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私は食事をすることを本当にイライラしていますそこでよく親のことを心底憎んでいますこう思うぐらいです
役立たずの無能はしねとそれはなぜか説明しましょう
食べ物を食べることは非常に時間が必要ですこれを中古の完全食またはバナナから始まる完全のみにした場合時間と栄養がラーメンの場合たとえ豪華な食事でもこのメニューに叶うことはありません、地球の破壊にも繋がっている今の人間は死んだほうがいいと思いませんかね、つまり出来損ないということです、私は料理番組を見るたびにふざけているなと思うことがあり人間の恥さらしだとも思います内容は時間をかけて無駄なことを物質にした挙げ句栄養価は変わらずたしかに上手いと思うことは脳みその活性化がありますしかし最近では電気による脳の活性化が試されておりこの行為は無駄と捉えます、無駄な人間は必要か完全食のみを後世に伝える人間以外は死刑にした方がいいと思いませんか?

質問者からの補足コメント

  • あくまでも食事を楽しもうとしていることは物理的に無意味であり栄養価は完全食が勝っていますしかし今の衰えた人類では味付けは難しいでしょうがいずれドラえもんのようにクロレラからいろんな食事をすることができるようになると思います、その場合全てクロレラなので楽しむことは自由です栄養は変わりません、しかし原始人を未来に残すべきではないと思います環境破壊にも繋がりますしすべての人間がガソリンスタンドを完全食エネルギー供給場として利用した場合もはや人類が資源の枯渇に怯える心配はありません貧困地域もすべて同じ材料の食事なので無駄がなく調理もいりません、しかし気候によりその原材料が確保できない場合難しくなってきますが遺伝子組換えをいかなる形でも許可をしあらゆる強力な資源獲得に乗り出せば世界は平和になるでしょうその場合私が完全食をできない原始人であれば原始人ともに打ち首になる他ないと思います

      補足日時:2023/09/25 00:55

A 回答 (7件)

句読点が少なすぎる。

読むのに大変疲れます。
君は食の楽しさ・おいしさを知らないのでしょうね。
潤いや趣味が少ないと思いますよ。
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食事が無駄というのであれば世の中で無駄でないものはたぶん存在しません。

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破壊と創出端的に言えば変化それこそが物理的に最も意味のあること 


逆に言えば変化を止めること止めようとする事は物理的に無意味な事  
それ踏まえて言えば完全食だけでどうにかしょうとすることは変化を止めようとする事なのでそれは物理的に無意味な事
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それまでの環境を破壊して新たな環境を作る事それ自体物理的な意味があることすら貴方は全く理解していない原始人ですので原始人を未来に残してはならないならば原始人である貴方は未来に残してはならないでしょうね


それはそれとして
今現在の環境を破壊して新たな環境を作るのはそれは全ての存在の根源であるエネルギーがもつあらゆる状態を取りうるという根源的な性質によるもの
つまり人が行っている環境破壊すらもエネルギーの根源的な性質による物理そのもの。其れを踏まえて言えば人は人が作り出した環境すらも破壊して常に新たな環境を作っていかなければならないのです
それは食事を楽しむということにも当てはめられるのです。食事を楽しむという事をトリガーとして新たな楽しみ方を作り上げ楽しみ方を変化し続ける事が食事を楽しむその物理的な意味なのです
貴方はそれすら理解しておらず完全食なるものを提唱しているがそれで変化を止めるのならばそれこそ物理的に無意味な事です
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食事とは栄養摂取だけでは在りません


食べる時間を楽しむのです
楽しい時間を過ごすなら美味しい料理の方が良いので
好き嫌いの融通をきかせ作る家庭料理

忙しくなればなるほど食事の時間を楽しもうとするから飲食店沢山在るんだと思いますよ
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無駄な質問をしている貴方こそが無駄な人間でしょうから無駄な人間を死刑するならば貴方を死刑にしないとね

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引用:


曾晳は羊棗(ナツメの一種)が好物であった。そのため親孝行であった息子の曾子は、父の死後は羊棗を決して口にしなかったというのだが、 曾子のこのような心掛けが儒家の間で称賛された理由が何なのかが分からず、公孫丑は孟子に次のように質問をした。

公孫丑:「膾炙かいしゃ(生肉の細切りと肉を炙ったもの)と羊棗は、どちらが美味いのでしょうか?」
孟子:「膾炙であろう」
公孫丑:「ならば、曾子はどうして膾炙は食べるのに、羊棗は食べなかったのでしょうか?」
孟子:「膾炙は、誰もが好物だ。しかし、羊棗は父だけの好物であった。故人の名は忌んで口に出さないが、姓の方は忌んで口にしないことはない。 それは姓が一族全体に共有のものであるのに対し、名は故人だけの固有のものだからだ」

このように歴史的に見ても日本と中国では食文化は全く異なっており、むしろ真逆であるとも言えるかもしれない。 そうであれば、「食」、特に彼らの肉食に対する見方を理解することでもっとその文化的な深層を理解できる部分が増えてくるのではないか。

 以前、知り合いの中国人留学生と話していた時に「野菜は貧乏人の食べ物なので肉しか食べない」というような事を言っていたのを思い出す。 確かに彼等の肉に対する嗜好性の強さは、我々日本人以上に強いものがあるに違いない。 野菜よりも肉を食べることは、裕福さとも直結しているようで、肉食中心は彼らに取って一種のステイタスの表現ともなっているようである。 一応「偏りは体に悪いよ」と言っておいたが...。

 中国では「四脚のものは椅子と机以外は何でも食べる」と言われているが、これこそが正に彼らの肉食に対する情熱の現れであるのだろう。 昔どこかで読んだ話で、出典が見つけられないのであるが、次のような話を読んだ記憶がある。

「鹿を食べることが禁制になり、鹿肉を食べられなくなった時代である。あるとき火事が起き山ごと丸焼けになってしまった、 その焼け跡から焼け焦げた鹿を手に入れた者がいて、それを食べたところ、その美味さが病み付きになってしまい、 また鹿肉を食べたいばかりに、山火事を再び起こそうと火をつけた云々」というエピソードである。

 昔、これを読んだ時も、中国における食肉に対する情熱の一端を感じたのを思い出す。 しかしこの話、確かに昔にどこかで読んだ記憶があるのだが出典の記憶がはっきりしないのである。もしどなたか分かる方がおられたらぜひ教えて頂きたい。
 実は漫画の『美味しんぼ』に似たような話があるが、こちらはもてなしのために意図的に山を焼いて鹿肉をご馳走するためのエピソードであり、私の記憶しているエピソードとは少し異っている。それはこんな話。

『美味しんぼ 八巻 SALT PEANUTS後編』
「私は革命前の中国の富豪や将軍の家で、お抱えの料理人が作る最高の中華料理を嫌というほど食べてきた。 ある将軍は私に旨い鹿肉を食べさせるために山を焼き払った。 火に包まれて何千頭という鹿が焼け死ぬ訳だが、その中に一頭かニ頭ちょうど頃合いに焼けた鹿がいる、その鹿肉こそ最高の味だったな、云々」
「食べ物を食べることを教えることは無能では」の回答画像1
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