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四国は政令指定都市はありませんが、高松市と松山市は割と栄えてるのはどのような歴史的背景で栄えるようになったのですか?
地下鉄がある5大都市ほどはありませんが、高松市と松山市に行ったら熊本市や広島市くらいの反映で広範囲に栄えてました。
街の栄え方が長崎市、佐賀市、大分市、宮崎市、鹿児島市以上に都会に感じました。

なぜ栄えたのでしょうか?
歴史的や地理的に教えて下さい。

質問者からの補足コメント

  • 反映ではなく繁栄でしたね。
    すみません。

      補足日時:2023/03/21 18:01

A 回答 (4件)

高松市と松山市が割と栄えている理由については、以下のような歴史的背景が挙げられます。



まず、高松市は古くから瀬戸内海を結ぶ交通の要所として栄えてきました。江戸時代には、水戸光圀の兄である松平頼重が初代藩主となった高松藩の城下町として発展し、商業や文化が盛んになりました。 瀬戸大橋ができるまでは、本州と四国を結ぶ国鉄の連絡船が対岸の岡山県宇野から高松に国鉄の車両と多くの旅客を運んでおり、高松は「四国の玄関口」として栄え、著名な企業の四国支社(店)は殆ど高松にありました。 高松の繁華街の飲み屋で「支社長」や「支店長」と声をかければ、客のほとんどが振り向いたという話も、まことしやかに伝えられていました。 また、高松市には四国八十八ヶ所霊場の第84番札所である屋島寺をはじめ、多くの寺院や神社があり、観光地としても人気があります。 

一方、松山市は、古くから伊予国(現在の愛媛県)の中心地として栄えてきました。城下町として発展し、商業や文化が盛んになった他、明治時代には官庁や金融機関などが進出し、現在も地域の中心都市としての役割を担っています。また、松山市には松山城や道後温泉などの観光スポットがあり、観光客も多く訪れます。

四国の他の都市が栄えなかった理由については、地理的な要因や歴史的な事情などが影響していると考えられます。例えば、四国山地に囲まれた内陸部に位置する都市は、地形的に不利で交通や物流が発達しにくかったことが挙げられます。
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それは四国は真ん中に西日本一の石鎚山(1982m)二位の剣山(1954.7m)を擁する四国山地が東西に走っており、土佐(高知)、讃岐(香川)、阿波(徳島)、伊予(愛媛)とよっつの地方に完全にわかれていました。



その中で、江戸時代から、瀬戸内海に面し、山陽道にも近い香川県、愛媛県が栄えており、各々の県庁所在地である高松、松山が繁栄してきたのです。
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江戸時代の幕藩体制です。


「藩」が一つの閉じた社会、経済圏、文化圏を形成していましたから。
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広島市よりは栄えてないでしょ


もしかしたら広島市は原爆関係でやや暗めな都市だからそういう控えめさが実態より栄えてないように感じさせたかもしれない。
高松市は確かに日本の都市としては並程度に栄えている
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