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歴史でよく出てくる第一人者制ってどんなものなのでしょうか。
ローマの皇帝は「ローマ市民の第一人者」ですし、イスラムのカリフは「信徒の第一人者」で、日本の古代の大王(オオキミ)も豪族の第一人者だそうですが、第一人者制がどういう仕組みの支配なのか良く分かりません。
武力・財力による専制・封建的な権力でなく、多数選挙の民主的な権力でもない、「権威による支配」というものが良く分かりません。権威=第一人者の権力・強制力というのはどういう理屈・仕組みで発生し行われるものなのでしょうか。分かりやすく教えていただけると嬉しいです。

A 回答 (5件)

#1です。


>「他人が取って代われない」という第一人者の権力の根拠がよく分からないので、そこら辺をさらに詳しく教えていただけると幸いです。

ですから、「第一人者制度」などというものは無いので、その権力の根拠はそれぞれです。根拠には形式的なものと実際的なものがありますよね。例えば幕府を開いた徳川家康の権力の根拠は形式的には天皇から征夷大将軍に任じられたことが根拠ですが、実際には軍事力が根拠です。

同じような言い方でそれぞれを言うと、
ローマ皇帝の場合は、形式的には共和制の高位役職を兼任することで、実際的には軍事力です。
また、少なくともローマ皇帝の場合は「取って代われない」とは思われていなかったはずです。側近による暗殺や、属州の将軍によるクーデター等が多発しています。在位のまま天寿を全うした皇帝はわずかでしょう。

カリフは、形式的にはマホメットの代理人で、実際的には教団内での力関係、後には軍事力ですね。日本の天皇・将軍のように途中からは世俗的権力はスルタンに移りました。権力を失ってもカリフの地位はアッバース朝が世襲したので、この時点ではイスラム圏内では「取って代われない」という権威を持っていたと思われます。この点も天皇に似てますね。アッバース朝を滅ぼしたのはイスラム化する前のモンゴルです。

3つめの大王ですが、現在の天皇家が世襲するようになる以前のことはよくわかっていないので、何とも言えませんがおそらく選挙と言わないまでも何らかの合議で代表者を決めていたんだと思います。

「第一人者」という言葉にとらわれないほうが理解しやすいと思います。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございます。お礼が遅くなってすみません。
なぜ実力のある徳川家康が天皇を倒して自分が天皇にならなかったんでしょうね。
強制でなく「必要とされる権力」というものがどんなものか良く分からないので、そこら辺をもっとよく調べてみますね。

お礼日時:2005/05/26 21:56

横から失礼します。


本題とは直接関係の無いのですが、keatsさんがお礼にてご質問されいる点について、回答いたします。

>そもそも、ルビコン川を渡り、ポンペイウスと元老院軍に勝利したカエサルがなぜ皇帝になれなかったのかも良く分からないのですが…。
>独裁できる私的武力・財力があれば、共和派の抵抗を潰せるのではと思った私は単純なのでしょうか(^^;)暗殺を恐れるならローマ政府を潰して自分の帝国を創ればいいと思ったのですが、それほどの力は無かったということなのでしょうかね。

カエサルが皇帝になれなかった一番の理由は、共和制を維持したい反動勢力(元老院派)を、粛清せずに許してしまった事が大きな原因でしょう。
ポンペイウスと元老院派に勝利し、生殺与奪の権限を思いのままに振るえる権力を手にしたのにもかかわらず、カエサルは「寛容」の精神を持って、彼らのほとんど全てを許してしまっています。つまりカエサルは常に暗殺の危険と隣り合わせに、独裁制への移行を行っていました。
ではカエサルは暗殺されるということを考えていなかったのでしょうか?彼は、暗殺されるかもしれないということを気にして、自分の主義を曲げて行動したくないという主旨の手紙を、友人であるキケロの元に送っています。つまり十分に暗殺される可能性を認識していたと思います。
しかしカエサルが暗殺を防ぐ為に行った事は、元老院議員にカエサルの身を積極的に守るという誓約をさせた事くらいでした。

反対にオクタヴィアヌスは権力を手にするや(3頭政治を始めた直後)、早速、カエサル暗殺犯を含む元老院派の粛清を行っています。

反対勢力を残したままの改革と、一掃した後での改革とでは実現性の差は歴然でしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お礼が遅くなってすみません。
なぜだか分かりませんが実力を持つカエサルが元老院に「寛容」にならざるをえなかった理由・オクタヴィアヌスが元老院を廃止できなかった理由が、皇帝が市民の第一人者でしかありえなかった理由なんでしょうね。
研究書を読んでもっと勉強しますね。

お礼日時:2005/05/26 21:13

>独裁をする実力があるなら、共和制の建前は必要ないし、



もともと都市国家としてスタートしたローマは、前6世紀に王を追放し、共和政に移行しました。
したがって、ローマでは王(=独裁者)の出現を警戒する共和派という勢力が常に存在します。
そもそも、たいてい独裁者は「私は独裁者です」とは公言しないので、独裁者というのは周りから見た「評価」なのです。
共和派が「この人物は独裁を行っている」と判断すれば、その人物を暗殺するなどして排除しようとしますよね?
いくら権力を握っていても、常に暗殺される危険性はあるわけです。
そういったリスクを回避する手段として、「自分は独裁者ではないよ、ローマ市民の代表(第一の市民)だよ」と表明しているのが元首政(プリンキパトゥス)なわけです。

>共和制の建前を通すなら、官職を兼ねる専制が容認されるのはおかしいと思うのですが…。

容認されたかどうかは個々人によると思います。共和政の伝統を重んじる人物は当然苦々しく思っていたことでしょう。

>共和制に容認された独裁者というものが良く分かりません。独裁者や民主的元首と第一人者はどう違うのでしょう。

共和政は政治形態のひとつですが、概念の定義があいまいな用語です。
原理上から言えば、共和政と独裁者は相容れないはずですが、現実は理論で簡単に説明できるほど単純ではありません。

「共和政」、「独裁政」といった用語は、常に分析/判断する側の主観を含んでいます。
したがって、当時の政治体制のある部分に注目すれば、「独裁政」ということもできるでしょうし、また別の部分に注目すれば「共和政」ということもできるわけです。
じゃあどっちなんだ、この政治体制はなんて呼べばいいんだ、という話になって、「元首政」(つまりkeatsさんがおっしゃるところの「第一人者制」)という用語を研究者が新たに作って理解しようということになったのです。

keatsさんの質問は、歴史において評価/分析するとはどういうことか、というとても難しい問題を含んでいます。
まだ気になるようでしたらご自身で研究書などを読んだほうがよかろうと存じます。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございました。
>共和派が「この人物は独裁を行っている」と判断すれば、その人物を暗殺するなどして排除しようとしますよね?
独裁できる私的武力・財力があれば、共和派の抵抗を潰せるのではと思った私は単純なのでしょうか(^^;)暗殺を恐れるならローマ政府を潰して自分の帝国を創ればいいと思ったのですが、それほどの力は無かったということなのでしょうかね。
こんどおすすめいただいたローマ帝国の本読んでみますね。

お礼日時:2005/05/18 12:28

「第一人者制」という用語は一般的ではないような気がしますが、とりあえずおくとしましょう。


まず、それぞれの場合について分けて考える必要があるのではないでしょうか。
それぞれについて詳細に解説するのは難しいので、ローマ皇帝の場合についてごく簡単にご説明します。
ローマにおける「第一人者制」とは、アウグストゥスに始まる元首政(プリンキパトゥス)を指していると思われます。
彼の義父であるカエサルは第一回三頭政治を経て事実上の独裁体制を築きますが、独裁を嫌う共和派によって暗殺されます。
続いて第二回三頭政治を経て権力を握ったアウグストゥスは、独裁体制を全面に押し出してしまうと、義父カエサルのように共和派の反感を買い、暗殺の危険性があることを十分に理解していたので、形式上共和政を尊重する立場を貫くことで事実上の独裁を覆い隠す必要性をよく理解していました。
アウグストゥスは決して王になる意志のないことを証明するため、「私はプリンケプス(第一人者)であり、プリンケプスでしかない」とことあるごとに繰り返し述べています。
つまり、ローマ市民の「第一人者」であることを強調し、「独裁者」ではないというイメージをローマ市民たちに植え付けたのです。
このアウグストゥスが行った、形式上は共和政を尊重しながら、実際は独裁であった政治体制を元首政(プリンキパトゥス)と呼びます。

無論、アウグストゥスの権力は彼の支配する属州に駐屯する軍隊や個人的な支配地域であったエジプトからあげる財力によって支えられていたと考えられます。
「権威」だけによる支配とは違うと思いますよ。
より詳しくは、岩波ジュニア新書、青柳正規『ローマ帝国』が分かりやすく書いているのでよければ参考にしてください。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
えーと、事実上の独裁をする実力があるのに、暗殺を恐れて妥協する必要があるというのはどういうことなのでしょうか。
独裁をする実力があるなら、共和制の建前は必要ないし、共和制の建前を通すなら、官職を兼ねる専制が容認されるのはおかしいと思うのですが…。
そもそも、ルビコン川を渡り、ポンペイウスと元老院軍に勝利したカエサルがなぜ皇帝になれなかったのかも良く分からないのですが…。
共和制に容認された独裁者というものが良く分かりません。独裁者や民主的元首と第一人者はどう違うのでしょう。

お礼日時:2005/05/17 21:58

「王制」とか「議会制民主主義」とかと同レベルの意味で「第一人者制度」があるわけではないと思います。

挙げられた3例、それぞれ仕組みが違うでしょう。
前期ローマ皇帝の例で言えば、その前の共和制ローマの制度での最高権力者である統領(コンスル)…定員2名で任期1年、非常時に置かれる独宰官(ディクタートル)…任期半年、や大神官…終身、などの役職を終身的に兼任するということで、その権力の由来は共和制の選挙にあります。もちろん具体的な裏づけは軍事力なわけですが。
イスラムのカリフはよくは知りませんが、マホメットの代理人(の後継者)と言う位置付けのはずです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに、第一人者制というものはありませんね。ただ、挙げた3例などに共通する第一人者という概念が良く分からなかったので、そういう表現をしてみました。
武力や財力だけでない、「他人が取って代われない」という第一人者の権力の根拠がよく分からないので、そこら辺をさらに詳しく教えていただけると幸いです。

お礼日時:2005/05/17 22:07

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