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身体障害者と一口に言っても誰かの助けが常に必要である
という方やまたその逆の方など様々だと思うのですが、
どこでも新しいサービスというと、身体障害者の方為のもの
であったり、またそのようなサービスが整っている方が
より、例えばお客様の立場になってサービスをしている良い会社だ、という
認識をされますよね。
もちろん、身体障害者の方は健常者にはわからない大変な事などが
たくさんあると思います。もっと便利になっていくべきだと思います。
でもある人が「身体障害者の方を過剰にかわいそうなどの理由で特別視する
事自体がある意味差別(もっとやわらかい言い方だったと思います)している
事になる」と言っていました。それは確かに一理あると思いました。
また、TVで何かに関する権利などの問題で、健常者と同じ扱いをして
ほしいんだと言っている身体障害者の方々を拝見しました。
実際、そのような事というのはケースバイケースでもあると思うのですが
身体障害者の方の立場となった場合にはどうなのでしょうか?
皆さんはどのようにお考えになりますか?
また、その事意外でもこういった設備や人的サービス、あるいは
普段健常者が手助けできるようなことであったら良いなと思われる事は
何ですか?

A 回答 (4件)

私は身体障害者ですが心臓機能障害なので見た目は健常者と変わりませんし、通常の生活にはなんら支障はありません。


体格もいい方なので誰にも障害者あつかいはされませんが(笑)

>健常者と同じ扱いをしてほしいんだと言っている
と、常々思っています。
でも現実は健常者とは全く違います。
各施設でバリアフリー化が進んでいますが、それ故に健常者と同じ生活が出来るのだと思います。

長く入院したことがあり、足腰が弱ってしまいました。
歩くことが困難になるくらい筋力が低下してしまったのですが、医師から走るな、体力使うな、無理するな・・・ときつく言われておりましてリハビリにも非常に時間を費やしてしまいました。
その為、手すりなしでは歩けないような時期もありつくづく手すりの有難さを痛感したものです。
でもその時、同じく感じたのですが、バリアフリーがちっともバリアフリーに成っていない施設も非常に多いと言うことです。
階段の手すりも外側内側両方に付けるべきなのに片方しかなかったり。
(片手の使えない人には昇降に両側必要です)
おしゃれにつくり過ぎで体重を掛けると手を傷めたり。
(十分な太さが必要です、細いと手が痛いです。)
車椅子用トイレが物置代わりになっていて狭くなってるところもありました。
折角段差をなくしているのに床に配線カバーを付けて段差をつけている所のあった病院もありました。(もちろん、躓きました)

暖かい手を差し伸べていただけるのには非常に有難く感謝をしています。
でも、ちょっとちぐはぐな面も多いですよね。
ご質問の趣旨とちょっと違ってしまっているかもしれませんが
>普段健常者が手助けできるようなことであったら良いなと思われる事は
が、健常者が予想する事と現実とが噛み合わない場合もあるという事を述べたかったのです。
その為には様々障害を持つ方の様々な意見を聞かねばならないと思います。
ですから、そういった質問で皆が検討されるという事は大変喜ばしいのです。
回答というより、タダのお礼の様な締めになってしまいましたね、ごめんなさい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり、身体障害者の方々も人それぞれその方のご苦労が
あるのですね。健常者はもっと多くの方に耳を傾けていくべきだと
思いました。健常者には身近にそのような者がいなかったり接する機会が
少ないと、わからない事たくさんありますものね。

お礼日時:2001/09/15 15:38

私が一番思うのは、設備と割引措置についてです。



多くの公共施設では「障害」者手帳を提示すれば割引になります。
でもそれは、遊園地などだと乗れないアトラクションが多かったり、
車椅子用の設備を兼ね備えてないからゴメンナサイという意味もあるのです。
羨ましいと思われている方も多いようですが、楽しさ半減も事実です。

また、どうして割引制度がないのかと思うものに駐車場があげられます。
私たちのように車椅子を利用している場合、車が足となってくれます。
特に雨天時には必須です。しかし、公共の駐車場ですら、車椅子用スペースは
少なく、時として、必要とされない方がとめられていることも多いのです。
それに、バスや電車などのツールが実際問題使えないから、やむなく
車を利用しているのに、どうして割引が適用されないのでしょう。
もし、バスも電車も使え、その中でチョイスして車を使っているなら別です。
しかしながら、それは違います。いつも時間に急かされて、超過料金を払い、
心の落ち着かない外出をしなければならないのです。
これこそ、差別ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
駐車場の問題とは、とっても生活に身近な事なだけに
ショックでした。バリアフリー化の中で
やはり設備の改善は大きな課題ですね。

お礼日時:2001/09/15 15:43

違う意味で書きたいことがあるので連続ですが書かせて下さい。



よく人は「障害者」といいます。でも、障害者って言う人種はいないし、
「障害」ってふうに鍵かっこをつけて表記するべきではと思います。
また、普通に街を闊歩しているだけで、大変ねとかガンバってっていわれますが、
「何を?」と思いますし、段差を降りているとき、知らない人に不必要に引っ張られたりして、怖い目に遭ったことがあります。出来ることは自分でするし、
出来ないことは助けを求めるし、何にも出来ないではなく、声をかけてって
思います。

また、公共の施設についての加筆ですが、電車の駅についているエレベーターは、
時として、ラッシュを過ぎる6時頃になると電源が切られて使用できません。
日曜に飲みに行った帰り、それに夜10時以降の電車に乗っていると「何してるのこんな時間に」とでもいいたそうな顔でじろじろ見られます。私にしてみれば、「障害」があったら、夜6時以降の外出や飲みに行ったりするのは、ダメなのか?と
言いたくなります。そんなふうに見ること対応すること自体が差別です。
終日使える駅にして欲しいし、そういうキモチどっかへ捨ててくれる方が良い。
大変ねっていうのと同じくらい差別です。
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この回答へのお礼

思いやりや親切など、双方の意識の違いなどがあって、
とっても難しいところだと思います。
健常者はいつも「何か手助けできるかな、でももしかしたら
迷惑なのかな」といった心の葛藤もあります。
もっとそのような方々と接する場が必要なのかも知れませんね。
電車に関してはエレベーターの事は知りませんでしたが、
健常者から見てもサービスはひどいです。だまっていても
多くの利用する人は利用するからでしょうか。怠慢です。
また、電車は本当に様々な人が利用するので普通に乗っていても
むかつく事たくさんあります。
全面的に良くなっていってくれる事を願っています。

お礼日時:2001/09/15 16:00

身体障害者の方の介助ボランティア経験者です。


私もまず何よりも、身障者の話を聞くことが重要であると思います。
特に会う頻度が多い場合ほど、こちらの一方的な(「身障者だから…しなくっちゃ!」みたいな)思い込みは禁物だったと感じます。押しつけがましい思いやり、へんな気の使いすぎは、相手に人間関係のストレスを与えることもありましたし、それが拒まれると自分自身が嫌な気分になるという、本末転倒なこともありました。

扱いについてですが、いわゆる健常者と身障者に対して、こちらの手の差し伸べる「方法」は違うのだけれども、手を差し伸べる「気持ち」は同じでいいのではないかと思います。言うは易く、行うは難し、ですが。

でもそう考えると、健常者に手を差し伸べる「気持ち」の希少な現代の日本文化では、身障者に手を差し伸べるのは、特別なことにならざるをえないのかもしれませんね。

ちなみに、ご存知かもしれませんが、道路とかはですね、欧米の方が歩道の段差、あるそうです。日本の方がスロープも、低床バスも多い。でも、欧米では実にスッとそれを出助けする通行人がいて、「手助けすることでコミュニケーションを取れるんだよ」というバスの運転手さんがいる。それから、DISABLE の範囲がどんどん拡張されて、妊婦はもちろん、両手に荷物を持った人も、DISABLE なパーソンであるとなってきている。これは実は、手を差し伸べる「気持ち」が健常者に対しても深まっていく過程なのかもしれないと考えてしまいました。
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この回答へのお礼

日本も気軽に声をかけたり手助けしたりできる
社会になっていってほしいです。
まだまだ閉鎖的なところがありますね。
そのような接し方というのもよくわかっていない
人って多いと思います。

お礼日時:2001/09/17 18:07

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