三国時代の呉の君主孫権は
疑い深くなった聞きますが、
それを含めて老化の影響というのはどのようなものだったのでしょうか?
陸遜

このQ&Aに関連する最新のQ&A

」に関するQ&A: 祖父から孫への贈与

A 回答 (3件)

はじめまして。

孫権好きが高じて、趣味で(苦笑)二宮の変を研究している者です。

wenwuさんのご回答ですが、若干事実誤認ではないかな?という記述が見られましたので、失礼かと存じますが訂正させていただきます。

・皇太子・孫和は廃立後自殺させられた。

孫和の自殺は孫権死後の253年、諸葛恪誅殺事件に絡んでのものであり、二宮の変が直接の原因になったわけではありません(孫和の正妻・張氏が諸葛恪の姪だった)。
ただ、諸葛恪誅殺事件そのものに、二宮の変の影響がある程度あった可能性は否定できませんが。

孫和に対する処断は、少なくても孫権にとっては、250年に庶子として故ショウ(「ショウ」は「章」におおざと)に強制移住させたのち、252年に南陽王として皇族に復帰させたことをもって終了していると見るべきだと思います。

さて、ご質問の内容は「孫権の老化による影響はどのようなものだったか」でありますが、そもそも、この時期の孫権の行動を理解できないからと言って、「老害」の一言で済ませてしまうのはどうなのかなと、私は常々思ってきました。論理的に考えていくと行き詰っていくような考察ならば、日本語訳が間違っていたり、陳寿が「呉書」執筆時に念頭に置いていた前提条件そのものが間違っていた可能性をも考慮に入れるべきだと思います。

参考には、ちくま訳の「正史三国志」内で書かれた「陸遜は流刑された」の一文が誤訳である可能性が高いとの内容が論議された掲示板のスレッドをご紹介します。
私もその後、ちくまの「三国志・呉書」を再読しましたが、状況証拠から考えても陸遜は99%流刑になどなっておらず、それどころか丞相の任すら解任されていないのではないかと考えています。つまり、孫権にとってはその程度の「軽い」問責だったのです。

市販本では、二宮の変に絡んだ孫権の正しい系図にお目見えしたことがないのですが、長沙走馬楼呉簡の研究も着々と進みつつある今、もっと真剣に呉の考察に取り組んでいる文章に出会いたいものだなぁと思っています。

以上、一孫権ファンからの愚痴でした^^;

参考URL:http://www.tpot2.com/~sunshi/ctk/c-board.cgi?cmd …
    • good
    • 0

疑い深くなったというか、周囲の諫言を聞かなくなったと言うか・・・。


皇太子に立てた長男(孫登)が若死にし、その後、新たに皇太子を立てる(孫和)のですが、その弟に当たる魯王(孫覇)を溺愛して二人を同等に扱いました。多くの臣下が立場をハッキリさせるべきだと諫言したにも関わらず孫権は魯王を可愛がり続けました。そんな状態になったもので、皇太子派と魯王派が対立してしまい、呉の朝廷が荒れました。
最終的には孫和は廃立後、自殺させられ、孫覇も自殺させられ、末息子孫亮が皇太子に立てられ、二代目皇帝になりました。ちなみにその後も呉皇室は荒れます。蛇足で孫和vs孫覇の時、諫言を繰り返して失脚・死亡した臣下も多く、その中には陸遜も含まれます。
元々疑い深い性格はあったらしいですが、晩年になって、それが顕著になったらしい。更に寵妃や愛児の言葉に惑わされる面も出ていったそうです。
詳しくは「正史三国志・呉書・呉主伝第二」をどうぞ。
    • good
    • 0

国会図書館のサイトから


「呉 歴史」で検索すると、4件Hitしましたが、
1.爆笑三国志/3/シブサワ・コウ/光栄/1998.5 
2.呉ノ歴史/笹本毅/〔笹本毅〕/1994.11 
3.回顧と展望/2/呉史談会/1988.7 
4.図説呉の歴史/金指正三/国書刊行会/1981.10
更に、「呉」で件名に「中国 歴史 三国時代 」を入れて検索すると、184件Hitします。その中で、
1.三国志人物事典  小出文彦∥責任監修
出版地 :東京
出版者 :新紀元社
出版年月:1999.1
資料形態:392p  21cm  1900円
シリーズ名: Truth in fantasy  43
件名  : 三国志演義/ 中国―歴史―三国時代
ISBN:4883173100
NDLC: GE273
NDC : 222.043
請求記号:GE273-G35
2.三国志全人名事典  『中国の思想』刊行委員会∥編著
出版地 :東京
出版者 :徳間書店
出版年月:1994.11
資料形態:443p  22cm  3500円
注記  : 『<正史>三国志英傑伝』別巻
件名  : 中国―伝記―辞書/ 中国―歴史―三国時代
内容  : 関連略年表:p431~443
ISBN:4198602042
NDLC: GE12   GE273
NDC : 222.043
請求記号:GE12-E12
3.三国志英雄の謎と真実  守屋洋∥監修
出版地 :東京
出版者 :青春出版社
出版年月:1999.2
資料形態:236p  15cm  476円
シリーズ名: 青春best文庫  
件名  : 中国―歴史―三国時代
ISBN:4413084055
NDLC: GE273
NDC : 222.043
請求記号:GE273-G33
この本あたりに記載されているような気がするのですが・・・?

ご参考まで。

参考URL:http://webopac2.ndl.go.jp/ows-bin/search.cgi?MOD …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

いつもお返事ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:-0001/11/30 00:00

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q劉備・曹操・孫権だれ好き?

劉備・曹操・孫権(孫索、孫堅も含む)だれ好き?
この3つでw

Aベストアンサー

この中では 劉備 です。

ゲームの話ですが(シュミレーションの方、三国無双はやった事ない)
最初から強い武将が2人いますので。

漫画でも 劉備=善 曹操=悪 みたいな感じになっています。
孫権は名前から良い感じの君主かと思いきや
意外にも 関羽 の首を刎ねたのは孫権ですから 驚きです。
(曹操に殺されると思っていたので)

その他では 馬騰 を選ぶ事が多いです。(ゲームに戻る)
端っこで 攻められ難いので。馬超もいますし。

Q三国志の陸遜について

初めまして。三国志を読んでいて、陸遜が特に好きです。彼には『陸抗』という子供がいたようですが、この子は孫策の娘との間にで来た子供ですか?それとも他に奥さんがいたのでしょうか。また陸遜が孫策の娘と結婚したのは、孫策の死後でしょうか。また陸遜のことについて知っていることがあれば教えて下さい。このような質問で恐縮ですが、よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

こんにちわ。陸遜いいですよね☆
一応、家系図があったので参考にどうぞ^^

参考URL:http://www.google.co.jp/search?q=cache:1u1hdF2caMkJ:chozinn.hp.infoseek.co.jp/genealogical_table/rikuson.html+%E9%99%B8%

Q三国志について(孫権)

孫策と周瑜のような関係性を持った方は孫権には居ないのでしょうか?

Aベストアンサー

三国志演義で言うならば、そのような関係の人物はいません。
小説を作る上で、孫策と周瑜の「特殊な関係」を際立たせるために同じような関係のキャラクターは配置しなかったのでしょう。
似た関係だと劉関張の三兄弟ですが、こちらは兄弟としてタテの関係が強調されていますね。
孫権と張昭は面白い関係ですが、こちらはガンコジジイとガンコな孫みたいなものですから、孫策と周瑜との関係とはかなり違います。

正史で言うならば、そのような関係の人物はいたかどうかわかりません。
なぜなら孫権は皇帝になったので、後継者問題や権力基盤が複雑化するのを避けるために、
孫権と親しい人物は排除されたでしょうから。(陸遜がいい例です)
(あるいは孫権自身が排除したでしょう)
実際にいたとしても史書に残さないでしょうし、実際残っていません。
もしかしたらいたのかも…という想像は楽しいですけどね。

Q「専制君主制」と「絶対君主制」の違い

無知な者で恐縮ですが…、「専制君主制」と「絶対君主制」は微妙に違うと思うのですが、その違いについて教えてください。

Aベストアンサー

これは言葉の問題ですね。
絶対君主制は専制君主制の一種です。

つまり絶対主義に基づく専制君主制のことが
絶対君主制です。
絶対主義は絶対王政ともいいます。

絶対主義は、君主に至上の権力を付与する
専制的な政治形態で、ヨーロッパ近世に見られ、
封建的貴族領主に対する王の統一権力が
成立しながら他方で身分制を保存するために、
封建制から資本主義的近代国家への過渡期に位置づけられます。
国王の権力が絶対無制約(つまり憲法が無い)で
中央集権化されて宮廷貴族化した官僚と軍隊がその権力を支えます。
王権神授説は、国王の独裁を正当化する政治理論です。

立憲王政以前の君主政体を絶対君主制と表現することがありますが
歴史用語的には、古代エジプトや明治日本などには適用せず、
主に15~17世紀のヨーロッパで脱中世した
中央集権国家をさしています。

啓蒙思想を受け入れた絶対王政の君主を
啓蒙専制君主と呼びますが
最初にいったようにこれも専制君主制の一形態です。
啓蒙主義を受け入れたといっても
上からの近代化を進めるというだけで
圧制には変わりないので、
無知な人民を身分的知的上位者が開明・統治するということで
新手の王権神授説といってもいいへ理屈なのですが
ともかく18世紀ヨーロッパを代表する政治体制です。

(ヨーロッパの)専制君主制には、
オリエント的専制君主制、絶対王政、啓蒙的専制君主制、
の三パターンぐらいが登場します。

オリエント的というのはここではアジア的という意味合いなのですが
ロシアのロマノフ朝のように皇帝に全権力が集中する政治体制です。

専制君主という言葉は独裁者と同義なので、
スターリンや金正日、フセインの政権の表現にも使いますが、
絶対主義の進化形ではありません。

これは言葉の問題ですね。
絶対君主制は専制君主制の一種です。

つまり絶対主義に基づく専制君主制のことが
絶対君主制です。
絶対主義は絶対王政ともいいます。

絶対主義は、君主に至上の権力を付与する
専制的な政治形態で、ヨーロッパ近世に見られ、
封建的貴族領主に対する王の統一権力が
成立しながら他方で身分制を保存するために、
封建制から資本主義的近代国家への過渡期に位置づけられます。
国王の権力が絶対無制約(つまり憲法が無い)で
中央集権化されて宮廷貴族化した官僚と軍隊が...続きを読む

Q三国志の孫権が名君とされる理由

三国志を読んでいると(具体的には「蒼天航路」というモーニングのマンガです。ご存じない方ごめんなさい)、孫権は孫堅、孫策に匹敵するあるいは上回る大器といわれてますが、具体的にどのようなところでしょうか?他の君主では劉備はすごい人望があるし、曹操は屯田制をやったり文学の才能があったりしてそれぞれに英雄だなあと思うのですが。孫権についてなにか具体的な功績や人柄にまつわるエピソードご存知の方いらっしゃいましたら教えてください。よろしくおねがいします。

Aベストアンサー

分かりやすく説明すると

・外交術にすぐれていた
 (時勢に乗っては、魏と結び、蜀と結び。それによって利益をもたらした)
・版図拡大と維持
 (荊州や揚州など、しっかり領土・国力を増やした。また維持もした)
・人物眼がある
 (家臣内から評判の悪い、もしくは競争する際にゲバ票が低い人物を
  登用し、見事に活躍させている。魯粛、呂蒙、呂範、顧雍など)

これが評価に繋がっているかと思います。
しかし、豊臣秀吉が羽柴藤吉郎の時は英雄でしたが、豊臣秀吉になって
からは老害だったように、孫権も年をとってからは暗愚になります。

後継者問題で10年も揉め、著しく国力を低下させました。
どちらを後継者にするかで家臣はバラバラになり、陸遜をはじめ多くの
家臣がなくなりました。

僕も「蒼天航路」は大好きで読んでいましたが、あくまであれはフィクション。
作品の中での孫権の役割は、「動物的本能で動く、予測がつかない異端児」
扱いだった気がします。
たしかに、上記であげたように、家臣が理解できない選択をして、功を奏し
たりしているので(合肥侵略など失敗もありますが)、あのキャラ付けもある
意味的を得ていると思います。

分かりやすく説明すると

・外交術にすぐれていた
 (時勢に乗っては、魏と結び、蜀と結び。それによって利益をもたらした)
・版図拡大と維持
 (荊州や揚州など、しっかり領土・国力を増やした。また維持もした)
・人物眼がある
 (家臣内から評判の悪い、もしくは競争する際にゲバ票が低い人物を
  登用し、見事に活躍させている。魯粛、呂蒙、呂範、顧雍など)

これが評価に繋がっているかと思います。
しかし、豊臣秀吉が羽柴藤吉郎の時は英雄でしたが、豊臣秀吉になって
からは老害だっ...続きを読む

Q二次大戦中の日本の現状(軍、一般市民も含め)

あるきっかけでバンザイ突撃というものを知りました。
衝撃を受けました。

そこで二次大戦中、言い方悪いですが日本がおかしくなっていったころの日本について知りたいです。

なにかいいサイトありませんか?

Aベストアンサー

質問者さんは慶應SFCの学生さんのご様子ですね。
大学の図書館で本を読んで調べてみようとは思われませんでしたか?
「戦時中の日本」に関する本は10冊や20冊見つかると思いますよ。

ただ「バンザイ突撃」と言う言葉すら大学生になるまで知らなかったと言うことは、過去の日本についての知識はほとんどないみたいですね。まあ、高校の授業や大学受験の日本史で「バンザイ突撃」については勉強しないとは思いますけど。

中央公論の「日本の近代」シリーズでも通読して日本史の基礎を身につけてから「二次大戦中の日本の現状(軍、一般市民も含め)」を調べても遅くないと思いますよ。

もっと本格的に行くなら、同じく中央公論の「日本の歴史」シリーズです。私はこれが家にあったので中学の時に暇を見て全巻読みましたが、実に面白く、私の日本史の知識の基礎になりました。

「日本の近代」も「日本の歴史」も大学の図書館に必ず備えてあるでしょう。質問者さんは地頭は良い筈ですから、本を読む努力を怠らなければすぐに日本史の素養が身につくはずです。

Q三国志―孫権の妹の名前

三国志に登場する、劉備に嫁に行かされた孫権の妹の事です。
最近のゲームや小説では、「尚香」という名が多く使われていますが、あれって何かの記録に残っていたものなのでしょうか?
自分では特に名前が残っていたとは認識しておらず、「尚香」という名は、陳舜臣氏の小説で最初に見付けたので、彼の創作かと思っていました。

ご存知の方がいらしゃったら、出典も併せて教えて頂けると有難いです。

Aベストアンサー

こちらに解説がありますが本名は判らないそうです。
【三国志をさわがせた女たち】
http://members.jcom.home.ne.jp/sangoku/zappa/Zappa7/onnatati.htm

「孫夫人」の所を参照

参考URL:http://members.jcom.home.ne.jp/sangoku/zappa/Zappa7/onnatati.htm

Q世界最長の君主国はどこですか

こんにちは。
どなたか世界史に詳しい方教えて下さい。
現在、世界には日本を含め40数カ国の王国・君主国がありますが、これら現存する王国・君主国のうち、王室の血統が連続している最長の国はどこになるのでしょうか(歴史上王国・君主国であっても現在すでに王制・君主制が廃止されている国を除きます)。また、2番目、3番目の国をご存知でしたら、併せて教えていただければ幸甚です。
歴史の本をいろいろと見てみたのですが、どこにも見当たりませんでしたので、どなたかご存知の方がいられましたら、どうぞよろしくお願い致します。

Aベストアンサー

>現存する王国・君主国のうち、王室の血統が連続している最長の国はどこになるのでしょうか

一位は、日本の天皇ですね。
ギネスの1500年続くというのは、明治政府の政策から出た政治的な事柄を根拠にしているようです。宮内庁でも証明不可能ですし、学会も同様です。
そもそも、天皇は万世一系ではありません。
4世紀・崇神垂仁系、5世紀・応神系、6世紀・継体系と血統が代わっています。
また、源平合戦とか南北朝時代の空白期間が明確になっていません。
(明治政府は、後醍醐天皇系を正統とし北朝系を廃帝しました。が、明治天皇の命により、北朝・南朝の各天皇が順番に即位した事になっています)
が、世界最長である事は間違いないでしようね。

二位は、マレーシア7王族。各州の王が、順番に「マレーシア国王」を名乗ります。(イギリス・日本の支配下でも王族は存続)
各州の王宮に入る事は出来ませんが、門番(衛視)と一緒に正門で写真を撮る事は可能です。当然、銃を構えています。

三位は、スペイン王族かスウェーデン王族でしようか。

ベトナム・ネパール・エチオピア王朝も歴史がありますが、既に王制廃止です。

>現存する王国・君主国のうち、王室の血統が連続している最長の国はどこになるのでしょうか

一位は、日本の天皇ですね。
ギネスの1500年続くというのは、明治政府の政策から出た政治的な事柄を根拠にしているようです。宮内庁でも証明不可能ですし、学会も同様です。
そもそも、天皇は万世一系ではありません。
4世紀・崇神垂仁系、5世紀・応神系、6世紀・継体系と血統が代わっています。
また、源平合戦とか南北朝時代の空白期間が明確になっていません。
(明治政府は、後醍醐天皇系を正統とし...続きを読む

Q曹操 孫権 劉備

誰か一番好きですか?

どう考えても私は曹操が好きなんですが。

曹操→将軍、兵法家、政治家、詩人 としてマルチな才能を発揮して覇道、強権を徹底し勝利の為に常に合理的であった。現代でも「疑っても使え、使っても疑え」この方法は一番評価されている所。

劉備→血筋はよい。ただ天下を統一するだけの力はなかった。博愛の心があり、たまたま天下No1クラスの孔明と五虎将軍(それこそ一人で世の中を動かすレベルの人材)に恵まれたのがよかった。
合理性を追求する曹操には足元にも及ばないと考えられる。おそらく自分の得意な人と自分の得意な土地でなんとかそれなりの国を作る事は出来たかなくらいのレベル。

孫権→ただのお坊ちゃん?

Aベストアンサー

sousoumoutoku さん、こんばんわ。

そうですね。劉備でしょうか。確かに曹操は素晴らしいですが、後半になると人材がイエスマンばかりになってしまいます。
例外は司馬懿ですかね。

また、部下に対しても冷酷非情なので、部下だったら、どこかで疲れてしまうかも・・・

その点、劉備のほうがアットホームな陣営なので部下だったら、落ち着くかもしれませんから…

Q日本にも欧州のような封建君主はいましたか?

質問名が説明不足だった事を謝罪します。

日本の封建制といえば家臣は1人の主君に仕えますが、ヨーロッパでは家臣は複数の主君に仕え、主君同士が争い合えば自分が得する側を味方したそうです。このような同時に複数の主君に仕えた人は日本にもいたのでしょうか?

Aベストアンサー

>日本の封建制といえば家臣は1人の主君に仕えますが
このようなことはありませんでした。
戦国時代に戦闘で主君が戦死した場合に、敵に処刑されるのを嫌って股肱の臣がその場で殉死しました。
生き残ってもろくなことにならないと判断した場合です。
有能な家臣であれば、むしろ敵方が迎え入れました。
あるいは、直ちにその場を離れ、次に雇ってもらえる武将を探しました。
関ヶ原でも、秀吉の股肱の臣が多数家康に加担しています。
藤堂景虎が遺した家訓にも「「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と記載されています。

藩幕体制が整った1663年には殉死禁止令を出しています。
これに反して、病死した親父の寵臣に向かって「じじい、まだ生きているのか」と言って腹を切らせたバカ息子がいましたが、幕府は即刻このバカ息子の石高を削って他国へ国替えをさせた上で、腹を切った人の家族も処刑しています。

江戸時代の藩士も幕臣も、現在で言えば公務員です。雇用を保証してくれる藩や幕府という組織には忠実でしたが、個人である主君はあくまでもその時点での最高権力者として対応しました。
主君に忠誠などとやられたらお家騒動が頻発して収拾がつかなくなります。
忠臣蔵の話はあくまでも芝居の上での話しです。
殉死をさせたのではなく、騒乱罪に対する処分です。

二君にまみえずだの、武士道だのと言ったのは明治時代の新渡戸稲造の類の人間です。
「葉隠」は江戸時代」には佐賀の奇書として相手にされませんでした。
むしろ内容が不穏当であるとして禁書とされていました。

第二次世界大戦後に雇用の安定と確保の為にサラリーマンの終身雇用制度が定着しました。
「日本の封建制といえば家臣は1人の主君に仕えます」というのはその結果生まれた都市伝説です。

>日本の封建制といえば家臣は1人の主君に仕えますが
このようなことはありませんでした。
戦国時代に戦闘で主君が戦死した場合に、敵に処刑されるのを嫌って股肱の臣がその場で殉死しました。
生き残ってもろくなことにならないと判断した場合です。
有能な家臣であれば、むしろ敵方が迎え入れました。
あるいは、直ちにその場を離れ、次に雇ってもらえる武将を探しました。
関ヶ原でも、秀吉の股肱の臣が多数家康に加担しています。
藤堂景虎が遺した家訓にも「「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ...続きを読む


人気Q&Aランキング