笑)って書いてあるってことはもしやとも思いますが。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

NHK!偉い人も使う名言なのですね。
報道は見ていましたが、会長さんが言っていたとは。
お返事ありがとうございました!

お礼日時:2005/04/16 16:25

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q雨雲ズームレーダと天気の違い

本日の東京の天気ですが、yahooの雨雲ズームレーダで見ると雲が全くないのに曇っているのはなぜですか。
 
http://weather.yahoo.co.jp/weather/zoomradar/

Aベストアンサー

おっしゃる通りです!

yahooの雨雲レーダーの目的は
「雨の状況を見る」ことなので

晴れと曇りは除いていると考えただけです。

Q「アダムが耕しイヴが紡いだとき誰がジェントリだったのか」

1381年、英国のワット=タイラーの乱で聖職者ジョン=ポールが「アダムが耕しイヴが紡いだとき誰がジェントリだったのか」という言葉を残しましたが、これは詳しく言うとどういう意味なのですか?

Aベストアンサー

「世界に最初の人間であるアダムとイヴが暮らしていた頃、地主・領主(ジェントリ)など、いただろうか?いないではないか。つまり人が生きていくのにジェントリなど必要ないのだ」と、社会の不平等と身分制度を批判しているのです。地主や教会が世俗的利益を追求し、農民に重い税をかけて苦しめている事への批判ですね。

Qころころ変わる天気に対応するためには...

 天気予報50%だったので、出かけたところ 30kmぐらいのところで
雨が降ってきました。
 ヤフーの天気予報でも、雨雲がたくさん出てきていたので
途中で引き返しました。

 ところが!!!
家に戻って、2時間ぐらい 雲があるものの晴れていました。
 ムキーです。

 みなさんは、この手の対処はどのようにしますか?
ツーリングなら、無理にでも行きますか?
 それとも、なにか根拠を元にいくいかないを選択するのでしょうか?

Aベストアンサー

夏はレインウエアを持ってますし、秋冬はオールウエザーのジャケットなので雨でもあまり気になりません。というか、通勤にも使うので雨は走らない理由にはなりません。(風台風と雪の日は危険なのでなるべく走りません。)

バイクを選んだ時点で「雨が降れば濡れる」のはわかり切っている訳だから、それなりの装備と心構えを持てばいいだけのこと。バイクは雨でも大丈夫なように作られているんだから、後は人間次第。
目指せ!全天候型らいだ~ 、なのです。

雨の日は危険も多いですけど、雨の日ならではの楽しさもありますよ。
惨めに背中丸めて乗らないで、雨の中こそ堂々とした姿で走ろうじゃありませんか。といいたい。

Q思いやりについて教えを授けていた人は誰だったか。

家族でも見知らぬ他人でも思いやりって大事ですよね。

相手を思いやることは自然にできることではありますが、意識していないととっても難しいことだと思います。

バランスを欠く言動の人はけっこういると思います。(ボランティアがどうの、こうの一々絡めていう人など)

そこで昔はだれがどうやって思いやりを教えていたんだろうと思ったので質問させてほしいと思います。

思いやりを教えることの意義と教えていた人について教えて下さい。

教えるということの意義についてもお願いします。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

それは孔子です。

論語の衛霊公篇にあります。

子貢問曰有一言而可以終身行之者乎 (子貢が「一言で終身行うべきことはありますか」と尋ねました)
子曰其恕乎己所不欲勿施於人(孔先生は言われた「それは恕でしょう。自分の欲しないことを他人に施してはいけません」)

注:子貢は孔子の高弟です。

Q雨が降ると雨雲は小さくなりますか?

私はこう思っているのですが、あっているのかどうかがわかりません。

雨雲から雨がどんどん降ると、その雨雲はどんどん小さくなり
やがてその雲は消えますよね?
消えるまではいかなくても雨雲ではなくなりますよね?

正解を教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

雨雲または雲の出来る場所は中学校2年ぐらいまでには習いますが、低気圧または気圧の谷(トラフ)がある場所を指します。
気圧の谷では、雲が発生しやすくなることが多く、雨をもたらすことや低気圧を発生させることもあります。

雨の降る前線や低気圧の周辺は湿った空気が吹き込み常に一定の水分を供給しています。もう少し書くと、多くの水蒸気を含んだ空気が下から上に吹き上げているのが低気圧です。気圧が低いため低気圧の下には常に風が吹き込みます。そこで行き場を失った風は下から上に向かって吹き上げます。
風が上空に達すると温度の変化や気圧差などから水蒸気が飽和量(空気が水分を含める量の限界、温度が下がれば下がるほど空気が持てる水分の量は減少する)に達し大気中の塵などと結びついて雲になるのです。
その塵についた水分子の量が一定を越え、雲の中の水分同士がくっつくと雨や雪として地上に落ちてくるのです。

そのため、確かに雨が降ればその分雲の量は減ることになります。
ただし、雨が降るだけ地上や海上から水分を供給できる状況にあると雲は減らないことになりますし、落下する雨の量より集める水蒸気の量が多ければ、雲はどんどん成長します。

尚、高気圧は上から下方向に風が降りてきます。上空は気圧が低く温度も多少低くなるため地表に降りてくる際に水蒸気が多少含まれていても飽和水蒸気量は温度が上がるほど増えるため水蒸気が目に見える状態に飽和することがなくむしろ湿度が下がり、より乾燥しますから快晴になります。

こんなところでしょうか?

<用語>
飽和水蒸気量=空気1立方メートル辺りが保持できる水蒸気量をグラムで表した物。飽和水蒸気量は空気の温度が下がるほど減少する。これは、冷たい飲み物を入れたグラスの表面に水滴が付く現象などで証明されることが多い(グラスの表面に接する空気の温度が下がることで空気の飽和量が低下しグラスに飽和した水蒸気が水滴となって現れる)。一般に湿度100%と呼ばれるものが、空気が保持できる水分量の限界(飽和量)となる。

雨雲または雲の出来る場所は中学校2年ぐらいまでには習いますが、低気圧または気圧の谷(トラフ)がある場所を指します。
気圧の谷では、雲が発生しやすくなることが多く、雨をもたらすことや低気圧を発生させることもあります。

雨の降る前線や低気圧の周辺は湿った空気が吹き込み常に一定の水分を供給しています。もう少し書くと、多くの水蒸気を含んだ空気が下から上に吹き上げているのが低気圧です。気圧が低いため低気圧の下には常に風が吹き込みます。そこで行き場を失った風は下から上に向かって吹き上...続きを読む

Q戦争で焼け野原になった時の土地の権利は誰の者だったのでしょうか?

戦争で焼け野原になった時の土地の権利は誰の者だったのでしょうか?

日本の戦争時代に、当時焼け野原になってしまった場所等は、土地などの管理を
している所はあったのでしょうか?
また、家等も全てなくなってしまった後、誰が何処の家に住んでいたかなど
焼け野原になってしまったら、家があった場所なども殆ど分からないと思うのですが、
人が来て住み始めてそこが自分のものになるような状態だったのでしょうか?
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

都市の駅前等では、戦後の混乱期に露天のような闇市ができ、市などの所有地のばあいは強く立ち退きや強制的なことをしないので露天が建物のような店をつくり表向きはちゃんとした建築の店のようになって商店街のようになっていたのはたくさんありました、しかし不法建物なので裏側はバラックそのものでしたね、昭和40年ごろから区画整理をし代替地を用意したりしてなくなっていきましたが、自分のものになることは無いとおもいます、立ち退きでほとんど無くなってもポツンと一軒だけ拒否して古い建物がのこっていた光景はよくありました、

いまでも戦争中に労働者として住んだものの戦後も自分の土地でもない借地として契約してもない土地の一部分に不法に居住して今だに立ち退きにも応じない人たちのことがニュースにでます、(人権云々として)

Q雨雲レーダーについて

(1)雨雲レーダーは雲の中の何を観測しているのでしょうか?
(2)観測している物が雨粒であれは「雨雲の雲頂」と「雲の雲頂」が同じ高さになるのではと考えるのですが、実際違ってくるのはなぜでしょうか?

以上、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

> 実際違ってくるのはなぜでしょうか?
レーダーの波長と雲の粒の大きさを理解すればその疑問は解消すると思います。

例えば、1メートルの波長のレーダー電波が、1ミリの大きさの物にぶつかったとして、レーダの受信部に捉えられる電波になるかという点から考えるといいのでは。


雲の粒は1/1000ミリ~1/100ミリです。
気象レーダーは5ミリ~10センチ程度の波長です。
雲の粒は基本的に気象レーダーで捉えることはできません。
(密度がそれなりに大きくなっていれば、隙間が無視できるようになって全体としての大きさが大きくなるので、その場合は捉える事ができる。)
0.5~1センチ程度位まで大きくなった水滴又は氷を捉えます
雲の粒の小さい方が少ない上昇気流で上に運ばれるから、それが有る高度が違うのも当然。

Q太平洋戦争(開戦まで)の主導者は、―強いて言えば―誰だったのでしょうか?

司馬遼太郎著の“街道をゆく”の“中国・蜀と雲南のみち”を読み、興味ある箇所に出会いました。
 司馬は、中国で、日本語専門家4名と旅行し、夜汽車のなかで日本史のはなしを依頼され、彼は明治維新という近代の成立のもとになった革命について語った。

 彼らに、「その主導者はたれであるか」と問われた。
 司馬は、「厳密には主導者はいません」と答えざるをえなかった。これに答えるには、明治以前の日本社会の特性を知ってもらわねばならず、主導者の名をあげられるものではない。「おおぜいでやった、というほかない」と答えたそうです。

 しかし、彼らに、強いてあげれば、と請われ、司馬は思いつくまま、西郷隆盛と大久保利通の名をあげてみた、そうです。

 同じように、不肖私も問います。太平洋戦争(開戦まで)の主導者は、―強いて言えば―誰だったのでしょうか?

Aベストアンサー

開戦までということなら、しいて言えば近衛文麿と東条英機でしょうね。

ただ、当時の内閣総理大臣も現在のように強い権限はないですし。
セクショナリズムに陥っていたので、軍など国の中の各組織のトップも含まれると思いますが、その各組織もトップが主導していたとも言い難く。

「おおぜいでやった、というほかない」になってしまいますね。
それも明治維新は元老にあたる複数ながらキーマンがいますが、太平洋戦争のときはそれもいないですからね。

Q夏なのに雨雲が東へ流れるのは何故?

日本での季節風は夏季には南東風らしいのですが、
下記サイトで雨雲の動きを見ていると
西から東へ移動しています。

http://www.tenki-yoho.com/rain_data.html
2008年7月15日 12:00 近畿地方

雨雲の進行方向と季節風は関係無いのでしょうか?

Aベストアンサー

季節風というのは 地表すぐ上を吹いている。
中緯度領域では、基本的に偏西風が卓越しているので、気象は西から東へと変化していきます。

高度により、夏季の場合

地表では南東風でも、数百メートル上空では西風になります。
雨雲のあるのは数百メートル上空となります

Q誰の言葉だったか…

どこかで聞いたことがあるんですが誰の言葉か思い出せません
「遠くの物は音に聞け 近くの物は目にも見よ」という言葉です

歴史上の人物の言葉なのは間違いないのですが
思い出せません
知ってる方教えてください

Aベストアンサー

『平家物語』巻十一「弓流」において、平氏方の藤原景清が源氏方の美尾屋十郎を倒し、逃げるところを捕まえようとして引きちぎった錣を長刀に刺し掲げて上げた勝ち名乗りの「遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ」の口上は慣用句にもなっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E4%B9%97%E3%82%8A


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング