最近、いつ泣きましたか?

東条英機は日本史上最低最悪の内閣総理大臣(あの鳩山由紀夫や菅直人より評価が低い。近衛文麿と同レベル。)と言われますが、実は人格者だったって本当ですか?
仕事では厳しかったが、プライベートでは(特に身内や家族に対しては)優しかったと聞きますが。

A 回答 (13件中1~10件)

そうですね。

731に架橋虐殺にロームシャに重慶大空襲に南京大虐殺をした人格者です
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そもそもですが、政治家は人格者で


ある必要などありません。

人格的に優れていても、政治家として
無能なら評価出来ません。


この世には、罪深いことは山ほどあるが
最も罪深いのは、
無能な人間が、高い地位に就くことだ。
(司馬遼太郎)
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人間ですからね。



長短あります。

人格者かどうかは判りかねますが。

ワタシはあの人は尊敬出来ないです。

死に様が無様だからです。


杉山元大将妻妻杉山夫人は
夫とともに自死しています。

女性ですら短刀で自死しているのに対し
東条英機氏は、拳銃自殺を図り
失敗しています。

武人としてあるまじき醜態です。

覚悟が出来ていない証拠です。
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自分の身内や親しい人にだけ優しいのは人格者ではありません。


ただのエゴイストです。
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以前に回答した内容に一部修正して回答します。


仕事では厳しかったが、プライベートでは(特に身内や家族に対しては)優しかったからといっても、別に当り前のことで人格者であるということにはなりません。以下、彼の問題点を書きます。

(1)主観的願望と客観的情勢を混同し主戦論、戦争継続を主張

支那派遣軍総司令部が「アメリカと妥協して事変の解決に真剣に取り組んで貰いたい」と見解を述べたが、東條の返答は「第一線の指揮官は、前方を向いていればよい。後方を向くべからず」だった。(1940年)

『第一回総力戦机上演習総合研究会』に近衛内閣の陸軍大臣として参加し、総力戦研究所より日米戦争は「日本必敗」との報告を受けていたにもかかわらず口外するとこを禁じ開戦にこだわった。(1941年)

日米衝突を回避しようと近衛文麿首相が「日米問題は難しいが、駐兵問題に色つやをつければ、成立の見込みがあると思う」と発言したのに対して東條は激怒し「撤兵問題は心臓だ。撤兵を何と考えるか」「譲歩に譲歩、譲歩を加えその上この基本をなす心臓まで譲る必要がありますか。これまで譲りそれが外交か、降伏です」と唱えた(1941年)

サイパンが陥落し日本本土が爆撃されるのが必死の状況にもかかわらず、「知識階級の敗戦必至論はまこと遺憾であります」と徹底抗戦を上奏、この上奏の中で、「アメリカはすでに厭戦気分が蔓延しており、本土空襲はいずれ弱まるでしょう」、「ソ連の参戦の可能性は高いとはいえないでしょう」と根拠に欠ける楽観的予想を述べた。(1945年2月)

1945年8月13日の日記には「私はこんな弱気の国民と思わずに戦争指導にあたった不明を恥じる」と国民に責任転嫁する言葉を残している。

(2)戦陣訓で降伏を拒否し兵士に自決を強要

陸軍大臣だった1946年に東条英機が全陸軍に発した戦場での心得「戦陣訓」では「生きて虜囚の辱(はずかし)めを受けず」という文言があり、敵の捕虜になっては恥だ、捕虜になるくらいなら自決しろと教えていた。

そのため絶望的な戦況になった場合は降伏をせず、徹底的に全滅するまで戦うか自決する事が美徳とされ、多くの戦死者をだした。

なお、東条自身は、拳銃自殺に失敗して巣鴨刑務所に収容されている。まさに「生きて虜囚の辱めをうけ」といえる。私の感想でいえば「どうやったら拳銃自殺で失敗できるのか」が疑問。

(3)露骨な懲罰人事

東条は政治的に敵対した者を、職権を乱用して迫害、特に懲罰召集として本来兵役につくはずのない人物を兵役に召集し最前線に送り出している。

① 新名丈夫(新聞記者)を懲罰召集
 「竹槍では勝てない、飛行機だ。海軍飛行機だ」と主張した記者を二等兵として召集し硫黄島へ送ろうとした

② 松前重義(逓信省工務局長)を懲罰召集
 技術者を集めて日米の生産力に圧倒的な差があることを綿密に調査し、この結果を軍令部や近衛らに広めて東條退陣を期したとされ、42歳の彼を二等兵として南方の戦場に送る

近衛内閣の首相秘書官であった細川護貞は『細川日記』1944年(昭和19年)で「海軍の計算によれば、斯の如く一東条の私怨を晴らさんが為、無理なる召集をしたる者七十二人に及べりと。正に神聖なる応召は、文字通り東条の私怨を晴らさんが為の道具となりたり」と批判している。

他にも数多くあり、軍隊内でも自分の気に入らないものを現役から外し予備役に編入させることもしていますね。

とてもではないですが、彼の責任は免れないでしょう。器の小さい人間がトップにたつとろくなことがないです。

追記 東条英機の靖国神社への合祀について

東条英機は、昭和19年7月15日「靖国神社合祀調査及上申内則」 をだしています。この中で、
一、靖国神社への合祀は戦役事変に際し、国家の大事にたおれた者への神聖無比の恩典。上申は公明に行え。
一、「合祀上申」とすべきは戦死者または戦傷死者、「特別合祀上申」とすべきは
(1)戦地においてマラリア、コレラなど17のいずれかの流行病で死亡した者
(2)自己の重大な過失によらずに負傷または病後に死亡した者
(3)戦地以外で戦役、事変に関する特殊勤務に就き、負傷または病後に死亡した者?とする。

この基準で言えば、東条英機は戦死者または戦傷死者でもないですし、戦病死者でもありません。また戦地以外で特殊任務についていたわけでもないです。ですから合祀するというのは本人の意にも反すると思うのですけれどね。
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陸軍士官の甥が芸者遊びをしたと聞いて、烈火のごとく怒って夜中に呼びつけて、「帝國軍人たる者が妻以外の女性の手を握るとは何事か」と怒鳴りつけたエピソードがありますね。


浮気でセックスしたならともかく、宴席で手を握ったぐらいで怒鳴るって、ホントにクソ真面目な人だったんでしょうね。

オトポール事件でも、大勢のユダヤ人を救出したことに対してナチスドイツから抗議が来たときも、日本人として当然の事をしただけだとしっかりはねつけてますね。

名誉ある帝国軍人の名誉とか、天皇陛下への忠節に支えられた気骨のある、ただし融通性皆無の人物と言うことでしょうか。
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今頃、人格者かどうかと問うのに何の意味があるのかね~~ぇ。


遺骨を早く家族に返すべきかと。
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人格者ならば、身内や家族以外でも優しくできるはずです。


特に仕事で。
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本当です。



たまたま、あの時に『内閣総理大臣』だったことで、非常に不運だった方だと思います。

むしろ、その前の人が大問題の人だったと思います。
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役所の下級職員や、学校の用務員レベルの話なら至って真面目な人という評価も的を射ていたかもしれないが、人格者という評価はあくまでも家族や自分の仲間といった身内に対する話。


嫌いな人間や自分をバカにする人間はすぐに最前線に送ったり、やたら細かい人物でネチネチした小心の小物であったことは間違いない。
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