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教義のためならテロをしても良いという、歴史的にも宗教の名の下にどれだけたくさんの人が殺されてきたことか・・・
そこで質問です。宗教って一体何なんですか??

A 回答 (12件中1~10件)

宗教とは?という問いについて、


私は「あらかじめ用意された規範」であると考えています。
そして、それにすがることによって「自身の存在の確認」と「自らが採った判断に対する確からしさ」が得られるのではないでしょうか?
自分の目の前に起こる事柄について"常に"的確な判断を迅速に下せる人間はなかなかいるものではありません。(恐らく一人としていないのでは?)
従って自分の判断に絶対の自信が持てないとき、自分の力では抗しきれない大きな力が目の前に現れたとき「あらかじめ用意された規範」にすがることによって、かなりの安心が得られることでしょう。
逆に自分が信じている「宗教」が否定されれば「自身の存在」や「自らが採った判断」が否定されている事に他ならず、猛烈な反発心が引き起こされるのではないでしょうか。

そういった意味においては「キリスト教」や「イスラム教」、
更には"ここ"にかかれている過程をトレースすれば幸せになると信じていた「共産主義」や、「自由主義」「資本主義」も宗教の一つなのではないだろうかと私は思います。

といったことをふまえた上で、「宗教」は必要なのか、と考えると、必要なのではないかと思います。
ゼロから確固たる信念や哲学を形成できる人間はそうはいません。
また、それぞれが未熟(「成熟とは?」と言われても答えに詰まりますが)な信念や哲学で行動を始めたら(悪い意味でのアナキズム状態)社会は混乱するばかりになるはずです。
しかし、私自身が感じるところでは、未だ「真理」や「真実」に迫っている宗教は無いような気がするし、事実宗教の違いそのものが争いを生んでいるのも事実のようです。

で、ニューヨークの事件ですが、イスラム原理主義者(イスラム復興主義者)の犯行と行った報道ですが、宗教の問題もあるでしょうが、植民地支配の問題、経済格差の問題などいろいろな問題が歴史的経緯を含んで複雑に絡んでいるので、単純に「宗教問題」と片付けるのはどうかなぁ?という気がします。
ただ、イスラム教の考え方が彼の地の人々の思想に大きく影響を与えているようですし、イスラム教徒が多い彼の地においては「イスラム教」を「錦の御旗」に立てるのは順当な手段ではあると思います。

と、いろいろ思いつくままに書いてみましたが、いろいろな人の意見を私も伺ってみたいところです。

最後に、だからといって、どんな理由があったにせよ、あのようなテロが容認される訳では無いことは言うまでもありません。

役に立たない回答かもしれませんが、感想はいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

>役に立たない回答かもしれませんが、感想はいかがでしょうか?

役に立たないだなんて^^;

大変参考になる御意見ありがとうございます。

>ゼロから確固たる信念や哲学を形成できる人間はそうはいません。
>また、それぞれが未熟(「成熟とは?」と言われても答えに詰まりますが)
>な信念や哲学で行動を始めたら(悪い意味でのアナキズム状態)社会は混
>乱するばかりになるはずです。

なるほど確かに宗教とは、何百年、何千年(?)という長い時間の中で洗練されて
きたものなんだから、教え自体は素晴らしいものなんでしょうね@

やっぱり、要は人間次第、ってかんじなんですかね。

お礼日時:2001/09/21 17:51

宗教とは本来人知の及ばない自然界の大いなる意志(あらゆる生命を設計し、その適正を実験している何か、さらには宇宙を形作っている何か)に対する畏敬の念が、心の迷いや弱さを救う対象として理屈付けられて教義として発展したものでしょう。


ところで#9の方のご意見全く同感です。まさにアメリカがしてきたことはなんっだったのか。広島,長崎、戦後の人道に対する罪とかで裁判の名を騙った東京裁判という報復。彼らの身勝手の具体例ではベトナムのソンミ村で、女子供を含めた村民500名余に対する虐殺(この時のカーリーという中尉は人道に対する罪で罰せられるどころかアメリカ国内で英雄として講演して回った)、キューバ、イランその他彼らの意のままにならぬ国々に対する非人道的経済封鎖。こういうならず者国家が当然受けて然るべき、それこそ神の天罰です。今回のことで亡くなったアジア系、アフリカ系、中近東の外国の方には哀悼の意を示しますが、アメリカ人は自業自得でありましょう。アメリカ国民は何故自分達が狙われたのかよく考え大いに反省し悔い改める必要がありましょう。
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この回答へのお礼

正義と人権を重んじるアメリカがそんなことを行なってたんですか!?
戦争という特殊な状況ではなにが起こるか分かりませんけど、そんな
人が、アメリカ国内で英雄として講演して回ったなんて信じられません!許せません!
やっぱり、今回のテロは賞賛するべきなんでしょうか??

いやいや!絶対にテロはあきまへん!!

御回答ありがとうございます。

お礼日時:2001/09/21 18:01

私は宗教に頼る人の気は知れませんが、世の中にはいろいろな事情がある人がいて、生きていく上で常人の精神状態を維持するためには何かにすがらなければならないというところまで追いつめられている人もいるようです。


そういう心の弱い人を救うこと自体については、宗教は必要なのかなぁという気もします。

その意味で、テロを行う者と宗教とは一緒くたに考えない方がいいと思います。#5の回答者の方は、シンプルでいて的を射た回答をされていると思います。#6~8の回答者の方の回答にも、大いに賛同を覚えました。

#9の回答者の方、ちょっと言いすぎではありませんか?
民間人を犠牲にするのは絶対に良くないことです。
アメリカ人は正義・平等というものに非常に敏感な国民です。(多少の偏見はありますが。)広島・長崎に原爆を投下された原因はパールハーバーにあるんですよ。自分を守る術のない民間人(弱者)を犠牲にするというのは、絶対に許せない行為です。

米軍が他国で行ってきたことに非難されるべき点は多々あるとは思いますが、個人個人は決して悪い人間ばかりではありません。私は米軍基地の町で生まれ育ち、父の仕事の関係上、米軍兵士・関係者とも子供の頃から親交があり、よく可愛がってもらった記憶があります。
日本の頑固オヤジと比べればよっぽどフレンドリーでナイスガイが多いですよ。

とは言え、かくいう私も、欧米諸国がアジアの後進国に対して行ってきた侵略行為や、そもそもアメリカ大陸における先住民族に対する迫害行為に対しては、非常に腹の立つものがあります。
そして、自分のことは棚に上げて日本がアジアに対して侵略を始めると“それはいけないことだ”と非難し、太平洋戦争に突入するようにし向けました。(ちょっと言いすぎ?)

アメリカの正義感にエゴイスト的なものが感じられるというのは多くの人の見解だと思います。

国が違えば文化も違う、思想も当然違います。その意味で、自分の価値観・正義感を他国に押しつけるアメリカのやり方に反発する人が多いのはわかる気がします。

民間機ではなくて自前の飛行機で、ペンタゴンや米軍の軍事施設のみを標的にしたのであれば、拍手喝采を送りたいという気持ちもある程度は理解できます。

でも、民間機を使い、民間の施設を標的にするというのは、絶対に許せない行為です。
日本人も多数犠牲になっているのですよ。それでもあなたはこのテロ行為を称賛できるのですか?

どんなに大義名分(この場合にはきわめて自己中心的なものですが)があろうとも、一生懸命生きようとしている人の命を絶つ行為を行う権利は何人にもないのだと、そのような行為は絶対に許されないんだということを、是非ご理解いただきたいと思います。

この回答への補足

今回、私の「宗教とは一体何ですか??」という漠然とした質問に対し、多くの方からそれぞれの貴重な御意見、御解答をいただき本当にありがたく思います。

 この皆さんのご解答に対し、今すぐにでもお礼を書きたいのですが、
自身の都合により、すぐには皆さん全員にお礼を書く時間の余裕がありません^^;

 勝手な理由でほんまにすいません。私の質問にご解答をくださった方々には
必ずお礼の一言を添えさせていただきたく思います。

 多くの御意見、御解答本当にありがとうございます。

補足日時:2001/09/17 10:32
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この回答へのお礼

中立的で、内容に説得力のある素晴らしい御回答だと思います。
何処にも偏っていないところが、自然にこの回答を受け入れられた
点だと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/21 17:42

ご質問は、今回のアメリカでのテロを念頭においていらっしゃるのでしょうが、今回のテロは、なにもイスラム教の教義のために実行されたのではありません。



今回のアメリカへの無差別テロは、これまでアメリカが犯してきたことへの報復です。つまり、自分たちの価値観が世界で唯一正しいと「盲信」して、他国の文化や価値観を強大な「武力」で踏みにじってきたアメリカが、当然受けるべき「罰」なのです。

アメリカは、世界の「警察官」を自負していますが、実態は世界の「暴力団」です。自分の意向に従わない国には、「武力」を背景に言う事をきかせます。戦後56年を経た現在の日本も、依然として事実上アメリカの「占領下」にあります。ここ数年の沖縄での事件に対する日本政府の対応をご覧になれば、明らかなことです。

これまでに、アメリカは外国でどれだけの「一般市民」を殺してきましたか。
アメリカは、広島で何人の市民を殺しましたか? 長崎では? 沖縄では? そして、ベトナムでは?

そんなことを思えば、今回のテロでアメリカ人が1万人死のうと、2万人死のうと物の数ではありません。

連日マスコミは、行方不明の肉親を泣きながら探し続けているアメリカ人の様子を報道しています。これと同じ光景を、アメリカは外国で何度も何度も作ってきたのです。

今回のテロ成功を知って、パレスチナの人たちが、身を躍らせて喜んでいる様子も報道されています。アメリカの武力を背景にしたイスラエルに、屈辱的な仕打ちを受け続けているパレスチナの人たちは、これまでただ「石を投げて」抵抗するしかなかったのです。

そんな人たちが、この見事なテロの成果を聞いて、喜ばないはずがありません。私も、今回の見事なテロ作戦を称賛しています。アメリカやアメリカ人に対しては、まったく同情の気持ちなど湧いてきません。

しかし、アメリカは報復を決意し、戦争準備をすでに始めています。
これでまた、新たに何万人というアメリカ人が死ぬことになるのです。そんな単純な理屈が、あまり頭が良くないと言われているブッシュには分かるはずもありません。

長い前置きになりましたが、あなたの「宗教とは?」のご質問についてお答えします。

宗教とは本来「人の心に幸福感をもたらすもの」です。もちろん、宗教とは言えない「エセ宗教集団」は論外です。

宗教の名の下に殺し合いが起きるのは、宗教を信じていると思っている「人間」に知恵が欠けているからです。同じキリスト教徒間でも、イギリス領の北アイルランドでは、カトリックとプロテスタントとの間で、殺し合いが続いています。そんなことを神やキリストは望んでいますか。すべては、「無智な人間」によるものです。

仏教では、悟りが開けなくて迷っている私たち一般の人間を「凡夫(ぼんぶ)」と呼んでいます。こうした凡夫を救うのが宗教の本来の目的なのですが、残念ながら、その凡夫が宗教界を指導している現状では、真の宗教の目的が達せられることはありません。
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この回答へのお礼

私の知り合いに、イランからの留学生がいます。イランといえば、湾岸戦争で、
イラクからアメリカに守られた国なはず。しかし、その留学生は
「アメリカは大っ嫌いだ!」と言っていました。その言葉を聞くと、kobeccoさんの
御意見にはうなずけます。というか、賛成です。しかし、

>私も、今回の見事なテロ作戦を称賛しています。

これはちと行き過ぎでは^^;

確かに、時として、アメリカの行動は許されるべきものではないこともあります。
しかし今回、罪もない人が大勢亡くなった事件を賞賛しちゃ~いかんでしょ^^;

大変芯のある御意見ありがとうございます。

お礼日時:2001/09/21 17:36

ムハンマド(モハメット)の事はよく存じませんが、イエス・キリストにしろ、釈迦にしろ、本人は宗教教団などは作らなかったはずです。

ただ教えを説いただけでしょう。昔々の過酷な生活を生きるすべと言うか、心の支えを説いただけです。弟子たちがその教えを広めたいために教団を作り、一旦、出来てしまえばそれは権力を志向します。
時代が変わって人々の生活が変わると、宗教もそれに対応しようと教義を曲げて解釈する人も出てきます。それに反対して頑なに昔の生活を変えまいとする人たちもいます。
一つの宗教でさえ原初の姿とはかけ離れてしまいます。
現代に宗教が本当に必要なのでしょうか?
弊害のほうが多いような気がしてなりません。あのような事件を見るたびに、神も仏もいない、と思うのは私だけでしょうか。
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この回答へのお礼

>弟子たちがその教えを広めたいために教団を作り、一旦、出来てしまえば
>それは権力を志向します。

人が集まると、そこには権力ができるって訳ですね@
権力って必要だと思いますが、この言葉にいいイメージを持たないのは私だけ??

お礼日時:2001/09/21 17:18

人が生きていく過程で,なぜ生きるのか?,どの様に生きたらよいのか?という生への指針を教えるのが宗教であると考えます.



その教えの例が,仏教であり,キリスト教であり,イスラム教などではないのでしょうか.名の知れた宗教でなくとも,自分自身が生きていく上で何らかの指針を持っているなら,自分に宗教があると言えるのではないのでしょうか.

ただ,人の命を奪うほどの各宗教間の信者同士の争いが起こることについては,もはや,その人たちは宗教の名を語るだけの外道にすぎないと思います.決してその宗教の教義のもとでテロを支援しているものではないと思います.

さらに,専門家の方の活発な論議を希望いたします.
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この回答へのお礼

>名の知れた宗教でなくとも,自分自身が生きていく上で何らかの指針を持ってい
>るなら,自分に宗教があると言えるのではないのでしょうか.

なるほど。私は宗教というものを重く考えすぎていたのかもしれません。

参考になりました。

お礼日時:2001/09/21 17:13

最初に一言。



>教義のためならテロをしても良いという、歴史的にも宗教の名の下に
>どれだけたくさんの人が殺されてきたことか・・・

日本人は宗教オンチの人が多いですけれど、外国に行って同じことを言ったら
怒る人多いですよ。日本人にエコノミックアニマルというネーミングを付けて
くれたのは、たしか昔のパキスタンの大統領だったような...
一神教の信者から見れば、宗教を信じない→道徳がない→人間とは思えない
というように見えることもあるらしい。

新渡戸稲造(五千円札の人です)が「武士道」という世界的ベストセラーを
著述したのも、知り合いの米国人から「日本人は宗教教育をせずに、どうやっ
て道徳を教えているのか」という質問をされたのがきっかけです。

今回のテロ事件でも、無差別テロ事件を起こしたのも宗教の名の下に行われた
かもしれませんが、犠牲者を悼み、ホワイトハウス前でろうそくを持って祈る
人達が大勢いるのも宗教を信じているゆえである。

イスラム教でも、穏健派の指導者は今回のようなテロ事件をはっきりと避難し
ています。


ところで「宗教」について、今わかる範囲で説明します。
家に帰れば資料があるので、もう少し詳しく説明できるかも。

長い人類の歴史の中で、人類は苦難にあえぐ時期が多くありました。
苦しい時には「助けてくれ」という切なる願いを人は持つものです。

今と違って昔は戦争・病気・飢餓などで簡単に人が死にましたから、生死の問題
についての悩みを抱える人達は、とても多かったであろうと思います。

そのような歴史の中で、人間にはどうにもできない悩みを解決しようと立ち上が
る人がいます。そのような人たちが超越者(神様といっていいでしょう)からの
啓示を受けたり、あるいは自分で悟りを開いた内容を人々に布教していって、
宗教が成立していくわけです。


ではなぜ、宗教間の対立が起こるのでしょうか。
宗教を広めていく人達は、自分たちの教義が「真理」、つまり絶対正しい教え
だと宣伝します。もちろんそれなりの確信があってのことでしょうが、自分たち
とは別の宗教を持つ人達に出会うと、お互いに信念が異なりますから、どうして
も摩擦が生じてしまいます。

これが1個人でしたら文句の言い合いぐらいで済むのでしょうが、隣国どうしで
奉じる宗教が異なっていた場合、摩擦が発生するとそこに戦争という血生臭い
事態に突入してしまうこともあるわけです。
あるいは、たまたま戦争していた国同士が別々の宗教を奉じていたがゆえに、
相手の国を嫌うと同時に、相手の国の宗教にも反発心を抱いてしまうということ
も多いかと思います。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という理屈ですね。

つまり宗教間の対立の背景には、宗教だけでなく国や民族の歴史も深く関わっ
ているんです。単に「キリスト教vsイスラム教」といった図式で見るのでは
なく、背後の国や民族の歴史までよく考えて欲しいと思います。
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この回答へのお礼

大変参考になる御意見ありがとうございます。そういわれてみれば、日本には外国では宗教によって道徳だとか、を教えているというのは聞いたことがありました。
それを考えると、日本はどうやって道徳を教えてきたんでしょうね@
また、宗教戦争と呼ばれているものは、宗教だけの問題ではないのですね。

大変勉強になりました。

お礼日時:2001/09/21 17:08

私は人を導き救ってくれるのが宗教なんだと思っています。


「~すれば幸せになる」「~することで良い結果が生まれる」と。

でも昨今は「~しないと不幸になるよ」「~したら不幸になるよ」と
人を陥れる事に専念している宗教が多すぎます。
教義に反する事をする人がいるのなら「その人にどんな付き合い方をすれば自分も相手も何の障害もなく付き合える」のかを考える場であろうと思うのですが。

さらに一歩進んで(後退して?)
「~しない人は排除しよう」「~した人は排除しよう」とテロにまで走ってはもう宗教の域を逸脱しているのでしょうね。
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この回答へのお礼

宗教とは本来はgokuhさんのおっしゃっていることに賛成です。
人はいつから、宗教の域を脱するようになったんでしょうかねぇ??
それと、なにがそうさせるんでしょうか??

お礼日時:2001/09/21 16:52

宗の字を見てみましょう。


家の中で示す、と書きます。
つまり、建物の中で教えを示すのが宗教です。
しかし、その建物はもちろん学校ではありません。

宗教というのは、人がこうであるべきだという指針を教えるものであると思います。
学校という場所は、人生の意味とか、そういうことを教えてはくれないものです。

もちろん、殺人という悲劇はその宗教の考えを信じる人と信じない人との軋轢から生じますが、それは1つの形態です。考えが違うだけでも喧嘩になることはあります。宗教が戦争をするのではなく、思想が戦争をするのではないか、と僕は考えています。
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この回答へのお礼

なるほど!な、ご意見ありがとうございます。
「宗教が、戦争をするのではなく、思想が戦争をする。」
大変勉強になるいい言葉だと思います。
どっかで、使わせてもらいます。(笑)

お礼日時:2001/09/21 16:45

自分が何のために生きているのかとか、どうやって生きていったらいいのかとかを学んだり、死の恐怖を和らげたりするのが本来の宗教かと思いますが、そういう宗教と、危ない宗教をいっしょにしたら、わかんなくなっちゃいます。


テロとかしてる宗教は、宗教として捉えるんじゃなく、テログループとして捉えるほうが的確じゃないかと思うんですが。どうなんでしょう?
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この回答へのお礼

確かに、今回の事件に関して言えば僕もそう思います。でも、確かイスラム教には
「聖戦」って言葉があったように記憶していたもんで、その辺の所をお伺いした訳です。言葉足らずでした^^;

お礼日時:2001/09/21 16:39

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