明治期の日本に在住し、当時の世相や風潮について数多くの作品を残したフランス人画家ビゴーの風刺画を見てふと思ったのですが、当時の日本人はとても 「猿顔」 に描かれているんですね。

出っ歯だけではなく、笑うと上歯茎の奥まで露出する人相なんです。  丁度、チンパンジーが笑った (?) 時や、馬がヒヒーンといなないて、唇を動かした時の表情とよく似ています。

たしか戦前までの日本では栄養事情が良くないため、このような人相の人が多かったとの解説を聞いたよう気がしています。

そう言えば中国の地方を旅すると、お百姓さんと思われる中年男性で、笑うとタバコのヤニで真黄色になった歯と、上歯茎の奥までむき出して笑う人がとても多かったような印象があるのですが、もしかすると 「栄養事情が悪いから」 という説明も的を得ているかなという気がしています。

それと昔、日本人が海外で悪口を言われる時、よく Yellow Monkey と表現されたのですが、もしかすると戦前までの日本人は猿顔だったからそう言われたのかも知れないと感じています。

でも最近はそういう人相の人って少なくなりましたよね。  たしかにタレントの明石屋さんまさんも出っ歯ですが、笑った時に上歯茎の奥まで見える事はありません。 

そこで質問なのですが、戦前までの日本人は本当に猿顔の人が多かったのでしょうか?

仮にそうだとした場合、栄養事情と大きな相関関係があるのでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (4件)

栄養事情と「猿顔」の相関関係はわかりませんが、「Yellow Monkey」についてちょっと違った視点からの考察です。


キリスト教では人間は神に似せてつくられた特別な存在とされ、他の動植物などの自然とはまったく別系統の存在とされます。
人間と自然の具体的な差は、人間は魂みたいなものを持っていて、自然はそれを持っていないという点。
そして、魂みたいなものを持っていると理性的な判断ができるようになるとされます。
この考え方でいくと、白人社会から見て理性的でない未開で野蛮な状態の昔の黄色人種社会を、人間のではなく動物の社会なのだと捉えられたと考えられます。
つまり、黄色人種は人間に似て非なる動物である猿と言われていたのでしょう。
人間と猿(動物、自然の一部として)を一緒にしないというキリスト教の価値観は、ダーウィンの進化論に対する態度からもうかがい知れます。
進化論では人間は猿から進化しまたといいますが、キリスト教的価値観では人間は初めから人間であり、猿とは別次元の存在です。
そんなわけで、キリスト教への強い信仰を持つ一部の人々は進化論を認めていません。
一般のキリスト教信者は進化論を認めらながらも、社会的通念としてなんとなく人間と自然は別系統のものと感じているのでしょう。
仏教の輪廻転生や因果応報といった価値観が、日本人の間ではなんとなく信じられているといった感じだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答有難うございます。 たしか数年前にアメリカの一地方都市で進化論を教える、教えないで裁判になったとの記事を読んだ記憶があります。 お説を拝見し、東洋人を差別どころか、家畜扱いする西洋白人社会の傲慢さを感じました。

お礼日時:2005/04/21 09:29

一昔前には、ヨーロッパ人は有色人種(黄色人種を含む)は人間とはみなしていませんでした。

猿とまではいかなかったが、猿と人間の中間の類猿人の部類とみなしていたのです。アフリカやアジアの地域を植民地にしたり、奴隷売買をしていたことで頷けることでしょう。特に日露戦争時のロシア皇帝は「東洋の猿」といってすっかり軽蔑していました。フランス人画家のビゴーというやらが日本人を猿のように描いていたのは当時では当たり前のこととして通っていたのです。時代は下って、原爆投下も人種差別のたまものです。中国人はどうの、アフリカ人はどうのと、のんきな事を言っている場合ではありません。今後日本人が差別されないよう見守って行きたいですね。がんばっていきましょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど、人種差別がベースにあったのかも知れませんね。 有難うございました。

お礼日時:2005/04/20 15:11

猿顔が栄養事情で、という話ははじめて聞きました(笑)


なんだか頷けてしまいますなぁ……。

これは僕の素人意見なんですが、
西洋人と東洋人の顔つきが全く違うのが一つだと。
見た感じ、わかるとおもいますけれど、ね。

それに、西洋人は顔立ちの違いがあまりないんです。
例えばキャロルという女の子とデイジーという女の子が居たとしても、なんとなぁく、似ているわけですよ。
目が奥にあるとか、鼻が高いとか、大体共通していて区別がつきにくい。
けど、日本人等の東洋人は多種多様。
顔立ちが全く違うんだそうです。一人一人顔の形がはっきりと違う。
例えば陽子という女の子と香織という女の子は、確かに髪は黒だし瞳も黒だけれど、目元とか鼻とか、眉の形とか、違うわけです。すぐにわかる。そういうことも軽蔑の対象だったのでは。

あ、ちなみに、最近の日本人は同じような顔になってきているそうです。顔の欧米化ッスね。
>戦前までの日本人は本当に猿顔の人が多かったのでしょうか?
猿顔かどうかは知りませんけど、上のように人の顔は変わっていってます。

あと、当時の西洋人さんは猿=下等生物ってイメージがあったんじゃないかなぁ。
イエローは肌色、猿は下等。
進化論で、人間←猿という関係上、人間の下は猿、という意識があったんじゃないかな、って。
確かに人間の進化論上下に居る昆虫だのトカゲさんだのいますけど、イエローバタフライとかイメージ湧かないし。
身近で軽蔑しやすかったのが、猿だった、というだけではないかなぁ。
でも彼らはキリスト信者が多いし(←コレが欠陥)
だけど、ほら、キリストの考えなんで今時遅いぜ、という風潮が蔓延していたと考えれば平気かも!(ちょっと無理矢理)

猿っていうと、ずるがしこい、卑しいっていうイメージがあるわけですよ。それもあるんじゃないかなぁ。

中国は牛乳瓶の厚底眼鏡に出っ歯ですな。
ロシア人は鼻が高い。
イギリス人はがりがりでジェントルマン風。
アメリカ人はデブで資本主義?を表しているとか。
よくわからないけど。

栄養事情もよくわからないけど、少なくとも餓死していくアフリカの子供たちはガリガリなだけで、猿顔ではないですよね。寧ろ整った美人ですよ、あの子達。
もう少し頬の肉とかあれば、絶対傾城美女だと思うんです、ぼくは。関係ないけど。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答、有難うございました。 興味深く拝見しました。 

お礼日時:2005/04/19 09:07

松島奈々子も猿顔。


日本人猿顔好きねー。
といった印象。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございました。 私は松島奈々子さんのファンのひとりなんですが、猿顔!?

お礼日時:2005/04/19 09:04

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q日本人男子の平均身長は本当に170~171cmなんでしょうか・・・?

日本人男子の平均身長は本当に170~171cmなんでしょうか・・・?

駅や街中など、大衆の中を歩いていても180cmの自分自身が大きく感じません。

若い人たち(特に10代後半から20代)の5人に3人は175以上、180近くあるように見えます。

みなさんは日常生活の中で日本人の平均身長について疑問をもたれたことはありませんか??

ご回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

質問者さんはこういう場合の日本人男子は何歳という感覚でしょうか?
20歳以上の平均をとるとなると、確かに20~30代は175くらいあるかもしれませんが、50歳以上なら165前後だと思います。70歳以上なら160以下だと思います。

 私は50歳ですが、私が20歳の頃、平均身長は165といわれていました。30年間で5センチ以上平均が上がったんですね。

 ちなみに質問者さんの年齢は分かりませんが、高校時代、真ん中あたりでしたか?
180もあれば、男子が20人いても、背の高さは5番以内だったと思いますが。。。

Q「見猿、聞か猿、言わ猿」

日光東照宮の「見猿、聞か猿、言わ猿」は、何か意味があるのですか?
それとも単に彫刻の名称なのですか。

Aベストアンサー

2の追記
家康が、豊臣方に対しての意味で 西の方を見るように葬れと家臣に言い伝えたといわれています。諸葛亮 孔明と同じです。死んでも心残りだったのでしょう。
 その意味でも、「見ざる、言わざる、聞かざる」は幼少期には悪事を見ない、言わない、聞かない方がいいという教えである。というよりも物事への慎重な対処方法の人生訓であるとも言われています。あまり気心を知れてない人または親しいひとでも多くを語るなということです。

Qもし、最終身長が自分の父親を超えなかった息子を、これから毎年死刑にしたら、日本人男性の平均身長は世界

もし、最終身長が自分の父親を超えなかった息子を、これから毎年死刑にしたら、日本人男性の平均身長は世界一高くなりますか?

Aベストアンサー

同じ事を海外でもやれば、日本人は無理でしょう。

Q戦前・戦中・戦後の食糧事情について質問です。

戦前・戦中・戦後の食糧事情について質問です。

先日、戦前生まれの叔母に会う機会があり、ふとした事から食べ物の話になりました。
叔母もそういう事があったという事情は話してくれたのですが、詳しい事についてはうろ覚えでわからないとのことでした。
そこで以下が質問です。

1、戦前〜戦後も麦飯は臭みもあり貧乏人の象徴のようなもので、弁当に麦ご飯が入っていても弁当箱のフタで中身を隠しながら食べていたそうです。「じゃあ、お米を食べればいいじゃない」というと「米は供出に出していて(戦時中は主に軍用米として供出していたと思います。戦後も多分農協にいくらか供出があったように思います)充分に食べられなかった」というのです。私は供出などは戦時中の食糧事情が最も苦しい時だけの事だと思っていたのですが、そうでもないようなのです。米だけではないと思うのですが、この供出の制度はなぜあったのでしょうか?また、どのようなものが供出対象でいつからいつまで存在したのでしょうか?

2、配給制についてですが、これも私は戦時中だけの事だと思っていたのですが、戦後もいくらかのものは配給されていたそうです。どのようなものがいつからいつまで配給されていたのでしょうか?

3、戦時中にしばしば街に住んでいる人が矢絣の着物とお米を交換して欲しいとやって来たそうです。私どものように田舎の人間で作物を幾分か作っている農家は貧しいながらも何とか食べていけたと思うのですが、都会に住んでいる人はどうやって食べていったのでしょうか?配給のものだけでは食べていけないと思いますし、食べ物と交換する着物なども有限なので餓死してしまうと思うのです。
お金のある家は闇市などからでも調達できると思うのですが、空襲で身寄りもあまりなく無一文になった人が大勢いたはずです。まさに「ほたるの墓」を時でいくような生活をしている人も沢山いたと思います。

今のようにお金さえ出せば、食べ物をいくらでも購入できる時代とは違い、昔の人は本当に苦労したと思います。
ただ、戦後生まれで農家でもない知識のない私には、上記のような事を調べてもまるでわかりませんでした。

このような事に詳しい方がいればご教示頂けたら幸いです。
また、質問項目が多数なので、私の質問にある戦前〜戦後の食糧事情や供出・配給などについて制度も含めて詳しく書かれてある書籍やサイトがあればご紹介頂ければ助かります。

戦前・戦中・戦後の食糧事情について質問です。

先日、戦前生まれの叔母に会う機会があり、ふとした事から食べ物の話になりました。
叔母もそういう事があったという事情は話してくれたのですが、詳しい事についてはうろ覚えでわからないとのことでした。
そこで以下が質問です。

1、戦前〜戦後も麦飯は臭みもあり貧乏人の象徴のようなもので、弁当に麦ご飯が入っていても弁当箱のフタで中身を隠しながら食べていたそうです。「じゃあ、お米を食べればいいじゃない」というと「米は供出に出していて(戦...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。
親戚に農家の方がいるので、その方から聞いた話をさせていただきます。が、片田舎の話ですので都会の方のことはあまり分かりません。

1については、地域差がけっこう酷かったようです。十分に食べられる地域とそうでない地域があり、当方の場合は前者で、後者の地域の方がよく支援を求めてきていたそうです。中には息子が出征するから、その前の日だけでも好きなものをたらふく食べさせてあげたいから、この箪笥と何かを交換してくれと言ってきた方までいらっしゃったそうで、あっちのほうはそんなに困っているのかと驚いたと言っていたのを聞いたことがあります。供出自体は戦後しばらく続いたようですが、別段食うに困ったということはなかったそうです。
米だけではなく、様々なものを作っていたために米が少ない時でもほかに食べるものがあったからというのはかなり大きいでしょうが……。
(養蜂、豆、豚、鶏、芋、柿などだそうです)

2については、ものによっては戦後も配給が続いたそうです。

3に至っては、様々な人が食料を求めて訪ねてこられたようで、爆撃から逃れる際に持ち出したわずかな財産を手に食料を分けてほしいと入ってこられた方が大勢いらっしゃったようです。箪笥、着物、宝石類、はたまた伝家の宝刀や家宝、あげく娘さんが自分と家族がある程度食べていけるだけの食料を交換してくれといったこともあったそうです。
無一文になった身寄りのない方などは、なんでも働くから食べ物と雨露凌げる場所をということもあったそうです。
あと、農家の横暴が酷かったとおっしゃられている方がおられますが、農家の側からしてみれば、まるで食べ物がいくらでもあるかのように言い、余裕がなくて分けることができない時などは野菜を盗み、あることないことわめき散らし、心ない言葉を浴びせていくことも多々あったそうです。

とある片田舎での話ですが、『こういうこともあったんだ』ということを頭の片隅にでも置いていただけたら幸いです。

はじめまして。
親戚に農家の方がいるので、その方から聞いた話をさせていただきます。が、片田舎の話ですので都会の方のことはあまり分かりません。

1については、地域差がけっこう酷かったようです。十分に食べられる地域とそうでない地域があり、当方の場合は前者で、後者の地域の方がよく支援を求めてきていたそうです。中には息子が出征するから、その前の日だけでも好きなものをたらふく食べさせてあげたいから、この箪笥と何かを交換してくれと言ってきた方までいらっしゃったそうで、あっちのほうはそん...続きを読む

Q明治時代の日本人より現代の日本人の方が平均身長が高いそうなのはなぜですか

遺伝的には、親の身長が低ければ、子の身長も低くなるのが普通でしょうか?
もしそうなら、明治時代の日本人より現代の日本人の方が平均身長が高いそうですが、それはなぜですか。

Aベストアンサー

うまれ半分、育ち半分といいます。
体格のよい遺伝子を持っていても、それを限界まであらわすためには食生活などの環境が必要なのです。

Q戦前日本の兵役事情

戦前の日本って明治初期は別として基本的に男子皆兵ですよね?
その割に政治家や文化人などの歴史的な著名人が
若い頃に軍に徴兵されたという話はあまり聞かないんですが、
彼らのような高学歴者や富裕層は兵役を免除されたのですか?

Aベストアンサー

確かに戦前に日本は徴兵制を敷いていましたが、国民皆兵ではありませんよ。
当時の日本国民男子は全員が徴兵試験受けましたが、その結果ごとに甲種、乙種、丙種、丁種、戊種とランクが存在しました。
平時に徴兵されるのは甲種合格者だけで、それもくじ引きで選出される極一部の人間だけです。
免役率は80%にもなっていたはずです。
そして、徴兵以外にも例えば士官学校に進んで将校になる、ですとか大学生なら予備士官制度で士官になる、ですとかのルートもあります。
ですので、政治家や文化人に徴兵経験が無くても別に不思議ではないのですよ。
ただ、徴兵も実はかなり抜け穴はあったらしく、人に言えない手段で徴兵逃れをしていた人間も確かに存在はしていたらしいですが。

Q日本人の平均身長は世界基準では

日本人の平均身長は世界基準では、やはり低いのでしょうか?

Aベストアンサー

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=148637379

このサイトがわかりやすいですが、欧州の各国の数字が出ていないので
一概に言えませんが、日本人の平均身長は中程度だと思います。

Q戦前の定義

こんにちは。

このたび、レポートで、“戦前の日本における分岐型学校体系の実態と特徴を整理する”というものが課されたのですが、この場合の戦前というのは太平洋戦争以前であることは分かっていますがどの位の期間を指しているのかよく分からず、ここで質問させていただいているしだいです。
講義の中で、いつからいつまで、と言っていたかもしれないのですけれども、丁度その辺りの授業の時に、私事ですが法事がありまして聞く事ができませんでした。
不躾な質問とは思いますが、どうか回答よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

学校問題についての戦前ということなら、国民学校ができる以前を指すのでしょう。昭和16年 3月までです。
では、始まりはいつかというと、それは出題者の意図によって代わってきますが、明治 5年の学制頒布から論じておけば、間違いはないでしょう。

Q最近の 日本人20歳代の「平均身長・体重」は? 

日本人の20歳代の「平均身長」と「平均体重」をすぐに知りたいのです。

教えてください!!

できれば、その文献名もお願いします。

Aベストアンサー

        男        女
    身長平均 体重平均  身長平均 体重平均
20歳 171.3 65.4 157.8 50.4
21 171.4 65.2 158.2 50.8
22 169.5 65.4 158.2 52.9
23 171.9 64.6 158.0 51.8
24 170.3 65.7 157.0 50.5
25 171.0 64.6 157.9 50.4
26-29 170.7 66.0 158.1 51.8

国民衛生の動向 2000年度版より

細かいので、あとは平均してくださいませ。

Q戦前の学制について

NHKの朝のドラマを見ていると、中学校、師範学校、女学校、八校、上野の音楽学校、帝大などの学校が出てくるのですが、戦前の学制について詳しくないのでよくわかりません。
どなたかわかりやすく説明してください。

Aベストアンサー

戦前の教育制度は、上から見たほうが分かりやすいです。

官立(国立)、公立の学校を基準にしますと、

大学ランク:帝国大学、東京商科大学、医科大学など
高等学校ランク:高等学校、大学予科、高等専門学校、高等師範学校、女子高等師範学校、陸軍兵学校など。
中学校ランク:中学校、師範学校、高等女学校、専門学校、陸軍幼年学校など。
義務教育の尋常小学校

となっていました。

戦前の学業優秀、学資十分な子供は、例えば下記のコースをたどりました。
東京市立 麹町尋常小学校→東京府立 第一中学校→官立 第一高等学校→官立 東京帝国大学
高等学校から帝国大学に進学するのは、原則として無試験でした。

一方、家が貧しくて小学校に行くのがやっと、という子供は、例えば下記のコースを経れば、最終的には前記の裕福な子供と同じ学歴を得ることができました。
尋常小学校→高等小学校→師範学校→高等師範学校→帝国大学
師範学校は授業料が無料でした。戦前の貧しい少年は、師範学校に行って小学校訓導になることをまず目指していたようです。小学校教師になれば、少なくとも「食って行けない貧困」とは絶縁し、自分の子供にさらに上の教育を授けることができますから。2代かけて社会的上昇を果たした親子を何例か知っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%AB%E7%AF%84%E5%AD%A6%E6%A0%A1
師範学校卒業者が高等学校を受験し、エリートに合流することも可能だったはずです。

陸軍将校を志望する子供は、下記のコースが理想でした。
尋常小学校→中学校→中学1年修了で陸軍幼年学校→陸軍士官学校→陸軍将校に任官
この場合、幼年学校に入った時点で官費となり、貧しい子供にはやはり魅力的だったようです。

20年ほど前に法務大臣を務めた秦野章氏は、警察官僚のトップの警視総監から政界に入った人ですが、家が貧しかったために下記の経歴を経ています。
小学校→今で言う大検に合格→私立 日本大学の夜間部卒業→今で言う国家公務員一種試験合格→内務省官僚→戦後に警察官僚
まともな学校に通えなくても、努力すれば帝大卒のエリートと同様に扱われることが可能だった、という実例です。

戦前の教育制度は、上から見たほうが分かりやすいです。

官立(国立)、公立の学校を基準にしますと、

大学ランク:帝国大学、東京商科大学、医科大学など
高等学校ランク:高等学校、大学予科、高等専門学校、高等師範学校、女子高等師範学校、陸軍兵学校など。
中学校ランク:中学校、師範学校、高等女学校、専門学校、陸軍幼年学校など。
義務教育の尋常小学校

となっていました。

戦前の学業優秀、学資十分な子供は、例えば下記のコースをたどりました。
東京市立 麹町尋常小学校→東京府立 第一...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報