
勇気を辞書で引くと、「いさましい意気。物に恐れない気概」と。まあ、こんな感じですね。
今、私が興味を持っているW・チャーチルの言葉です。
勇気とは、起立して声に出すことである。
勇気とは、着席して耳を傾けることである。
勇気がなければ、他のすべての資質は意味をなさない。
酒を飲んで気が大きくなっている状態を、勇気凛々状態とは言わないし、「ハチのムサシ」みたいに太陽に喧嘩を売って死ぬことは、どうでしょう?微妙な感じがします。
時代の流れでは、勇気なんて「不要なもの」となっているようです。
勇気って何でしょうか?必要な時ってあると思いますか?等々。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
勇気とは中道です、愛の別名です。
勇気の右に憶病があり、左に無謀があるのです
言いかえると勇気の反対は憶病であり無謀でもあるのです
言いかえると憶病な人は無謀である、と言えるのです
言いかえると勇気の反対は無関心とも愚か、とも言えるのです
勇気とは強いとは違うのです
強いだけならライオンやトラが一番勇気があることになる。
強いだけでは無謀になり残虐になる。海では溺れる、山では遭難します
ここからは先生と生徒の会話方式で説明します
生徒の一人が手を挙げて言った。
「先生、山なんかで勇気ある撤退ってありますよね、これって怖いから撤退でしょう、だって勇気があれば、撤退しないで登るでしょう」、
「そうだね、でも強がっていただけなら無謀登山となり遭難するんだ。登山に多くの知識と正しい判断が必要なんだ。喩え弱虫に見えても、憶病に見えても、知識に裏付けられた決断なら、それは勇気と言うんだ。
と言う事は、すなわち勇気とは、時に憶病にも見えるということだね。と言う事は、勇気の反対は臆病ではない、無謀と言う事になるね。すなわち勇気とは理性ある正しい行動と言う事にもなる」
生徒の中にはよくわからないで、首を傾げる子もいたが、先生は分かり易く、ゆっくり話を進めた。
世の中、強い人間ばかりじゃない。
憶病でもいいと思うんだ、怖がってもいい、恐れてもいいと思うんだ」
生徒の間から声が上がった
「エー先生、憶病者に勇気はないと思うよ」
先生はしばらく間をおいて、言い切った
「いいかい、憶病でもいい、強がらなくてもいい、恐れてもいい。誰だって怖い時は怖いよ。ありのままの自分でいい。
でも、正しい事ならば『震えながらでも一歩前に出る』それが勇気と言うんだ。
此の人を勇者と言うんだ。この人こそ愛がある人だ。
いいかい、先生の遺言だと思って聞いてくれ。『一歩踏み出す勇気』を忘れるなと言う事だ、勇気と臆病と無謀の差は紙一重だ。
愛だ愛だと乱発しても、そこに勇気が無ければ忍耐が無ければ愛ではない。
もう一度言う、勇者とは、怖がらない事ではない、恐れない事ではない、強がる事でもない、自分の弱い心にムチ打って、一歩踏み出す人の事だ。
言い返れば『一歩も踏み出せない傍観者には愛は無い』と言う事だ。
と言う事は、愛の反対は憎しみではない、傍観であり、無関心ということになる」
一人の女子生徒が手を挙げて言った。
「先生、愛の反対は『憎しみ』って私の辞書には出ていました。私、調べた事あります」
先生は躊躇なく言い切った
「『憎しみ』とは、愛が変形したものだ。
貴方の辞書は間違っている」・・・と
生徒たちの間からは納得せず。
「えー先生、本当に辞書が間違っているんですか」「間違った辞書ってあるんです」
教室は大騒ぎになった。
先生は皆を静止しながら言った。
「あんなに分厚い辞書だ、一か所くらい間違いがあっても不思議じゃないよね」
生徒は口々に勝手な意見を言っていた。
先生は更に皆を静止しながら言った。
「でも、試験の時だけは愛の反対は憎しみと書いてくれ」
教室内はざわついていたが、生徒の中から、
「分かりました先生。見解の相違って言うんでしょう」先生は笑いながら。
「そういう事にしておいてくれ。
ついでに貴方の辞書には勇気の反対は『憶病』と出ているかもしれない。それも辞書の間違いだ。
勇気の反対は『無謀であり残忍であり愚である』と言うのが正解だ。
憶病に見えても、己に勝ち、一歩踏み出す奴は、間違いなく勇者だ。
何があっても諦めない忍耐の人は勇者だ。
あ、これも試験の時だけは勇気の反対は臆病と書いてくれ。
ここで先生が言いたいのは、現実の世界では、理屈を頭で考えて計算しても、その通りに行かない場合がある。と言う事だ。
時代により、場所により、人により違うんだね。冬山で勇気なんか出していたら、命が幾つあっても足らないだろう。
又、『七転び八起き』なんてことわざがあるが、先生に言わせれば、懲りない奴の喩えだよ。
うむっ!
端的にして分かり易く鋭いご見解です。
特に、勇気とは愛の発露であるという点に感銘します。深い勇気とは、愛から発するものであるから、強い歓びが伴うものなのでしょう。だから、確信を持てるのでしょう。
No.13
- 回答日時:
なるほど、少し先走り誤解をしてしまったかもしれません。
申し訳ない。確かにその様でありますね。
自分自身に見合わない高い地位や境遇に身を置くと、増上慢が起きる。
これの反対の場合はどうなのでしょうか?
例えば昔の修行者などは、人格や学識にそぐわず托鉢をして質素に暮らしていました。増上慢の反対のように思います。
明石市長の泉さんが例の成田さんと対談しています。
お二人とも話がぶれない、整理が早いので、とても聴き易いです。
概略として、泉さんは貧しい出の生まれだそうで、また弟に障害があり、社会の冷たさを肌身に感じて生きて来たそうです。10歳にして志を立て、60にしてその少しを実現したと仰っています。
パワハラ上司として有名な彼ですが、熱のある人だと思います。
ニャンポコリンさんの描く菩薩精神は、このような方に含まれますか?
素直さは四聖の内でないと実現しないと言う見解は、シビアだし、妥当な見解だと思います。現実としてはそうなのだと思います。
あと、子供と言えどもその感情の起伏は侮れないものがありますね。
ぶれが大きいのはその通りだと思います。
勇気の話から少し拡大してしまいました。
明石元市長の話は初めて聞きましたが、なかなかの正義漢だと思います。菩薩の心がどれほどあるのか、これだけではわかりませんが、少なくとも二乗の人だと思います。
No.12
- 回答日時:
菩薩に限らず、人々は相応の苦労をしていて、それは軽んじられるべきではないと思います。
また、まだ経験が浅いからと言って、華々しさや威徳に惹かれてやってきた新参の菩薩を軽んじてはならないと、経典にも書いてありました。何経だったか忘れたのですが、当然大乗経典です。
成熟しているのに、自己を未熟であると思って戒める人は確りしていると思います。
私から見れば、ニャンポコリンさんもそのような人でしょう。
信じるところがあるので、そのように自己を顧みることができる。
ところで、未熟さと素直さ(菩薩の特質)は関連が薄く、子どもが時に真実を発することがあるように、素直な人の口を借りてまことの言葉が生まれる。
素直になろうとする事が修行であり、素直さが板についてしまえば、後は自動的に進んでゆくと思います。
心の新たかな人が、困っている人を見ると反射的に、逡巡する事なく助けに入るようなものだと思います。
私は考えすぎていたのではないか?と、思うこともあります。
覚りに関すること、菩薩や仏に関すること、よい生き方に関すること、まことについて、などを、語らえる人と語ることは楽しいですね。そう言う人はなかなか得難いので、自分はそのような人であろうと思います。
「増上慢」というのは何故慢心を起こすかと言えば、未熟なうちに社会的地位を得てしまうからと言えるでしょう。
そこには、人間の弱い心がいかにその人を支配しているかが分かる気がします。
自分が未熟であり、そこに劣等感を持っているのだが、社会的地位の獲得と言う現実がそれを消してくれるということ。
修行は正直面倒だから嫌いなのだが、それをしないでも構わないというお墨付きを得た喜び。
自分より力があると秘かに劣等感を感じている人間を含めて、自分より地位の低いすべての人間たちに威張ることができる喜び。
社会的地位が高い故に、未熟な教えを皆に伝えてしまうから「悪」と言えます。
「素直」であることは重要ですね。ただ、素直ということも深みがある言葉ですね。深く考えるべきですが、要は「境涯」ということになるでしょう。人天は微妙で、四聖にして初めて素直になれると思うのです。
してみると、子供というのは振れ幅が大きいのかなと思う。欲望の虜になっているかと思えば、菩薩界になったり。
No.11
- 回答日時:
すみません、言葉を敢えて省いたのですが、言葉足らずだったかもしれません。
死に隣接する現場と言うのは、他の人の死も含めての意味で、例えば救命医みたいな仕事をする人に勇気を感じたりします。他の人の命の責任を負うと言う事です。でも実際、四の五の言っている暇は無くて、救急で患者が来たら、やるしかない。私たちの日常も、実はそのような現場で満ちているのではないかと思うのです。どういうことかというと、小さな過失が大きな災禍になることを鑑みて、相手の小さな過失を指摘してやると言う場面が沢山ある。もちろん自分の過失もありますが。なので、話はこうです。小さなことかも知れませんが、他の人の欠点を思いやりでもって指摘するのには勇気がいります。その指摘で嫌われたり、噛みつかれたり、棚上げと言われてブーメランになったり、その指摘が的外れであったり、無駄に終わったりする可能性があるからです。
このような指摘が出来る人は、そして特に意識せずとも出来る人は、大乗的に生きていると思います。
上座の人ならば、他人を矯めるよりもまず自分を矯める、これが上座的な修行だと思いますが、大乗の人は、自分を渡すよりも先ず他人を、なので、難易度やリスクは上がりますが、得られる功徳も大きくなる。
リスクと言うのは、他人をして道を誤らせてしまうリスクです。こうなると功徳は損なわれ、自分の行き先も相手の行き先も不安定で暗くなる。
なので、相手に指摘するときは、どうしても、、、と言う場合で、しかもそれが覚悟のうえでなければならないのです。
それを無意識で出来るとなると、菩薩と言う事になると思います。
「菩薩」というのは、自らの苦労に裏打ちされた高い知性と強固な信念を持つことが必須条件でしょう。
未熟なのにそのつもりになっている人のことを「増上慢」と言いますね。
自分が未熟であることも含めて、相手からの反発や憎悪なども覚悟して行動をする人は、大いなる勇気を持っている人ということになるでしょう。
自分の未熟さで相手を誤らせてしまうリスクも勿論あります。間違ったことを教えれば当然、罪になるでしょうね。そのリスクをも含めて行動することも勇気と言えると思います。
社会の重要な立場に立つということは、一般的にはまずないわけですが、彼らは「菩薩」の行動を一般大衆から要求されている非常に厳しい立場にあると言えます。責任は重大なのです。
No.10
- 回答日時:
更に考えました。
何かやろうとするとき、それをすることに自信があれば勇気は必要ないですよね。
自信はないけれどやらなければならない、と云う時に必要なのが勇気だと思うのです。
だから、自分の能力を超えた(自信のない)事柄に挑む時に必要なのが勇気だと思えば、やっぱり未体験の事に〈挑戦〉する時に必要なもの、と云う事になってしまいます。
あとはやっぱり、死を覚悟する時の勇気、ですね。
※ 一応、独り合点しておきます。
好きな女の子に告白することも、起業をすることも、ある程度以上自信がなければできないことです。相手があればリスクもある。だから勇気が必要だということでしょう。
自信のないことには、あまり挑まないほうがいいと思いますが。
No.8
- 回答日時:
母親の子供を思う気持ち。
自身の命を省みず、子供を救おうとする行動。
これを勇気ある行動、としますか?
これは動物的本能に依るのであって、勇気とは違うと思うのです。
勇気は度胸とも、云えるのではないでしょうか。
小心者の私は、大勢の人の注目を浴びるような状況に置かれると、ひるんでしまいます。怖気付いてしまいます。
こうした状況で、平然としていられるのは度胸がある、と云う事になりますが、この度胸の先に勇気と云うものが、、、
と、ここまで考えて見ましたところ、
何やら、勇気にはバックボーンが有るのかも知れないと、思い始めました。
、、、。
バックボーンと言うか動機と言うか、まず情緒・感情というものがあって(欲望でもいいと思います)、それを叶えたいというところから勇気が湧いてくる、ということかなと。
勇気が湧けば、行動ができる。だから、勇気を出すには、自信とか、切羽詰まった状態とか、吹っ切れた精神性とかが条件になるのであって、度胸と言うのは結果論かなと。
No.6
- 回答日時:
蜂で思い出した。
大昔、会社員でした。
仕事中、開いた窓から
大きな蜂が侵入。熊に譬えるべきだろうか。
上手く窓に誘導して
窓の外に行った時に
窓を閉めて入れぬように仕向けたこともあったが、
2回目に来た時、3度目は困るなあで
窓から入ってあちらこちらを飛び回る蜂を見て
女の子が怯えるので
コンピューターの紙
(スペーシングチャート)を
長い筒のごとく丸め、
これで空中を飛ぶ
蜂をひっぱたき、
床に叩き落とし、
足元でぴくぴく
と震えている蜂を
足に履いている靴で踏み殺した
ことあったなあ。
これは勇気ですか。
ゴキブリも
部屋を歩き回るのを
見つけると
同じように
踏み殺す。
または内輪やスリッパで
引っぱたいて殺す
だから、その後は部屋から
虫が消える。
1匹も見かけず。
No.4
- 回答日時:
勇気って何でしょうか?
↑
善なる行動を起こすとき、
リスクがある場合、それを怖れて
やめる人と
突き進む人がいるわけで
後者が勇気のある人。
計算尽くで善を実行するのが
偽善者。
計算抜きで善を実行して
しまう人は、勇気の王。
必要な時ってあると思いますか?
↑
常にあると思いますが。
勇気を出して告白する。
勇気を出して、買い注文を出す(株式売買など)。
『勇気とは、それが必要となるときまでは
誰でも持っているモノ』
リスクを恐れず、善なる行動を起こす人が、勇気のある人だと。賛同します。
告白、買い注文など確かに勇気はいりますね。計算もあるものの、最後はリスクのある賭けですからね。
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