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I am always doing that which I can not do, in order that I may learn how to do it.
私はいつも自分にできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるから。

上記は、パブロ・ピカソの名言です。
ここで、in order that~may~が使われています。
so tha節tやin oeder that節が結果ではなく目的を表す場合、that節以内に助動詞が入ることが多いですが、mayが入る場合は、canを入れることができない場合だと認識しておりました。
しかし、この名言の場合、和訳から考えるとmayよりもcanのほうが適当に思えます。

つきましては、次の点ご教示願います。
①この名言の場合、canよりもmayを使った理由、canだとどのような違いが出てくるのか。
②that節内のcanは、可能性や能力を示すのでわかりやすいのですが、mayを使う場合の意味合い
③一般的な、目的を表すthat節内の助動詞の選択方法。

A 回答 (2件)

「そのやり方を学べそう」→「そのやり方を学べそうであるために」


「学べるかもしれない」→「学べるかもしれないために」

日本語の訳語を当てはめてぎこちなく事は多々あるのはご存知だと思いますが、、、「学べそうであるために」でも若干日本語として変ではないですか?
英文そのままで理解すればどうでしょうか。それでも変と感じますか?

CanもMayも可能性ををしめすものです。ちがいはMayのほうがいくらか可能性が低いと感じている。ですから、
「そのやり方を学べる可能性がある」→「そのやり方を学べる可能性があるので」
あるいは同じ可能性をしめすCanの時の訳のままでも通用する場合もあるでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

>「そのやり方を学べそう」→「そのやり方を学べそうであるために」
「学べるかもしれない」→「学べるかもしれないために」
日本語の訳語を当てはめてぎこちなく事は多々あるのはご存知だと思いますが、、、「学べそうであるために」でも若干日本語として変ではないですか?
仰るとおり、目的にするとぎこちなくなるので、理解できないということが言いたかったのですが、伝え方が悪く申し訳ありません。

結局意味としては、目的を達成するのが不確実だという、話し手の少し自信のないニュアンスでしょうか?

お礼日時:2023/06/19 11:09

まさか「may」を「~してもよい」という意味でしか理解していないわけではないですよね?



アメリカ人(イギリス人もかな?)は、会話の中でも「多分そうだよ」「かもね」というときに「may be (so).」みたいな言い方をよくします。断定を避けて、「ありかも」「可能性がありそう」「そうかもしれない」というニュアンスです。

お示しのピカソの言葉も、「そのやり方を学べそう」「学べるかもしれない」というニュアンスです。不確実さやあいまいさ、「なんちゃって」感や「試行錯誤」の意味あいが含まれます。
「確実に学べる」ニュアンスの「can」とは意味合いが違います。

質問の①~③とも、上のような「意味合い、ニュアンス」から説明できるでしょう。
「日本語に訳して考える」のではなく、「もともとの表現の持つニュアンス」を味わってみるとよいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

>お示しのピカソの言葉も、「そのやり方を学べそう」「学べるかもしれない」というニュアンスです。不確実さやあいまいさ、「なんちゃって」感や「試行錯誤」の意味あいが含まれます。
仰るとおりmayにかもしれないという意味があるのは存じているのですが、これが目的を表すthat節内ということで、目的まで含めて和訳すると、

「そのやり方を学べそう」→「そのやり方を学べそうであるために」
「学べるかもしれない」→「学べるかもしれないために」

となってしまい、日本語で言わないような理解しにくい表現になってしまいます。
目的を達成するのが不確実だという、少し自信のないニュアンスでしょうか?

お礼日時:2023/06/12 17:59

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