
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
石田梅岩ですね。
江戸時代の儒者です。
彼が「勤労は美徳」とやりました。
同じ儒教といいますが、日本のと
中韓のとは違います。
中韓の儒教は制度として
組み込まれていました。
科挙なんてのがその例です。
しかし、日本では教養です。
決定的に違うのは、中韓が
文官支配の政治だったのに対し
日本は武士支配の政治だった、という
ことです。
日本は鎌倉時代から、江戸時代まで
実に700年の間、武士が支配
していました。
武士というのは戦闘のプロです。
武士の刀や槍、鎧兜を作るのは
職人です。
こういう国では、職人の地位は
必然的に高くなるのは自然です。
逆に、文官支配の社会では
官僚のようなデスクワークにいそしむ
人が尊敬される反面、
額に汗の人間は軽視されます。
早速の御回答ありがとうございます。
日本は儒学として、中朝は儒教として、取入れ
日本は武士支配、中朝は文官支配(科挙)
武士支配では職人、文官支配ではデスクワークですね。
額に汗をかくか、かかないか、になりますね
No.4
- 回答日時:
儒教は官僚教育です。
要は官僚が官僚をするために都合の良い制度。官僚は自ら手を動かさず、命令、調整するお仕事で、よく言えば、社会を上手く回すための裏方ですが、悪く言えば、何の生産性も示すこともない口だけで上がりを掠め取って行く寄生虫でもあります。
孔子は高級官僚を律するために儒教体系をまとめました。国や国民性の影響もあるのですが、都合の良い部分だけを取捨選択する官僚がほとんどを占める国があります。そういった国では民からみても官僚は羨むべき特権階級であって、官僚ではないのに官僚のような役得を追い求めます。
社長だから偉いとか、部長だから偉いというのは、そういう感覚に取り付かれた人が落ちいる錯覚で、本質的には「そういう業務を分掌する専門職」、「それによるリスク(倒産とか解雇とか)も当然に受け入れる」という人達なのですが、誤った儒教解釈に拠れば、「何を差し置いても目指すべき約束された地であり、そこに至る志向性を持たない者は愚民」という価値観になります。
マネージメントの勝利を訴える人は、マネージメントの敗北も存在することを認めなければなりません。トップ外交の勝利を訴える人は、トップ外交の敗北も存在することを認めなければなりません。得てして儒教を都合よく利用する人は、マネージメントの敗北やトップ外交の敗北は認めずに、下の階層もの者が悪いと転化します。
古代の日本にも階層によりそういう誤りに取り付かれた者はいたでしょうが、生産効率の絶対的向上が期待できない家内施手工業の延長のような経済機構では、専門家をないがしろにすることは自滅行為です。匠やマイスターがある国はそれを知っています。専業製造業者の裾野が広い国もそうです。
近代でも産業革命や大量生産時代、IT化など、様々なイベントにより、専門家が軽視されかけました。我々が生きる世界は大量生産時代以降ですが、実務を軽視する傾向が定着してしまった産業は、その国では発展しません。自動車の設計生産ができなくなった国は大抵そうです。
韓国の自動車産業は三菱自工から一から十まで指導を受けて学びました。その頃の韓国の自動車産業は何もなかったので、官僚も現代も謙虚でした。挙句、大市場である米国への売り方も学びました。学んだのかコピーしたのかという議論はあります。品質管理は継続したフィードバック改善が必要なのですが、それなりに売れるものを作れるようになってしまったことから、既に謙虚さはありません。こういった「専門家による息の長い取り組み」を軽視するのか重視するのかは、国民性が出ます。儒教の悪用度合いも国民性には影響していますけどね。
中国はデジタル化以降、大発展しました。デジタル化は悪い言い方をすればコピーです。生産された実物の微調整は重視されず、固定化されたパラメタが埋め込まれたファームやソフトを適用します。こうなってくると、「盗んでくればいい」になります。当然、中国が作ったものも盗まれます。なので「盗んだ相手が舞台に上がる前に売り切ってしまえばいい」という発想になります。
ちなみに韓国の家電や電子部品産業も、最初は松下、NEC等の指導を受けて始めましたが、デジタル化に至る前から「盗んでくればいい」になりました。デジタル化以降はその傾向が顕著になりました。
盗むための相手がいなくなると、その分野の製品の進化が鈍化します。
盗んで売りまくって市場を制覇して、その過程で盗まれた側が衰退して、自分達ではイノベーションを起こせず終わっていくというサイクルですね。既に色々な分野で起きています。
労働を軽視する、専門家を軽視することで起きることは、世界レベルでの蝗害と同じです。自分達でイノベーションを起こせない国が参入するなとは言いませんが、儒教の悪用で市場制覇だけすると、悲惨な結果を生み出します。
早速のご回答ありがとうございました。
<儒教は官僚教育です。要は官僚が官僚をするために都合の良い制度>ですね。
日本は、儒教を適当に(よい意味でも悪い意味でも)導入したのですね。
No.3
- 回答日時:
日本は「ハタを楽にする」という概念があります。
このハタとはハタ迷惑のハタで、世間や社会をいみします。
日本人は自己利益の追求だけでは満たされません。
自分が社会でどんな役に立つか?他者に貢献できるか?という生き甲斐が必要なのです。
中国や朝鮮では役人などの公職以外の一般人が国の為、社会の為、他者の為に労働をするという文化は培われませんでした。
労働は自分や家族など身内の為だけに行われるものだったからです。
例として日本の大手企業が突然の倒産をすることになり、そこの経営者が涙ながらに「皆さまや社会に多大な迷惑をこうむって申し訳ない !」と会見したことがあります。
しかし中国や朝鮮や台湾の人々はそれを見て「なぜ泣いてるんだ?明日からでも新しい商売でも始めればいいだろ」「一企業が潰れるからといって社会に迷惑とかおおげさすぎるだろ」という反応をするのです。
日本以外の労働観はとてもドライで、社会の為組織の為、という思いがあまりないのです。
ですから中国政府は「卑しい商人たちは放っておけば自分だけの金儲けをしかねない」と企業に介入してむりやり国の為にはたかせようとします。
このように日本人の労働観は世界でもかなりレアの物と言えます。
早速のご回答ありがとうございます。
<日本は「ハタを楽にする」という概念があります>
一方く中国・朝鮮では、<労働は自分や家族など身内の為だけに行われる>のですね。
ウェット(?)とドライの差があるのですね。
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