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以下の文で show のあとに なぜ they が配置されているのでしょうか?
どのような文法ルールになっているか知りたいです。

’they care' が show  の目的語?
関係代名詞のように that が省略されている等

There are many ways people can show they care.

質問者からの補足コメント

  • 以下の文との文法的な違いについても教えてほしいです。

    There are many ways in which people can show their care.

      補足日時:2023/05/14 13:56

A 回答 (10件)

No. 6 さんのコメントに対する質問者さんの応答:


>>There are many ways people can show people care. でもよいと言うことでしょうか? people が2回でてくるのはあまりよくないので、people  の代わりに代名詞って理解でいいでしょうか。

****************

質問者さんの言う通りです。ただ、もっと正確に言うと、日本語でも
(1) 人は人の好きなことを行うものだ。
なんてことは言いません。
(2) 人は、自分の好きなことを行うものだ。
って言うでしょう?
(3) 太郎さんは、太郎さんの好きなことしかやらない。
これも変ですね。
(4) 太郎さんは、自分の好きなことしかやらない。
って言います。あるいは日本語ではもっと省略して
(5) 太郎さんは、好きなことしかやらない。
と言うことも多いです。

日本語で「人は人の~を~する」と言うと、一つ目の「人」と二つ目の「人」が別人だと考えるのが普通です。もしも二つの「人」が同一人物なら、普通の日本人は一つ目では「人」と言い、二つ目はまったく省略するか、あるいは「自分」とか「己」とか「自ら」とかいうふうに言い換えます。

英語でも同じで、
(6) There are many ways people can show people care.
なんていうふうに、people を二つ重ねることはしません。
(7) There are many ways people can show they care.
と言います。もし (6) のように言ってしまうと、二つの people が別人なのかな、と思ってしまいます。
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この回答へのお礼

英語と日本語が大きく違うと聞きますが、
基本的な概念では共通する部分もあるのですねぇ。
日本語と同じ考え方が適応できると考えると少し親近感がわきますね。
とてもわかりやすい説明をしていただき、ありがとうございました。

お礼日時:2023/05/17 21:11

質問者さんは、もしかしてまだかなりお若く、20歳以下かもしれません。

あるいは30代とか40代かもしれません。それはともかく、質問者さんがこういう疑問を感じてしまうのは、日本語にせよ英語にせよ、文章を読んできた経験があまりに浅いからだと思います。

あまり一つ一つのことに拘(こだわ)ってばかりいて思考停止、読書停止してしまうのではなく、差し当たって 90% あるいは 95% 以上は理解できたような気がして、少なくとも粗筋はわかる場合は、その本を数百ページほど、ともかく最後まで読んでしまう、というやり方で、たくさんの本を(日本語の本なら、まずは500冊とか1,000冊)を読んでしまうことが必要だと思います。

好きな本を読めばいいのです。理科がお好きなら、理科系の人にとっては少し軽めのブルーバックスというシリーズの本などをどんどん読めばいいのではないでしょうか?

日本語でも英語でも、膨大なデータが頭に蓄積すると、多数の用例を比較することによって、自分なりの法則が見つかっていき、その法則も、最初の数年間で見つけたつもりの法則が、そのあとの10年あるいは20年の読書を通してさらにたくさんの文章データを頭に蓄積しているうちに、どんどん修正されていくのです。

言語能力というものは、そういうふうにしか上達させることができないと思います。だからこそ「たくさん読め」とよく言われるのですね。ただしもちろん、粗筋さえ理解できないような本を「ともかく細部にこだわらずに読み続けろ」と言っているのではありません。最小限度、粗筋だけは理解できる本、できれば 95% くらいは理解できていると感じるような本を読み続けるということです。
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この回答へのお礼

ある程度自分で理解できる興味のある分野の本を多読していくのがいいのですね。とても参考になるアドバイスありがとうございました。

お礼日時:2023/05/17 21:20

>show のあとに なぜ they が



thatの省略です。例えば違う文で
I think (that) he is right. 私は彼が正しいと思う。このthatはよく省略されます(特にインフォーマルの時)。

役割は同じで「that以下の事」と訳せば大抵は意味が分かるはずです。

...people can show that they care. they care (彼らが気にかけている)のを示す。

文法的にいうならthatで導かれる節がshowの目的語と言えるでしょう。
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この回答へのお礼

I think (that) he is right. このthat は確かに省略されることが多いですよね。
具体例を挙げて説明していただき、とてもわかりやすかったです。
ありがとうございました。

お礼日時:2023/05/17 21:25

>>それをそのまま受け入れて覚えていくのが確実だと言うのはとても理解できます。

きっとねぇ、記憶力が高い人はなんなくこれを熟せてしまうのでしょうね。
====

何度もコメントを続けて申し訳ありませんが、私は人からよく「あなたって、記憶力がいいんでしょうね。一つ何かを見たら、一回で覚えてしまうんでしょう?」と言われてきました。

しかし、実は私ほど凡庸な頭を持った人間はいないのです。論理的に考える気力や能力が不足しているので、すべてを覚えていくしかありませんが、それなのに記憶力までが凡庸で、おそらくは平均よりもはるかに下です。

12歳の時って、誰でも自分比で言えば最も記憶力が充実しているときですよね?その人が30歳とか50歳になったときよりも、12歳の時の記憶力はすごいはずです。

しかし私は、12歳のときでさえ、しかも自分にとって最も得意だったはずの英語においてさえ、中学一年で初めて英語を習ったとき、どのように勉強したか(どのように一つ一つの単語、一つ一つの文法事項や熟語や表現)を覚えていったかわかりますか?

単語にせよ熟語にせよ、私は出てくるものをまずは100回ずつ大声で唱えます。同時にそれを100回ずつ紙に書きます。そして100回ずつ、それぞれの単語のイメージをジェスチャーなどを自分の体でつけて、それによって体でその単語のイメージを覚え込みます。

そのようにしても、その単語を忘れることがよくありました。そのときは、200回のそういうプロセスをたどります。それでも忘れたら、300回です。

そうしないと、私はどの単語もどの熟語も文法事項も覚えられませんでした。

その反対に、杉田敏(すぎた・さとし)というビジネス英語の専門家は、「私は元々記憶力がよく、どんなことでも一回で覚えてしまっていた」と言っています。確かにそのように記憶力の高い人はいます。しかし私は、平均どころか平均以下でした。

しかし私は、同時に論理的な理詰めの思考力もなかったので、ひたすら覚え、ひたすら洋書を読みまくる以外には方法がありませんでした。そのようにして、私はフリーランスの技術・ビジネス系の翻訳者になっていったのです。
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この回答へのお礼

とても綺麗な文書を書かれる方だと思っていたら、翻訳者さんでしたか。
やっぱり、すごいですよ。なりたくてもなれない人がたくさんいます。
記憶力が高い人は、確かに物事を簡単に覚えることができるかもしれませんが、それが成功の鍵ではないと思います。あなたのように、熱心で努力家であることが、人生における成功につながているのだと僕は思います。

イメージで捉えていくのがやはりよいのかと僕も最近考えるようになりました。
辞書にはhave やget の使い方が無数にでてきます。
それぞれに日本語訳があって、この時の日本語訳は・・と1:1で紐づけて
覚えてしまうと、実際の会話では応用がきかないだろうし、いざというときに思い出せないと思うのですよね。
have to のような 特別な文法があるような書き方をするから
覚えることがたくさんできて、結局、一般人は使いこなせないのではないかと思います。
have のイメージをしっかり持つのが大事なんじゃないかと。
そして、
また意訳ではなく、すべて直訳で学習するほうがいいのかなぁと最近思っています。
どんなへんな日本語であっても、日本人ならまったく問題ないですよね。
学校教育の中で、この文はこういう訳でないと×みたい学習をしてきたのが、
悪の根源に思えてならないです。
まぁ、ひとそれぞれに覚えやすい方法があるのでしょうが、
学校教育のスリコミ学習をぶっ壊して、学び続けた人のみが、
英語を使い熟せているように思います。

お礼日時:2023/05/16 23:07

people=theyですここでは。

There are many ways 1people can show 2people careって意味です。(people1とpeople2は同じpeople)
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この回答へのお礼

There are many ways people can show people care. でもよいと言うことでしょうか? people が2回でてくるのはあまりよくないので、people  の代わりに代名詞って理解でいいでしょうか。

お礼日時:2023/05/15 22:05

ところで、理科的なものの考え方をする人が言語(特に外国語、特に英語)に取り組んでいるとき、「A の場合にも B の場合にも C になるのだから、X の場合にも C になるはずなのに、そうなっていないのはなぜなのか、頭がおかしくなりそうだ」と言います。



理科とは正反対の、哲学とか心理学とか文学とか芸術とか言語にばかりのめり込んできた私から見れば、「そんなの、一つの法則を勝手に自分で作り上げたところで、それがすべてに当てはまるわけはないじゃないか」と思ってしまうのです。

理科では、すべての対象物に対して実験を行うことができます。だから法則を見出しやすいのだと思います。しかし人間および人間の活動に関しては、実験するわけにはいきません。だからすべて想像していくしかありません。実験がまったくできないのだから、すべては永遠に未知のままです。何もわからず、暗中模索の状態を死ぬまで続けることに耐えるしかないのです。英語を習得するときも、それとまったく同じなのです。

だからこそ、「A と B と C と D と E と、その他100種類の状況において X + Z = abc という法則が成り立つことを突き止めた。だから 101 種類目の状況においてもその法則が成り立つはずだと思った。それなのにそうなっていない。それはなぜか」と言われても、そんな法則なんてもともとなかったのだから、それは忘れたらいい、と私は思うのです。たまたま、最初の100種類についてはそういう結果に偶然になっただけのことです。

もしもどうしても方程式や法則で人間や人間の心や言語や芸術に関して解明しようとしたら、それはアインシュタインあたりが並べそうな長い長い方程式で、その中に未知数が1万種類くらい混ざっているような、常人には理解できないような複雑極まりない方程式を書かないといけなくなるだろうと私は思っています。

人間についての学問に取り組むとき、例えば英語に取り組むときには、「最初から何もかも複雑なんだから、それをそのまま受け入れて、わけのわからないこの未知の海を楽しむくらいの心構えが必要だ」と割り切れる人だけが、この世界に耐えることができるのだと思います。

そうでない人は、その世界のことは諦めて、自分にとって親しみやすい世界(例えば理科の世界)だけで頑張ればいいと思います。そもそも、この世(特に数十年前からの現代社会)では、理科が絶対的な優位を誇り、文科系、特に哲学や文学や芸術や言語などの人文科学は隅に追いやられているのですから、理科系の学問だけで差し当たってお金をたくさん稼げるのですから、それでいいじゃないか、と私は思っています。その反対に、人文科学系の人間である私などは、この世でいくら頑張っても、ろくに稼げもしないのです。
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。
まさに私はこれですね。
>「A の場合にも B の場合にも C になるのだから、X の場合にも C になるは>ずなのに、そうなっていないのはなぜなのか、頭がおかしくなりそうだ」と>言います。

理屈ではなく、丸覚えしてしまえばいいと教えてもらって、頭ではそれがいいのだと理解はしているつもりなのに、ついつい気になって調べだすと泥沼に嵌ってすごい時間を取られてしまいます。

それをそのまま受け入れて覚えていくのが確実だと言うのはとても理解できます。
きっとねぇ、記憶力が高い人はなんなくこれを熟せてしまうのでしょうね。

自分のような無能な人間は、無意識に何か法則性を見つけて楽して覚えようとしてしまっているのかなぁと思います。


これからの時代はAIがほとんどのことを熟してくれるようになるでしょうから、何か特化している人が勝ちだと思いますよ。
人文科学系方だって、それに特化している人はいいパートナーさえ見つければ、伸びしろは無限大だと思います。

嫌味を言う人も多くいるとはおもいますが、嫌味を言っている訳けでは
なくお互いの常識や育ってきた環境が異なることによって、ある人にとっては
それが嫌味に聞こえたりもするのではないかと思います。
過去に何度も嫌みを言われた経験がある人の場合には、
同じような言葉でも敏感に反応してしまうことがあるそうです。
過去のトラウマや心の傷が影響を与えることもあるようです。

お礼日時:2023/05/15 22:07

「嫌味に聞こえる」などと、つい言ってしまって、申し訳ありませんでした。

ただ私は、12歳くらいのころから今まであらゆる人から朝から晩までずっと、嫌みを言われ、あらゆる人から攻撃され続けてきたので、そんな変な意味でない言葉までが嫌味に聞こえてしまいます。

質問者さんの一連のコメントを読んでいると、どうやら質問者さんは理科系の方のようですね。バリバリの理科系の方で、同時に語学もかなり堪能な方もいらっしゃいますが、大多数の人にとっては、理科系の能力と言語能力(そして文学やその他の芸術や、それ以外の人文科学の能力)とが、まるで相反しているかのように感じられるみたいです。

かく言う私は、高校生の終わりまでは数学が得意でしたが、人生や人間の心などに煩悶するようになって、理科や数学が嫌になってしまいました。

言語に関して、理屈通り、法則通りになっていなかったら気が済まない人は、いっそのこと言語なんて適当に流しておけばいいと私は思っています。その反面、どうしても何でもかんでも芸術や言語や文学の世界で何でも感じたり考えたりする人にとっては、理科系の学問がさっぱりわからない場合が多いので、そういう人は理科の学問は諦めたらいいと思っています。

苦手なものを無理に習得しなくていいのです。もちろん、最小限度、自分の苦手なものをクリアしないと、最小限度の教育も終了できなかったり、最小限度の仕事さえできなかったりします。それだけはクリアするようにして、そのあとはもう、完璧を目指さず、落第しないように、会社から追放されないようにさえしておればいいと私は思っています。

そんな考え方は、嫌でしょうか?私自身は、苦手になってしまった理科系の学問を 25 歳くらいから45歳くらいまで、20年にもわたって必死で取り組んで、自分のやっている翻訳の仕事に役立てようとしましたが、結局は私には無理でした。だからそれ以降は、理科が苦手だからそれは諦め、適当に流しています。そして自分の最も得意とする言語や文学や芸術あたりの世界にどっぷり浸かってきました。
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ところで、「賢い人たちは、どうのこうの」という言葉は嫌味にしか聞こえません。

語学には賢さなんて必要ありません。ただ単に、時間をかければいいだけです。他人が 1,000 時間ほど勉強しているあいだ、自分は 5,000 時間ほど勉強したらいいのです。他人が10年で辞めてしまうなら、自分は30年ほど続ければいいのです。30年後には、最初のころにわからなかったことが自分でわかってきます。

ただし、お金のある人と天才は別です。天才は、あまり努力をする必要がありません。さらに、お金持ちは、いくらでも留学したり大学院に行ったり、家庭教師をつけたりすることができます。普通の人にはそれが無理だし、普通の学校に行くと教師は頼りないし、周囲の友人たちも英語力が低いので、結局は誰にも何も質問なんてできません。だから、1万項目ほどの質問を常に頭の中に入れておき、自分で10年も20年も、あるいは30年も勉強しているうちに自分で解決できる日を待つしかありません。それが私の現実でした。
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この回答へのお礼

嫌味に聞こえてしまっていたのでしたら、私の文章力のなさによるものです。
心からお詫び申し上げます。

「ただ単に、時間をかければいいだけです。」、「1万項目ほどの質問を常に頭の中に入れておき・・・」と考え、それがさらりと実現できてしまっている事が凄い事なのです。
私からすれば、それが当たり前のように実現できていることが純粋に尊敬に値することなのです。

「才能とは努力を継続できる力」。プロ将棋棋士 羽生善治さんの言葉です。

東京大学に行きたくて死ぬほど努力して、浪人もして、それでも合格できない人もいる。

裁判官になりたくても、その夢を実現できている人は僅かです。


もちろん継続は力なりという事も理解しております。


バンコクやフィリピンにいくと、片言の英語や日本語で話しかけてくる人がとても多いことに驚かされます。
どうやって勉強したの?って聞くと特別な勉強をしていない人がたくさんいます。気がつけば、英語が話せるようになっていたというのもよく聞きます。

大学まで高度な文法を学んでいても話せない日本人と、根本的に何か違うのではないかと常々不思議に感じています。

お礼日時:2023/05/14 21:15

すみません。

質問者さんは2つの質問を提示されていたのですね。私はうっかり2つ目の質問ばかり注目していました。

1つ目の質問
There are many ways people can show they care.
この show の直後に they がついていることに疑問を感じておられるのですね。

(1) People can show they (= the people) care.
こういう文があり得ますが、これは
「人は、自分が本気であること(目前の問題に対して真剣に取り組んでいること、真剣に考えていること)を示すことができる」
という意味です。

そして、課題文の全体である
(2) There are many ways people can show they care.
この文の中に (1) が含まれていますが、(2) の全体は
「自分が目前の問題について本気で考えたり対処したりしていることを示すのには、いろんなやり方がある」
という意味です。たとえば、LGBTQ の問題について本気で考えたり、その問題に対して本気で行動したりするやり方は、人によっていろいろだ、という意味です。

具体的には、たとえば政治運動、つまり集会を開いていろいろと論議をしたり、そういう集会に参加する人もいる。そういう本を書く人もいる。そういう問題について、ビラ配りしたり個人個人の家を訪問して啓蒙活動する人もいる。あるいは、静かにそういう問題について本や新聞を読んで考えるだけの人もいる。あるいは、実際に LGBTQ の当事者である同性愛者やトランスジェンダーのたくさんの人たちに出会って、その話を聴きにいったり、そういう人たちと付き合って真剣にその問題について考える人もいます。

そういうふうに、care する(つまりその問題について本気で考えたり行動したりする)やり方は、人によっていろんなものがある、という意味です。

そういう意味の言葉ですから、show のあとに they がすぐに来ても構わないし、that が来ても構いませんね。だから、(2) を変形して
People can show that they care in many ways.
というふうな文もちゃんとあり得るし、それも正しい文です。

まあそれはともかく、最初から何もかもすべて理解しようと躍起になって、質問しまくったところで、本当にそれで理解できるとは、私は思いません。一番よいのは、自分で少しずつ実力をアップしていくことです。そうすれば、誰にも何も質問しなくても、少しずつわかっていくのです。今回の問題についても、今から数年ほど勉強を続けていけば、誰にも何も質問しなくてもどうせわかる時が来ます。少なくとも、私はそういうふうに勉強してきました。誰にも何も質問したことはありませんでした。だって、12歳の時から22歳のときまで学校や大学で英語の授業らしきものはありましたけど、何を質問しても教師は答えませんでした。親兄弟にももちろん、そんなことに答えられる人はいませんでした。だから、私はすべて一人で勉強したのです。
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この回答へのお礼

とても詳しい説明をして頂きありがとうございました。

People can show they care.
showの後に なぜ主語がくるのか?
people can show their care. ではないのか?
もしくは、 People can show that they care.
that を省略してPeople can show they care. になったのか?
文法的に問題ないことや、翻訳結果はネットでチェックできるので
そこは問題ないのですが、なぜそれが正しいのかを理解するのが難しかったのです。


ほんと、英語は勉強すればするほど、むつかしいと感じています。
関係代名詞のthat の省略や関係副詞のthat の省略とかの話などでも、
もともとないのか、省略してないのかが識別できない。
発音にしても、リンキングやリダクションして、そこはa でないと、the
でないと拘るわりには、実際の会話では、省略されるとか、
コンピューターの世界では、そのようなことを暗号化というのですけどねぇ。
その変換の法則がユニークだったらまだいいですよ。
翻訳の話では、何かと言えば文脈しだいとの回答がよくあります。
文脈しだいと言ってしまえば、文脈の解釈次第で、答えが変化してしまうということです。それは変換の法則が無限にあるのと同じじゃないですか。
文を理解するのに単語の品詞が何かを把握することが大事と言っておきながら、ある一つの単語が動詞と解釈したり名詞と解釈したりするとか・・・ 気がくるってるのか?と言いたくなります。文法解析し文の意味が理解できて、品詞が特定できることになり、本末転倒じゃ? 文の意味さえ理解できれば、文法学者じゃないのだから品詞なんて知る必要もない。
よくそんな曖昧なルールで正確なコミュニュケーションが取れることが不思議でした。

TheOEDLovesMeNot3さんの回答を見て、自分の考え方を変えていかないと
理解できない世界だということがわかりました。

お礼日時:2023/05/14 20:46

(1) 原文: There are many ways people can show they care.



これは、
(2) There are many ways ★in which★ people can show they care.
と、ほぼ同じ意味です。そしてそれは
(3) There are many ways ●how● people can show they care.
とも、ほとんど同じ意味です。(以上のことについては、いろんな文法書やネット上の解説にも載っています。さて、上の3つの文章は
(4) There are many ways ◆that◆ people can show they care.
とも、ほぼ同じ意味です。この場合、that は「関係副詞(つまり how, where, when など)の代用としての that という関係代名詞」だと説明されています。それについては、いろんなところに書いてあるとは思いますが、たとえば
「ジーニアス英和辞典、第6版」
の「代名詞としての that」の項目に、そのように解説されています。さらに、この「関係副詞の代用としての関係代名詞 that」は、省略することができるので、(4) は
(5) There are many ways people can show they care.
というふうに、that も how も in which も何もない状態でも、ちゃんと意味が通じていて、それは上の (1) から (4) とほぼ同じ意味になるのです。

以上のことはすべて、文法書や辞書にちゃんと解説してあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。



以下の部分の回答はむつかしいでしょうか?

show のあとに なぜ they が配置されているのでしょうか?

また、補足補足コメントを見ていただけると嬉しいです。





(1) 原文: と (2) が ほぼ同じ意味であることは認識しています。
他もすべて ほとんど同じような意味であることは認識しており、
また、意味は翻訳すればわかります。

ほとんど同じということは、何か違いがあって、どのように使い分けをするのか?という部分が疑問になります。


whenやwhyの代わりにthat が使える。 また、省略することが多いことも、

私が所持している本に記載がありました。

但し、私の所持している本では、where のかわりにはthat 使えない表記になっておりましたが

私の所持している本の記載誤りでしょうか?


ネットには色々情報があり、それぞれの説明をしています。

どちらが正しいのだ?ということも多々あります。

また、断片的な説明ばかりで、説明しているページの中では理解できても、

他のページを見ると新たな矛盾が生まれてきて困っています。

「ジーニアス英和辞典、第6版」と私の持っている本でも、違いがあることからも、

初心者からすると、どれを信じていいのかわからず、やっぱり質問するのが間違いないかと

質問させていただいたような次第です。

TheOEDLovesMeNot3さんからすれば、文法書や辞書にちゃんと解説あるのになぜ質問するのか

疑問なのでしょうが、私がその書物を読み解く能力が備わっていないのです。

賢い人にはなかなか理解し難いことなのでしょうが・・・・

お礼日時:2023/05/14 17:08

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