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「信じるものは救われる」ということですが、信じたけど、洗礼とか受けてクリスチャンにならなかったら救われないのでしょうか?
救われないとどうなるのでしょうか。

A 回答 (14件中1~10件)

近くに在るキリスト教会の神父か牧師に尋ねるのが宜しいかと。



フランシスコ・ザビエルに、当時の農民に同様の質問されました。
「私の先祖は地獄に落ちたままで、そこから抜ける手段が無いのなら
情けも慈悲の心が無いではないか」などの複数の質問に納得した回答が
出来なかったと、バチカンに送った書簡に記載されています。
天皇に拝謁が出来ない事も有り仕切り直しの形でマラッカに戻り
ました。(その後、熱病で亡くなりました)

仏教僧と論戦する覚悟でしたが最下層の農民の素朴な質問する民度の
高さに驚いた事も記載されてます。

新興のお釈迦様を八百万の神々の中に取り込み、神仏融合にしてしまう
日本の民衆には一神教は馴染まないので、キリスト教の布教が拡大
しない大きな要因なのでしょうね。
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>救われないとどうなるのでしょうか。



キリスト教では「最後の審判」の日に死者すべてが復活し、神の裁きを受けるとされています。
その裁きの後、神を信じる「救われる者」は天国で永遠に安楽な暮らしをできるが、神を信じない「救われない者」は地獄へ送られて酷い目に遭わされ続けることになります。

…という感じの説明が多くの宗派でされています。
ただし、救われるには洗礼が必要だという宗派もあれば不要だという宗派もあるので、洗礼を受けていないが神を信じている者がどうなるかという問いに対する一般的な答えはありません。

なお、この手の「自分たちと同じ信仰を持たなければ将来地獄行きで酷い目に遭うぞ」という傾向は仏教も含むほとんどの宗教にあるものなので、キリスト教だけが特殊というわけではありません。
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おそ恐ろしや~


ハイ、
クリスチャンにならなかったら、永久に地獄です
俺は、
脅かされて信ずる、臆病者にはなりたくね~な。
仏教の深い生命観からすると、子ども騙し、というところですね。
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「信じるものは救われる」ということですが、信じたけど、洗礼とか受けてクリスチャンにならなかったら救われないのでしょうか?


 ↑
救われません。
洗礼して、協会に寄付してから
始めて救われます。



救われないとどうなるのでしょうか。
 ↑
地獄に堕ちます。



戦国時代に来日したイエズス会が
日本の庶民あいてに問答した記録が
残っています。

信じる者は救われる。
信じないと地獄。

なら、俺たちの先祖は皆地獄なのか。

どうしてもっと早く来日しなかった
のか。

イエズス会は返事
をすることが出来ませんでした。
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あなたが本気で救われたいと願っているなら、こんなデタラメ回答だらけのところで道を求めるべきではありません。

キリストの教会では、毎週日曜日の礼拝の中で神様の御言葉が語られ、その説き明かしを聞くことができるというのに、あなたはなぜ人間の力に頼ろうとしているのですか?分からないことがあれば、まず聖書を開くべきですし、読み方が分からないなら、教会へ行って牧師先生などに尋ねるべきではないでしょうか。

恐らくあなたは神を信じることを躊躇っているのでしょうが、信じてみなければ、大切なことは何も分からないと思います。

以上のことをお分かりいただけたなら、以下の回答をお読みください。

「信じるものは救われる」というのは真理です。ただし、注意していただきたいのは、多くの人はこの教えを誤解し、救いは信仰を条件として与えられるものだと考えているのですが、実際はそうではなく、信じることがすなわち救いだということです。

そして、洗礼についても誤解があります。洗礼は入信の儀式ですが、洗礼を受けたから救われるのではなく、救われたと信じるから洗礼を受けるのです。そうでなければ洗礼の意味がなくなってしまいます。洗礼はクリスチャンになったことを証しするものですが、その儀式自体にも水にも執行者にも人を救う力はありません。もちろん、洗礼を受ける人自身も、洗礼を受けるという行いによって自分自身を救うことができるわけではありません。その人を救うことができるのは神様だけです。

神に依り頼む者は皆、救われます。例外はありません。救われるために必要なのは信仰であって、何か善いことをしなければならないというわけではありません。しかし、あなたが救われたなら、神様と教会に仕えて生きるのではないでしょうか。罪のために滅びに向かっていたのに、キリストに出会って生き方を変えられ、永遠の命に至る道を歩むよう、方向転換させられたのですから、神様の御心に適う良いことなら何でもしようと思うはずです。なぜならあなたはもうクリスチャン、すなわちキリストのものとされたのですから。罪の奴隷から解放されてキリストのものとされ、キリストを自分の主として受け入れ、キリストに従って生きる者とされること、それが救いなのです。

従って、信じて救われたなら、洗礼を受けるのは当然であり、洗礼を受けるのを拒む人はまだ救われていないのです。そのままだと滅びます。なぜなら、その人は(水ではなく)聖霊によって清められていないからです。
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仏教なら49日の法要が終われば 極楽浄土に迎え入れられます。



最近はお葬式の時に49日の法要も済ますので キリスト教の「信じるものは救われる」ってことになります。
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キリストの最後の日、一緒に処刑されてた罪人がキリストと会話。

最後にキリストが「あなたは私と共にパラダイスにいます」と締めくくってます。
洗礼もなく、教会に献金もしたこともなく、ただキリストを信じただけで信者として認定された例です。

いわゆる最後の審判。追試験のようなものだけど、真理に接する機会がなかった人にも、最後のチャンスがあります。
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キリスト教信者が平均年齢が高いとか、医療費の負担が安いとか、学歴が高いとか、収入が高いとか、結婚率が高いとか、「信じていない人」と比べて突出した違い、統計が確認できません。



特段救われてもいないのかと思われます。

「救われないとどうなるのでしょうか。」
周りの信者でない方々の顔つき、身なり、生活形態をご覧下さい。
そのとおりです。
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信じれば救われます


洗礼なんて関係ありません
キリスト教を信じなければ救われないという事もありません
救われなくても物理的には何もありません
心の問題だけ
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自分のこと救えるのは自分だけですよ!


心を強くもつんや
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