本を読んでいて、『キューバ紛争』について書かれてあったのですが、いつ、どういった理由で紛争が起こったのか知りたいです。
知っていらっしゃる方、よろしくお願いします。

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A 回答 (5件)

こんばんは、gankichiさん。

kiyottiです。

簡単ですが、お答えします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1945年8月、第二次世界大戦が終了しました。同時にアメリカとソ連(今のロシア〕の冷戦が始まりました。

そんな中、1959年、アメリカの影響下にあった西インド諸島のキューバでカストロやゲバラなどが革命を起こしました。カストロは首相に就任。1961年、アメリカはキューバと国交を断絶、その後カストロはキューバに社会主義を宣言しました。
この時期に東ドイツ(今のドイツが東西に分かれていた時期がありました〕で「ベルリンの壁」が建設され始めました。

1962年、逆に社会主義のソ連はキューバに接近、ミサイル基地をキューバに建設しました。アメリカはこれに強く反発して海上封鎖を断行しました。
キューバとフロリダ間は数十キロしかありません。アメリカにしてみればのどもとに刃物を突きつけられた格好になりました。

アメリカとソ連のこの関係は一挙に国際関係を緊張させました。結局トップ会談でソ連がキューバからミサイル基地を撤去し、アメリカは海上封鎖を解除しました。

このときのアメリカの大統領はジョン・F・ケネディ、ソ連の首相はフルシチョフ
です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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この回答へのお礼

kiyottiさん、とてもわかりやすい回答ありがとうございました。
世界史、さらに近代史とあっては
私にとっては、ちんぷんかんぷんで
読みたい本も全然意味がわかりませんでした。
ほんとにわかりやすかったです。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/12 23:19

No.2の返答へのコメントです。



>早速レンタルして見ようと思いますが、
>出演している俳優は誰ですか?

主演はたしか「ケビン・コスナー」です。
といってもケネディ大統領の補佐官という立場で
出演しています。
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この回答へのお礼

わかりました。
絶対、ビデオ見ますね。ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/13 09:02

 下のURLの「キューバ危機」が充実していますので、「INDEX」の中の項目から見ますと、詳しく書かれています。



参考URL:http://www.maedafamily.com/cuba.htm
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この回答へのお礼

shoyosiさん、すごいサイトを教えて頂きありがとうございました。
読んでいる本をより深く理解するために
この質問をしたのですが、
本よりもこのINDEXに読み入ってしまいました。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/12 23:29

No.1の方のコメントに一部補足です。



>結局トップ会談でソ連がキューバからミサイル基地を撤去し、
>アメリカは海上封鎖を解除しました。

実際は、ケネディ大統領とフルシチョフ書記長は直接顔を合わせていません。
その頃は米ソ首脳のホットラインが無かったので、互いの会話が全くなく
手探り状態で外交交渉をしていました。

最終的には、フルシチョフ直属の密使とロバート・ケネディ司法長官(大統領の弟)
の直接会談で、衝突回避の見込みが立ちました。

その辺の手に汗握るやり取りが「13days」で詳しく描かれています。
私みたいな政治・軍事好きには、たまらない魅力です。
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映画「13days」がオススメです。


見ごたえばっちり。ほぼ史実どうりの展開。

ビデオ屋さんにあれば、是非レンタルして見てください。
私は劇場で見ました。
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この回答へのお礼

cse_riさん、ありがとうございました。
早速レンタルして見ようと思いますが、
出演している俳優は誰ですか?
出演者が判れば、ビデオも探しやすいのですが…。

お礼日時:2001/09/12 23:14

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Q紛争の種類について

こんばんは。
今私は「紛争」について調べています。始めは「紛争」は戦争と似たようなものだとしか認識が無かったのですが、調べてみると経済紛争だったり、色々な種類の「紛争」が見つかりました。
大まかに分けて、どのような「紛争」があるのでしょうか??分かりにくい質問かもしれませんが、教えて下さい。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

紛争の種類とは難しいですね。大辞泉で「紛争」を引くと、「事がもつれて争うこと。もめごと。」とありますね。なので、質問者さんと私が何か揉めればこれも紛争です。とはいえ質問者さんが戦争に類似したものと捉えていたことから察するに、ここで知りたいのはいわゆる国際紛争と見ていいのかな。
国際紛争の中心である国家間紛争というのは国家管轄権同士の衝突なので、衝突している管轄権の中身によって紛争の種類は分類されます。経済権益を巡る争いであれば経済紛争、領土管轄権を巡る争いであれば領土紛争、環境保全が焦点になれば環境紛争といった具合に。また、これら紛争において当事国が紛争解決手段に武力を用いれば武力紛争になりますね。

以上は紛争主体を国家に限定したものですが、現実には民族・宗教団体といった非国家組織と国家との間にも自治・独立などを巡り紛争が起きていますね。また、国家間紛争でも冷戦期のようにイデオロギーを対立軸とした紛争となればイデオロギー紛争とも呼べますね。

以上を踏まえると、

1.主体・帰属(意識)による分類
国家間紛争、宗教紛争、民族紛争、イデオロギー紛争

2.権益内容による分類
経済紛争、法的紛争、領土紛争、資源紛争、環境紛争

3.解決手段による分類
法的紛争(当事者が裁判手続きによる解決を図る紛争、2.の法的紛争とは別)、政治的紛争、武力紛争

といった感じでしょうか。我ながら粗い分類法ですが、参考になれば幸いです。

紛争の種類とは難しいですね。大辞泉で「紛争」を引くと、「事がもつれて争うこと。もめごと。」とありますね。なので、質問者さんと私が何か揉めればこれも紛争です。とはいえ質問者さんが戦争に類似したものと捉えていたことから察するに、ここで知りたいのはいわゆる国際紛争と見ていいのかな。
国際紛争の中心である国家間紛争というのは国家管轄権同士の衝突なので、衝突している管轄権の中身によって紛争の種類は分類されます。経済権益を巡る争いであれば経済紛争、領土管轄権を巡る争いであれば領土紛争...続きを読む

Q1969年に起こった教団紛争(キリスト教)とは?

ネットサーフィンをしていて「1969年から今日に至る教団紛争で、教会の本質に関わる信仰告白や聖霊典(洗礼と聖餐)が相対化され、ある特定の新左翼的な反体制社会活動が絶対化された」という記述がありました。

この1969年に起こった教団紛争について教えてください。

Aベストアンサー

67年の「戦争責任告白」に対する賛成、反対両派の対立を基礎として
沖縄キリスト教団合同問題
大阪万博キリスト教館出展問題
によって激化した日本キリスト教団の教団紛争ですね。
多分質問者様が見られたのは
http://kusabuka.cool.ne.jp/koram2005.html
でしょう。
それとむしろ対立する視点からのPDF書類もありますから
参考URLもご覧ください。

参考URL:http://www5b.biglobe.ne.jp/~ykchurch/image/20070304.pdf

Q裁判以外の紛争処理手段

裁判以外の紛争処理手段
裁判以外の紛争処理手段
新聞にて、全国の労働委員会に持ち込まれた個別の労使紛争件数が過去最高を更新したという記事を見たのですが、
労働問題などは裁判ではなくて、労働委員会というところに持ち込まれ紛争処理を行う制度が整っているみたいですが、
その他にも裁判所を通さずに紛争処理を行う制度ってあるのでしょうか。
ご存知の方教えて下さい。

Aベストアンサー

・各種調停期間
  交通事故、労働紛争

・民事調停
  裁判所によらなで話し合いで解決

・国民相談センターなどの斡旋

・第三者機関の勧告
  広告関係ならジャロ

・政府機関による勧告
  公正取引委員会など


・海難審判
  海の裁判所

・弁護士会独自の懲戒処分
 

Qインドシナ紛争・ベトナム戦争・カンボジア紛争

これらの一連の歴史的な流れってどういうものですか?

Aベストアンサー

これらの紛争の共通は第二次世界大戦後の「冷戦構造」からくる「共産主義陣営」対「自由主義陣営」がぶつかったイデオロギー対立の代理戦争の側面が
あります、
「インドシナ戦争」は植民地の独立戦争ではあるのですが、この頃ホーチミンは共産主義政府を中国のバックに作っていました、
「ベトナム戦争」は南北ベトナムの共産主義対自由主義の戦いですが中国ソ連対米国のイデオロギー対立でした「カンボジア内戦」は共産主義のクメールルージュと自由陣営の対立ですが、裏に中国、米国が暗躍していました
これらの紛争の根底には戦後の冷戦構造の進み具合
による「歴史の流れ」があったのです

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%8A%E6%88%A6%E4%BA%89

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%86%85%E6%88%A6

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「インドシナ戦争」は植民地の独立戦争ではあるのですが、この頃ホーチミンは共産主義政府を中国のバックに作っていました、
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Q紛争処理機構へ後遺障害の申請をする場合についてお聞きします。

紛争処理機構への後遺障害申請について3点お聞きします。
(1)紛争処理機構というところに一度だけ後遺障害の申請をすることが出来ると聞いたのですが、紛争処理機構に申請する場合、時効はありますか?
(2)こちらに申請するには、自賠責の後遺障害申請や異議申し立てを終えてからではないと駄目なのでしょうか?途中で紛争処理機構に申請す
ることは出来ますか?
(3)紛争処理機構で認定が出た後、自賠責保険にもう一度異議申し立てをすることは出来ますか?紛争処理機構で認定が出た場合、自賠責保険への申し立ての続きをすることは出来ないのでしょうか?

紛争処理機構は自賠責保険とはまったく別の機関だと聞いたので、申請するにあたって疑問が出てきてしまい、こちらでご質問させていただきました。
 読みにくい文章で申し訳ありません。もし、ご存知の方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。
 

Aベストアンサー

1.確かにできますが、「自賠責保険・共済紛争処理機構」呼んで字の如く紛争を解決する機構ですから最終手段の場所です。

2.自賠責の支払や後遺障害の認定において、不服が有り、異議申立をしても認められない場合に紛争処理の申請をするわけで、
・ 自賠責保険・共済に請求し、保険会社・共済組合から支払い(不払)の通知があった事案。
・ 任意保険・共済の対人賠償について自賠責保険・共済の判断(事前認定)に係る部分について提示がなされている事案。
これが紛争処理の対象です。

3.できません、上記に書いた通り最終の決定です。
以後の処理は訴訟以外にありません。

Qいま三国志のコミックスを読んでいます。そこで不思議に思ったのが、なぜ「帝」はいつの時代も権威を保持し

いま三国志のコミックスを読んでいます。そこで不思議に思ったのが、なぜ「帝」はいつの時代も権威を保持し続けることができているのでしょうか??
自分自身が帝になろうとする反逆者によって地位を奪われたりしないのでしょうか??
それでは民衆の支持が得られないから?帝を擁すれば官軍として振る舞えるから?神のような存在に手をあげること自体思いつかない社会だったから?
無知なものですいません。詳しいどなたかが教えてくださると嬉しいです。

Aベストアンサー

三国志といえば、後漢の皇帝の権威がすっかり失われて、いろんな人たちが好き勝手に権力争いをして朝廷を牛耳り、やがて皇帝の地位を奪われるという展開になってるはずで、なぜ質問者さまがそのような結論に至ったのか理解に苦しみます。後漢から帝位を奪った曹氏の魏も、臣下の司馬氏の晋にとってかわられ、その晋(西晋)が北方遊牧民族の匈奴出身の劉淵に滅ぼされた後は、さまざまな異民族が皇帝を称して建てた国が乱立し短期間で興亡を繰り返す、五胡十六国時代に突入します。「帝」がいつの時代も権威を保持し続けている、とは到底いえません。

Qボスニア紛争での日本の対応は?

タイトルの通りなのですが、ボスニア紛争中、日本がしたことは何ですか?
ボスニア紛争が勃発する数ヶ月前に生まれた私は、今まで紛争について知ることは全くありませんでした。最近になってヨーロッパでこんな紛争があったんだ、と知るようになり、興味を持ち始めました。
そこで質問なのですが、日本(政府)がボスニア紛争のためにしたことは何ですか?(日本は何かしましたか?)支援とかでしょうか。上手く言えなくて申し訳ないです…。
また、紛争が終わってから10年以上も経ってしまった現在ですが、今私たちにできることというのはあるのでしょうか。これから私たちが考えていかなければならないこと(紛争・戦争、平和についての課題)とは何なのですか?今現在、ボスニアがどういった状況で、何を望むのかも知りたいです。
上記の質問内容だけでなく、ボスニア紛争についての情報・雑学などでも結構です。いろいろ言ってしまってすみません。お願いします。

Aベストアンサー

ボスニア問題は、長い歴史を持った問題です。
その事を考えずに、手を出しますと、かえって問題をこじらせます。

今から1200年ほど前、ヨーロッパのキリスト教世界は、ローマカトリックと、正教会とに分裂しました。
その地に広く住んでいた南スラブ族の真ん中で、教会領の堺が設定されました。

北のクロアチア、スロベニアは、カトリック地域となり、南のセルビアは、正教地区となりました。
ボスニアは、東西両教会の中間地帯になり、両教会の争奪の地となりました。

ボスニアの地は、山間部が多く、また係争地でもあったため、どちらの教会も、決定的支配ができませんでした。

そんな場所に、正教会の地区で弾圧された異端ボゴミール派の人達や、ボゴミール派の影響を受けて生まれた南フランスやイタリアのカタリ派の人達が移り住むようになり、ボスニアにはボスニア独自の「ボスニア教会」が成立します。
1000年ほど前の話です。

クロアチアを支配したハンガリーと、セルビアは、ボスニアをめぐり争います。
ボスニア人も両国の支配に抵抗して戦い続けます。

500年ほど前に、バルカン半島にトルコが進出してきます。
セルビアは、トルコに滅ぼされ、ハンガリーは大半の地がトルコに奪われます。
この時、トルコのバルカン支配に協力したのが、ボスニア教会で、トルコ支配の後、イスラムへ改宗します。

そのため、ボスニアの地に、多数のイスラム教徒が存在することになります。

トルコの力が弱まると、ボスニアは、ハンガリーを併合したオーストリアと、トルコから独立したセルビア間の
争奪の地となります。

この抗争が、第一次世界大戦へとつながります。

第一次世界大戦後、南スラブ人の地は、ユーゴスラビアとして独立します。
(セルビア=クロアチア王国)

第2次大戦では、ドイツがクロアチアの分離独立をはかり、クロアチア人と結び、セルビア人を大虐殺したり追放したりして、その土地や財産を奪います。
この時にボスニア人も、ナチスに加担します。

セルビア人には、この時の記憶がはっきりと残ります。

第2次大戦がドイツの敗北で終結すると、ユーゴの地には、ナチスに抵抗したチトー大統領の政権が成立します。
チトー大統領自身は、クロアチア人でしたが、新生ユーゴすラビアは、セルビア色が強く出て、ボスニアやクロアチアをセルビア人が支配する形となりました。

チトー大統領の死後、セルビア色は、さらに強まり、ソ連崩壊を機に、スロベニアやクロアチアで、独立機運が高まります。

東ドイツを併合して、自信を強めるドイツは、第2次大戦中の友好国クロアチアの独立を承認します。
この事は、セルビア人に、第2次大戦中の被害を呼び覚まし、クロアチア独立阻止のために、ユーゴ軍の投入となります。

ドイツに引きずられる形で、NATO軍がクロアチアを支援し、戦闘の拡大阻止(実質はクロアチア支援)のために乗り出します。
この時、セルビア軍の虐殺(民族浄化)などが報じられましたが、同じ事をさらに大規模に推し進めたのが、クロアチアでした。

クロアチア領内で、セルビア人が多数派を占めていたクライン地方に、クロアチア軍が侵攻し、セルビア系住民の虐殺、土地や財産の搾取が、大々的に行われました。
ユーゴ軍は、そりを阻止しようとしますが、NATO軍に阻止され、クラインからセルビア人は一掃されます。

この事は、セルビア側に強い危機感を植え付けます。

クロアチアの次にボスニアの独立が問題になると、セルビア側の危機感は、さらに高まり、ボスニアの独立阻止に全力を投入します。

ボスニアでの最大勢力のムスリム人(人口の40%)は、ムスリム人主体の国家の成立を目指します。
それに対し、セルビア人(人口の32%)は、ボスニア独立阻止をかかげ抵抗します。
クロアチア人(人口の20%)は、ムスリム人優位の状況に反発し、3つ巴の内戦になってしまいます。

反ユーゴ・セルビアのドイツを主体とするNATO諸国は、ボスニア人とクロアチア人の対立・内戦は、非常に都合が悪いため、両者の調停を必死で行います。
その時利用されたのが、セルビア人の残虐行為でした。

残虐行為は、ムスリム人もクロアチア人も行っていましたが、西側メディアの力にはかなわず、セルビア人だけが悪者にされてしまいました。

ボスニアは、結局独立しますが、内部にセルビア人共和国を抱える事となります。

ボスニア問題の解決のためには、日本は不用意に介入しない事が必要だと思います。
ボスニアに関して、日本で流れた報道のほとんど全てが、欧米経由の偏向された情報でした。
まず、その偏向された情報を正し、真実を見る事が必要です。
そのうえで、セルビア人の世界各国に対する不信を拭い去る必要があります。
西欧からの支援が有るボスニア地区ばかりではなく、セルビア人地域へのインフラの支援などを積極的に行い、セルビア人の世界各国への不信感を拭い去る事が重要だと思っています。

ボスニア問題は、長い歴史を持った問題です。
その事を考えずに、手を出しますと、かえって問題をこじらせます。

今から1200年ほど前、ヨーロッパのキリスト教世界は、ローマカトリックと、正教会とに分裂しました。
その地に広く住んでいた南スラブ族の真ん中で、教会領の堺が設定されました。

北のクロアチア、スロベニアは、カトリック地域となり、南のセルビアは、正教地区となりました。
ボスニアは、東西両教会の中間地帯になり、両教会の争奪の地となりました。

ボスニアの地は、山間部が...続きを読む

Q思想哲学分野の本で20代中に読んでおくべき本は?

論語、孟子、荀子、大学、中庸、孫子、三略、韓非子、荀子、老子、武士道、呉子、自助論(西洋哲学兵法倫理は詳しくないんですが)など数えれば限りないですがこれだけは若いうち(~20代)までに読んでい於いて方が良い本(古今東西)って何だと思いますか?内容もチコットでいいので説明していただければうれしいです。

Aベストアンサー

私の計画で申し訳ないですが、、、

プラトン「国家」「饗宴」「パイドン」「ソクラテスの弁明」
アリストテレス「形而上学」「弁論術」「ニコマコス論理学」「政治学」
キケロ「弁論家について」「友情について」「老衰について」
セネカ「怒りについて」
イスラム理解のために「コーラン」
カトリック=キリスト教理解「新約聖書のうち、4福音書」
プロテスタント理解にルターの「キリスト者の自由・聖書への序言」
マキアヴェッリ「君主論」「政略論」
ルソー「社会契約論」
アダム スミス「法学講義」
と、いった感じでしょうか。

まぁ、全部読めっていうのはきついので(私もまだ4個ほどしか完読してません^^;)一番お薦めを。
それは、プラトンの「ソクラテスの弁明」です。短いですし、なんといっても「民主主義=法治国家の精神」が凝縮されている本だと思います。
岩波文庫に入ってますから、一読されることをお薦めします。

あと、#2さんのあげておられる「トマス・アクィナスの神学大全」について補足です。
これは、あくまでも「ラテン=カトリック・キリスト教」の教義の集大成です。もちろん、「プロテスタント」にも多大な影響がありますが、「正教会」では余り重視されてないと思います。
この辺の事情も考慮に入れると、視野がひろがるかと思います。
まぁ、日本では余りロシア以外の「東欧」の事はメジャーじゃないので不必要と言われればそれまでなのですが、、、。

私の計画で申し訳ないですが、、、

プラトン「国家」「饗宴」「パイドン」「ソクラテスの弁明」
アリストテレス「形而上学」「弁論術」「ニコマコス論理学」「政治学」
キケロ「弁論家について」「友情について」「老衰について」
セネカ「怒りについて」
イスラム理解のために「コーラン」
カトリック=キリスト教理解「新約聖書のうち、4福音書」
プロテスタント理解にルターの「キリスト者の自由・聖書への序言」
マキアヴェッリ「君主論」「政略論」
ルソー「社会契約論」
アダム スミス「法学講...続きを読む

Qボスニア紛争について

ボスニア紛争についてのサイトを紹介していただきたいです。紛争が起こったきっかけや紛争の主な指導者、特徴、被害を受けた方たちについてなど、できるだけ詳しく書かれているものがいいです。また、この紛争についてのご意見なども書かれているとなおよいです。回答者さんからのご意見などもありましたら、どんどんお願いします!

Aベストアンサー

「ボスニア紛争」でネット検索すればいろいろ情報がありますよ。
Googleで検索してトップに来たのがこれ。
解りやすいと思います。
http://www.fkkrilo.org/bih/bihwar.html

元々ユーゴスラヴィアは多民族国家で、複数の共和国から成る「連邦」でした。
チトー大統領がいたころはまとまっていたのですが、彼が死去してからまとまりがなくなってしまったようです。
紛争当時のユーゴスラヴィア大統領はミロシェビッチ氏。
ソ連をはじめとする社会主義国の解体など、当時の時代背景も影響があったようです。

後はいろいろご自分で調べてみてください。

http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLD,GGLD:2005-22,GGLD:ja&q=%E3%83%9C%E3%82%B9%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%B4%9B%E4%BA%89


>回答者さんからのご意見

当時私は高校生で、セルビア共和国在住の男子と文通をしていました。
徴兵が終わったら首都ベオグラードの大学へ入るということだったんですが、戦争が勃発して音信不通になってしまいました。
それとテニス選手のゴラン・イワニセビッチ(イバニセビッチ)が好きだったんですが、彼はクロアチア人で、クロアチアの友人たちが戦争で亡くなったと読んだような記憶があります。内戦には心を痛めていたようです。
なので客観的・歴史的というより、「あーあ、戦争は嫌だ」という素朴な気持ちがあります。

「ボスニア紛争」でネット検索すればいろいろ情報がありますよ。
Googleで検索してトップに来たのがこれ。
解りやすいと思います。
http://www.fkkrilo.org/bih/bihwar.html

元々ユーゴスラヴィアは多民族国家で、複数の共和国から成る「連邦」でした。
チトー大統領がいたころはまとまっていたのですが、彼が死去してからまとまりがなくなってしまったようです。
紛争当時のユーゴスラヴィア大統領はミロシェビッチ氏。
ソ連をはじめとする社会主義国の解体など、当時の時代背景も影響があったようです...続きを読む

Q明治の人は、いつ明治と知った?

明治がいつ始まったかは諸説あるみたいですが、

(以前クイズ番組で坂本龍馬の暗殺が大政奉還後なので
明治の出来ごとのようにあつかっていましたが、ちょっと乱暴な気も・・)

幕末の一般の人が、今は元治とか今年から慶応になったという意識はなかったと
思いますが、昭和の人は今が昭和と知っていたし、大正の日本人も
自分が大正時代に生きていると意識をしてたと思います。

明治の人はいつの時点で、いまが明治というのだと意識をしたのでしょうか?

又、明治天皇は自分が明治天皇という呼称でよばれているのを
いつ知ったのでしょうか?

Aベストアンサー

「幕末の一般の人が、今は元治とか今年から慶応になったという意識はなかったと 思いますが、」「明治の人はいつの時点で、いまが明治というのだと意識をしたのでしょうか?」について。
「高札」という制度があり、重要な法令などは板の高札に書き、高札場に掲示し、庶民に知らせました。改元は今では考えられないほど重要な事柄ですから必ず告知されます。特に明治改元時は戊辰戦争がまだ終了せず、箱館に旧幕府軍が抵抗している段階ですから、明治の元号を使用しないことは新政府への不支持・反抗を表明することと同じとみられる可能性があるために、意外と早く浸透したと思います。(元号は統治の象徴なので)
また、農業・商業・生活行事等のために暦が発達し、広く販売されており、少なくとも明治2年の暦には明治の表記があったでしょうから、遅くもこの段階で改元を知ったと思います。

「又、明治天皇は自分が明治天皇という呼称でよばれているのを いつ知ったのでしょうか?」
明治改元の時に「一世一元の制」ができ、天皇一代につき元号は一つと定められ、天皇の追号も元号が用いられると定まったために、明治天皇はご自身が明治天皇と呼ばれるようになることはわかっていたと思います。確かに生前には天皇・今上・お上などと呼ばれ、明治天皇と呼ぶ人は当然いませんが。

以上、参考程度に。

「幕末の一般の人が、今は元治とか今年から慶応になったという意識はなかったと 思いますが、」「明治の人はいつの時点で、いまが明治というのだと意識をしたのでしょうか?」について。
「高札」という制度があり、重要な法令などは板の高札に書き、高札場に掲示し、庶民に知らせました。改元は今では考えられないほど重要な事柄ですから必ず告知されます。特に明治改元時は戊辰戦争がまだ終了せず、箱館に旧幕府軍が抵抗している段階ですから、明治の元号を使用しないことは新政府への不支持・反抗を表明するこ...続きを読む


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