A 回答 (13件中1~10件)
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No.18
- 回答日時:
>或る意味で 聖なる甘え・・・と言えなくもない。
のでは?>つまり単なる・あるいは普通に言う《利己的》とはちょっと違う・・・・
同じだと思います。
単に、外部の影響を受けて、強弱が操作され修正追加された利己が出現した結果、複雑で別物に見える存在となっただけで、生後受けた雑音を取り除けば、生来の純粋な利己(欲)が浮き上がると思います。
>定義として「人の基底は利己である。利他は利己から派生した枝葉・・・・
>☆とあるのですよ?
利他が単独で存在するならば、この定義は否定されます。
この為に、理論を進める上で敢えて定義し、その矛盾点を出す作業が必要でした。また「逆に、利己的目的から完全なる利他的な状態へ・・・」以降は、利他が単独で存在するかも知れないと言う予測を延々と述べただけです。表現が拙速であったかも知れません。「基底心」を音色様指摘の仏性と見ても構わないと考えます。
>いづれの場合でも 自己(わたし)は自己(わたし)です。
>さまざまな意志行為として自利・利己・利他といった区別がある。
自己は認識できません。自己を認識しようとすれば無限遡行に陥ります。自己が認識不可能なら、自利・利己・利他も表象となるでしょう。眞に、ショーペンハウアー「意志と表象としての世界」かと・・・「基底心」「仏性」とは意志なのか・・・?生来人間とは利己の基底に意思がある・・・?
☆☆ >或る意味で 聖なる甘え・・・と言えなくもない。のでは?
>つまり単なる・あるいは普通に言う《利己的》とはちょっと違う・・・・
★ 同じだと思います。
☆ ふむ。ただ 幼児は 利己的だとも知っていない。つまり 利己であるなら 相手を観察しうまい手を考えますね。そういう事態では ないですね。
★ 単に、外部の影響を受けて、強弱が操作され修正追加された利己が出現した結果、複雑で別物に見える存在となっただけで、生後受けた雑音を取り除けば、生来の純粋な利己(欲)が浮き上がると思います。
☆ ですから びみょうに条件づけたいことは 《生存欲》ですね 赤子の場合は。
☆☆ >定義として「人の基底は利己である。利他は利己から派生した枝葉・・・・
>☆とあるのですよ?
★ 「基底心」を音色様指摘の仏性と見ても構わないと考えます。
☆ でしたら 議論の中身は それぞれにそんなに変わりはないかもですね。
★ 「逆に、利己的目的から完全なる利他的な状態へ・・・」以降は、利他が単独で存在するかも知れないと言う予測を延々と述べただけです。
☆ この《単独成立》説については わたしはまだしっくり来ていません。
☆☆ >いづれの場合でも 自己(わたし)は自己(わたし)です。
>さまざまな意志行為として自利・利己・利他といった区別がある。
★ 自己は認識できません。
☆ いえ。自同律ないし同語反復でいいんです。確認が出来るんです。
★ 自己を認識しようとすれば無限遡行に陥ります。自己が認識不可能なら、自利・利己・利他も表象となるでしょう。眞に、ショーペンハウアー「意志と表象としての世界」かと・・・「基底心」「仏性」とは意志なのか・・・?生来人間とは利己の基底に意思がある・・・?
☆ ここも ややこしいです。
基底心=仏性 と 実践における意志。
意志行為に 利己と利他などが現象する。
表象は 思考の緑野におけるものですね。
★ 生来人間とは利己の基底に意思がある・・・?
☆ 根本的な生存欲(宮元啓一)と解する《無明ないし煩悩》だというのは 仏説でしょう。
No.17
- 回答日時:
karinさんの云う「基底心」とは、ひょっとして“仏性”の事ではないでしょうか。
生れ落ちた瞬間から、いやいや、母体の中に居る時からの、その個体の“こころ”に“仏性”はすでに宿っている、と云うのがブラジュロンヌさんの考えですよね。
もっと突っ込んで云ってしまえば、その心そのものが“仏性”なんだと。
これに“なんのはからいもなく”と云う親鸞の思想が影響して、人間はそのままで仏である、との解釈なのですから、自己も自我も自利も他己も他我も他利も、出どころは“皆一緒”となるのでしょう。
★ karinさんの云う「基底心」とは、ひょっとして“仏性”の事ではないでしょうか。
◆ (№12) ~~~
考察(二)として
定義として「人の基底は利己である。利他は利己から派生した枝葉である」とする。
~~~
☆ とあるのですよ?
★ 生れ落ちた瞬間から、いやいや、母体の中に居る時からの、その個体の“こころ”に“仏性”はすでに宿っている、と云うのがブラジュロンヌさんの考えですよね。
もっと突っ込んで云ってしまえば、その心そのものが“仏性”なんだと。
☆ そうですよ。仏性がはたらくということです。ヒラメキに現われる場合と良心としてはたらく場合と。そしてその他。
★ これに“なんのはからいもなく”と云う親鸞の思想が影響して、人間はそのままで仏である、との解釈なのですから、自己も自我も自利も他己も他我も他利も、出どころは“皆一緒”となるのでしょう。
☆ 根っ子のところでの仏性と そしてふつうに生活するときの意志とは そのまま同じではないです。
意志について ハカラヒのない自然法爾の状態になるなら 仏性という土台をあらわしている。
いづれの場合でも 自己(わたし)は自己(わたし)です。
さまざまな意志行為として 自利・利己・利他といった区別がある。
《自我》そして《他のひとの自我= 他我》というのは 《わたし》の再帰した確認形たる《自己》の単なる言い換えです。
☆ karinさん説をめぐって わたしは はっきりしません。ざんねんながら。
No.16
- 回答日時:
№14の一部は判断違いで削除、ですね。
七行目の「行けないとしたならば利己と利他には分離がある」の部分です。
この表現は間違っていませんでした。
訂正します。
◆ (№3)
逆に、利己的目的から完全なる利他的な状態へ行き着けるものか・・・経験的に行けない様な気がするが・・・行けないとしたならば利己と利他には分離があり不一致な筈。行けたとして同居できるか?同居できないならこれも不一致な筈。一部利己的で一部利他的な中途半端で一般的人間から、利己心を人の根本的基礎と見誤っているのではないか。
☆ この全体として わたしにはよく分かりません。
だれか教えて欲しい。
No.15
- 回答日時:
>★人は利己の塊で誕生することは誰の目にも確かで、
>☆そんなことはない。ひとの困っている姿を見たらたすけようとしますよ。
オギャーと生まれた赤ちゃんは、乳くれ腹減った眠いと我が儘だらけで利己の塊である。当然だが・・・他人を思う時は相当に時間経過してからでしょう。
デカルトからの西欧哲学は主観と客観の分離から始まり、これに進化論も加勢した唯物史観は、自然科学の脅威的発展を生んだが、その反面「神は死んだ(ニーチェ)」となる事態を生じた。この状態を平行展開すると「利己⇒利他」と似て見えると思うが・・・そして、主客分離の破滅的限界から逃れる為に、主客統一すべくもがき苦しんでいるのが、現在の西欧思想と考える。
西田哲学は東洋的仏教思想から主客合一を実現し、物を物自体と見て、人を人自体と見た。同時に、これを平行展開すると「見⇒利己」「見⇒利他」と類似になり、それをそれ自体として見ていると思える。ニーチェが叫んだ死神は東洋思想の主客一致により復活し、自然の一部へと溶け込む結果、光明となるのではないだろうか?
>★★ 人は利己の塊で誕生することは誰の目にも確かで、
>☆☆ そんなことはない。ひとの困っている姿を見たらたすけようとしますよ。
★ オギャーと生まれた赤ちゃんは、乳くれ腹減った眠いと我が儘だらけで利己の塊である。当然だが・・・他人を思う時は相当に時間経過してからでしょう。
☆ ただですね。そういった我がまま状態は それと裏腹に けっきょく無防備なんですよ。ほとんど無条件に何も警戒していない。そういう我がまま状態ですよね。
或る意味で 聖なる甘え・・・と言えなくもない。のでは?
つまり 単なる・あるいは普通に言う《利己的》とは ちょっと違うように思えます。
★ デカルトからの西欧哲学は主観と客観の分離から始まり、これに進化論も加勢した唯物史観は、自然科学の脅威的発展を生んだが、その反面「神は死んだ(ニーチェ)」となる事態を生じた。この状態を平行展開すると「利己⇒利他」と似て見えると思うが・・・そして、主客分離の破滅的限界から逃れる為に、主客統一すべくもがき苦しんでいるのが、現在の西欧思想と考える。
☆ 《平行展開うんぬん》が 分からない。
★ 西田哲学は東洋的仏教思想から主客合一を実現し、物を物自体と見て、人を人自体と見た。同時に、これを平行展開すると「見⇒利己」「見⇒利他」と類似になり、それをそれ自体として見ていると思える。ニーチェが叫んだ死神は東洋思想の主客一致により復活し、自然の一部へと溶け込む結果、光明となるのではないだろうか?
☆ よく分からないのですが 一点。
【Q:ヘーゲルの《神は死んだ》 すなわち 普遍神の問題!?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13183840.html
☆ というように ニーチェよりずっと前に言われています。もっとも ヘーゲルの場合は 《死んだ》ということを 絶対性を代理表現するかのように捉えて話を打ち出していますが。
No.14
- 回答日時:
★5つ目からは異議ありですが、説明が長くなりそうで、、、
karinさんの件についてです。
利己から完全な利他へ、と云う事は利己と利他が“離れて・分離して”と云っていると思います。
その利己から、完全に離れた・分離した利他、へは行けないのでは、と云っているのだから利己と利他はつながっている、と云う事を意味します。
それなのに「行けないとしたならば利己と利他には分離がある」と云ってしまっています。
ブラジュロンヌさんの説を否定しようとしたのに、肯定してしまっています。
ただ、この部分の私の解釈は、karinさんの「考え」に付いてではなくて単に、揚げ足取り的な指摘です。
※これを作文中にkarinさんの投稿があったようですが、まだ見ていません。
★ 利己から完全な利他へ、と云う事は利己と利他が“離れて・分離して”と云っていると思います。
☆ ええっとですね。
◆ 利己から利他へ そして 完全な利他
☆ この概念がわたしには何を言っているのか 分かりません。
★ その利己から、完全に離れた・分離した利他、へは行けないのでは、と云っているのだから利己と利他はつながっている、と云う事を意味します。
☆ 互いに混ざり合った状態にある・・・というんですかね。
★ それなのに「行けないとしたならば利己と利他には分離がある」と云ってしまっています。
ブラジュロンヌさんの説を否定しようとしたのに、肯定してしまっています。
☆ なるほど。はっきりしていましたね。
そういうことですか。この場合の追究の根気が出ませんでした ざんねんながら。
★ ただ、この部分の私の解釈は、karinさんの「考え」に付いてではなくて単に、揚げ足取り的な指摘です。
☆ あぁ。なにやら 複雑ですからね。
あたらしい投稿が来ているようです。
No.13
- 回答日時:
(補足)
「利己⇒利他」
なら、主客は分離したままであろう。
「(基底心)⇒利己」
「(基底心)⇒利他」
が可能なら、主客は統一する。自己も他己も同一レベルであり、自然も宇宙も人間も同一で均等な存在であり、区別も差別も支配も意味はない。存在の違いという事実があるのみ・・・光明とは東洋から差すのであろうか!?
いやぁ むつかしい。
かみくだいて欲しい。
★ ・・・光明とは東洋から差すのであろうか!?
☆ ただし その光明とは何であり どのように差してくるのかを むしろ西洋が 分析しておしえてくれるかも知れない。
No.12
- 回答日時:
考察(一)として
「人生とは利己を捨てる旅である。利己が消え利他へと昇華し旅は終わる」と規定する事は出来ないか・・・?
人は利己の塊で誕生することは誰の目にも確かで、死を覚悟した瞬間利己が消える様にも見えるが・・・この事実から、利己に固執し続ける者は、不幸にも安楽死することも儘ならず、生という塗炭の苦しみから逃れる事ができないのでは・・・
考察(二)として
定義として「人の基底は利己である。利他は利己から派生した枝葉である」とする。この時に、利己に頼らない利他の存在が確認できれば、人の基底部分は利己ではないとなる。さて、その基底部分を(基底心)と仮に名付けると、次の形を考察できます。
1.利己⇒利他
2.(基底心)⇒利己⇒利他
3.(基底心)⇒利他
1では利己=(基底心)です。
2では利己が必須である為に、基底の有無は確認不能。
3では利己とは一時的な現象物に過ぎない。
東洋に於いては(基底心)があるものとして、その思想は存在します。過去には、3を願い即身仏や清水の舞台から飛び降りる者の多いこと・・・
西欧啓蒙主義では、利己=(基底心)であり同時に唯物的であると考えます。デカルト的進化論的思想から導き出される理論によって、「自由・平等・友愛」を旗印に個人の尊厳が至上の価値とされ、利己的である事は正しく、その土壌である自由を死守します。しかし、西欧の利己的唯物的思想は、米国を代表として現在限界に達し、人類の存続さえも脅かしています。これは事実であり現実です。
仮に、人間の本質が利己ならば、とうの昔に人類は滅んでいたと予測します。よって、別に基底心的なものが存在し、利他単独も存在し得ると予測します。
★ 考察(一)として
「人生とは利己を捨てる旅である。利己が消え利他へと昇華し旅は終わる」と規定する事は出来ないか・・・?
☆ 出来ません。則天去私も スローガンなんです。
★ 人は利己の塊で誕生することは誰の目にも確かで、
☆ そんなことはない。ひとの困っている姿を見たら たすけようとしますよ。
★ 死を覚悟した瞬間利己が消える様にも見えるが・・・この事実から、利己に固執し続ける者は、不幸にも安楽死することも儘ならず、生という塗炭の苦しみから逃れる事ができないのでは・・・
☆ ちょっと理知的に考えすぎでは?
★ 考察(二)として
定義として「人の基底は利己である。利他は利己から派生した枝葉である」とする。
☆ 人は利己だとか いや利他人間も中にはいるとか いづれも そのように考える人間たるわれがいるのです。その意志は 言わば中立もしくは《生きる しかもよく生きる》指向性を持つと思います。
よく生きるためとして 利己的たらんとしたり 利他を目指したり。
★ この時に、利己に頼らない利他の存在が確認できれば、人の基底部分は利己ではないとなる。さて、その基底部分を(基底心)と仮に名付けると、次の形を考察できます。
1.利己⇒利他
2.(基底心)⇒利己⇒利他
3.(基底心)⇒利他
1では利己=(基底心)です。
2では利己が必須である為に、基底の有無は確認不能。
3では利己とは一時的な現象物に過ぎない。
☆ わからんわい。腹の中を掻っ捌いて見てみたことないので。
★ 仮に、人間の本質が利己ならば、とうの昔に人類は滅んでいたと予測します。よって、別に基底心的なものが存在し、利他単独も存在し得ると予測します。
☆ これでいいんぢゃないですか。シンプルイズベスト。
★ 東洋に於いては(基底心)があるものとして、その思想は存在します。過去には、3を願い即身仏や清水の舞台から飛び降りる者の多いこと・・・
・・・しかし、西欧の利己的唯物的思想は、米国を代表として現在限界に達し、人類の存続さえも脅かしています。これは事実であり現実です。
☆ おそらく 譲り愛と競い愛の違いではないか。
ゆづると言っても 残り物になったとしても自利を放棄してはおらず 利己をも主張する。
きそうと言っても その過程でよき見解を見つけ出しみなでほめたたえ共有するようになることもあり。
No.11
- 回答日時:
ブラジュロンヌさんの分析力に脱帽!
子供を事例にあげた一件です。
確かに、子供の場合は云われたままの行動だから、そこには自分の考えはないですね。
今回は“我”を一般的な自我とし、己・自己は一般に使われる真我として使い分けて見ます。(明確な境い目のない繋がり状態です)
芸の世界では「形」を大事にしますが、子供の教育にもそれは通用していて、躾などはこの段階ですね。
そしてこの「形」を通して子供は、自身の心を成長させ利他という心の存在に気付き成長させて、その経験から利他と云う行為は自身を、心持ちの良い状態にさせてくれる、と云う事に気付くのでしょう。
結果、利他行為は利己になり得るし、宗教としてはそれが好ましい心の状態である、という事です。
私が注視してみたいのは、その利他行為の発端が利己心からの思いなのか、自我心からの考えなのか、と云うところです。
triggerさんの考えは、利己心を基本としてますね。
我欲は自利にならないと云ってますから。
また、karinさんの回答では最後の五行に、理屈の繋がりに不自然な所があるように思うのですが、気付きましたか?
★ ブラジュロンヌさんの分析力に脱帽!
☆ はぁ そうですか。
★ 子供を事例にあげた一件です。
確かに、子供の場合は云われたままの行動だから、そこには自分の考えはないですね。
☆ ええ。そうではないかと。
★ 今回は“我”を一般的な自我とし、己・自己は一般に使われる真我として使い分けて見ます。(明確な境い目のない繋がり状態です)
★ 芸の世界では「形」を大事にしますが、子供の教育にもそれは通用していて、躾などはこの段階ですね。
☆ 形から入る。
★ そしてこの「形」を通して子供は、自身の心を成長させ利他という心の存在に気付き成長させて、その経験から利他と云う行為は自身を、心持ちの良い状態にさせてくれる、と云う事に気付くのでしょう。
☆ それは ちょっと甘い。
早くからすでに求道心と言ってよいのでは? つまりその心が芽生えたなら あたかもおのづとその志向性は身に就くものです。いちいち気持ちのよいようにといったことを考えてはいませんよ。
いま相手の心は何を考え何を求めているのだろう? といったことを思索するようになります。
あいつは いつもチームのまとまりを考えているようだ。そうか おれも見倣おうとか。
あいつは 学校の成績をよくしようということだけ考えている。気をつけて接することにしようとか。
そういったふうに考え振る舞うようになる。利他がどうの心持ちがこうのなんて 考えてませんよ。
だって 考えてみれば こちらも自分の自己実現のためにふるまっているのだから。
★ 結果、利他行為は利己になり得るし、宗教としてはそれが好ましい心の状態である、という事です。
☆ それは あやまち得るスサノヲ人間語から あやまたざるアマテラス人格語へとアマアガリする道です。
往々にして 《神のごとくいかなる者の下にも立つまいと堅く誓う》ようになるのです。シュウキョウ人間とはそういうものです。最低の阿呆です。
★ 私が注視してみたいのは、その利他行為の発端が利己心からの思いなのか、自我心からの考えなのか、・・・です。
☆ そんなことはどうでもよいんでは?
★ triggerさんの考えは、利己心を基本としてますね。
我欲は自利にならないと云ってますから。
☆ みんな《われ》であり《おのれ》の一体です。
★ karinさんの回答
☆ の批評をおねがいします。
No.10
- 回答日時:
利他が自利から離れる、自利にならないとむしろ良くない気がします。
また、我欲は自利にならないことが殆どだと思います。
人は他者によって満たされると言う部分がかなり大きいのだろうと言う確認が、自分の中で次第にできあがってきています。
ご回答をありがとうございます。
★ 利他が自利から離れる、自利にならないとむしろ良くない気がします。
☆ ええ。つまり 教科書で知った倫理規範だとかあるいは幼いころに親から言われた躾であるとか そういった命題をあたかも有無を言わせぬ命令のごとくに受け留め それは利他でありよきことだと思いなして ほとんど中身の思索無しでおこなった場合 その利他行為は 自利から離れているでしょうね。
言わば社会経験の少ない子どものおこないであるように思われます。
★ また、我欲は自利にならないことが殆どだと思います。
☆ おそらくそういった我欲は 利己の過剰であったり或る利己から派生しすでに初めに意図せぬ別の利己となっていたりするのかも知れません。
★ 人は他者によって満たされると言う部分がかなり大きいのだろうと言う確認が、自分の中で次第にできあがってきています。
☆ うーむ。それはですね おそらく:
★ 他者によって満たされる
☆ という部分が じっさいにはたとえば《他者の存在つまり寄り添ってくれることの考えられる身近な存在を わが自利とし得るゆえ》であったりしませんか?
あるいは 《わたしが為したちょっとした手助けをその他者がよろこんでくれた そのことによってうけしく思う》であったり。
あるいは 《わたしは或る他者にイヂメを受けた。その経験をとおしてわたしは強くなった。まさに他者によってわたしは満たされる》であったり。
☆ つまり 一般化して捉えられる事例ではないような気がするのですが?
No.9
- 回答日時:
いただいたご返事に、誤解してしまいそうな言い回しは有りますが、特に異議はないですね。
一つ突っ込んで私の考えを云えば、因果応報と云うものに付いては、行為そのものが結果である、という捉え方をしています。
例えば、人を殺したと云うのは、その行為をした事が“罰”である、との考えです。
人を殺した=罰が当たった(好ましくない心をまた一つ使って心を汚してしまった)、と云う訳です。
そうですね。舌足らずと言う以上に 分かりづらく誤解を生んでも仕方のない表現をのこしてしまいました。ごめんなさい。
因果応報は 非常にめんどうな判断になると思います。
価値観抜きの因果関係を超えて 自己の意志が世間との関係でどういう結果を生むか・そのよしあしを――じつは自分勝手に――判断するのが 因果応報だと言っても よいかと思うからです。
ひとつの行為は 価値観抜きに捉えるなら 過去のわざの結果であり将来のわざの原因である。
よしあしの価値が――しかも往々にして自分を中心として判断して――どのように因縁となりその結果が現われているか。
一般的な方程式は 見つからないかも。
具体例を取り上げて考えます。
★ 例えば、人を殺したと云うのは、その行為をした事が“罰”である、との考えです。
☆ つまり そうかも知れないのですが それは どういう過去の因縁の結果なのか?
言えるかも知れない――過去の人生ぜんぶの歴史が重くのしかかっているといったように――けれども 特定の原因を知ることは むつかしいかも知れない。
自分で自由に(≒勝手に)決めることが出来るかも知れないし それでよいのかどうか 分かりづらい。
★ 人を殺した=罰が当たった(好ましくない心をまた一つ使って心を汚してしまった)、と云う訳です。
☆ うむ。でも 《好ましくない心を使う》ことは 多かれ少なかれ誰にでもその経験があるように思われる。のに その結果は 人によって違うしいろいろだ。
☆ ひとつ言えることは これは 主観の内部で片を付けケリをつけることができる案件だということです。自分自身で決めた因果応報の見方が 自分にとってはそれで決まりとなると言えばなる。
☆ といったふうに思われるんですがねぇ。
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