最近、自分は頭デッカチな人間になってきてるような気がします。

しばらく他人とかかわらなかったせいでしょうか、、?


また、他人と触れ合うことで、直るのでしょうか。

頭デッカチな自分を嫌うあまり、今度は自分の考えとかを否定するようになり、一体「私は何を考えてるのか」わからなくなったりします。

どうしたらいいでしょうか。

A 回答 (6件)

頭デッカチって


知識ばかり豊富で実行力がないとか、世間知らずとか、そのため人と関わるのに不都合が生じるケースが多い人の事ですよね?
なんだか懐かしい言葉です。

「あの人は頭デッカチだ」と人が言っているのは聞いた事がありますが、
「私は頭デッカチです」と自分で言っているのは聞いた事がありません。

つまり、真性の頭デッカチの人は、自分を分析する(省みる)事ができないのではないでしょうか?

ご質問者様は知識が豊富で人への配慮も考えてはいるのだけれど、なんかしっくりこない。
頭デッカチなのではなくて・・・・うーんなんだろう?
なんか、私などが決めつけてしまうのはあまりに失礼に思えてきました。
ごめんなさい。
あの、そこそこ自信がある、頭で考えた(知識で得た)事を実際にやってみて、ちょっと失敗を繰り返して何度もトライしてみれば何かがつかめるのではないでしょうか?
(ものすごーく自信があるものができないとまた別な意味でショックなので)

または、考えより先に行動するタイプの人と友達になってみると、お互いの良さ悪さがわかるのでは。

でも、個人的には質問者様の短い文章からなんとも言えない魅力を感じましたので、ご無理なさらないで欲しいです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>つまり、真性の頭デッカチの人は、自分を分析する(省みる)事ができないのではないでしょうか


これをそのまま素直に受け取ると私は頭デッカチではないのかも!・・・と、ちょっとホっとしました。
逆に私はなんだか自分のことを分析しすぎてそしてそれが仕事にも及ぶようになってしまい、でもここで回答を得たこと、そして質問をして自分なりにいろいろ考えて、やっぱり現実は分析できないこと、たくさんある、ってそんなあたりまえなことに今更ながら気づかされました。
そうすると平凡に見えてしまっていた日常も、なんだかすごく華やかな世界に見えてきました。。で、とにかく私は、「職場で尊敬できる人」そしてその人に素直に心をオープンにすることにしました。

setorenさんの回答で一番うれしかったとこは、最後の部分です。最近まったく自分で自分を否定するようになってたので、それだけでうれしかったです。ありがとうございます。

お礼日時:2005/04/22 09:44

#3です。



>でもここ最近たった二日ですけど自分を素直に出すようにしたら(嫌われてもいいじゃん、て楽観的に、、)

人の好みは十人十色です。
あなたを好きな人もいれば、嫌いな人もいることでしょう。
誰からも好かれる人間なんて、いないんじゃないでしょうか?
自分を嫌う人が少々いるのは、むしろ当然だと思います。
気にしない、気にしない。

>そうしたら、何故かみんな笑顔で話し掛けてくるようになりました、、、(謎)

緊張がとけて、リラックスしたムードが漂って、話し掛けやすくなったんじゃないでしょうか。
難しい顔をして考え込んでいる人には、なかなか話し掛けづらいものがあります。
「笑う門には福来る」昔の人はうまいこといいます。

他人に思いやりをもって接していれば、他人の思惑は気にしなくてもいいんじゃないかな。
意地悪な奴も中にはいますけど、「この人は意地悪なんだ」と認めてあげましょう。
そのほうが気が楽ですよ。
    • good
    • 0

 こんにちは。


 いろんな角度から物事を見ることができて、よいのではないでしょうか。
 ただ、今必要があることは忘れないでくださいね。明日の予定とか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私のネガティブな考えをプラスに表現してくださって、ありがとうございます。
「明日」と「今日」の区別、確かに付きにくくなってました。
気をつけます。

お礼日時:2005/04/25 15:32

少ない質問内容ですが、明確に意図するところがわかったような気がします。

あえて直感で言わせていただきますと、「頭デッカチ」には「理論的」というイメージがあります。
たとえば「学者」や「哲学している人」なんてそれこそオリジナリティ溢れる理論を構築しなければなりませんから「頭でっかち」もいいところです(笑)。

逆に自分の理論をもたない人は「頭と行動(身体)が伴ってない」「経験不足」と言いやすいしょう。
「経験」なんて簡単に言えますが実際経験するなんて簡単なことではありません。苦しい経験なんて誰でもできれば避けて通りたいのに、苦行をよしとする宗教家などでもなければわざわざ身を投じるわけはないでしょう。
「経験」は「する」のではなく否が応でも「させられる」のです(私はそこに「不可抗力な神の意思」を感じますが)。そして「自分の身の上」に起きたことから「他者の身の上」に起きたことを共感したり、想像したりすることで思いやることが育まれ、有機的な関係を作れるわけですがこれは頭の、というよりどちらかというと心の理論の問題でしょう。

「>他人と触れ合うことで、直るのでしょうか」。
他人と触れ合うことではもちろん、何か生まれたり癒されたり修復することもありますが、当然摩擦も生じます。そしてその中から自分なりの理論を積み上げていくのですが、それはその人固有のものですから「価値」として他者と比べることは無意味ですし責めることはできても、他人の価値観を変えさせることほど容易なことではありません。しかし「関係」を作るときは他者と、そして自分の理論を相互に参照せざるをえなくなります。
人間関係のやりくりとはそのギャップをどう埋めるか?だと思うのですが、感度が大きければ傷つくことも多くなるでしょう。ましてやこれほど複雑な世の中です。「引きこもり」「ニート」は、社会参加しないことで「感度の低さ」に対し暗黙に抗議しているのかもしれません。ひとつの見方ですが、この問題については深くデリケートな問題を秘めていますので割合します。

つまり他人と触れ会うことで知識の豊富さは犠牲にされる必要はないのです。
ご質問者様は「頭でっかち」という言葉に拠ることで解決を求めている感がします。むしろ頭を使う事で一方通行になってしまう関係性に問題があるのではないでしょうか。
他の方もおっしゃるように、自分の無知からくる劣等感からわざわざ口にして言う人もいます。そういう人のほうがネガティブな「頭でっかち」だと思います。そうした人はしばし「ヘリクツ」で返してきますから「言葉返し」になり論点がずれるのです。
それにニンゲンってとかくわがままな生き物ですから自分の価値観と他者のそれと合わないとき、「経験したことがない=頭でっかち」と言う人もいますよね。

本などを沢山読んでもまるごと現実に生かすことは少ないかもしれません。でも自分の引き出しにしまった知識やそれを栄養にして育った知性というのは不測の事態に備えることができます。
人は社会性の強い生き物ですから「他人と関わらない」ことに対して非常に敏感になります。他人のそういう事情をみてそれが自分にとって非現実であろうと自分に対しても投影します。でも「他人との関係」はまた別の技術が必要なわけで、自分で作り上げた世界を全て否定することではなく、時に譲歩したり他者の価値観や世界観と参照しながら上手く折り合いをつける作業だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

frauさん、私の短い質問の意図を明確に(?)読み取り、丁寧・親身な回答、ありがとうございますm(__)m
フラウさんの内容を読み、私は自分が質問した内容の根本?を少しだけ見つめることが出来ました。

私は自分がどんな人間かわからず、今まで自分のことは多分自分が一番知ってる、、、って思っていたけれど、その「自分」の考えはいったいどこまでが自分の意志なのかもわからなく、なので、仕事も「与えられる仕事」以外は受身でした。だけど「自分が自分でいられる場所」それを考えたとき、私は介護(福祉)の職に就こうと思いました。
もちろん現場は肉体労働、ということも聞いています。見学に行き、それでも意思が変わらなかったら勉強しようと思っています。私は一回は(素人の)作家として本を出したことがあります。だけど本当に在りたい自分とのギャップ、社会の一人として会社に属すること、、よくわからないけど、自分探しをこれから冷静にしていこうと思います・・。
それか小さい頃の夢だった「動物」とかかわる仕事、これも考えてみたいです。

本当にありがとうございます。

お礼日時:2005/04/25 14:09

どういう意味で頭でっかちを使われてますでしょうか?


普通の頭でっかちは、理屈ばかりで実践が伴わない場合に使われます。
でも、どうもそうではないみたいですね。
自己主張の強い人間、といったニュアンスで使われているようです。

であれば、他人の立場にたって物事を考えてみることから始めてはどうかなと思います。
あなたが他人に何かを言おうとしたときに、あなたの発言内容が他人から見るとどういう意味や効果をもたらすかを想像してみるのです。
自分だったら、こんなときに、こんなこと言われたら嫌だな、とか思ったりしたら、別の表現に変えたほうがいいでしょう。

自分で自分の考えを否定したりしていると、堂堂巡りになってしまいそうです。
他人からマイナスの反応が返って来たら、「何か気に障ること言ったかな?」と我が身を振り返ってみる、その程度でもいいのではないでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうなんです、自分で自分の考えを否定しつづけ、確かに私は堂堂巡りになってました。
ありがとうございます。


>他人の立場にたって物事を考えてみることから始めてはどうかなと思います


人は皆違って個性がある、そしてその人のことを「好き」と思ってもいいし「嫌い」だって思ってもいい。苦手と思っていた人が、ひょんなことから近い存在になることもあるし、とにかく私はいつの間にか気づかないうちに、人間のことまで「一括り」にしようとしてたみたいです。
というより一くくりにできないってわかっていたから、最近、人が怖かったんです、、。
でもここ最近たった二日ですけど自分を素直に出すようにしたら(嫌われてもいいじゃん、て楽観的に、、)そうしたら、何故かみんな笑顔で話し掛けてくるようになりました、、、(謎)その分、いろんな仕事も頼まれるようになりましたけど・・(-_-;

お礼日時:2005/04/22 09:59

「頭でっかち」、良いように言えば「思慮深い」ですね。


考えのない無茶な人間よりは好かれることが多いですよ。

三回に一回は何も考えずに他人の言うとおりに動いてみる、などを試してみてはどうでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速の回答どうもありがとうございます。

「三回に一回は他人の言うとおりに動いてみる」これを、昨日実践してみました!
そうしたら、なんだか(気のせいか、、)ちょっと肩の荷が降りたように感じられました・・。

お礼日時:2005/04/22 09:36

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


人気Q&Aランキング