プロが教えるわが家の防犯対策術!

昔の話です。
私は母子家庭の生活保護世帯で育ちました。
中学の成績が30番(380人中)ぐらいで、偏差値67の地域一番の公立高校に入りました。
すごく期待して入ったのですが、イメージと学校の実態が異なっており(授業中突然セクハラまがいの発言を繰り返す教師、教えないから自力で家で問題を解いてこいという教師、コミュ力が低く排他的な生徒たち等)、私はだんだんストレスを貯めていきました。
高2の時、私のストレスは頂点に達し、パニック発作を起こし、救急車で運ばれました。総合病院であらゆる検査をしても異常はなく、精神科で薬をもらって帰りました。母はその薬を飲むなと言って取り上げました。
それから体調がずっと思わしくなく、学校を休んだり遅刻したりする回数が増えました。

受験シーズンを迎え、私は国立のO教育大学を希望していたのですが、センターの点数が65%でD判定だったので、出願をあきらめました。

代わりに、私は急遽偏差値54の私立R大学を受験し、合格しました。母はこの大学を底辺大学扱いして嫌っており、出願にも進学にも反対でしたが、私は受験のプレッシャーで精神が限界を迎えており、とにかくどこか受からないと発狂しそうだったので、必死に説得しました。

他に母が希望している関関同立も受け、すべて落ちました。
R大学のみ合格と言う結果が確定した際、母はおめでとうの言葉もいたわりの言葉もなく、「関関同立にもよう入らんのかアアー!」と怒鳴りました。

母は自分をエリート人間だと思い込んでおり(無名の短大卒なのに)、自分の子供は有名大学に入れて当たり前という考えを持っていました。

母の意思決定スタイルは特殊で、口先では「自分の事は自分で決めさなさい」「好きなようにしなさい」と言っておきながら、こちらが何かを決定すると、それが母の意向に沿わなかった場合、後出しで文句を言い出し、妨害してきました。
そのため、私は何を決めるにしても、母の意向を忖度し、その通りに動かねばなりませんでした。しかし、受験の時は母の「好きなようにしなさい」をまだ信用していました。

何とか説得して入学金は入れて貰ったのですが(前期授業料は成績優秀のため免除)、母は腹いせに、大学近くでのアパート探しを拒否しました。(O教育大学だったら下宿を探すつもりはあったと発言)
「体調が悪いから出かけられない」の一点張りだったので、私が「一人で不動産屋に行く」と言うと、「騙されたらどうするんやアアー!」と怒鳴りました。

実家とR大学は100キロも離れており、実家からの通学を実質不可能でした。

私は腹が立ち、母を殴りました。しかし母はそれすらも逆手に取り、「殴られた場所が痛いから出かけられない」と言い続けました。

あっという間に4月を迎え、入学式の日が来てしまいました。私はやむを得ず、実家から通学することにしました。

母は定期代すらも出してくれず、私は青春18きっぷを使って通学を始めました。
しかし、2週間で体が言うことを聞かなくなり、強迫性障害の症状が出て、学校に通えなくなりました。

母はそんな私を、「共感すると私まで同じようになるから嫌だ」と言って、半年間放置し続けました。
半年たって、後期の授業料の納付期限が迫ってから、母は私に「どうするの?どうするの?」と問いつめました。通学できる手段を失った私は、通えない学校のために学費を入れてもらうのは申し訳ないと思い、退学すると伝えました。母は「辞めてどうするの?」と聞きました。私が、母の望んでいそうな答えとして、「来年O教育大学を受ける」と言うと、あっさり許可されました。

あれほど体調が悪いと言っていたのに、大学で退学手続きをするときだけは、母は元気そうに大学まで付いてきました。

このことを聞きつけた親類から電話がかかってきて、「退学じゃなくて休学にしなさい」とアドバイスされたにも関わらず、母は無視しました。

母は内心では私をどうしてもO教育大学に入れたかったようで、そのために私を誘導していたことが、後になって分かりました。

退学後、母は私を近所の予備校の見学に連れて行くなど、翌年の受験に向けて私を動かそうとしていましたが、私は受かるかどうかも分からない受験のために、高い予備校代を出してもらうことが申し訳なく、断りました。

また、当時の私の精神状態では、まず治療と休養が必要な段階であり、受験勉強などできる状態ではありませんでした。

母はそう言った状況を一切無視し、成功可能性がゼロに近いプランを夢見て、私に押し付けていたのです。

結果、翌年のO教育大学への出願は辞退、その他有名大学の受験もすべて失敗し、私は大学中退、スキルなしで社会に出ることになりました。

母は「O教育大学に行くと言うから中退を許可したのに!R大学だって立派な大学だったのに!」「お前に騙された!」と言い出し、自分は被害者だとアピールし始めました。

私は一体、どうすれば大卒の資格を得られたのでしょうか?

A 回答 (5件)

あなたのお礼のコメントを拝見しました。


大変でしたね。

私は、生きていくうえで人生自体に目標は必要なく、ゆえに「生きがい」も必要ない、という考え方です。
自然に自分自身の内部から湧きおこる目標とか生きがいは否定しません。
しかし、人生の目標が見当たらない時に「人生の目標がない人生なんて堕落だ」と考える必要など全くないという考えです。
また「生きがい」も同様です。

重要なのは、今、この時点で生きているという事実だけです。
なので、すべての人(生き物)が生きる権利を持っているのです。

何を申し上げたいかというと、
「私は~しなければならない」という考えに縛られる必要は全くないということです。
あなた自身の人生において、あなた自身が果たさなければならない義務というものは存在しません。

夢が生まれてきたならば、その時点で動き出せばよいのです。
それがたとえ40才だろうが50歳、60歳だろうがです。

その時に心が輝いていれば、それがすべてです。
そして、その時にあなたの過去のつらかった出来事があなた自身の「経験」として、あなた自身の「力」に変わっていくことでしょう。
そのことを信じ、今はまず気持ちを保ってください。
    • good
    • 1

>どうすれば大卒の資格を得られたのでしょうか


とにかく大学に最後まで行って卒業すれば、得られました。
何事もそうですけど「面白くない」「やりたいことと違う」「ほかのことがやりたい」と中断していては何事も成就できません。

>その他有名大学の受験もすべて失敗
だったら 地元の三流大学に行けよ。授業料は高いかもしれないけどちゃんと卒業すれば大卒の資格を得られるし、たぶん就職も世話してくれるだろうね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

言葉遣い悪いですね

お礼日時:2023/08/22 18:06

学費や生活資金を母親に負担してもらっている限り、あなたは母親に従うしかありません。


結果的にあなたは母親の希望を叶えることができなかったのですから、母親の失望も正しいでしょう。
私も母親の言い分が正当と思います。

ただし、今は社会人として進み出したとのことですから、母親に養ってもらわずに生活ができるようになり始めているように思います。
母親の縛られずに生活したいなら、家を出て自活しましょう。
可能なら、病気もきちんと治療して遅れてでも大学へ進学してもいいかもしれません。
今から過去は絶対に変えられませんが、これからのあなたの生活は、あなたの覚悟次第でどうにでも変えられるのではないでしょうか。
    • good
    • 3

確かにあなたのお母さんの言動にはかなりの問題があります。


一方で過去の経緯を悔やんでも良いことはありません。
大切なのは、現状を踏まえたうえであなたの人生をあなた自身の判断でどのように築いていくかです。
前に一歩踏み出すのに遅い早いはありません。
今からでも十分にいろんなことにチャレンジできます。

例えば、働いてお金をためて大学へ再入学という方法もあります。
昨日もネット記事で元ヤンキーの女性が28歳でい学部に入学し、現在医師として活躍しているという記事を読みました。

人生のチャレンジに遅いはありません。
思い立った時が適齢期です

記載されている文章からご状況が手に取るようによくわかりました。
こういう状況の場合、文面がわかりずらいケースも多いですが、あなたは表現力がありますね。
文面からしてあなたはしっかりと物事を考えることができる力を持っていると思います。ご自身の力を信じて、まずは自分自身の可能な範囲でのチャレンジに踏み出されることです。
急ぐ必要はありません。
しっかり決意と考えが固まったら、スタートです。

それと、お母さんとは現時点では少し距離を置かれた方が良いかもしれませんね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

有難うございます。母は私が22歳の時に一方的に絶縁し、私を実家から追い出し、路上生活に追い込みました。

私は地獄の苦しみを経て、何とか自立しましたが、現在はうつ病で自宅療養しています。

元気になったら、大学への再入学も考えてみます。

お礼日時:2023/08/16 18:29

さっさと家を出て、


数年はたらいてガッツリ金ためてから
大学進学すればいいだけの話。

考えが甘いんじゃない?
    • good
    • 1
この回答へのお礼

そのあなたの考えこそ甘いですが。

お礼日時:2023/08/16 18:34

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!