私は神様に出会い、恵みを受け、イエスキリストの十字架によって罪から開放され、癒されましたし、清い心を持つようになり、日々の営みが幸福に満ち溢れるようになりました。しかし最近、教会へ行く足取りが重くなりました。それは、同じ教会の姉妹たちに、毎週日曜日は仕事を休み、安息日を守らなくてはいけないと言われ、受洗コース(3ヶ月位かかるそうです)に参加しろと言うのです。仕事で夜の礼拝に遅れると教会を優先して欲しいと言われるし、気持ちが良くて教会に行っていたのに、だんだん強制されている気持ちに変ってしまいました。私は、洗礼を受けなくても神様は決して私を見捨てず、イエスキリストを受け入れたクリスチャンであると認めてくれるはず・・と思っております。しかし、姉妹たちにはこれを受け入れてもらえません。日曜日に仕事することがそんなに悪いことですか?そんなに洗礼は必要なことなのでしょうか?私は偽者のクリスチャンですか?

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A 回答 (4件)

母がクリスチャンなので聞いてみました。

以下は母の意見です。
イエス・キリストを受け入れて、今までとは心が180度違うあなたは、神様に祝福されていると思います。良い教会にも様々な考え方があって、日曜礼拝死守というところもありますし、日曜日に来られない人の為に土曜の夜の礼拝があるところもあります。あなたの試行錯誤のうちに神様の導きがあると思います。
参考までに、米沢興譲教会のHPを乗せておきます。ここは電話でカウンセリングもやっています。相談されるといいかもしれません。カウンセリングの時に電話に牧師さんが出られるわけではありませんが、専門の人が出てくれます。余計な話しですが、ここの教会の牧師さんは手品がプロ並みで鳩まで出してしまう、おもしろい人です。
あなたの問題が解決されることを祈っています。あなたは偽者のクリスチャンなどではありません。神様はしっかりとあなたのことを喜んでいます。

参考URL:http://www.kojochurch.com/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。お返事が遅れましたが、おかげ様で新しい方向を見出すことが出来ました。お母様に宜しくお伝えください!

お礼日時:2005/04/26 13:01

いいえ、あなたが「主を救い主」だと言えるのであればクリスチャンですよ~



「クリスチャン=教会に行く」事ではありません。
「クリスチャン=神を賛美し、祈り」あう事がクリスチャンであり、その場が教会です。

日曜日教会にいかなければいけない。なら医者にもなれず、スーパーマーケットの店員もなれず、交通のお仕事にもなれない。そんな教えは「間違っています」

あなたに平安がないことを神は勧めません。

本当の洗礼は神の癒しを受けることで、人が儀式的に
するものでもありません。だから安心してね。

教会もいろいろな個性があり、すべてが同じではありません。牧師も様々、クリスチャンも様々です。

だから安心していける教会を探してください。もしいけないなら次のところに聞けばいけそうな所を教えてくれると思います

marria69様にイエスの愛と暖かい天使の毛布で包まれますように

参考URL:http://pba-net.com/
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この回答へのお礼

私は接客業をしております。先日、ある飲食店に行ったとき、化粧室に、「日曜日もランチ始めました。ご家族でゆっくりと昼の時間をお過ごしください。」みたいなことが書いてありました。背景は違っていても、私はそれを見たときに神様からのメッセージととりました。平日をのんびり過ごせないお客様の為に、日曜日、私は仕事します。ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/26 13:45

キリスト教にも、色々な宗派が有ります。


質問者の属する宗派がどこか分かりませんが、現在において、洗礼を強制する宗派は、ほとんど無いと思われます。
(新興宗教は除く)
たぶん貴女の姉妹の方達が、先走っているのかと思われます。
教会の神父さん(牧師さんかもしれませんが)が、信頼できる人だと思われるなら、神父さんに相談してみましょう。

(貴女の属する教会が、新興宗教系{エホバの証人、モルモン教、統一教会など)}だったり、パプテスト系の場合は、牧師さんへの相談は、逆効果となるかもしれません。)

それでも貴女が、違和感を持つのならば、他のキリスト教系の教会に行ってみてはいかがでしょうか。
同じカトリックでも、その教会が属する組織によって考え方は異なりますし、ルーテル派系教会は、各教会ごとの独自性が強い教会です。
その他、長老派教会、聖公会系などは安心できる組織です。

いずれにしましても、信仰は、教会にあるのではありません。
貴女の心の中に有ります。
与えられた信仰、強制された信仰が、本当の信仰とはいえません。
貴女は、貴女にあった信仰と信仰の場所を探してください。
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この回答へのお礼

本来私の信仰は教会に行くことではありませんね。
その通りです。そういえば、うちの教会はプロテスタントの教会です。それなのに何故、教会と言う組織に赴きを置くのか・・それに聖書に忠実であろうとするなら、強制的に信仰を持たせるのはお門違いというものです。まあそれだけ信仰が強いがゆえなのでしょうが。

お礼日時:2005/04/26 13:35

それぞれの、生活の形があります。


それを他人に強制することは、どのような宗教でも許されるものではないと思います。

おそらく、旧来のキリスト教徒の方かと思います。
僕は、仏教徒ですが、それぞれに今の社会はいろいろな勤務体系があり、
その曜日に休むことが出来なくなっているのです。

それの状況を受け入れないと言うのは、申し訳ないですが僕としては、その会派から離れて別の教会に行きます。

信ずる心があれば、たとえ洗礼をされていなくても神様はあなたを救うと思います。

宗教というのは、そうでなければならないし、そうあるべきだと思います。
大丈夫です、あなたは神様に救われると思います。
受洗コースに参加しなくても良い思います。
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この回答へのお礼

どんな宗教であれ、自分の行い、功徳をもって、(最近知った言葉です。)神の祝福に与る者とされるのが信仰だと思うのです。ですから、そこに強制などあること自体おかしいですよね。自信がつきました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/26 13:10

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Qイエス・キリストは何だったのか

イエス・キリストが何であったかについてはいろいろなことが言われていて定かではありませんが、およそ次のうちの一つに当てはまるのではないでしょうか。

1.イエス・キリストは神であった。
2.イエス・キリストは神ではなく、神の子であった。
3.イエス・キリストは神でも、神の子でもなくただの人間であった。
4.イエス・キリストはただの人間ではなく、正真正銘のペテン師であった。

結局、イエス・キリストはどれに最も近いですか。

Aベストアンサー

「聖書」ってさ、そもそもの語源が「本」だよね。
いろんな人が書いた手紙やら詩なんかの文書を適当に切り貼りして一冊の本にまとめたものだよね。
それを宗教宣伝の道具に使ってるだけだよね。
まちがってないよね?

で、その本にイエスキリストが「神」であるとか、「神の子」であるとか書いてあったとしてそれがなんなのよ?

わしは、イエスキリストがペテン師だったかどうかは知らない。
イエスキリストを教祖に仕立てて宗教活動している者はペテン師だと思う。

Q規制緩和で安易に神になった「靖国神社の神」のご利益

規制緩和で安易に神になった「靖国神社の神」のご利益ってどれほどもものですか?


いや~~!


天理教より新しい御霊信仰系の新興宗教の『靖国神社』ですが!


靖国神道が画期的だったのは、
そこらの平民でも政府公認による規制緩和で大量に神を名乗れるようにしたことでしょうか!


靖国神道以前の一般的な神社神道では

そこらの平民が神になるなんて恐れ多いことだと考えられていたため
皇族や豪族、織田信長や菅原道真のような偉人など限られた人しか神になる事は許されていませんでしが、


靖国神道では、政府への忠誠を全うして死ぬば神になれるという形で格段に神への条件が規制緩和されていますが。

しかも、
そこらの平民を天皇も参拝するという、政府公認の神になれ、かなり平民に媚びた宗教となっておりますが、、



ところで!

ゆとりで卒業出来た学生もビックリ!

超ユルユルの規制緩和で神様試験に合格した「靖国神社の神」のご利益って、どれほどのものですか?


備考:靖国神道の平民神 246万6532余り

Aベストアンサー

> 超ユルユルの規制緩和で神様試験に合格した「靖国神社の神」のご利益って、どれほどのものですか?

ソコソコあると思いますよ。

たとえば「靖国問題の本質」が判ります。
靖国問題の本質が判れば、中国・韓国を含め、外国人との付き合い方が判ります。

Qイエス・キリストはなぜ二千年も記憶されているのか

イエス・キリストはなぜ二千年間も記憶されているのでしょうか。

エジプトのピラミッドを造ったクフ王とイエス・キリストと、
どちらが将来に長く記憶されるでしょうか。

Aベストアンサー

イエス・キリストはなぜ二千年間も記憶されているのでしょうか。
 ↑
キリスト教の布教に成功したからです。
マネジメントの勝利。


エジプトのピラミッドを造ったクフ王とイエス・キリストと、
どちらが将来に長く記憶されるでしょうか。
 ↑
キリストだと思います。
何と言っても、キリスト教文化圏が世界を席巻
していますから。

Q統一教会のイメージについて教えてください。

私は統一教会の者です。
信じてもいます。脱会だとかそういったことも考えていません。
注意ですが「やめたほうがいい」という言葉には乗りません。

私は世間からのイメージがすごく悪いことを知っています。
マインドコントロールという言葉も知っています。
マインドコントロールをされているという見方でみられるならば
ある意味私もそのような者であると受け入れています。
カルトだと見られていることも、壺売りのイメージがあることも知っていますし、
たくさんの教会側の事情、また外の人の見方もたくさん聞いてみたりしました。

私はこれから多くの宗教について勉強しようと思っています。
できるならばキリスト教のカトリックにプロテスタント、仏教、イスラームやユダヤ教
のような代表的宗な教から無神論的な思想まで幅広く勉強していきたいと思っています。
それは批判するためでなく、自分の中でもっともっと多くの思想や宗教や
人を受け入れられるように、考えが凝り固まらないようにしたいからです。

だからあえてこういった質問をしてみました。
私は教会の中心の人達になってくればなるほど、
本当は教会を押し付けるとかそういう人達ではないなということを知ったんです。
言動はそう聞こえてしまう点も多いかもしれませんが、
そうとだけはとらえきれない点もあることを知っています。
本当はもっと広く見ようとしている人たちがたくさんいるのに、
あまりにももったいなくて悔しいんです。
逆に世の中にも同じように、広い視野をもっていきたいという人がいることを知ってます。

私はこの世の中と教会との間の考えの差にギャップを感じながら押しつぶされるように育ってきました。
一時は教会を批判側の考えも強くなった時期がありましたが
疑って否定したとしても何になるのだろうかと思って、心苦しくてそういうのはやめました。
私がいま信仰しているのは恐怖信仰ではないです。
世の中に出るのが怖いとかっていうよりはかえってたくさんの人と接したうえで
世の中の人も広いとらえ方をしようとする人もいて、良いなぁと思わされる人もいるし、
教会の人だって何か物事を悪くとらえ、否定する人ばかりではないし、
本当に信仰している人ほどその世の中のイメージにそぐわない人が多かったので信頼をしてのことなのです。
たくさんお互いの間に誤解がある気がするんです。

教会の人がこうとか世の中の人がこうとかそうやって見て判断して裁いているかのような自分が嫌なのです。
周りを見回してみれば何かを否定し合ってるのが見てて息苦しいのです。
本当はそういう人ばかりでないのに、
教会がわの悪いイメージがついたのにも事情だってあったろうに
軽くなんでも否定はできないと思うんです。

私はいろんな人を好きになりたいです。
質問は「統一教会のイメージについて」ですが、
ちょっと本文の内容と食い違ってるかもしれませんね^^
ようするに私はあまりいろんな人と思想や宗教のために壁を作っていることが嫌なので
教会がどうして嫌に思われているかたくさんの意見を聞いて、
またいいと思われているところもないわけではないかもしれませんし、
私がとりあえず視野を広めていくことを望んでいるので、なにか意見をくださいということです。
そして希望的な風を教会の人と外の人と他にもいろんな宗教の人と共有したいというか
…なんだか難しいですが。
とにかくなにかいろいろ意見が聞けるといいと思います。


あと回答のマナーとして
人をあざけるような中傷コメントは人が見ていて気持ちのいいものでもないのでやめてください。
統一教会というだけで中傷したくなる気持ちも分からなくはないですが、冷静に回答してほしいです。

私は統一教会の者です。
信じてもいます。脱会だとかそういったことも考えていません。
注意ですが「やめたほうがいい」という言葉には乗りません。

私は世間からのイメージがすごく悪いことを知っています。
マインドコントロールという言葉も知っています。
マインドコントロールをされているという見方でみられるならば
ある意味私もそのような者であると受け入れています。
カルトだと見られていることも、壺売りのイメージがあることも知っていますし、
たくさんの教会側の事情、また外の人の見方もたくさん...続きを読む

Aベストアンサー

#6です。
まだ、締め切っていないので、ここに書きます。

きょう、久しぶりに水道橋を通りました。

例のカンパ集団がいて、まだ「十勝沖地震」とかで募金しているかと見ましたら「新燃岳」に変わっていました。
ここのひとたち、いくら集まって、どこに募金したって、自分からは言いません。
聞かないからいわないのではなく、自分から周知すべきです。

その地域の仲間に団体を名のらせて、そこに寄付してそこから教団に還元しているなら、「これもありか」と感じました。

看板の掛け替えはちゃっかりなんて、なんのための募金か、まったく説得力ないです。

Qイエス・キリストの系図

イエス・キリストの系図
日本の古典や旧約聖書のユダヤ人には系図が
あり、非常に人間的に出来ていますが、
新約聖書のイエス・キリストには処女マリアから
産まれて系図がありません。なぜでしょうか?

Aベストアンサー

母はマリアですが、父(厳密には神=イエス=聖霊(三位一体)なので父ではないですが…)は世界を作った創造主である神なので父方の祖先はありません。
また、子どもを作って子孫が現在もいるという映画もありましたが、バチカンやプロテスタントの各教団はそのことについては認めていませんので、系譜はイエスで終わることになります。

Q仏教徒の長男がクリスチャンに改宗してしまいました。

2男4女の6人兄弟の次男です。私が変わりにと思っていますが・・・。
又、次男の私が親のお墓に入ることは出来ないと思うのですが、如何な物でしょう。
どなたか教えて下さい。宗派は真宗大谷派です。

Aベストアンサー

ご存知のように、キリスト教は一神教ですので、他のあらゆる宗教の神や仏に手を合わせることを禁じています。

現在の日本国民法とは異なる解釈ですが、昔風の考えに基づけば、ご長男がご先祖様に手を合わせないようになった、つまり「家を捨てた」ということですから、ご二男が「家を継ぎ」、ご先祖様を供養するのが順当でしょう。
菩提寺に相談なされはご二男であっても墓を継ぐことはできると思います。

法律的な話しは別で、日本国民はキリスト教徒であれヒンズー教徒であれ共産主義者であれ、信教の自由が保障されています。
異教徒でも遺産相続を含む財産権は保証されておりますので、別途に長兄の相続放棄の書類などを整備しておなかいと、墓や家の権利などが異教徒にも相続されてしまう事になり、グチャグチャになります。
こちらは法律の話しとしてきちんとしておくことをお勧めします。

Qイエス・キリストって、今、何してる?

イエス・キリストは、今、どういう状態なのでしょう?これから先、どうかなるのでしょうか?それと、イエス・キリストが死んだ意味は何ですか?
カトリックとプロテスタント、それぞれの解釈を知りたいです。
どれか一つでも構いませんので、回答をお願い致します。

Aベストアンサー

(1)もし神とイエスが同じなら神の右の座に座ることはないでしょう。
(2)
さあどうなっているのでしょうね。神様だけがご存知でしょう

Qキリスト教の死生観について(できればクリスチャンの方よろしくお願いします。)

キリストが再臨して千年王国が始まるという「終末論」がありますが、これは何のためにあるのでしょうか?この時、死人は生き返り、生きた者も皆最後の審判を受けると聞きます。

****************************
まず、キリスト教の死生観について確認してよろしいでしょうか?下記が私の理解となります↓

キリスト教では、キリストを信仰することによって神の国に迎えられ、永遠の命をもつ。これは生前でも信仰があれば永遠の命に迎え入れられるということ、死後もまた同じように信仰を持つ者が永遠の命を与えられ、神の国に迎え入れられる。

こんな風に理解しています(ここまでで間違った認識があればご指摘お願いします。)

******************************
こんな風に理解しているのですが、この時疑問を持ちました。

信仰を持つものは神の国に迎え入れられ、永遠の命を与えられる、つまり、ここではっきり判別されましたよね、地獄へ落ちるものと天国へいくもの、信仰を持った天国へ行くものは永遠の命を与えられます。

これで終わりでいいと思ったのですが 千年王国、終末論というのは何のためにあるのでしょうか。もうすでに天国において永遠の命を得たものと地獄へいくものが判別されたのに、わざわざ死人を復活させ、生きた者も皆、審判を受けると言う事の意味が、よくわからないんです。

☆また、この時復活させられる「死人」というのは、天国においてすでに永遠の命を得た者も叩き起こされるということでしょうか?
永遠の命をすでに得たはずの者(死人)が<<復活させられる>>ってどういう状態ですか?「さらに強化された永遠の命??」でしょうか??

また死んで地獄へ行った者も、叩きおこされ、審判を受けるのでしょうか。

つまり、終末論というのは、選別、つまり審判をやり直す、ということですよね。
信仰を持つものは永遠の命をえる、持たないものそれを得ないって決まってたはずなのに?もう選別は終わってたはずなのに。

なんででしょうか?終末論の意味、教えてくだささい。

地獄へいったものにもチャンスを与えるために、審判をやりなおすのでしょうか?すでに天国へ行った者が、「あ、こいつ一端天国送ったはいいが、案外不信仰者だな。最後の審判により、地獄行きへ決定。」なんていうふうに、選別やり直し(最後の審判)で地獄へ送られる、ということもあるのでしょうか。

疑問が多いですが、よろしくお願いします。素人ですので、出来るだけ簡単なご説明をお願いします。

キリストが再臨して千年王国が始まるという「終末論」がありますが、これは何のためにあるのでしょうか?この時、死人は生き返り、生きた者も皆最後の審判を受けると聞きます。

****************************
まず、キリスト教の死生観について確認してよろしいでしょうか?下記が私の理解となります↓

キリスト教では、キリストを信仰することによって神の国に迎えられ、永遠の命をもつ。これは生前でも信仰があれば永遠の命に迎え入れられるということ、死後もまた同じように信仰を持つ...続きを読む

Aベストアンサー

blueduciel様お返事大変ありがとうございました^^。
しばらく、用事にふけっていまして(笑)・・・久しぶりにgooをあけてみましたら、blueduciel様のご質問が。わかりました^^。そりゃそうですよね、一気に理解をしようと努力するものなら・・・「どうして?」「なぜ?」と言った純粋な疑問が出てきましても、至極当然です。
答えがいがありますね^^。

    さて、それではラストですよ^^(汗)
※お手数ではありますが、きちんと()内の聖句をご自身で必ずお調べくださいますようお願いいたします。


(1) まず完全ということなのですが、この完全というのは父なる神のみを指すのであって、「イエス」すらも完全ではないということなのでしょうか?
>つまり物は、設計者もしくは製作者の定めた意図または目的、あるいはその受取人もしくは使用者の用途に応じて、あるいはそれに関連して’完全”なんです
そして↑に書いて頂いたことなのですが 設計者もしくは製作者=神 
受取人もしくは使用者=人 と考え、「完全」「絶対」の概念をこの世に投射した時の完全というものの定義 という理解でよろしいのでしょうか!?

   はい、そういうことなのです。
例えば・・・「身体的な面において」でしたら、最初の人間アダムとエバは、永遠に生きれましたし、病気も老化も一切ありませんでした。
しかし、それは・・例えば・・ずっとずっと疲れることなく走っていられるか?といえば、全然そんなことはありませんよね。疲れも出てくるでしょうし空腹にもなります。
もしも何も食べないで、そのままの状態にするなら、いつかは死んでしまうことでしょう(ただし、現在の私達とは恐らくケタ違いに生き延びれるでしょうが・・{完全な人間イエスが40日一切食事を取らなかった 参照マタイ4:1-3})。 「不滅」ではありません。
高いところから飛び降りれば、もちろん死ぬでしょう。
自然の法則(摂理)に従うのは前提条件なのはいうまでもありません。


では完全な人間であったアダムとエバが罪(不従順)を犯した事については・・・一体なんという事が出来るのでしょうか?

これは「完全性」と・・・さらに「自由意志」という関連があるのです!
神の理知ある被造物には「倫理的自主性」・・・つまり自分の取る道に関して個人的に決定する「特権(自由)」と「責任」が与えられています(申命記30:19.20参照)(ヨシュア記24:15参照)。
明らかに最初の人間夫婦の場合がそうでした。それゆえに、神に対する両人の専心を試すこともできたのです(創世記2:15-17 ;3:2、3)。その二人を造った方であられる神は、ご自分が両人に何を望んでいるかをご存知でした。 聖書によりますと、神が自動的な、事実上機械的な従順ではなく、純粋な愛に促されて心と思いから発する崇拝と奉仕を望んでおられたことは明らかです(申命記30:15,16)(歴代誌第一28:9、29:17)(ヨハネ4:23、24と比較)。

もしもアダムとその妻が、この事柄において選択能力に「欠けていた」なら、二人は神のご要求にかなっていなかったことになります。神の「基準」からすれば、二人は完成していなかった、つまり・・「完全」ではなかったことになるのです。

  人間に関する場合(先ほども述べましたが)、完全性は人間の領域に限定された相対的な完全性であることを忘れてはいけません。アダムは完全な者として創造されましたが、創造者によって定められた限界を超えることはできませんでした。アダムは泥や砂利や木を食べても、不幸な結果に見舞われないということはあり得ませんでした。
同様に、思いや心を間違った考えで養うままにしたなら、間違った欲望を抱くことになり、ついには罪と死をもたらすことになたでしょう(ヤコブ1:14,15。創世記1:29。それとマタイ4:4と比較)。

  被造物の個々の意志と選択が決定要素であることは、容易に理解できるかと思います。
仮に倫理上の論争が関係している場合、完全な人間は間違った道を取ることができないと主張するとしたら、論理的に言いまして、そのような倫理上の論争が関係している場合、「不完全な」被造物は「正しい」道を取ることができない論じるべきではないでしょうか!
ところが、不完全な被造物ではあっても、神に対する従順が関係している倫理上の問題で、正しい道を取り、その道を変えるよりはむしろ迫害を受けて苦しむ道をさえ選ぶ人たちが現にいま(す)した。しかし、そのような人がいる一方、自分では間違っていると分かっていることを故意に行なう人もいます。
したがって、間違った行動をすべて人間の不完全さのせいにすることはできません。「決定的要因は個人の「意志」と「選択」です。同様に、最初の人間の側の正しい行動を保証するものは、人間としての「完全さ」だけだったのではなく、むしろ・・・神と正しい事柄とに対する愛に促されて自分の自由意志と選択能力を行使することだったのです。
(箴言4:23)


(2)>その教えは明快です。つまり「人は死ぬと存在しなくなる」のです
死ぬものはどうしても死ぬのであるということ大変勉強になりました。それが記されていると知った上でコリント信徒への手紙「死者の復活」を読むと、死者が生き返るとか死なないとか書いてあるけれども、これを信仰として死なないとか(satotan111様がカトリック風解釈と仰っていたのはこのこと?)いうことであるよりも、リアルに千年王国期間内での「義者と不義者との復活」のことを示唆して書かれているととらえてよいのでしょうか?

    なるほど・・・^^。blueduciel様はすごいですね(驚嘆&尊敬)。コリント第一15章からのくだりですね。ここは「復活と神の王国との関係」を説明しています。
でわ、頑張って「簡単に???ご説明」いたします。(努力してみますゆえ・・)

以前もチラッとだけご説明いたしましたが、聖書によりますと・・・1914年以降に天で王国が設立されました。イエスキリストが天で王として臨在しました。要点は次です。
   人類から買い取られた共同支配者(王)としての最初の復活が「天において始まります」。

これら最初に天で霊者(霊の被造物)として復活してくる者たちは、以前はもちろん全員人間です。そして地上で死んだ普通の人たちです。パウロ自身もその内の一人です。ただし、人間としてのイエスキリストが「贖い」(あがない)という任務を遂行しましたよね。その3日後によみがえらされましたよね。(イエスは復活の「初穂」です。) この時点から信仰によって亡くなる人たち(クリスチャン)が条件です。

ですから、それ以前に聖書中に出てくる数々の忠実だった人たち・・例えば・・・アベル・・ノア・・・アブラハム・・・・モーセ・・ダビデ・・ダニエル・・などなどは、ハルマゲドン後の楽園となった「地上での復活」となります。はるか大多数が地上での復活です。
天での復活(最初の復活)・・・・その人数は14万4千人です(たったこれだけの人数です)。あとの何十何百億という人地上での楽園です。

さて、この天での復活(最初の復活)は、聖書では・・よりまさった復活と呼ばれています。どういう意味で優っているのでしょうか?
それは、物質の体を持った「人間」としてではなく、霊の体を持った者として復活させられます。しかも「不滅性」と「不朽」があたえられています。これはもう深く説明いたしませんよ(笑)
ちなみに人間は終末論、つまりハルマゲドン後の「千年王国」が始まり、千年経った後の最後の試みに成功した者には、完全な人間として永遠に地上を楽しむこと(最初のアダムたちの状態に戻れる)が出来ますが、やはりそれでも「不滅」ではありません。

もし万が一、間違った考えを捨てずに、その欲望を温め続けた結果、不従順にはしったならば、すぐ死に処されるでしょう。「不滅」は滅ぼされないという意味だからです。それほど裏を返せば信頼や強い愛で結ばれているからといえます。イエスも天での復活の際、不滅性を身に着けるのを許されています。
(補足)ちなみに完全性に到達した人間にとって、よほどのことがない限り罪を犯す事が、逆に難しく感じるかもしれません。今の不完全で罪深い私達の感じ方(考え方)で理解しようとしても、難しいかもしれません。

  パウロが述べている「復活」は、天でイエスと共に共同相続人(王)として愛のある支配をするという、素晴らしい「特権」を言っています。ご理解いただけましたでしょうか?


(3)さらにヨハネ黙示録20:4-5で「はっ!」と思うところがあります
「この者たちはあの獣もその像も拝まず額や手に刻印を受けなかった。彼らは生き返ってキリストと共に千年の間統治した。その他の死者は千年たつまで生き返らなかった・・
」これは、千年期間中 生き返る死者と生き返らない死者という振り分けもあるということでしょうか??(→すべての死者が生き返る訳ではない??)

   すごいですblueduciel様。そうです、聖書に精通している方でさえ、ここはよくこんがらがる方がいますよ。ここは前後の脈絡や、ヘブライ語の語源の意味などを調べたり、聖書全巻の教義を照合すると、くっきりはっきりいたします。

まず啓示20:4,5の全文です。
  4節「またわたしは、数々の座を見た。それに座している者たちがおり、裁きをする力が彼らに与えられた。実に、イエスについて行なった証しのため、また神について語ったために斧で処刑された者たち、また、野獣もその像をも崇拝せず、額と手に印を受けなかった者たちの魂を見たのである。 そして彼らは生き返り、キリストと共に千年のあいだ王として支配した。」
  5節「(残りの死人は千年が終わるまで生き返らなかった。)これは第一の復活である。」


    まず4節の「それに座している者たち」・・・聖なる者たち、24人の長老、「油注がれた王なる裁き主たち」、つまり、14万4000人の共同支配者(共同相続人、王)です。(ダニエル7:13,14,18)(啓示4:4)(マタイ19:28)(コリント第一4:8; 6:2,3)(啓示3:21)(啓示14:1.2)

    「斧で処刑された者たち」・・・斧(ギリシャ語:ペレクス)ローマの伝統的処刑用具だったようですが、ヨハネの時代には剣のほうがもっと一般的に使われていました。(使徒たちの手紙12:2)
ですから、ここで使われていますギリシャ語、「ぺペレキスメノーン」(斧で処刑されたの意)は、単に「処刑された」という意味です。
とはいえ、この表現は確かに殉教の死を遂げるそれら油注がれたクリスチャンすべてを包含することを意図しています。(マタイ10:22,28)
実際、全員が殉教者として死ぬのではありません。その多くは病気や老齢のために死にます。


     そして4節後半「そして彼らは生き返り、キリストと共に千年のあいだ王として支配した」。・・・・・これは、諸国民が滅ぼされ、サタンとその悪霊たちが底知れぬ深みに入れられてしまうまで、つまりハルマゲドンの時まで、それらの裁き主(14万4000人の王たち)が復活させられないことを意味していますか?
いいえ、そうではありません。聖書によりますと、そのほとんどはすでに天で生きています。というのは、彼らはイエスと共にハルマゲドンで諸国民と戦うために(比喩的な意味で)乗り進んできたからです。(啓示2:26,27)(啓示19:14)

  実際パウロは1914年にイエスの臨在が始まってまもなく、彼らの復活が始まり、ある人たちは他の人たちよりも先に復活させられることを示唆しました(コリント第一15:51-54)(テサロニケ第一4:15-17)。
ですから、彼らはある期間に個人個人天で不滅の命を受けて、生き返ることになります(テサロニケ第二1:7)(ペテロ第二3:11-14)。



     そして問題の5節「(残りの死人は千年が終わるまで生き返らなかった。)」・・・・・・それをそのままの意味で取ってしまいますと、一体それらの王たちは誰を裁くのでしょうか???(混乱)

ここでの「生き返る」とは・・・(エフェソス2:1)(ローマ3:23,24)(マタイ22:31,32)のような使い方と似ています。つまり、(千年期間中)キリスト教以前のクリスチャンたちも、また復活させられる他の人たちも、それにハルマゲドンを生き残る忠実なほかの羊の大群衆と、新しい世(楽園となった地上)で彼らに生まれるかもしれない子供たちも皆、なお人間としての完全な状態(完全性)に引き上げられなければなりません。
これは千年の裁きの日の期間に、イエスの贖いの犠牲に基づいて、キリストとその仲間の王なる祭司たち(14万4000人)により成し遂げられます。
ですから「残りの死人は」、その日の終わりまでに(最後の試みの時までに)、完全な人間になるという意味で「生き返っている」ことでしょう!そして完全な人間として最後の試みを受けなければならないのです。そしてその試みを通過する時に、神はそれらの人々を永遠に生きるのにふさわしい、全き意味で義にかなった者として宣せられます。そして詩篇37:29です。


こんな感じです。またかなり駆け足すぎましたが、どうかお許し下さいませ。ゆっくりじっくりお時間かけても結構ですので^^。
お返事なりご感想は、遅くなっても全然大丈夫ですので、blueduciel様、どうか気を使わないで下さいませ(笑)

私自身また思い出せて勉強になりました。御礼を言うのは私かもしれませんね^^。
PS:まだまだ詳しくお知りになりたいようでしたら、やつら(エホ証)(ウロウロしてます)に聞いて教えてもらうのも一つの手ですね。よならしたくなったらするのもいいでしょう。
理解しにくい部分がいっぱいかと思いますが、何卒ひらにご容赦を^^

blueduciel様お返事大変ありがとうございました^^。
しばらく、用事にふけっていまして(笑)・・・久しぶりにgooをあけてみましたら、blueduciel様のご質問が。わかりました^^。そりゃそうですよね、一気に理解をしようと努力するものなら・・・「どうして?」「なぜ?」と言った純粋な疑問が出てきましても、至極当然です。
答えがいがありますね^^。

    さて、それではラストですよ^^(汗)
※お手数ではありますが、きちんと()内の聖句をご自身で必ずお調べくださいますようお願いいた...続きを読む

Q阿弥陀仏とイエス・キリストの救い

阿弥陀仏とイエス・キリストの救いは、どこが違うのでしょうか?

Aベストアンサー

あるオーストラリアの熱心な青年が仏教の深遠さを勉強しようと日本へ来た。
たまたま、学んだのが浄土真宗だった。
すると、この青年はキリスト教と同じではないかと失望し帰国した。
という話を聞いたことがあります。
そういう話もあるくらいですから、質問はもっともなことです。

浄土真宗の門徒の発言として読んでください。

類似視される考えられる要素はおそらく
(1)弥陀一仏への帰依   → 一神教
(2)罪悪深重の凡夫の救い → 原罪
(3)往生浄土       → 天国
あたりでしょうか。

(1)阿弥陀仏の救いは仏教の教えですから、成仏道です。
いかなる仏教においても仏になるのが目的ですが、キリスト教で「人間が神になる」という文言を聞いたことはありません。
神は創造主ですが、阿弥陀仏は如来(一如より来たらしめた)です。
(仏典に出てくる神々はキリスト教でいう神とは意味が違います。)
私の迷い元は、無明(真実が明らかではない)ですが、それを打ち破るはたらきが、仏の智恵と慈悲のはたらきであり、仏が私の境遇を定めたり試練を与えたりするという訳ではありません。
また、仏を自然(しぜん)界そのものという汎神論的解釈をする人もいますが、それもちょっと違うような気がします。
自然界の中に満たされた、私を真実化するはたらきは真如法性、無上仏と呼び「いろもましまさず、かたちもましまさず」ゆえに自然(じねん)と申す、とあるように私とは関連不能。
その真如からはたらきをもって、あらわれたから阿弥陀仏を如来と呼びます。
親鸞聖人は
「弥陀仏は自然(じねん)のやうをしらせんれうなり。(有り様を知らせる手立てである)」(自然法爾章)
と言われています。

(2)旧約聖書は物語としては面白いですが、私にはとうていついていくことができません。
新約聖書の瑞々しさは魅力的です。
「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人である」(マタイ9-12)
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9-13)
あたりは歎異抄3条の悪人正機(悪人こそ正しきめあて)を彷彿とさせます。

この場合の悪人は成仏の材料が欠けた私ということであって、罪人とは違います。仏教にあっては全てのものは縁によって成り立った存在ですから、私のありようは本来、無記(善悪が決まった存在ではない)です。
天罰ということばはありますが、仏罰ということばは本来存在しません。仏は、私を救う存在です。
仏のはたらきは
「真実なるものは、真実ならざるものを、真実にさせようとするはたらきをもつ」
というふうに言ってみます。
ただし、こういう表現はなんとなく解ったつもりになるという恐れがありますので聞き流してください。

(3)浄土は阿弥陀仏のはたらきの完成の表象であり具体化です。
固定化された土は化土と呼ばれ、真仏土は「光明、寿命無量の願」に基づくものです。
浄土はたらきの世界、常にあらゆる境遇と関わりをもつ(還相回向)ものです。

浄土に心を向けること(願生)は、私を悟りに導く妙法ということになります。

私の感じからいうと、浄土真宗の教えはキリスト教よりは、やはり禅宗や真言、天台のほうにずっと近いと言う気がしています。

あるオーストラリアの熱心な青年が仏教の深遠さを勉強しようと日本へ来た。
たまたま、学んだのが浄土真宗だった。
すると、この青年はキリスト教と同じではないかと失望し帰国した。
という話を聞いたことがあります。
そういう話もあるくらいですから、質問はもっともなことです。

浄土真宗の門徒の発言として読んでください。

類似視される考えられる要素はおそらく
(1)弥陀一仏への帰依   → 一神教
(2)罪悪深重の凡夫の救い → 原罪
(3)往生浄土       → 天国
あたりでしょうか。
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Q教会の週報にて

教会には、週報というものがあります。
4月10日
以下抜粋です。(個人名、宗教的な箇所は極力省いています。)
今日は知事選挙の日です。震災の影響もあってか、私たちの住む町の大切な首長選挙です。主のみこころがこの町に示されるよう祈りつつ投票に臨みたいものです。教会として特定の候補者を支持することはありませんが、私個人としては現職再選という結果にだけはなってほしくないと思っています。XX新聞では今回の選挙の争点としてXX市場の移転、XXX銀行の存続、XX招致の是非などが挙げられていますが、これまでの×政の継続を願うのかどうか、リーダーの資質面での問題などもきちんと見極める必要があるでしょう。少なくとも、教育現場における日の丸・君が代強制やアジア周辺諸国の人々へのあからさまな蔑視、社会的弱者に対する差別発言や今回の地震・津波に対する爆弾発言などは、どれ一つとっても決して見過ごすことのできない重大な問題をはらんでします。
確かにその知事に問題発言はあったと思いますが、牧師という職業である以上、人の悪口(に近い)は慎むべきでしょう。
思うのは自由だと思いますが、公でいう発言ではないでしょう。

教会には、週報というものがあります。
4月10日
以下抜粋です。(個人名、宗教的な箇所は極力省いています。)
今日は知事選挙の日です。震災の影響もあってか、私たちの住む町の大切な首長選挙です。主のみこころがこの町に示されるよう祈りつつ投票に臨みたいものです。教会として特定の候補者を支持することはありませんが、私個人としては現職再選という結果にだけはなってほしくないと思っています。XX新聞では今回の選挙の争点としてXX市場の移転、XXX銀行の存続、XX招致の是非などが挙げられてい...続きを読む

Aベストアンサー

実は回答者の家人が教会員です。
やっぱり「牧師」って呼ばれてるんで、たぶん同系統なんでしょうね。

で、実はこちらの牧師さんも、結構好き勝手言ってます(笑)。

>牧師は世間では高潔でなくてはならないと思っております。

ということで、回答者も「ある程度」ではありますが
「素顔の牧師」を知っていたりするんで、

高潔というよりは「世間知らず」という言葉が似合うと思ってますよ(笑)。


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