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創価学会では「南無妙法蓮華経の七字を唱えると、
仏になれる」と説きます。
ここで質問ですが、
私の住んでいる地域には創価信者が比較的多く存在しています。
彼らは年がら年中、南無妙法蓮華経を唱えています。
となると、彼らは既に「仏」になっていることになり、
私の家の周辺は、仏さまだらけとなるわけですよね?

有り難いやら、何と言おうか分かりませんが、
私の質問に対し、解説をお願いします。

A 回答 (7件)

創価学会というより釈迦の解いた法華経は、すでに全ての人間がそのままで仏であるとしています。



つまりあなたも仏です。
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創価学会の公式サイトには、《南無妙法蓮華経と題目を唱えることで、南無妙法蓮華経が私たちの生命に体現し、本来、私たちに内在している仏界という最高の生命が湧き現れてくるのです。

》という文はあります。 しかし、この文を《「南無妙法蓮華経の七字を唱えると、仏になれる」と説いている。》ように読むのは難しいと思います。 誤読/誤解ではないでしょうか。
こちらの質問にも、「南無妙法蓮華経の七字を唱えると、仏になれる」と説いている。》を肯定しているような内容は見られません。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …

創価学会系でも、「南無妙法蓮華経の七字を唱えると、仏になれる」と説いていることはないようです。
https://www.seikyoonline.com/article/98B63873820 …

法華宗には、【南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候え】(本門寿量品の肝心である『南無妙法蓮華経』の唱題行が成仏の実践方法です)という教説はあるようです。
http://www.hokkeshu.com/about/02mantra_04.html
「一佛一切、佛にして妙法の二字に諸佛みな収まれり。故に妙法蓮華経の五字を唱える功徳、甚だ大いなり。」の御教示によるものであります。 妙法蓮華経・南無妙法蓮華経の五字七字にはお釈迦さまの御功徳のみならず、諸佛、諸菩薩の積まれた御功徳が収まっている。私たちが至心に唱題するその御功徳は計り知れないのである。 御功徳について先師は『功徳には上品の功徳と下品の功徳の二種がある。病気平癒、身体健全は下品の功徳。み佛と一体になり、他の人のために祈る唱題した時に至る、何ものにもおそれない大安心の境地、これが上品の功徳である。』と教えております
https://honmonji.jp/read/kanju202108.html
風邪をひいたとき、風邪薬の成分や生成方法などを知らなくても、風邪薬を飲んで症状が和らぐがごとく、信じがたく、理解しがたい法華経を読み解けなくても、「南無妙法蓮華経」という薬を一心に唱え続ければ、その効用を得られますということなのです。
https://myouonji.myouonji.net/column/column-545/

浄土真宗でも念仏を唱える功徳は言われています。
《一心に念ずる功徳・効用》というのは、一神教の場合や、マリア信仰にもあることで、特別変わった見解ではなく、宗教や自然宗教にもよくあることです。 5字なのか、7字なのか、功徳大なのか、大安心の境地、神や仏との一体感なのかは、区別がつかないでしょう。 個々の状況、人によるもので、いつもいつもだれでもどのような状況でもという一般原則のようなものではないです。
カネが万能でも、ワクチンや特効薬、愛や信義が万能ではないのと同じです。

《年がら年中、南無妙法蓮華経を唱えても》、般若心経を唱えても、オーム呪を唱えても、それで《即時に、いつも、どのような状況でも、だれでも、~~~になる》と思い込むような人って、滅多にいるものではないです。
住んでいる地域であろうが、たまたま立ち寄った施設に集合している信者達であろうが、自分が見かけた人物abcdefg……が全員同様であろうと推測しているのであれば、その推測をしている人物Xが観測不良であるか、思慮が足りないのです。
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2世です、なれませんでした。

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ヒトは皆、仏になれるのです。


ですが、あなたのように疑り深い人は昔から多かった。
それで、ひと手間掛けさせることで、皆で同じ行動を取らせることで、催眠状態に導く方法を空也が創造した。念仏踊りだ。

念仏を唱えながらそれに合わせて皆で踊ればそれだけで楽しい。それで極楽往生できるのなら言うことはないし、仮にそれが嘘でも楽しい。だから大流行した。

「南無妙法蓮華経」と唱えるのは、それで瞑想状態ならぬ催眠状態に導くことにあり、日蓮が空也の踊念仏の成功を参考に、念仏に拍子と音階を与えて念仏歌にしたものを学会も引き継いでいることになる。
独りでも楽しい。皆で合唱すればもっと楽しくなる。そのように催眠誘導されているのだ。

ちなみに、空也の踊念仏は、出雲阿国の歌舞伎踊りに影響を与えたことが知られている。
阿国の女歌舞伎とは、今の歌舞伎とは違って、現代の宝塚歌劇団や乃木坂46のように女芸人たちが歌い踊ったり、芝居したりするショービジネスだった。

まあ、何もしなくても仏になれるのだからどうでも良いと云えばどうでも良い話だが、それを売りにする宗教団体としては、布教に際しては何か魅力が欲しく、それには娯楽が一番だ。

あなたも騙されたと思って、学会員に負けないくらい大声で、あの独特の音調で拍子をとりながら「南無妙法蓮華経」と唱え続けてみると良い。
あなたがカラオケ好きなら、カラオケで絶唱する時と同じくらい良い気分になるだろう。歌念仏の良いところは、音痴でも気持ちよく絶唱できる点だ。
大声で絶叫し続ければ、ほんとうに自分が仏になれたような気持ちよさに襲われるだろう。
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そんな事説いていませんよ。


会員では無いけど、釈迦の系列の最澄・空海と日蓮が法華経を正しく伝えた師では有ります。
最澄・空海は大天才で有ったけど、日蓮には及ばなかった。

日蓮は、各人の生命の中に地獄から仏に至るまでの10個の状態が存在する事を多くの経文から見出し、万人誰でも仏の状態を引き出す方法を見出したわけです。

仏って、物では無く、どっかに有るとか、どっかに居るとかを言ってる訳では無いのです。

つまり、誰でも、仏の生命状態があるのですが、それが眠っているという事です

最澄・空海もそこまでは解ったのですが、万人誰でも仏の状態を引き出す方法が解らなかったのです。
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>彼らは既に「仏」になっていることになり、


>私の家の周辺は、仏さまだらけとなるわけですよね?

仏とは、生命状態の1つとしての『仏界(仏性)』の事であり、人それぞれ生命の中に10種の境涯を具している。これを、『十界具足』といいます。むしろこれは、創価学会での教えではなく、中国天台宗より伝わる日本天台宗の教義である。ということは、ある意味あなたにも『仏界(仏性)』は具わっている。
しかし、生命(生命状態)というのは、縁に触れ瞬間瞬間で変化してしまうものなのです。
もちろん、創価学会の信心をして、御本尊に向かって『南無妙法蓮華経』とお題目を上げて、胸中の『仏界(仏性)』を常々顕わしていける事は理想だけれども、人間として生きている内にはそうはいかない事の方が多いです。
例えば、他人よりいきなり「この馬鹿野郎!!」と言われれば、少なからずや頭にくるでしょう。それでも、にこやかに笑って、人生何たるかを相手に対して説く事が出来ますか??
朝、これから仕事に行くのに、母ちゃんが弁当をまだ作っていなければ、「おい、母ちゃん、俺の弁当まだかよ。早くしてくれよ~。」となるでしょう。
人間は、こうした感情の生き物なのです。

しかしながら、たとえそれでも『仏』や『法』が何たるかを知って、『南無妙法蓮華経』とお題目を唱えて、『仏』になる修行を日々行っていると言う事は、凄い事だと思いますよ。

誤解をしないように、最後に一言だけ申し上げておきたいと思いますが、『南無妙法蓮華経』を本尊として顕し、お題目を唱え始めたのは日蓮が最初です。しかし、『南無妙法蓮華経』というお題目自体は、中国天台宗、日本天台宗に伝わるものです。そして、日蓮大聖人も最初は『南無妙法蓮華経』を本尊としてお題目を唱えていましたが、文永8年9月12日の『竜の口の法難』以降に、『南無妙法蓮華経』を中央に置いた曼荼羅御本尊を“目に見える形で”初めて認めました。


【補足として】
日蓮というと、日蓮宗、日蓮正宗とありますが、同じ『南無妙法蓮華経』の様に聞こえますが、その意味は全く違い、成仏はおろか地獄に堕ちます。
どうして、日蓮宗、日蓮正宗の寺院や信徒が存在しているのかが全く理解できません。もちろん、キチンとした理由があります。


■情報として、、、

明日、3月11日にNHKのBS11で夜8時より歴史番組「偉人・素顔の履歴書」にて「日蓮」が放送される予定です。





《参照①》

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13381095.html

《参照②》

【十界】

・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。⇒以上、四悪種
・人 界・・・一般的な『人間』の境涯。
・天 界・・・喜びの境涯。⇒以上、六道。六道輪廻の六道です。
・声聞界・・・悟りを求める、求道の境涯。
・縁楽界・・・自然現象などから、物事の真理を悟る境涯。⇒声聞、縁楽二つの境涯を併せて『二乗』といいます。
・菩薩界・・・悟りの道を開いて、人々を救おうとする境涯。
・仏 界・・・究極の真理を悟った覚者の境涯。

この十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事を『十界具足』と言います。
そして、何かの縁に触れる事によって、瞬間瞬間にその境涯が変化していくのです。
その生命の奥底にある十種の境涯が、意識や言葉、表情や態度や動作にそのまま表れてくるのです。
そしてそうした事が関係して、自身の生活環境や地域社会を形成しているのです。
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仏とは心の世界の単語


物の世界の単語ではありません
そこを混同しているからこのような質問が出てきてしまうのでしょう
仏は、心です
家の周辺が仏だらけでも問題ありません
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