10秒目をつむったら…

それともすべては確率という偶然でしょうか?

というのもです。
もし単純に確率の仕業なら、確率の偏りがあるの事実も知ってます。

Aさんは、小学校の時に事故に巻き込まれ瀕死になり、その30年後にも重傷を負うも奇跡的に助かるとか。 いわゆる、自分自身に不幸が続くというケースです。特に自分に瑕疵が無い場合だととても不思議に感じます。

一方でBさんは、80年生きたけど、そんな経験一度もないとか。

ぺこりんの片親は親族の不幸(若くしてのガンで亡くなる)で、親族全員が宗教に傾倒しちゃいました。前世の因縁とか色々ね、思うところがあったようです(あの時代で珍しく駆け落ちに近い感じで祖父母は結婚したそうです)

まー、うちの父とぺこりんは入信しませんでしたし、父方の親族に心配されました。

とはいえ、ぺこりんも最愛の人がそんな不幸に遭ったら、宗教を信じるかもしれません。

幾ら確率とはいえ、そういう確率の偏りって洒落になりませんし、何か因果があるなら
それを払拭する行動に走りたい気持ちはわかります。

あとは、人間はやはり生まれ持った「星」というのがある気がします。
これは遺伝とかではなく、個々の生まれ持った星(運)です。

あなたはどう解釈してますか?

A 回答 (11件中1~10件)

物理的に言えば


確定的な振る舞いに関わる古典物理 
不確定的な振る舞いに関わる量子物理
ヒトは上記の2つの物理に従っていて
基本的には古典物理に従っている。
それさつまりヒトは基本的には確定的に振る舞うと言うことです
この確定的に振る舞う事が「運命」や「宿命」に従っているように見えるその物理的理由です 
他方脳神経細胞は量子物理的に振る舞っている事からその処理結果は常に揺らぎうるので不確定的にとなります。それはつまり基本的には確定的に振る舞いつつも不確定的な脳処理によって振る舞う事で「運命」や「宿命」を否定しているように見えるということです
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2023/04/28 21:35

確率は、計算方法によってバラツキがあるから


あまり信じてないです

人には星がある

こっちを信じてるかなぁ~

星があるからって
神秘的な事や、宗教的な事柄に盲信はしないですけどね

神秘的な事や宗教的な事柄も、考え方によってバラツキがあるのも
事実ですもんね

( ^∀^)(笑)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。星があるのがしっくりきます。

お礼日時:2023/04/28 21:34

目の前を走る自転車を抜く。


抜かれたほうは悔しくて追いかけて抜き返そうと必死に食い下がる
抜かれる寸前にギヤをトップに切り替えて猛スピードで走り去る。
長距離の直線距離で、これでもかこれでもかと必死に相手が追いかける。
しかし、抜かれたほうは追いつけず、長い競争の果てに目の前の信号が
赤に変わり、信号の前で一休み、
抜かれたほうも追いついて交差点で共に休む。
前の道路は車の山で青を待つ。
青信号で先に出発。向こうの歩道にたどり着いて方向を変えて
さようなら。

この道中、競争劇に赤信号交差点来るまでの途中で
歩行者・警察現れず、よかったなあ。
幾ら勝てても事故起きなくて幸いでした。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます

お礼日時:2023/04/28 21:33

「確率という怪物が偶然に引き起こす」わけではないですから


確率はあくまで実現可能程度を数値化したものに過ぎません。付け加えるならば選択しうる全体それぞれの実現可能程度が違うという事です
それを踏まえて
人は常に取りうる選択肢を選択します。その選択肢の中に望ましい結果に繋がりうる選択肢や望ましく無い選択肢があるのです
それを偶発的な事件・事故に当てはめるなら事件・事故に巻き込まれうる選択肢を選択した者と事故・事故を起こしうる選択肢を選択したものとが偶然シンクロし結果事件・事故が起きたとなります
つまり偶然とは選択それ自体ではなくてシンクロした事です
とは言え違う選択をしていたならば違う結果になっていたと言える事から偶然と断言しきれない面があるのは確かです。
星(運)について
ほとんどの人々には「未来の記憶」がないので生まれ持った「星(運)」があるかどうか判別出来ません。気休めになる程度
つまりもっていない「未来の記憶」に振り回されよりも結果を予想しながら適切な選択をしていくようにするほうが大事でしょうね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「星」に関しては個人の「性格」(気質)から「環境」「たどる運命(宿命)」とか色々な要素が加味されていると思うんです。

すべての人間が工業製品と同じように、すべて同じ挙動、同じ受け答え
しないし不良品(失礼な表現だが)もあれば、良品もあるというか。

まぁ失礼な話だな。

お礼日時:2023/04/25 21:47

因果?違うな、試練だよ!

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

うーん、それで死んだら試練も何もないような。

お礼日時:2023/04/25 21:45



この映画の中でシシガミは命を与え命を奪う存在として描かれていますが、与えられているのは命だけでなく、その時々での人々がいう運命も、その中には含まれているのだと思います。

全てのモノや物事は相互作用的にお互いに影響しあっており、誰かが死ぬからこそ誰かが生きており、古い物が廃れるからこそ新しいものが生まれ、無知それ自体が知識や知恵を生み出し、知恵のある者の対極としての、また変化を生み出す養分としての無知さ等も必要なことから、人の社会も含め、このような形になっているのではないかと、そう思うのです、、、。
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この回答へのお礼

なるほど、、、。
循環してるのですね。

お礼日時:2023/04/25 21:44

大雨の中を自転車は走行。


ノンストップで走り抜ける。
家の駐輪場で自転車を降りる。
荷台に買った覚えの無い
傘が掛けてある。
いつどうやって掛けられたのか
今持って不明。
傘立てに保管中。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

うひょ(;^ω^)

お礼日時:2023/04/25 21:43

原因や理由であれば、どんなものにもあるでしょう、、、。



ただし、現代のメジャーな科学で語られるような、人間1人を一単位として捉え、ある人が病気や災害等にあった理由や原因をその人のみに帰す、という考え方は個人的に馴染みません。

人間社会を1人の人間として捉え、一人一人を一つの細胞のようなものだと考えるならば、ある人の身に起こったことそれ自体は事実だとしても、その原因や理由、また、そこからいい意味でも悪い意味でも様々な影響を受ける者達が、その当人とは全くの無関係であるとは到底考えられないからです。

偶然雨は降りませんし、偶然子供は出来ません。偶然男と女が半々づつで生まれてきたり、お兄ちゃんが死んだ途端、急に弟が頼もしくなるなど、運命というのか、自然の摂理がそこに働いた結果としての、世界そのものが間接的にバランスをとろうとする行為なのだと思います。

なので、受け入れられない人も多いでしょうからあまり言いたくはありませんが、ある人の病気を頑張って治すとまたある人が病気になったり、ある病気自体を根絶させると、今度はまたある種の新しい病気が生まれたり、人の数を減らしたり、地球や自然そのものがバランスをとるために、表面的に見れば好ましくないと思えるような事象さえも次から次へと生まれてくるのではないかと思うのです。

今、私達がよく口にしている鶏の骨格はティラノサウルスとよく似ており、恐竜が形を変え生き残ったものだとも言われていますが、偶然たまたまそのようなジョークのような話が生まれたとは思えませんよね、、、。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど。80億の人類を1つの「生物」として考えるってのもわかるなぁ。

お礼日時:2023/04/25 21:43

自転車走行中の事故かな。


目の前の人をよけようと急ブレーキかけて
バランス崩す。
転倒したくない。
自転車は倒したくない。
必死に踏ん張る。
ようやく持ち直し、そのままで
走り去る。
用も済ませて家に帰る。
でもだめだ、救急車呼ぶ。
歩くことできるし、立つこともできる。
でもだめです。横になって寝返り打つと
激痛が襲う。だから、普通の寝姿保てない。
どうやって寝ようかな。

運ばれた病院遠い。
治療済み、家に戻る。

近くの病院に引き継ぎ、
3カ月かけて
杖ついて
病院通い
漸く治す。
今は普通です。
二度とああいう運転はしませんが。
でも自転車は毎日走る足だね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

うう とんだ災難でしたね。
確かに逆の意味で「奇跡的によく事故も起きないな」という
荒い運転を学生時代してました>自転車。

死なないのもまた偶然なんですよね。

お礼日時:2023/04/25 21:41

宗教はクソです、これだけはハッキリ言えます


聖書も害悪だけの、人類の進化を止めるだけのもの
宗教から一切解き放たれた人間が一番すごいと思います
不幸があっても受け入れる人間です
僕は障害者手帳持ってますが、それがもとで誰かを恨んだりひがんだりはしません
不幸かもしれませんが、自分では楽しんで生きてますから
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

誰にだって幸せになる権利はあります。
でも、それをぶち壊すのが唐突な不幸です。

人によっては崖が崩れてきて巻き込まれ死んだ女子高校生もいましたし、
女子高生コンクリート詰め殺人事件、幼女殺害事件、、、もうあげればキリがない程、被害者に瑕疵があったとは思えないものがあります。

じゃあ、宗教というのが結果的にそういう不幸から回避できる方法ならば、
それに縋る人の心情はかなりわかります。

だって誰だって唐突に死にたくないもの。

ぺこりんも障碍者手帳を持ってますが、ある意味では自分の生き方の因果だとは思ってます。※もちろん、だからと言って宗教に1億以上お布施すれば、
改善されると考えるほど、洗脳はされませんが。

お礼日時:2023/04/21 23:22

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