いつも疑問に思うのですが、奈良時代などから中国と国交があったとき、通訳はどうしていたのでしょうか。昔はどうやって外国人同士、意思疎通をはじめたのか、すごく気になります。

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A 回答 (3件)

外国人というより、古代において天皇家の祖先は南朝鮮の王族ではないかと言うくらい、朝鮮とは密接な関係でした。


天皇家もフランスのノルマンディー公爵が、イギリス王位を奪ってウィリアム1世を名乗ったような関係ではないかと、そんな説もいわれてます。
また日本人自体、アジアの東の端ですから、モンゴル、中国、朝鮮など、様々な民族の混合。
この辺りは神話の時代になりますが、はっきりしてるのは天智天皇の時代に百済が滅び、王族の豊璋などの知識人が日本に亡命してきますし、それ以前にも親しく付き合っておりました。
皇族の下で働く技術者集団は渡来人が中心で、当時のことですから、焼物、織物、彫刻、製鉄など、こうした技術者集団は大陸からの人間が指導しています。
朝鮮と中国は陸続きで、朝鮮の知識人は中国語を理解できたと思いますし、日本にも中国の仏典、書道の本などがもたらされ、僧侶などはそうした書を通じて中国語を理解でき、貴族階級も漢詩や漢文をならいますから、これも中国語は理解できる。
この時代は東アジアでは中国が唯一の超大国ですから、現在のフィリピンやインドなどの中流以上の人間が英語を話せるのと同様、中国の影響の強い日本でも貴族や僧侶、それに使える方々が中国語や朝鮮語を話せても何の不思議もありません。
空海も遣唐船で渡るときに、海賊と間違えられ、弁明文を書いてますが、現地の責任者が手放すのを惜しんだくらいの巧みな文章ですし、唐に渡って直ぐに向こうのお寺に行きますが、僧侶たちと専門用語を交え普通に会話をしてますから、少なくとも日常会話以上の語学力はあったと考えられます。
込み入った話以外は通訳は不要で、必要のあるときはこうした僧侶などが通訳をやってと想像します。
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昔は(古代)勿論専門の通訳はいないのでどこの国(地域)でも漂流者、移住者、国境の人々、国際結婚をした人々が通訳を務めたわけです。

わが国と中国は古くから
(国が成立する前から)交流があったと思われます。

ヨーロッパのように陸つづきで国境を接している地域では通訳に不自由しなかったでしょう。国境には必ず両国の言葉の出来る人が住んでいます。(九州の人は関西弁が理解できなくても岡山県の人はかなり理解できるように)

たくさんの原住民の住むアフリカやアマゾンのジャングルでは、白人とある部族は隔絶していても、原住民同士は交流があるので隣の部族との通訳は出来ます。これを繰り返していけば秘境探検でもだいたい案内人と通訳には困らなかったと思われます。

具体例としてメキシコを征服したスペイン人の場合。
ユカタン半島に到着したスペイン人は二人の漂流スペイン人を発見、彼らが通訳を務めます。次に寄航した港で
メキシコ中央部出身でマヤ語(漂流スペイン人が理解していた)とアステカ(帝国)の言葉が出来る娘を発見。
この女性がアステカ征服に成功するまで同行しています。つまり、スペイン語⇔マヤ語⇔アステカ語の通訳が
行われたのです。

全く手がかりのない部族語の場合は、部族と接したものが根気よく身体用語や生活用語を学んで記録し単語を増やす方法が取られます。
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いわゆる渡来人という方々が通訳をしておりました。

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Q原始時代から平安時代までと 奈良時代から室町時代までの 間にそれぞれ何がありますか?

原始時代から平安時代までと
奈良時代から室町時代までの
間にそれぞれ何がありますか?

Aベストアンサー

原始時代から平安時代までには「(古墳時代と飛鳥時代と)奈良時代」
奈良時代から室町時代までには「平安時代(と鎌倉時代)」がありますけど、試験範囲でしょう?
多分「そう言う話じゃない」はずで、事象は多岐に及ぶので、教科書や年表・資料をもう一度読み返しましょう。
としか言い様がないです。

Q奈良時代と平安時代

奈良時代に何度も遷都しているのに,なぜ平安遷都の時だけ時代が変わっているのですか。

Aベストアンサー

「時代」は都の違いでで区切るのではありません。
文化の違いによって区切ることが多いのです。

縄文と弥生の違いがそうです。
これは土器などの文化によって区切られます。
しかし一昔前の高校生はポケベル、今は携帯電話のように
文化では完全な年代による区切りは出来ません。
こういった時代区分も多々あります。

平安時代はご存知のように桓武天皇が平安遷都を謳いました。
当時は南都勢力の政治介入が強く、道鏡など天皇の地位を脅かすやからまで出てきたので
桓武天皇は仏教勢力の政治介入を止めるためにも遷都をしたようです。
平安京の洛中には東寺・西寺を除き寺院の建立は禁じられました。
そんなこともあって平安時代は遷都したことによって独特の文化が生まれることになったのです。
なので歴史学者は平安という古代の区切りを遷都した794年としたのではないでしょうか。

ちなみに奈良時代の転々とした遷都は政治の中心(天皇の居場所)が移動したようなもので
平城・平安京とは比べ物にならないほど小さな規模のものばかりです。

Q奈良時代以前の時代区分

時代区分について知りたいのですが、まず大和時代と古墳時代は同じことなのでしょうか?
それと大和時代が終わった後に飛鳥時代、白鳳時代と
続いていくのか、それともすべて大和時代に含まれてしまうのかよくわかりません。
歴史に詳しい方よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
多分、政治史的な時代区分と文化史的な時代区分が混ざってしまったのかな?と思います。

政治史では、原始・古代の部分はすっきりとはしないのですが、一般的には、
 
 原始時代→大和時代→飛鳥時代→奈良時代→・・・・です。

文化史では、

 ・・・縄文文化→弥生文化→古墳文化→飛鳥文化→白鳳文化→天平文化→・・・・です。
 文化は、考古学的な遺物や、絵画・彫刻などの作品などの研究を通して時代区分をしますが、その側面を重視して「縄文時代」とか、「古墳時代」とかいった言い方をすることも多いので、混乱しがちかもしれませんね。

 で、どこが重なるかというと、
 ・原始時代(縄文・弥生)=まだ日本に統一政権的なものが存在しない時代

 ・大和時代(古墳)=大和政権が西日本中心に統一国家を建設し、首長が巨大な古墳に埋葬された時代

 ・飛鳥時代(飛鳥・白鳳)=飛鳥地方とその周辺に都が置かれ、蘇我氏や聖徳太子らが活躍、仏教文化が開花した時代

と、かなり大ざっぱですが、こんな感じになります。もちろん文化の流れと政治的な出来事が同時に展開するわけではないので、はっきり線を引くことなんてできないですけどね。

 歴史の詳しい講釈は、質問の意図から外れそうなので省きます(^_^) 参考にしていただけたら嬉しいです(^_-) 


 

こんにちは。
多分、政治史的な時代区分と文化史的な時代区分が混ざってしまったのかな?と思います。

政治史では、原始・古代の部分はすっきりとはしないのですが、一般的には、
 
 原始時代→大和時代→飛鳥時代→奈良時代→・・・・です。

文化史では、

 ・・・縄文文化→弥生文化→古墳文化→飛鳥文化→白鳳文化→天平文化→・・・・です。
 文化は、考古学的な遺物や、絵画・彫刻などの作品などの研究を通して時代区分をしますが、その側面を重視して「縄文時代」とか、「古墳時代」とかいった言い方...続きを読む

Q明治時代に日本に来た外国人技術者の通訳

先般、富岡製紙工場を見学してきました。そこでフランス人技術指導者が日本人を指導したと説明されましたが、そのフランス人の通訳は誰がしたのですか?日本人にフランス語堪能の方がいたのですか? それとその技術者の報酬は破格であったそうですが、現金は円で払ったのですか?それともまさかのフランですか?以上、単純な疑問です。

Aベストアンサー

フランス語に関しては横濱佛蘭西語傳習所と呼ばれる翻訳官や通訳の養成所が1865年4月1日(元治2年3月6日)に横浜に設けられていました。
幕末に江戸幕府は、当時ナポレオン軍の歴史を引くフランス陸軍の制度を導入しようとしていました。
軍隊を新たに作りますから、当然教官であるフランス軍将校の言葉を理解する必要があることから設けられていました。

同様の動機で各藩でも藩校の中に英語やフランス語を学ぶ講座を設けてイギリス人やフランス人を招聘していました。
古くは御承知の通り長崎にはオランダ語を学ぶ私塾は沢山ありました。
外科手術を主体とした蘭方医を養成していました。
幕末には頻繁にオランダ以外の国の船舶が来航していましたので、長崎では早くからオランダ語以外の言葉が学ばれていました。
ということで、必要に応じて最低限の通訳は手当てができていました。

富岡製糸所のみならず、明治初期に来日した外国人は、むしろ日本語を勉強して何とか自分の技術や知識を伝えようと努力してくれました。
生徒である日本人も貪欲に言葉を学び、技術や知識を吸収していきました。
(そうは言っても実際には、相当いい加減な金目当ての山師のような連中もいたようではあります)
まぁ~当然スタートはお互いに片言で身振り手振りではあったでしょう。
言葉というのは、その場で必要に迫られれば意外に短時間でマスターできます。
ただし、受験程度の切迫感ではダメです。生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い込まれなければダメです。

尚、江戸時代は全く聾桟敷であった訳ではなく、漂流や難破で海外生活を余儀なくされた人達が沢山いて外国語をマスターして帰ってきていました。
有名な大黒屋光太夫はロシア語を完璧にマスターして帰ってきています。
ジョン万次郎は英語をマスターして帰ってきています。
幕府は必要に応じてこれらの人達を使っていました。
ただし、制度化されたのは幕末ギリギリで直ちに明治時代に突入してしまいました。

>現金は円で払ったのですか?それともまさかのフランですか?
記録上は円で記録されていますが、本人がどうしたのかは実際のところは良く分かっていません。
そもそも明治政府は外貨を持っていません。
おそらく有史以来の国際通貨である金銀に両替されていた可能性が一番高いかと思います。
これを交易で日本へきていた商人を経由して自国通貨に変えていたのではないのかと推定されます。
国内にいる間は両替の必要は全くなかったことに注意して下さい。

蛇足
日本の通貨は計数通貨でしたが国際的には金銀の秤量通貨でした。
結果として、日本の銀貨である丁銀や小粒は、海外へ持ち出せば日本国内で小判に変えるよりも多い重量の金が手に入りました。
これで一儲けしたのがタウンゼント・ハリス」です。
外交官というよりも政商としての才能に長けていた男のようです。

フランス語に関しては横濱佛蘭西語傳習所と呼ばれる翻訳官や通訳の養成所が1865年4月1日(元治2年3月6日)に横浜に設けられていました。
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軍隊を新たに作りますから、当然教官であるフランス軍将校の言葉を理解する必要があることから設けられていました。

同様の動機で各藩でも藩校の中に英語やフランス語を学ぶ講座を設けてイギリス人やフランス人を招聘していました。
古くは御承知の通り長崎にはオランダ語を...続きを読む

Q奈良時代の舎人の活動について

こんにちは。
奈良時代について調べています。天武や持統の時代の舎人の位置がよく分かりません。
(1)彼らは主人の家に住み込みで働いていたのでしょうか。それとも家から通っていたのでしょうか(結婚をしていたら単身赴任状態?)。
(2)どんな仕事をしていたのでしょうか(主人の護衛?)
(3)そもそも彼らは、どうやって働き先(主人)を見つけたのでしょうか(コネのような気がしますが)。
奈良時代の舎人の生活について書かれている書物を紹介していただきたいです。
どうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

ふたたびこんにちは。

天武、持統の時代ということなので。

・「天の川の太陽」上下 中公文庫
天武天皇となる大海人皇子が壬申の乱を起こし勝利するまでのお話です。
これがイチオシかなー。

・「天翔る白日」小説 大津皇子 中公文庫
天武天皇の皇子、大津皇子と持統天皇の葛藤がかかれています。

あと舎人のことも知りたいみたいなので。

・聖徳太子 1~4 文春文庫
・落日の王子 蘇我入鹿 上下 文春文庫

などがあります。
すべて黒岩重吾さんの本です。
他にもまだまだありますよ。


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