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石原莞爾は、なぜ満州事変の首謀者にも拘わらず戦犯にならなかったのですか?また、なぜ他の軍人達は、石原氏が反対したにも拘わらず、中国との戦争を拡大してしまったのですか?

A 回答 (4件)

石原莞爾が追及されなかった理由は


 ・石原広一郎と間違った
 ・病気で裁判に耐えられないと判断された
 ・東条英機と仲が悪かった
とされています

そもそも東京裁判はドイツのニュールンベルグ裁判に併せて
戦犯を追及して戦争責任を追及しようと思ったけど、
日本はユダヤ人虐殺してないから、あわてて事後法で
開戦したことを罪にして裁判しようとしたもの。
このため、開戦時の役職で片っ端から逮捕していきました。

開廷前のA級被告選定の時に誤って石原広一郎をA級に選定し
その後、間違いに気づいて検事が石原莞爾を面会しますが、
その頃には重態だったので調書が作れませんでした。
ちなみに間違われた石原広一郎は後に公職追放されましたが、
起訴されることなく釈放されています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2023/02/20 18:37

満洲事変後は中国大陸への侵攻に断固反対し、大東亜戦争でもアメリカとの対立を極力回避しようとし東条英機と対立した結果、戦犯にならなかった。

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石原莞爾は満州事変以降すぐに失脚し、東条英機とは憎しみ合う間柄でしたからね。

一説には別人と勘違いされていたという話もありますが、いずれにしても終戦の頃にの石原は病床に付すくらい体調が悪化しており、ほどなく死んでいます。元気だったらA級戦犯として最悪の関係だった東条英樹と一緒に処刑されていたかもしれませんね。

石原の中国と同盟して米国と最終対決するという構想は、壮大過ぎて他の凡人たちには理解されなかったでしょう。
中国との戦争拡大は、石原の満州事変の真似をしたわけで、それを指摘された石原は文句も言えず、失意のうちに失脚してしまった。そういうことかと思います。
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石原が戦犯を免れたのは、A級戦犯として死刑になった東條英機と対立して、失脚していたからだと、何かの本(ジパング?)で見たような気がします。



中国との戦線拡大については、インパール作戦の牟田口のように、無能な上にプライドだけ高い軍人達ばかりだったからでしょ。
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