この人頭いいなと思ったエピソード

どうしても嫌悪感しかありません。別にバロックがだめというわけではありません。他の作曲家にはバッハのような嫌悪感はありません。
バッハアレルギーというのは結構あるでしょうか?

なぜなのかちょっと考えてみました。
〇遊びの精神がない(音楽を楽しんでいる気がしない)
〇宗教ミサ的な響きがする(どうもキリスト教アレルギーである)
〇とにかく言いようのない暗さ(たとえ長調でも)が底流に流れている

というようなことです。

A 回答 (9件)

No.6 です。

再び。

質問文>〇とにかく言いようのない暗さ(たとえ長調でも)が底流に流れている

#1さんへのお礼>バッハの和声は狂っています。その進行がなにかのいかがわしい信仰のようです。

たとえば #6 のリンクの「音楽の捧げもの」の楽譜を見れば分かるとおり、バッハは「ポリフォニー」(多声部音楽)の作曲家であって、「複数の旋律線」で作曲しています。(特に「フーガ」がその代表)
その点で、バッハの息子たちや古典派の作曲家以降の「メロディ + ハーモニー」という「ホモフォニー」(和声音楽)とは根本的に異なります。
「ポリフォニー」では、その瞬間ごとに「多声部が一時的・経過的に作る和声」が響きますから、長調と短調が入り混じったり、その調にはない和声も過渡的に発生します。そのために、質問者さんのように「和声が狂っている」とか「言いようのない暗さ(たとえ長調でも)」という印象をもつことになるのではないでしょうか。

バッハ(ヨハン・セバスティアン:1685~1750)の時代には、すでに同時代のフランスのジャン・フィリップ・ラモー(1683~1764)らが「調」や「和声」の体系化・理論化によって「ホモフォニー」(和声音楽)が主流になっていましたし、同時代あるいはバッハの先輩にあたるパッヘルベル(1653~1706)やヴィヴァルディ(1678~1741)、ヘンデル(1685~1759)らもほぼ「ホモフォニー」(和声音楽)で作曲して人気を博していました。
その意味で、バッハはその時代でも「時代遅れ」「保守的な頑固者」だったわけで、むしろ「新しい音楽の流行に対して、伝統的な音楽の再認識と集大成」を目指していたところがあると思います。
そういう観点で、バッハが「音楽の父」と呼ばれたり、シェーンベルクの十二音技法も「十二半音を対等に扱ったポリフォニー」だったりするのだと思います。
それは「情緒的、感覚的」な音楽ではなく「理論的(理屈っぽい)」な音楽のはずなのですが、それが「心に深く響く」ところがバッハの不思議なところです。
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この回答へのお礼

他のバロック作曲家は、すでに現代の音楽(商業芸術音楽双方)に繋がる作風を確立していたのに、それを宗教曲的なものにこだわって頑なに変えなかったのが小川です。

お礼日時:2024/04/04 22:36

バッハ:キーボード協奏曲第1番の終楽章





「だからそう言ったのに」で遊んでいます。
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この回答へのお礼

気持ちわりー(゜-゜)

お礼日時:2024/04/04 22:37

ハ短調とはいえ


>宗教ミサ的な響き

>言いようのない暗さ
もないと思われる曲です。

1:17からの Capriccio は
スイングしていて、踊りだしたくなります。

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この回答へのお礼

気持ちわりー(゜-゜)

お礼日時:2024/04/04 22:35

>遊びの精神がない(音楽を楽しんでいる気がしない)



#5 さんと同じ意見で、高度な遊びの精神に満ちていると思います。
たとえば、平均率クラヴィーア曲集の第1巻24番(最後の H-moll)のフーガの主題は、最初の3小節の中でオクターヴ内の12半音をすべて使っています。
12音技法を始めたシェーンベルクが「私は保守主義者だ」という根拠がそこにあります。

下記の楽譜付き演奏の 5:00 あたりからのフーガの冒頭



#5さんが挙げている「音楽の捧げもの」は、全編これ「謎解き遊び」です。一度楽譜を見ながら聴いてみるとよろしいと思います。
「左」の音部記号や、最後に「逆向き」に書かれた音部記号などを読み解きます。
(#5 さんの挙げているものは、p-7 の「1」ですね)

https://vmirror.imslp.org/files/imglnks/usimg/5/ …

また、未完の遺作となった「フーガの技法」には、「Bach 主題」が登場します。ぐるぬいゆさんのお嫌いな「ドイツ語読み」の「B-A-C-H」音列の主題です。この主題が登場した直後に絶筆となっていることから、息子のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハによって、楽譜に「作曲者は、"BACH"の名に基く新たな主題をこのフーガに挿入したところで死に至った」と記されています。

さらには、「無人島に持って行きたいCD」によくとり上げられる「マタイ受難曲」には、「十字架音形」だとか(これは楽譜を見ないと分からない)、「十二使徒からユダを除いた11回の反復」といった「数」のトリックが多数盛り込まれています。
そういったものを除いても、「マタイ受難曲」はかなり「心に響く」音楽だと思いますけどね。確かに、扱っている内容からして決して明るい音楽ではないですが。
ペテロが、イエスの裁判で「そんな人は知らない」と3度否認した後、後悔の涙にくれる中で歌われる「憐み給え」なんて、「人間の弱さ」という意味で、キリスト教徒でなくとも「自分ごと」として涙なしには聴けません。

https://www.youtube.com/watch?v=aPAiH9XhTHc
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この回答へのお礼

何ですかこの暗さは?

お礼日時:2024/04/02 22:14

>遊びの精神がない



ありますよ。例えば、「音楽の捧げもの」に仕組まれている遊びをご確認ください。

J.S. Bach - Crab Canon on a Möbius Strip


Crab は「蟹」で、Möbius Strip は「メビウスの輪」。果たして?

私は「音楽の捧げもの」は大好きな曲でレコード(アルヒーフ)今まで100回以上聞いています。
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この回答へのお礼

なんですかこれは?対位法的な応用なだけではないですか。

お礼日時:2024/04/02 22:12

そういう音楽ですから、神の偉大さを思わさせる荘厳、権威的、神秘的宗教音楽ですね。

威圧感すら感じるかもしれません。
そういう世界観なので楽しむ音楽ではないでしょう。教会でバッハ聞いてルンルンウキウキの人はいるのでしょうかね。
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この回答へのお礼

音楽の偉大さを感じさせるのではなく、神の偉大さを感じさせるって、何か勘違いしてませんか?

お礼日時:2024/04/02 12:25

クラシックまでお詳しいのですね。


聞こえて嫌悪感を抱きそれが毎回バッハって、すごい。
おかしくないですよ、ぐるぬいゆさんは繊細で敏感な方なのです。
私なんか有名なもの以外は聞いても…どれバッハ???状態ですーwww
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この回答へのお礼

バッハを聞くとすべて小川にぶち込みたくなります。

お礼日時:2024/04/02 12:25

あなただけです。

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この回答へのお礼

Not only mine.

お礼日時:2024/04/02 12:26

バッハの和声は普通の人間が快適なものが多いので


バッハが無理だと世の中の大半の音楽は無理かと思います
ポピュラー音楽も大半がバッハの亜種みたいなもんです
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この回答へのお礼

バッハの和声は狂っています。その進行がなにかのいかがわしい信仰のようです。
>バッハが無理だと世の中の大半の音楽は無理かと思います
ポピュラー音楽も大半がバッハの亜種みたいなもんです
とんでもない誤解です。現在のメジャーな音楽はショパンが源流です。

お礼日時:2024/04/02 12:27

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