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死後は無だと思っている方に質問があります。
なぜ無になるにも関わらず今を必死に生きているのですか?

A 回答 (17件中1~10件)

死後が『無』だから、現世は『有』だと考えています。



たかが80〜90年の命ですが、自分の理想像に近づけたらささやかな『幸福感』を味わえるのではないかと思い生きています。

生まれたからには直ぐにも死ねず、空腹感を満たす為、雨風凌げる家を確保するため、子供を育てるために必死になるしかないですね。
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死後は無だと思っている方に質問があります。



無なのか?どうなのか?解らんけど答えますね

なぜ無になるにも関わらず今を必死に生きているのですか?

質問者さんの想像してる無がわからんから、無は無視して
今を必死に生きてるのか?
てな部分に答えようと思うけど
必死てのも、他人から見てあの人必死だと思ってるような
他人の評価の必死なのか?
自分自身が自覚して、必死に生きてるのか?
わからないから
必死てな言葉も答えられないので

何故に人は生きてるのか?
だけを答えますね

回答は、人は生きるように環境に適応したから生きるだけであって
その生きる様を、質問者さんは必死だと思ってるだけなんじゃないのかな?

野性動物のナマケモノなんかだと
外敵に襲われると
死を覚悟して動かなくなるからね
人は、死を意識したときに
何故かナマケモノのように動かなくなる人よりも
なんとか助かろうと、必死に抵抗するように環境から学び取ったみたいですよ

アメリカにあった、とある宗教なんかだと
人類は滅亡するなんてな予言や教えを信じて
大量自殺なんかしたりしたから
その、とある宗教なんかの環境だと
必死に抵抗するよりも、集団自殺てのが選択されただけであって

人が生きるのは
環境に適応してるからでもあって
人が生きるのをあきらめるのも
環境や状況に適応したからでもある

質問者さんが、他人が必死に生きてるとおもうのは

明確に言うと
人は環境や状況に生かされてるだけであって

死んだら無だとか
死んだら天国だとかってのは

環境や状況から逃げ出したいだけの情報なのかも知れないですよ

人は生かされてるだけであって
生きてるってな実感は、もしかしたら脳ミソのバグや誤情報だとしたら

このような質問の回答の手助けになるかと思ったので

回答してみたよ

(  ̄▽ ̄)にっこり
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死後は自然だが、生きている間は不自然

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人生に終わりが無かったら


必死に生きる必要が無いからです。

いくらでもやり直しが出来るん
ですから
適当に、生きていけば良いでしょう。
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死後は『無』だからこそ、


人生を楽しむのだと思います。

私は、普通の人生はつまらないと
考えているので、冒険していこうと思います。

全て失敗したら、
少し『死』が早まるだけです。
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無だとは思ってませんが、



>無になるにも関わらず今を必死に生きている
有だとしても、今持ってるもの、持って行けないでしょ?
お金も心も、持って行ける保証ないでしょ。

今と死後は、何も結びつく保証はない。
つまり、死後が有でも無でも、同じことでしょ。

死後が有か無か、わかんないってのが、
唯一わかること、だと思うけど。

無になると思ってる人でも、
今は有として、目の前にあるんだから、
それを精いっぱい使う?、、それが人生って
もんだし、無になるのが目的ではないんだから、
無のために、今やってることは無駄だからやめよう、、なんて
気にはならないだけのこと。
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自分だけの命ではないからです。

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あなた頭良いですね。

その考え思いつきませんでした

たしかに、死後が無であればどんな頑張って生きても無駄ですよね
行きつくところ同じなのですから。

私は死後が無だなんて一ミリも思いませんから、あなたと同じ考えだと思いますが
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自分の意思で生まれた訳じゃないですからね。

そしてある日生には限りがあることを知る。
であれば、最後の日まで生を楽しむ。喜びを楽しみ、怒りを楽しみ、哀しみを楽しみ、楽しみを楽しむ。
必死に生きることだって楽しめる。
それだけのことです。
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>無になるにも関わらず今を必死に生きているのですか?



この言い回しが独特ですね。
必死で生きても死んでしまえば、生きてきたこと自体が無になる。
そういう表現を質問者はしています。

「死後は無」とは、そういう意味ではないです。

死んだら自分自身が無くなるのだから、生も死も、死後には何の意味も持たない。
価値は生きている時にしかない、という意味です。
そして、価値を感じるのは自分自身です。
生きているうちしか自分の価値はない。
だから必死に生きる。

死後、生きているうちの価値が無になったって、そんなこと知ったこっちゃないです。
だって、死んだら「自分」はもう無いのですから。

昔の人はいっています。
「死んで花実が咲くものか」
そう、生きているうちしか花実は咲かない。
楽しいことも幸せなことも、生きているうちにしかない。
だから、必死で生きるのです。
死んだらもうどうしようもない、必死になっても手遅れだからです。
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