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☆ 以下の仮説について コメントを惜しみなく述べてご教授ください。


1. 神は 人間の知性を超えている。

2. 人知を超えたところとは 非経験(その場ないしチカラ)であり 絶対性および無限である。

 ・ 経験    に対して 非経験
   (自然および経験)  (超自然および超経験)
 ・ 相対性   に対して 絶対性

 ・ 有限    に対して 無限

3. すなわち 《人がいる・いない あるいは ものごとが有る・無い》といった知性の認識に成る――存在についての――経験事象を超えている。

4. 神の絶対性は 普遍性をあらわし 普遍神と呼べる。

5. 普遍神は けっきょく《〈有る神〉と〈無い神〉との重ね合わせの姿》で個々の人の前にあらわれる。

6. われなる人は いづれか一方の形式(呼び方)で神とカカハリを持つ。

7. どちらをえらんでも自由だ。良心・信教の自由。

8. ただし 《有る神》派と《無い神》派とは 互いに完全に同等・対等であり 双方は自由に同時に両立して成り立っている。

9. 両派のそれぞれの自由は 互いに他の派の自由と やはりなお重ね合わせである。

9-1. 《有る神》や《無い神》が それぞれの信じる個人ごとに一人歩きするというわけではない。有神論と無神論とは そのような具体的なかたちにあっても――それらは 言わば人間の主観における普遍神の仮象であって―― やはり互いに重ね合わせの状態にありつづける。

10. 《有る神》は じっさいには オホモノヌシやブラフマンやヤハヱーやアッラーフなどなどの具体的な神に分かれている。これは 呼び名のちがいであって それぞれが普遍神を表わすことに変わりはない。

11. また 普遍神は 唯一神か多神か自然即神の汎神論かに分かれ得るが これも 見かけのちがいに過ぎない。複数のばあいは 全体として一つなる普遍神のそれぞれ分身となっているに過ぎない。

12. 神は 非経験の場ないしチカラとして 生命性だと考えられる。

A 回答 (1件)

神社には沢山の人がお参りするでしょう、そしてお祈りします、家族が健康でいられましように、試験に合格しますように、試合に勝てますように、などお願い事をします、そしてお祈りしたことで安心します、その時の相手が神様なのです、心の中で神様と出会って、その姿を想像しています、姿は人によって違います。

「神は 《〈有る神〉と〈無い神〉との重ね合」の回答画像1
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 神社には沢山の人がお参りするでしょう、そしてお祈りします、・・・その時の相手が神様なのです、
☆ それは そうでしょうね。

神社に限らず 家の中で一人いるときにでも 願い祈るのは 神に対してでしょう。


★ 心の中で神様と出会って、その姿を想像しています、姿は人によって違います。
☆ おそらく 《出会う》以前にすでに神のことを思っているでしょうし イメージすら描いているかも分かりません。

《姿は人によって違》っても構わないでしょうし。

そして この《姿》が 《無い》場合でも構わない。と言おうとしています。

どちらも 同じであり 自由にまったく対等なのだと。


人間のこころよりも 神はとうぜんのごとく広いわけですから。

お礼日時:2023/03/20 10:30

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