つい集めてしまうものはなんですか?

令和世代から言わせれば、昭和は戦争のイメージしかありません。
本当に大正の隣です。大昔です。

その時代と言えば、TVもPCもまともにない、血と泥と工場の油しかない。
タブレットもない昭和学校では誰が書いたのかわからない教材を送られて来て、それをまともな知識も持たない教師が、うじゃうじゃ増える子供達を教えている(つもりになっている)という状態です。

車だって安全運転なんて糞食らえ、飲酒運転で事故りまくるのが当たり前のやったもん勝ち。

江戸のような芸もない、平成のような戦争がなかった時代でもない、令和のような機能性もない、本当に暴力しかない時代だったと思います。なんでそんな時代の人がまだ生きているのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    未来の人から言わせれば、昭和と言えば戦争です。

    これは間違いありません。
    高度経済成長なんて忘れてます。
    昭和が長く続いたらイメージが克服されるとかってレベルじゃないんですよね。

    60年以上続いても、第一次世界大戦と第二次世界大戦の二つが勃発したイメージというのは消えません。核ミサイルまで落とされたんですよ。どんな時代やねん笑

    100年後、200年後も、昭和と聞いた子供達は声を揃えて「せんそう〜」と呼ぶでしょう。

      補足日時:2024/08/12 11:45
  • HAPPY

    「100年後200年後の人が歴史を学校で習うとしたら、昭和はまず戦争のイメージしかないですよ」

    と言ったんです。
    私が勉強したら未来の人は昭和をめちゃんこ素敵な時代だと思ってくれるのでしょうか?
    そんなことはないどころか、むしろ逆だから、なんでこの人達は生きてるのかなと思ったんです。

    例えば、920年〜980年の間の出来事に「世界大戦争」が2回あったらそれしかイメージができないでしょ。

      補足日時:2024/08/13 09:02
  • 昭和時代が64年やそこらしかなかったのに世界戦争が2回あったのは異常です。未来の人はそのイメージしか無いと思います。
    あなた達は戦争の人々です。

      補足日時:2024/08/31 06:49

A 回答 (69件中31~40件)

第一次世界大戦は、昭和ではないようで、誤った事実認識による


妄想と考えます。
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>第一次世界大戦と第二次世界大戦の二つが勃発した


第一次大戦 1914年(大正 3年) 7月28日 ~ 1918年(大正 7年)11月11日

まず、誤った歴史事実を改めましょう。
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死にたくないから生きています。

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昭和といえば終戦を境に


軍国主義から180度真逆に転がった時代ですね。

国際社会としてはちょうど
小麦文化だけでは足りない何かの模索
という位置づけができると思います。

そして非小麦文化の稲作文化として
バッファー的機能がクローズアップされながら
国際社会の中で機能してきた時代
と言っていいのではないでしょうか。

混迷が続く21世紀も
表層に惑わされずに根底から地に足をつけて
腰から歩んでいけたらいいですね。
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あなたが何歳か知らないけど、きちんと年号や流れを勉強してください

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私の考えは貴方と逆ですね、昭和が良い。

令和なんて、機械の知識の
脳みそばっかじゃないか。
私は昭和の終わりごろに産まれましたが、今の時代に産まれなくて良かったなあって思います。

>昭和って大昔ですが、なんで当時の人はまだ生きているのでしょうか?

これは言いすぎ。
改めた方が良いでしょう。
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>「100年後200年後の人が歴史を学校で習うとしたら、昭和はまず戦争のイメージしかないですよ」



飛んだ心得違い。
戦争は昭和20年に終わった。
その後、日本は民主主義の日本に生まれかわり、
徴兵制が無くなり、自由と民主主義の道を歩み今に至った。
昭和は64年まで続く。
私は戦後のバラック生まれ、
そして昭和を乗り越え、平成令和と生きてきた。
まさか昭和を最後に日本国民が全滅とでも誤解してないか。

君だって日本人だろう。

君の親・君の祖父と辿って戦争を掛けて生き残った人もいるだろう。

変な想像はしないことですな。

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ある意味貴方はすごいですね。


昭和の戦争を知っている。是非後世に戦争の悲惨さを伝承してください。

ただね母親は東京大空襲を生き延び、父親は南方に戦地にかりだされました。
それは悲惨な体験だったんですよ。大空襲のあとは死体がごろごろあったそうです。父も食料のため鼠を捕まえてさばいて食べて生き延びたそうです。
そうやって生き延びて焼野原になった日本をここまで作ったのも両親や生き残った彼らです。
そこに彼らを何故生きているのか、という質問は不謹慎です。
たとえ釣質問だとしても、日本を復興した人達に敬意をもってください。
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荒唐無稽。


君、昭和は戦争のイメージといったけど、じゃあ今のウクライナとかイスラエルはどう説明するの?
場合によっては冷戦が再び起きる可能性だってあるんだよ。
もう日本は、間接的に影響を受けてるよね?
台湾もきな臭いし・・・
もっと大局的に物事を考える能力を身に付けようよ。

補足で逃げずに、ちゃんとお礼できる素養も養おう・・・
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今の時代に満足して頂いているというのならば大変光栄です。



この平和な日本は私たち昭和の世代と先輩方で作り上げたからです。

「平和ではない世界を生き抜いて、未来を良くしようと頑
 張った甲斐があったと思おう」

以下は長いですが、他の方にも向けて回答します。

まずは回答者一般に対して注意喚起いたします。次に世代思想の違いについて思う所を述べます。最初の部分は特に重要なので必ず読んでいただきたいです。新規の質問と思って回答をつけると、その方が過去に誹謗中傷の投稿をしており「告訴待ち」の状態であるかもしれません。そうした危険を想定して慎重に対応しましょう。

1.回答者が犯罪に巻き込まれない様に注意するべきこと

●誹謗中傷を行っている質問者への対応について

誹謗中傷は名誉棄損や侮辱罪と言う刑事罰を伴う犯罪です。そのような投稿を見かけたときは安易に回答せずに「ご自身が犯罪に巻き込まれないように」慎重に対応をしましょう。

質問文をAIに確認してもらうのが良いです。名誉棄損にあたる可能性が高いとAIは回答を中断します。また「回答を中断したのはそれほど危ないのか?」と確認しましたところ「その可能性他ある場合は回答できない」と教えて貰えました。

●「誹謗中傷」は犯罪として確定するまで遅延がある

名誉棄損罪は、親告罪であるが故に被害者が訴えなければ取り調べは始まりません。しかし「万一投稿をしてしまった場合」は、ネット上には証拠として投稿が残っていますから、時効が成立するまでの間はおとなしくするのが賢いはずです。

「誹謗中傷に当たる行為を繰り返し行っている。それらを
 指摘されたのに反省せず、繰り返している。これは故意
 の証明に当たる。この後で別の事案により告訴が起きた
 としても、当人は反省する気が無いという証拠でもある」

これらの深刻な状況であるにもかかわらず、似たような投稿を続けている方もいます。「推して知るべし」と言う言葉があります。

●故意の証明であるという事を回答者が目撃した

「故意の証明」と言う部分が裁判で重要になります。被告側は「過失」や「反省」を理由の減刑を求めるものです。しかし裁判でだけ「反省を述べる」場合に備えて「ご本人が反省していない」「悪いことをしたと感じていない」「今後も繰り返す」という証拠を探すわけです。

ですので回答者は「誹謗中傷に当たる行為」をしている質問者(または回答者)を見かけたら「犯罪であると警告」をしていただきたいのです。其のあとで繰り返し行っていることを確認したら「故意の証明」として国に協力する可能性も出てきます。面倒な人は近寄らないのもありです。

2.世代思想の違いと言うテーマ

次にそれぞれの世代で思想が違うという話をします。

●教育による世代思想の違い

教育の中では「悪い事」と教える躾の部分と「乗り越える」という「認知と工夫」を誘う部分があります。前者の「悪い事」に加えてしまうと「乗り越え方」が分からなくなります。生理的な嫌悪感によって近づかないという効果はあるのですが「万一遭遇した」「遭遇が避けられない」「自分に生じる可能性を失念する」など弊害もあります。

昭和世代以前の日本では「暴力や戦争は乗り越えるもの」と教えてきたのでしょう。しかし戦後は「暴力や戦争は悪い物」と躾の範疇で教えてしまったんだと思います。そうなりますと「一見して品行方正」であるが「耐性が低い」世代が出現すると考えられます。

その場合は以下の特徴がみられると思います。

・存在していしていることに過剰に嫌悪感を持つ
・対処法が分からないので恐怖感が持続する
・立ち向かうより、遠ざけたいという気持ちが先行する

年配の世代は「(今の世代は)乗り越えた経験が無いので凄く怯えている」と捉えなおすと理解しやすいと思います。接し方を変えるべきでしょう。パニックを起こしている人に論理は通用しないのです。

●教育上のミスで生じた「自己無責任」の感覚

DIYの様な物が出てきましたよね。昔は誰も作ってくれないので自分で作るのが当たり前でした。今では新しく見えるようです。これは自分で作れない世代が途中にあったためでしょう。昭和の時代に回帰していると思えます。

一方で「世代間での引継ぎ」をしてこなかったんじゃないでしょうか。後輩に指導をしなければ「今あるものは先輩方が作ったものだ」と認知できませんよ。さすがに空中から今の便利なものが出来るわけありません。しかし現代の若者は「日本の良いところや若い世代の良いところを自分らの成果である」と勘違いしています。若い方の良いところは先輩方が意識して教育したからであり、現代の若者こそ昭和世代の理想であり、傑作であると思います。なので若者の素晴らしさは先輩世代の努力の賜物なのです。

「単なる利用者であって作者ではない。日本に住んで自分が
 良い日本を作り、良い国だと評価されて初めて自分が作者
 なのだ。日本に生まれたからと言って『良い日本を作った
 日本人の一人』に成れるとは限らない」

●総括

SNS上での犯罪(誹謗中傷なども含む)が横行しているため次の世代(アルファ世代)に向けて「ネットの危険」等が教育に盛り込まれているそうです。この部分を躾として教えてしまうのか「乗り越えるべきこと」として教えるのかは分かりません。前者であれば「AIを使えずにネットで犯罪ばかりしている世代」と今の世代が扱われる時代が来るでしょう。

その時にどのように反論し、どのように自己を肯定するのか、今のうちに指導しておいた方が良いと思いました。

そうしませんと、

「自分で作ったわけではない日本を外国に自慢し、若者で
 あることを個性とし、礼儀や遵法について疎く、年上世
 代の批判が主な仕事である」

と言う中年や年寄りがどう扱われるのか心配です。

自分の幸せは自分で何とかしないと行けません。強く生きてください。

以上、ご参考になれば。
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