戦争のきっかけとは何なのでしょうか?
教えてください!(第二次世界大戦あたり)
あと
どうゆう風に(戦争が)終わったのでしょうか?
教えてください!

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A 回答 (5件)

一般に戦争は、生活ができなくなって相手のものを奪うことでした。

日本国内の戦争は多くは権力闘争でした。

第一次大戦や第二次大戦は、皮肉にも豊かであったための戦争です。

商品が溢れ、失業者が急増している現代とよく似ていました。すなわち、世界恐慌からの脱出として、戦争が行われたのです。

商品が消費されないので、消費する。→軍需物資
失業者を隔離する(仕事を与える)→軍隊

すなわち、商品を消費し経済を好転するために以上の2つのことを推し進めました。資本主義経済のどの国も行ったのです。戦争の準備をすることが景気回復策として行われました。そうして、軍需物資や、軍隊が増えつづけ、本当に戦争をしないと消費できなくなったのです。きっかけは何でもよかったのです。破裂しそうな風船が破裂し戦争となり、戦後それなりの景気を取り戻すことができました。
不景気と言うのは、人間が必要でなくなること。景気がよいと言うことは、人間が必要で、社会的に価値を与えられることと考えてください。

これはまさに、商品を作りすぎた人間が、余り余った豊かさを、オリンピックにお金を使い、みんなで喜び悲しんだ世界史の悲喜劇です。

日本やドイツが戦後復興が早かったのも、古いシステムを破壊してくれたために、より効率的な都市の再生ができたからと言う面もあります。古いパソコンが一杯になってどうすることもできなかったのを壊し、新しいパソコンを入れたために、効率を上げたようなものです。戦争が終わったのは、いらない商品を使いはたし、いらない人間が死んだからです。

戦後、戦争の反省で、軍需や軍隊にお金をかける代わりに、国民に商品をまわすことが行われてきました。そのため、国民も資本主義経済の恩恵が得られるようになり、物質的に豊かになり、余暇も与えられるようになりました。しかし、この対応にも限界が来て、国民はこれ以上の消費をする必要もなくなり、不景気がはびこるようになってきました。

今、私達が、本当に価値ある人間として生きられる社会をつくらない限り、人間の狂気が戦争の原因となる可能性が出てきています。
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戦争のきっかけ(第二次世界大戦)を知りたいのですか。


これを知るということとは、20世紀史の前半すべてを語らなくては
ならないですね。

全部書くわけにもいかないので、参考URLのNo.2の発言にある
「20世紀 どんな時代だったのか(読売新聞社編)」
を読んでください。これを読めばほぼ全てわかります。

大きい書店か、図書館に行って探してください。


第二次世界大戦の戦争の終わり方は、比較的簡単です。
ドイツは、首都ベルリンをソ連軍に占領され、ヒトラーが自殺して終わりました。
日本は原爆2つ落とされ、ポツダム宣言を受諾することで無条件降伏しました。
イタリアは、ドイツ降伏前にアメリカ軍を主力とする連合軍に占領されました。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=133648
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 戦争、特に第二次世界大戦の勃発、終戦の経緯については、前者の方々の説明である程度お判りかと思いますので、別の観点からお話したいと思います。



 基本的に戦争は、過去の例から見て食糧問題・エネルギー問題・宗教思想問題・我欲等、幾つかかの切り口が原因で始まることが多いように思います。

 人間は、ある程度の集団を形成すると、それを守り、発展拡大させようという欲が働きます。それが外部とうまく連携が取れるときと、取れないときがあり、摩擦や争いの原因になり、ひいては戦争のきっかけなる事があります。

 人間に様々な欲がある限り、これらを止めることは出来ないのかも知れません。残念なことですが、太古の昔から世界では戦争や紛争が尽きることはありませんでした。

 しかし、新しい世紀を迎え、我が国も真に世界のリーダーとしてまた地球市民の一員として、世界にどう貢献するかが今、大きく問われていると言わなければなりません。

 原爆を投下された経験のある世界唯一の国として、また戦争を放棄した平和国家として、日本の世界平和に果たすべき役割は大きいと思います。

 有事の際はもちろん、平時に於いても主権国家として何を成すべきか日本国民として、考えてささやかでも出来る具体的な行動を起こすことが、現代に生きる者に与えられた使命だと考えています。

 質問の答えとしては、少々観点が違いますが、戦争を考えるきっかけになればと思い、投稿しました。


 
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第二次世界大戦の欧州戦線における直接の原因は


英国の独国への「ポーランドに侵攻すると宣戦布告するぞ」という勧告に対して独国が無視をしてポーランドへ
侵攻(1939年)した事により、発端が開かれました。

当時独国は既にヨーロッパの国々を占領していましたが、
ヨーロッパにおける自由主義国の盟主である英国は宥和政策をとっており、なんとか話し合いにて決着をつけようと粘り強い外交を行っていましたが、実らず最後通諜として
上記の勧告を行いました。

当初独国は有利に戦争を運んでいましたが、チャーチル内閣の英国を降伏させる事ができず、不可侵条約を結んでいたソ連に侵攻し大敗、また日米開戦により米国も参戦します。

特に米国の参戦は影響が大きく、米国自身の兵力は勿論、
連合国への「武器」「資金」の援助により連合国は息を吹き返す事になります。

ヨーロッパ戦線はソ連が東から、米英仏が西、南と多方面からの攻撃に加えて、占領地のゲリラも加わり独国は後退していきます。

1945年5月に独国は降伏、日本も8月に降伏する事により
第二次世界大戦は終わりました。
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戦争のきっかけ、それは戦争の当事者双方の言い分があるので


一概には言えないと思います。
 nisukoさんが二次大戦というのは欧州方面なのか太平洋方面の事なのかは
分かりませんが、太平洋戦争に関して、現在の教科書どうりで言うなら
「大日本帝国のアジア侵略」が原因だと書かれています。
満州事変より日本の世界的孤立化が始まって、
ドイツがフランスを占領し、その後日本が南部仏印に進駐したあたりで
米国より屑鉄、石油の禁輸を受け連合国諸国も追随し、
日本は石油の枯渇という将来の結果に直面して、事態の打開のための日米交渉も決裂、開戦に至るということでした。
 もっとも、ときの日本政府に言わせれば、欧州列強からのアジア植民地の解放、
東亜新秩序の建設を目的にした開戦ということになってます。きっかけは列強のアジア搾取、植民地支配ということになるでしょうか。
 決して戦争のきっかけなどはこれだという決定的な一つはないものと思います。
 また、戦争の終結は、ポツダム宣言を米英支(後に蘇)が発表したものを、
受諾か否かで相当の議論があったものの最終的に昭和天皇の聖断という形で
受諾に決定しここに日本は敗戦を迎えるというのが簡単な説明です。
(↑まさに教科書並)
この間の日本の動きは教科書の数十倍の出来事があり今は書きませんが
書けというなら書くので(笑)要求してください。
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Q小学生のころから歴史が好きで、今まで 戦国時代→第二次大戦→湾岸戦争→中東・イライラ戦争→第一次大戦

小学生のころから歴史が好きで、今まで
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勉強をしてきました、ほかに何か良さそうなものありますか?

高2です。

Aベストアンサー

必ずしも歴史書が歴史の真実を記しているとは限らない。それに、歴史書は必ずしも面白くない。面白く無ければ人間は読むのをやめてしまう。

そこで私が推薦するのは、パール・バックの「大地」だ。中古で千円以下で手に入るようだ。第一巻だけでも読むと良い。あなたの人生が変わる。とてつもない価値の有る本だ。ピューリッツァ賞と、ノーベル賞を取っただけの事はある。

Q第一次世界大戦と第二次世界大戦がおきた理由 

 第一次世界大戦と第二次世界大戦がおきた理由って何だったんでしょうか?。
 学生時代に習ったはずなのにまったく覚えていません。 
 直接的なきっかけを知りたいんですが。

Aベストアンサー

どちらも植民地と言う名の甘いケーキの奪い合いです。

WW1では確かにオーストリア皇太子暗殺によって勃発しましたが連合国も枢軸国も同様の問題を抱えておりたまたまトランプでジョーカーを引いたのが枢軸国側だと思って貰って結構でしょう。ある意味熾るべくして熾った戦争とも言えます。

それに対してWW2はと言うとこれはWW1の戦後処理の拙さと世界恐慌が連続した事による側面もあったのです。
WW1後のドイツは確かに最悪のインフレに悩まされました。しかしながらドイツ人自身の資質とアメリカからの資金援助(借款)によりなんとか再生への道が見えていた時代が確かにあったのです。しかしご存知の通りアメリカ発の世界恐慌でそれは御破算。かてて加えてフランスがルール地方を強制的に借金(賠償金)の担保として押さえたりと外圧が加わりました。一方でドイツ国内では数十年前までは群雄割拠しておりその後はドイツ帝国として成立した経緯であり、WW1敗戦後のワイマール憲法による民主主義が成熟していたとは言えない状況です。
ちなみにナチスのSA隊とは当時の民主主義時代の選挙活動等で敵対する共産党などの他政党からの妨害を排除するために結成された経緯があります。まぁ平たく言えば政党お抱えの暴力団とも言いますね。勿論これは当時のナチスだけでなく他の党も多かれ少なかれやっていたことです。当時のドイツの民主主義は暴力団を使った抗争とセットになったものとさえ言えるでしょう。
そんな絶望的な状況下でナチスと共産党以外の党が政権を担ったのですがどれもこれも失敗。でドイツ人はダメ元でナチスを選んだのですが・・・悪魔が実在する証明だったのでしょう。彼らは相当に悪どい事をやってでも一定の成果をだしました。ナチスが政権を確立できた要因がここにあります。

一方でフランスやイギリスの思惑もありました。イギリスのチェンバレン首相は融和派でありWW1の再現だけはなんとしても回避したいがためにドイツに譲歩を重ね、それがヒトラーの増長へとつながりポーランド侵攻へと繋がったとする説は当を得ていると言えるでしょう。
しかしこれがソ連を視野に入れると状況は変わってきます。ソ連による共産主義の拡散は他国にとっては脅威以外の何者でもありませんでした。共産化すれば確実にその国のトップは粛清されることが確実だからです。そうした視野から見ればソ連vs英・仏・独・米といった状況の出現もあり得るのです。実際スターリンはその事を一番恐れていました。
地図を眺めれば分かると思いますがソ連がヨーロッパへ侵攻するとなれば一番バッターになるのは確実にドイツ。二番手がフランス・・・となります。そこでチェンバレンはそこも視野に入れての抱込みの意味での譲歩を重ねたと言えるでしょう。実際にWW2以後のドイツは東西に分裂し西ドイツ軍は強力な陸軍国となっていますしね。

少し話が逸れましたがヒトラーがああも政権を維持できた理由として最大の原因がWW1の戦後処理です。同時代の人はこう言っています。
「過酷にしては生温く、生温いにしては過酷だった。」とね。これはもう二度と立ち上がれない位に潰すのか逆に過剰な程に優遇して恩に着せるかして陣営に抱込むかしておけばWW2は回避できたか規模の縮小はできたのではないのか?という考察です。
実際WW2以後はこれを踏まえて日本と西ドイツを西側陣営に引き込む事に成功してますし両国ともPKO等の派兵位で済ませています。WW1での教訓は敗戦国を潰そうとしてもその国民は恨みをバネにして即座に復興して矛先を真っ先に戦勝国に向けてくる事を踏まえた教訓によるものなんですよ。

どちらも植民地と言う名の甘いケーキの奪い合いです。

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Q第一次大戦のときと第二次大戦の比較

ドイツ軍がより勝算があったのはどちらのときでしょうか?

Aベストアンサー

勝機というか、敗北しないですんだのは一次大戦の方でしょう。

まず、最大の懸念である東部戦線が革命で消滅します。
地中海方面はトルコがガリポリで勝利し安定し、ここもロシア正面が消滅するので安心です。

当時は洋上でUボートの攻撃を防ぐ手段が極めてお粗末なので(特に、航空機支援がありえないので)、早い段階で無制限潜水艦攻撃をし、Uボートの増産をすれば二次大戦より深刻な事態に英国は陥ります。
実際、ドイツが無制限潜水艦攻撃をはじめたときは、英国海軍省と植民省は本気でダメだと思っていたと、チャーチルが回顧しています。護送船団方式をとるまえに、徹底的にUボートを使うと、本当になにがおきたかわかりません。

で、ナチス・ドイツと講和する気になる国はそうそういないと思いますが、ドイツ王室の帝政ドイツとなら王室が縁戚関係の英国は講和にのれるとおもいます。
ドイツは「ウチが共産主義国になったらタイヘンだろ? 講和しよう」という、切り札がきれるからです。フランス単独ではドイツを押さえられないので、英国さえテーブルによびこめればいいのです。

これなら、ドイツの軍部はベルサイユ体制に組み込まれないですむから実質勝利だと思います。

でもこのあと、フランスにはおそらくドイツを恨み恨んだ政権ができるでしょうし、その政権が共産主義政権でない保証はありません。オーストリア・ハンガリー帝国もどうなるのかなあ。

勝機というか、敗北しないですんだのは一次大戦の方でしょう。

まず、最大の懸念である東部戦線が革命で消滅します。
地中海方面はトルコがガリポリで勝利し安定し、ここもロシア正面が消滅するので安心です。

当時は洋上でUボートの攻撃を防ぐ手段が極めてお粗末なので(特に、航空機支援がありえないので)、早い段階で無制限潜水艦攻撃をし、Uボートの増産をすれば二次大戦より深刻な事態に英国は陥ります。
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Q第一次世界大戦と第二次世界大戦らへんのこと様ですが。。

↓↓↓の問題が分かりません・・・。

「1923年にフランスは、ドイツの賠償金支払い遅延を理由にどういう手段をとったのでしょう。また、フランスがこの手段を行ったことにより、ドイツ経済にどんな現象が起こったのでしょう。」

「ドイツが国際連盟に加入したのは何年ですか。」


急いでいるのでお願いします!!!

Aベストアンサー

>1923年にフランスは、ドイツの賠償金支払い遅延を理由にどういう手段
1月11日にベルギー軍とともにルール地方を占領
>ドイツが国際連盟に加入したのは何年
1926年9月8日

Q第一次世界大戦の日英同盟から、第二次世界大戦に至るまでについて質問させ

第一次世界大戦の日英同盟から、第二次世界大戦に至るまでについて質問させて下さい。
第一次世界大戦で共に連合国側で勝利を収めた日と英が、第二次世界では敵になったところまでの流れが知りたいです。日英同盟の中で、日本はイギリスからの兵力要請に応え、その活躍に感謝されたと何かで読んだのですが、関係が逆転した原因や背景を教えて下さい。

Aベストアンサー

補足説明として、

1)英国の国力の減退。
2)アングロサクソンの基準からはみ出した国家主義との対立。
3)両国の中国での利権が対立。
4)中国人の対外不満を日本に集中させるために日本を悪者化。


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