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渋谷暴動をやらかした大坂正明被告に判決がくだりました。
しかし、YouTubeでユーミンの「いちご白書をもう一度」を見ると動画のコメント欄に「私たちは当時真剣だった」とか無反省な書き込みが溢れてますよね。
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これだとまた同じような事件は起きると思います。
オウム真理教で地下鉄にサリンを撒いた信者も当時は真剣だったのだろうし連合赤軍で榛名山ベース仲間割れリンチ虐殺した連中も当時は真面目で真剣にやっていたのだと思います。
真面目に真剣に人殺しする奴もいるのだから、真面目だとか本気だとか真剣というのは言い訳にならないし、危険なことかもしれないと思うのです。

皆さんはどう考えるか?色々ご意見教えてください。

A 回答 (13件中1~10件)

文脈を見ないとはっきりした事は言えませんが、少なくとも「私達は当時真剣だった」と言う旨発言している事が即「反省していない」と言う意味にはなりません。

むしろ学生運動であれば「当時は真剣」と言うのは極めて自然な事だと思います。

もちろん「真剣にやっていたから許されるべき」と言う話にならないのは当然の事ですが、学生運動では時には機動隊と衝突して相手を怪我させたり自分が怪我したり、場合によっては逮捕されたりするわけですから、そんな危険な活動を「真剣ではなくやる」と言うのは普通考えられないでしょう。また仮に「真剣ではなくやっていた」と言う人がいたとしたら、むしろそう言う人達の方が「真剣にやっていた」と言う人達よりも非難されて然るべきだと思います。遊び半分で他人に危害を加えるようなものですから。
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質問者さんは大学へ行ってると思うが、70年代後半から80年代の辺り、過激派によるロックアウトは別に珍しいことではなかったとおっしゃる人は、たぶん行ってない。

学生運動が盛んだったのは70年代初めまでで、「70年代後半から80年代の辺り」には打って変わって沈静化していた。無知にもほどがあるだろう。
また、「歴史のある有名校で、革マル派や中核派の学生が学内で衝突」するような大学は、大きな大学である(小規模校でそんな大学はなかった)。したがって、校門がいくつもある。仮に校門を一つ封鎖しても、別の門から出入りできるから、講義や試験はおこなえる。
大学のロックアウトとは、キャンパス(敷地全体)のロックアウトであって、大学側がおこなうものである。一方、学生側がおこなったのは「何々号館の占拠」などだった。キャンパス内に多数ある建物の、一部の棟を占拠したわけだ。しかし、これはロックアウトではなく、そう言うのは誤用である。
その場合でも、ほかの何々号館を使って講義や試験はおこなわれた。

大学へ行ってない人には、学生運動が分かりにくいと思う。いや、そんな言い方をしたら身も蓋もないし、近ごろは大学ぐらい誰でも行く(進学率50%以上)。
しかし、ご質問の『いちご白書』(1970年公開)の時代、大学進学率は約25%だった。当時でも男子は30%くらいあったが、女子が20%しかなかった。

結論を言うと、このご質問はそもそも成立していない。「真面目だとか本気だとか真剣というのは言い訳にならない」とおっしゃるが、そんなことは知ってるわけだ、前述の25%時代の人は。
そんなことが言い訳になると考えるのは、たとえば精神年齢12歳以下の人だろう。思い出すのは『蝿の王』(1954年出版)である。ゴールディング(ノーベル文学賞受賞)の代表作といわれる。
舞台は近未来の絶海の孤島。飛行機が不時着してイギリスの少年が放り出される。未来だったら孤島でも連絡手段があると思いきや、それは核戦争が勃発して、集団疎開の途中に起きた事故だった。救助が来るあてはない。
これがフランスのジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』なら、助け合って生き残るわけだが、イギリスのゴールディングはシニカルである。子供たちは敵味方に分かれて、ついに凄惨な殺し合いになる。
ラストで突然救助の大人が来て、ラーフ少年は泣きじゃくりながら言う。僕たちはきちんとやろうとした。「初めは団結してやっていたんです」「でも、そのあとでいろんなことが」。
大人は悲しそうに言うのだった。「君たちはイギリスの少年だろう? もっとうまくやることはできなかったのかね」。

私も大学でこの小説を読まされた(推薦図書か何かになっていた)。読み取り方はいろいろあって、子供の残酷さとか、大英帝国の自信喪失の風刺とか言われる。そういう含意もあるだろうけど、注目すべきは、ラーフがもともとは理性的な子だったという人物造形である。
つまり、大学で読まされ考えさせられることは、「真剣にやったのに凄惨な殺し合いになってしまう」「それはなぜか」というような難問なのだ。
ご質問の大坂正明にしても、「私たちは当時真剣だったから、間違っていない」とは言ってないだろう。もっとほかの正当化を述べたか、あるいは弁疏を拒絶したと思う。
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別の質問で、No.9 Dendrocacaliaさんが絡んできたので、当時の状況を補足説明しますね。


>中核派が校門を封鎖して講義や試験が行えなくなったというのは、作り話ではないだろうか。ロックアウトと呼ばれる事態だが、大学のロックアウトは大学側がおこなうものである。学生側がおこなうのではない。大学の仕組みを知らないのだろうか。

この意見は、当時の状況や学生運動に無知な人の妄想です。
70年代後半から80年代の辺り、過激派によるロックアウトは別に珍しいことではなかったです。
過激派のロックアウトは違法行為。だからこそ多くの学生はそんな行為に不快感を感じていた。ただし、大学側は校内の自治も重要視して警察権力の介入をためらうケースが多かったということです。
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挫折したのでしょうね。


結局は殺戮を行う集団になってしまって問題だらけに終わった気がする。
こんな歌が出来たね。



内容は全学連と機動隊の攻防戦
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真剣ならば過失ではなく確信犯なので、より重い刑が下る。



当人たちが目指したものはどうでもいい。実は下らない価値観だったと後に目覚めて愕然としているのかもしれないけど、真剣に犯した罪は、厳重に裁かれなければならない。死刑や無期懲役もありうる。例えば外患誘致は最低刑が死刑。

大坂はもう少し真剣にやれば、死刑又は無期禁錮だった。真剣さが足りない。
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言い訳してるんじゃなく、私たちは真剣だった、でも方向が間違っていた、と解釈すればいいんじゃないかな。

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中核派が校門を封鎖して講義や試験が行えなくなったというのは、作り話ではないだろうか。

ロックアウトと呼ばれる事態だが、大学のロックアウトは大学側がおこなうものである。学生側がおこなうのではない。大学の仕組みを知らないのだろうか。
大学のキャンパスは広いから、門がいくつもある。中核派とやらが全部の門でスクラムを組めるはずはない(マンパワーの面で非現実的)。一方、大学側は管理者だから、全部の門を閉じる権限がある(門扉を閉じて鍵をかける)。
それは、大学当局が(中核派など)過激派を遮断する効果もあった。彼らは大学内の一角(サークル部室など)を拠点にしていたのである。
ということで、すぐばれる作り話だろう。

他方、質問者さんは捏造はしていないものの、「無反省な書き込み」とおっしゃるのは理解不足かも知れませんよ。
そもそも、昔あんなに燃え盛った学生運動が、なぜ急激に衰えたか? 当時、真剣に物を考えていた学生が、デモ行進したり学生集会を開いたりしたのは、まだ良いわいな。我々は誰しも、プロテスト(protest)する天賦の権利がある(例えばアメリカ独立宣言をご覧ください)。この一団をAとしよう。
しかし、交番(派出所)を襲って機動隊員を鉄パイプでめった打ちにして、死に至らしめる。こうなるともう道理が無いわいな。このような一団をBとしよう。そして、AはBの所業に付いて行けないと感じ始め、学生運動は急激に衰えた。

質問者さんはAとBを一緒くたにしていないだろうか。
だいたい、Bの例えば連合赤軍の学生たちは、(幹部は獄死したが)長い服役を終え、出所して老人になった今、「私たちは間違っていた」と述懐してるよ。それが植垣さんなどです(まだご存命らしい)。「真剣だったから間違ってない」などとは言ってない。
一方、ご質問文の「私たちは当時真剣だった」という書き込みは、昔Aだった人じゃないの?
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この渋谷暴動って言うのは扇動者がいます。

60年代後半から70年代初めまでの学生騒動には必ず扇動者がいました。「当時の私たちは真剣だった」なんて言うのは言い訳にはなりません。現実に多くの人々に迷惑を掛け、殺人までしたわけですから。その一人が大坂正明ですね。殺された警察官やそのご遺族に補償などしてないでしょう。そういうのは私の思いであって、彼らからすると殺して当然、殺して当たり前なんでしょうが。

でも私からすると、本当の人民の怒りが爆破したのは1973年の「首都圏国電暴動」事件だと思います。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E9%83%BD …

この時私は学生で、事件の全容は新聞で読みました。乗客が国労や動労の「順法闘争」に怒り、首都圏全域でほぼ同時多発的に起こした暴動です。「順法闘争」には学生であった私もイライラし、フラストレーションがたまってました。新聞によれば、怒った乗客は多くの駅の事務所になだれ込み、現金の他、切符や定期券の元となる用紙の他、ゴム印なども強奪したそうです。私はこの現場にいなかったのですが、もしいたなら一緒に何かやったかもしれません。いなくて良かったと思っています。

戦後の引揚者を積極的に採用させられたとはいえ、当時の金で37兆以上の累積赤字を抱えていた国鉄ですから、国労、動労も少しは遠慮しろよと言いたかったですが、何しろ親方日の丸ですからそんな気持ちなど微塵もなかったのでしょう。

人民の怒りといっても、違法行為には違いないので、これを擁護する気持ちはないですが、国鉄ザマミロと思ったことは確かです。この事件では殺人事件は無かったです。
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> 真面目に真剣に人殺しする奴もいるのだから、真面目だとか本気だとか真剣というのは言い訳にならないし、危険なことかもしれないと思うのです。



それはその通りでしょう。 真剣に戦争したり、攻撃したりというようなことも、どこの歴史でも、けっこうあります。
真面目、真剣、本気、強く燃えて、使命感、正義感でも、人殺し、破壊はします。 
遊び心、冗談半分でやる人もいることはいるのでしょうが、大半の人殺し、破壊は、真剣・本気・必死のような気分で行われます。
たぶん、殺人事件のようなものでも、実行者は真面目・真剣の人が過半数で、淡々と実行する人、何気なくやる人、遊び半分でやる人は、全体の3割にはならないでしょう。

真面目だから危険、本気で真剣になりがちの人は危険だということでもないです。

戦争、闘争、革命、反乱、どういうことであっても、また、私利私欲、怒りや恨み、恐怖などが昂じた場合でも、結構、殺人は起きます。

真面目だった・真剣だった・怒っていた・興奮していた・・・・・こうしたのは心情の後説明であって、言い訳という場合もあるのでしょうが、言い訳などではない単なる心情回顧のようなものというだけのことは多いです。
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私が大学生活を送った頃は学生運動もやや下火になりかけていた頃でした。

ただ歴史のある有名校で、革マル派や中核派の学生が学内で衝突したりしてました。多くの学生は、暴力団同士が潰し合って共倒れになったらいいなという感覚でした。

ただ、あるとき、中核派が大学側と対立して、校門を封鎖して講義や試験も通常通り行えない事態になったことがあります。真面目に大学で学びたいと考えている私などにしてみれば、ちゃんと授業料も払っているのに、何故、こんな連中のためにその機会が奪われなきゃならないんだと思いっきりむかついて、校門の前にスクラムを組んで並んで座り込んでいる過激派の学生の上をまたいで乗り越えたんですけど、その時の過激派の学生たちがおびえたような目つきで私を見てました。信念など全く感じられませんでした。そのあと、校門の所に彼らがバリケードとして積み上げていた机や椅子を放り投げて、一人が通れるぐらいの隙間を空けて図書館へ行きました。ただ、学びたいというだけで行動する私に文句を言う人はしませんでしたよ。もちろん文句など言われてたら、ちゃんと授業料を払って学ぶ人間の邪魔をするなって言い返してましたけどね。

普段は大勢で勇ましいシュプレヒコールを叫ぶ過激派の学生たちがみせた怯えた顔を今でも思い出します。80年代だと、日本を良くしようという信念も何も無く、真面目だから活動しているわけでは無く、軽薄でブームに乗って革命だの何だの騒いでるだけの人間が増えていたんでしょうね。

教育熱心な教授がいて、多くの真面目な学生もちゃんと授業料を払って学んでいたのに、そんな学生生活をあんな軽薄な学生たちに数ヶ月も妨害されたのかと思うと今でもムカつきます。
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