
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
字というのは記録として残せて現代では無くてはならないものではあるものの、言語が数千数万あると言われるのと対照的に、1から開発された文字は5つ、現在使われているものは中国由来とエジプト由来の2種のみ、と言われています。
そのような中、話していた日本語を中国語を記述する漢字で如何に書き残すか、という難題に対して、先人が試行錯誤した様子は一部の資料から解明されており、調べてみると面白いと思います。
そんな中で、漢字の意味が指し示すものを日本語の同じようなものに当てて”意味する漢字を日本語で読む”という読み方と、漢字の意味を無視して音だけを当てる、いわゆる万葉仮名としての使い方が生まれ、さらにこれらが入り混じった文章を書くようになっていったのですが、入り混じってワケワカな文章を読もうとしてもワケワカだったりするわけですw
(万葉集で、いまだに何と書いてあるのか分かっていないものがいくつもありますw)
そんな中で日本語で尊詞(というのか、偉いことや凄いことや美しいことなどを譬えた言葉)を連ねたような名前を、外国語を記述する”漢字”を使っていかに書き表わすか、なんてことは書く人の好き勝手なものと言えるわけです。そんなもの、同じ書き方になるわけのない当たり前のことですよ。
No.6
- 回答日時:
> 当てる字が異なり、一定していませんね。
> 多分、音が先に来て当てる漢字を後回しにしたのかなあ。
> そして、どうして字には意味があるのにどうして翻字を数種類設けて一定させなかったか、
おそらく、表記法にこだわりなどなくて、適当に音記号としてあてたのでしょう。 阿蘭陀 和蘭陀のようなものでしょう。 発音そのものは重視した可能性が高いですが、抑揚や微妙な音は関係者全員が同じというわけには行かないので、結局のところ、まあさん まーさん、まっさん、まさんのようなことはあったでしょう。 それを文字表記に刻もうとした人の属する集団で、適当に選んだということは多いでしょう。 みんなが文字に詳しいわけでもないから、刻んだものが「~~」であると言えば、それで終わり。
和銅6年の命令で文字表記が統一されたと考えるのもたぶん間違いです。
公と民とか、我らは~~~にということがあっただろうことは、間違いないでしょう。 命令に、従う・遵う・随う・順う
親が子の名を決めるときでも、文字中心で音を気にしないという人は滅多にいないです。音が基本というか大事で、あと文字の漢字の意味や字画数で決めたり、アイドルや著名人の表記を援用したり、かなにしたり、一度戸籍登録するとそれで終わりという人が圧倒的に多いと思いますが、ネットや通り名では別表記でやる人も、結構います。
個人が特定出来ないと支障が出るので、ある程度は固定させますが、太郎、三郎、しろう、はなこ(あるいは「はな」で、「こ」はない)、案外に、発音で似てしまうことも多くて、あだな・ニックネーム・屋号・出身地・所属組織名・官職名・職業名を使ったり、相対的関係(父・母・叔父・貴殿・お客様・おい・お前・あんた・殿・上様・親分・兄貴・ご主人・奥様)で日常はほとんど済むし、うっかり本名・登記名などで呼んだら失礼極まりなおので、《名前の表記記号を個人別に特定する》など無用の行為と思っていた可能性はあると思います。 また、本人が改名することや特別の関係者が名を与えることもあって、漢字表記だけは固定して使うべきであるというような価値観や発想は乏しいのでしょう。
北条義時のwikiには、《改名 義時、観海》《別名 江間四郎、江間平朝臣小四郎義時、江馬小四郎、相州、右京兆、奥州》とあります。 自分自身、家族や親には何と言っていたでしょう。 たぶん、固有名詞は使用しないし、親や子、親族も、普段は固有名詞の表記をしないのでしょう。
当てる人によって、いろんな文字が当てられていますね。
鉄剣とか釋日本紀とか、とにかく
古事記・日本書紀・地方豪族が特定の人物に当てても、
いろんな漢字で
翻字していますね。
音が同じでも字は何通りか一定しない。
No.4
- 回答日時:
8世紀前半には漢字表記が確立していません。
様々な固有名詞を漢字で書くようになってあまり時間が経っていないので。
また、厳密な表記の画一性が求められたのは近代になってからです。
国民としての教育のために画一化がかなり進みましました。
それまではわりとあいまいな部分がどこかに残っていました。
さらに現代ではコンピュータの普及により異体字がほとんど使われなくなりました。
それでも渡辺の「辺」の字のように様々な字が使われることもあります。
No.3
- 回答日時:
古事記と日本書紀の違いは次のような状況で発生しています。
漢字の発音については、中国人が発音する漢音と、日本人が発音する訛った漢音(倭臭音)は別物です。倭臭で発音されても、日本人には分かっても、中国人には理解できません。
また、日本オリジナルの漢字の使い方も頻出します。日本人には中国オリジナルの使い方よりも理解しやすいのですが、中国人には理解できないか中国本来の意味に勘違いするかのどちらかになります。
ヒドイ日本語訛りの英語を英米人が理解できないのと同じです。和製英語を英米人が理解できないのと同じです。
古事記と日本書紀の一番大きな違いは、次の点です。
古事記は日本人の皇族や高級官僚向けに書かれた内輪の史書であり、日本人が分かりやすいように倭臭の漢語や倭臭の万葉仮名で書かれています。
そして日本書紀は、中国の朝廷の人々に読ませるために、日本に雇われた中国人学者によって書かれた史書であり、中国人が正しく理解できるように、倭臭漢語を正しい漢語に翻訳した大和朝廷の公式歴史書であるということです。
だから、例えば「やまとたけるのみこと」を、古事記では「倭建命」と昔ながらの日本で漢字を当てはめた名前で記述していますが、日本書紀では「日本武尊」と中国人向けに書き直したわけです。
「倭」を「日本」にしたのは、丁度日本が正式な国号を「日本」にした時期だったからでしょう。だから「倭」を「日本」に変えたのでしょう。
「建(たける)」は当時の日本語では〈武勇に優れた強者〉みたいな意味がありましたが、中国人にはそれでは違う意味に取られてしまうので「武」の文字に変え、「命」も当時の日本では神に繋がる貴人の尊称でしたが、やはり中国人には尊称にならないので「尊」の文字に変えた。
そういうことでしょう。
他の史書も時代が変われば、言葉も言葉の意味も変わります。現代でも新語や言葉の意味は変化しており、世代が違えば言葉が通じないという現象が発生し続けています。
古事記の角川文庫判で、担当が中村啓信に代わり、ヤマトタケルではなく、
平安時代から、ヤマトタケの振り仮名で読まれてきたと代わり、胸がすっとした気分です。稲荷山古墳鉄剣も「ワカタケル」ではなく、「ワカタケ」で
ルは誤読とはっきり説明が代わった。
古事記はタケ・タケルも同じ建ですが、
日本書紀は梟帥がタケル、猛・武がタケ
と字が異なる。
ルは明治に国語学者が追加した文字で元はなかった。
No.2
- 回答日時:
皇室なんて日本人のサルの知能で組み立てられるものではない。
そこには自由を求めて渡来した中国人の関与を強く意識しなければならない。遣隋使以前の中国渡来人のその携えた情報。
そのころから格式高い文化は中国を模倣しなければ構成できない。
区分論をリードした森博達を研究したら。
諱なんて古代中国から意識されたもの。
「中国」、「名前」、「呪い」、「諱」で検索したら。
お寅さんは相変わらずカライネ
ツライと誤読されても困るので片仮名にしておく。
日本人を猿とは恐れ入る。
猿は去るかもね。
皇室ユダヤ人説もあれば、シューメールという言葉がスメラに変化という説もあるよね。
No.1
- 回答日時:
古代の高貴な人々の名前や諱(いみな)に関しては、情報が限られており、異なる表記や読み方が存在することがあります。
これは、当時の史書や記録の中で一貫性がなかったためです。古代の日本では、文字の表記や読み方が確立されていない時代もありました。また、古代の人々は音を重視する傾向があり、漢字の意味よりも音や韻律を重視して名前をつけることが一般的でした。そのため、同じ音を表す複数の漢字が使用され、一貫した表記がなかったのかもしれません。
なぜ古代の人々が複数の翻字を使用し、一定させなかったのかについては、明確な理由は分かりません。ただし、時代や地域によって表記や読み方が異なることは、言語や文化の変遷や地域性の影響がある可能性があります。また、当時の書写や伝承の方法が一貫性を持っていなかったことも要因として考えられます。
古代の名前や諱に関する研究は歴史学や言語学の範疇に入ります。専門の研究者や学者がこのようなテーマについて研究し、解説している文献や著作が存在します。日本の古代史や言語学に関連する書籍や学術論文を参考にすることで、古代の名前や諱について詳しく学ぶことができます。
ただし、古代の名前や諱については未詳の部分も多く、完全に一定させることは難しい場合もあります。当時の社会や文化背景を理解し、複数の資料や研究成果を参照することで、その一貫性や変遷をより詳しく探求することができます。
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