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光子には「静止質量」がないというと、それは違うと言われました。光子には質量がないのだと言われました。

箱に光子を入れたときの箱全体の質量は箱という物質の質量と光子のエネルギーの分が加算されたものだというのは否定されませんでした。

もしも、物質とエネルギーをひっくるめたものの質量を計測すればE=mc^2としての質量が計測されるなら、エネルギー=質量ではないのですか。

質量って何ですか。

できれば、勉強しろというのはやめていただければと思います。

質問者からの補足コメント

  • 訂正
    (訂正前)
    光子には「静止質量」がないというと、それは違うと言われました。光子には質量がないのだと言われました。


    (訂正後)
    光子は「静止質量」が0なのだというと、それは違うと言われました。光子は質量が0なのだと言われました。

      補足日時:2023/02/10 12:04

A 回答 (6件)

質量は「速度vに対する運動量m vの比率である」と考えれば良いのではないかと思います。


2023/1/19の貴方の質問「光に慣性があるとすると、光速度不変は成立しないですか」に対する14番目の私の回答で、次のように書きました。
「古典力学では質量を積極的に定義できてません。エネルギーはその質量を用いてm v^2/2と表しますので、これも定義できてないことになります。ところが、量子力学ではエネルギーをhν、運動量はh/λと定義できます。νもλも(物質波の)振動数と波長という実体(?少なくとも定量的な数値)を伴います。そして、h/λ= m vという関係は広く認められてます。すると、質量をm= h /(λv)と定義するのが妥当ではないでしょうか。この質量の定義を用いると、光は質量m= h /(λc)も有します。”光はエネルギーがあるのに質量が無い”という混乱はなくなります」< https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13318371.html >の抜粋。

このことは「質量mは速度vに対する運動量m vの比率である」とも言っていることに他なりません。
古典力学と量子力学に共通する基本パラメータは”運動量”, “角運動量”, “エネルギー”の3つです。”質量”は量子力学では(シュレーディンガー方程式には現れますが)使わなくとも済ませられます。それは、”質量”は本当に本質的な物理因子ではない為だと考えます。このため、そのような気軽な扱いで良いのではないでしょうか。
(ちなみに、量子力学では”力”を顕に使わなくとも済みますので、”力”も本質的でないと思います)
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今どきだと単に「質量」といえばそれは「静止質量」のことなので「光子に静止質量がない」と「光子に質量がない」とは同じ意味なのだ. まあ「ない」だと「『質量』という属性を持たない」といっているのか「『質量』という属性は持っているがその値が 0 である」といっているのかあやしいところだけど.



エネルギーについては視点によって質量とみなせる場合もあるし質量とはみなせない場合もある. つまり, 「エネルギー=質量」といっていいかは周辺状況にも依存する.
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>かっこありがとうございます。

申し訳ないですが、貼り付けた質問は表題の通りであって光子の質量は問題にしていません。あなたが誘導したからそっちに進んだだけです。で、改めてここで質問しました。

言い訳や、自分の行動を人のせいにするのはやめなよ。リンクに答えは書いてあるから。同じことを何度聞いても答えは同じです。
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ちなみに、なぜ光子やグルーオンの質量がゼロなのか?それは、これらの粒子が、ゲージ対称性を満たす粒子として理論的に現れるゲージ粒子であることから自明です。



逆に、質量を持たない素粒子が、なぜ質量を持つようになったか?の方が問題でした。自発的対称性の破れという画期的なアイデアによって、ヒッグス機構が正しいとされるまで、それがわからなかったということです。

光子は静止しないので、当然静止質量を考えることはできません。常に動いているので運動量を持っています。したがって、エネルギーがすべて運動量になっているイメージでしょうか。それをある系に閉じ込めると(まさに核子はそれ、あなたの例もそれ)、全体として静止して、エネルギー総量が質量として観測される。それが、ミクロとマクロの境界です。厳密ではありませんがそんなイメージでしょうね。
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https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13318371.html

ここにすべて説明してあります。

われわれの体を作る物質は、素粒子でみれば、

クオーク、電子、光子、グルーオン、これだけです。

でも、素粒子の質量合計しても、物質の質量の1%にしかなりません。電子やクオークは極めて軽く、グルーオンも光子も質量ゼロです。でもマクロにみれば、物質にも体にも体重がある。99%の質量は、グルーオンの強い力で、核子に閉じ込められた結合エネルギーが、質量として観測されているのです。

まずこの事実を、持論をすてて、きちんと理解してください。

理解すれば、あなたの言っていることが間違いだとわかります。光子に質量がなくても、その全体の系でみれば、光子の持つエネルギーが質量として観測されるというあなたの例は、我々の体やそこらへんの物質が質量をもつことまったく同じ話だとわかります。(これでもう、3回目です)

何度も繰り返しますが、素粒子の仕組みや、素粒子が質量を持つことと、マクロの物質の質量をわけて考えない限り、永遠に噛み合わないと思います。量子論、場の量子論を勉強してください。無理ならそういうもんだと納得しましょう。
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粒子としての光子は「じっとしてらんない」ので、静止状態になりようがない。

なので「静止質量」という表現は形容矛盾のナンセンス、ということなのでしょう。また、「光子には質量がない」とはおそらく「光子の質量は0だ」という意味ではなく「光子には質量という属性がない」ってことなのでしょうね。(いわば「priceless」と「0円」の違いみたいなもんです。)
 さて、運動エネルギーは質量と等価である。おっしゃる通り「エネルギー=質量」です。でもそれは「光子の質量が重くなる」ということではなくて、運動エネルギー自体が重さを持っている。たとえば、水をヤカンに入れて火にかけると、熱エネルギーが大きくなる。その分、ヤカンは重くなるわけですが、個々の水分子が重くなったわけじゃない、というのと同じことです。
 というわけで、正しく理解なさっているんだけれども、それをどうコトバで表現すべきか、というだけの問題ではないかと思いますよ。
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