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北方領土をソビエト連邦が占拠する際、アメリカもそれを了承したみたいな話を聞いた事があるのですが、それは真実ですか?

A 回答 (6件)

この手の話は色々な情報が虚実入り混じって拡散してます。



ヤルタ会談でソ連のスターリンが要求したのは、南樺太、千島列島、
北海道です、米国のルーズベルトは、日本戦にソ連を参戦させたいので
了承した様です、口約束なので公式な文書は残っていません。

ソ連の目論が頓挫したのは、樺太と千島の守備隊が大本営の命令を
無視してソ連軍と戦ったからです。
樺太の真岡港には、本土に帰る人で溢れて居ました、ここにソ連軍
が来たら惨劇は必須なので、時間稼ぎの為にソ連軍と戦ったのです。

8月18日に占守島にソ連が上陸して来ました、缶詰工場で働いて居た
女工さん達を国後島に逃がした後に、第十一戦車連隊を中心とした
守備隊が火事場泥棒をさせじとしてソ連軍と戦いました。
この間にGHQの体制が出来たので、ソ連の北海道占領が頓挫したのです。
樺太と千島の戦いで生き残った将兵はシベリアに連れて行かれました。
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日本が返還を要求している北方領土は歯舞諸島、択捉島、国後島、色丹島
の4島で、千島列島には含まれていないのです、ソ連が火事場泥棒で
占領したのです。

北海道富良野の戦車隊の車体には「士魂」の文字が書かれてます。
千島で壮絶な戦いの後に玉砕した、第十一戦車連隊の意思を継いでの
事なのです。
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北方領土の歌です。
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まず、この歌を噛みしめましょう。
そして動画を最後までご覧ください。
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日本が降伏する寸前まで、進攻して占領したら、領土化の権利アリと言う解釈でした。

日本が降伏したら、その時点で進攻はストップだぞ。は暗黙の了解でしたけど。。
ソ連は、自分たちも参戦したのだからという理由で、北海道から東北ぐらいもらえる計算をしてたかもしれませんが、すでに東西の冷戦の時代に。
ドイツのように半分を社会主義国家にされるのは、非常に不愉快。
ということで、アメリカは日本の戦後処理は自国で全部やる。だから、口を出すな。という姿勢で外交を開始。
当時の北方領土は、ほとんど価値がない地域とみて、譲歩した結果でしょう。アメリカが占領していた沖縄も、いずれ返還するというのもその駆け引きの手札の一つ。
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ソ連の北方領土占拠については、アメリカが了承したどころではなくて、アメリカとイギリスからソ連に持ちかけたのです。

 1945年2月、アメリカのルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、ソ連のスターリンの連合国首脳が黒海沿岸の保養地ヤルタに集結して、戦後の日本やドイツの統治などについて会議を行いました。 その席で、ルーズベルトとチャーチルがスターリンに対し、対日戦に参戦すれば、その見返りとして北方領土をくれてやると提案したのです。 そして、ソ連の対日戦が決定し、ドイツの分割占領も決められたのです。 

しかし、ソ連が北方領土に侵攻するにあたって、ソ連には十分な艦船もなく、操船技術にたけた海軍兵も多くはいませんでした。 1945年8月14日に日本が連合国のポツダム宣言を受諾した後、ソ連軍は8月28日から9月5日にわたって北方4島に侵攻して軍事占領しましたが、そのソ連の上陸占領作戦に際しては、アメリカはソ連の海軍兵士をアメリカ国内の基地で訓練するとともに、多くの艦船が貸与され、ソ連を軍事支援していたのです。「プロジェクト・フラ」と呼ばれる米ソの極秘作戦でした。

「プロジェクト・フラ」とは、ソ連の対日参戦が決まった1945年2月のヤルタ会談の直後、米ソが始めた秘密裏の合同作戦です。 元アメリカ陸軍少尉、リチャード・A・ラッセル氏が1997年、ワシントンにあるアメリカ海軍歴史センターから『Project Hula: Secret Soviet-American Cooperation in the War Against Japan』(仮訳、プロジェクト・フラ: 対日戦争での米ソの秘密協力)との題名で本を出版しています。 インターネットでも無料で全文が公開されています。

この本によると、アメリカ海軍は掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、フリゲート艦28隻、駆潜艇32隻など計149隻の艦船をソ連に無償貸与しました。(ただし、この本の本文には149隻をソ連に引き渡したとの記述が2カ所あるものの、本の巻末別表にある「ソ連への引き渡し艦艇一覧」には145隻しか記載されていない矛盾があります)。 アメリカ海軍は当初の計画では、1945年11月までに180隻をソ連に貸与することを考えていました。

さらに、同書によると、アメリカ海軍は、アリューシャン列島に連なるアラスカ半島の先端に近いアラスカ州コールドベイの米軍基地にソ連兵1万2000人を集め、船舶輸送やレーダー、無線通信、ソナー、エンジニアリング、機雷除去などの習熟訓練を行ないました。 コールドベイにはアメリカ兵約1500人が常駐し、ソ連兵の指導に当たったのです。

ラッセル氏は本の序章で、このプロジェクト・フラが、アメリカが日独伊などの枢軸国相手に連合国を積極的に支援した「レンドリース法」(武器貸与法)の適用の一環とし、ソ連太平洋艦隊に貸与するアメリカ海軍艦艇の操船訓練だったと指摘しています。 そして、この米ソ合同極秘作戦が「第2次世界大戦における最大で最も野心的な米ソの艦艇移転プログラム」だったと述べています。

また、この本をめぐっては、アメリカ海軍協会が発行する雑誌『海軍史』ディレクターのウィリアム・ダドリー氏が前書きで、「第2次世界大戦末期のレンドリースと米ソ関係それぞれにおいて、ほとんど知られていない側面を取り上げている」と執筆をたたえています。

日本では、戦後70年となった2015年度から「北方領土遺産発掘・継承事業」に取り組んできた根室振興局北方領土対策課の手によって、プロジェクト・フラの具体的な史実が判明しました。

同課は、サハリン州の歴史研究者、イーゴリ・A・サマリン氏が樺太南部と千島列島での上陸作戦に投入された全艦船を調べ上げた論文や、国後島の地元紙「国境にて」の過去記事など各種資料を照らし合わせ、北方4島の占領作戦には、前述のアメリカの貸与艦船149隻のうちの11隻を含む18隻(輸送船を含む)が使用されていたことを突き止めました。 このアメリカの貸与艦船は、ソ連海軍によって千島列島のほか、南樺太や朝鮮半島北部の上陸作戦にも使われました。

その後、1956年10月19日、モスクワで日ソ共同宣言が調印されました。 この宣言の第9条で、ソ連は平和条約締結後に歯舞・色丹については日本側に「引き渡す」ことを約束していました。 一方、1956年8月に日本の重光葵外相がロンドンでアメリカのダレス国務長官と会談した際、ダレス国務長官は「日本が歯舞、色丹の2島返還のみでソ連と平和条約を結べば、沖縄は返還せずにアメリカ領にする。 日ソ平和締結の条件は、国後・択捉・歯舞・色丹の4島一括返還でなければならない。」と恫喝しています。

アメリカは戦中はソ連の北方4島占領を軍事支援していたのに、戦後は「2島返還でソ連と手を打つな。 4島返還を目指せ」と日本を脅していたわけです。 見事なまでの二枚舌外交です。 つまり、北方領土問題は、その時々に合わせて自国の利益を追求したアメリカの動向が大きく影響したのです。

ヤルタ密約では、ソ連の対日参戦の見返りに千島列島と南樺太の領有を認める立場。 そして、冷戦の最中は、アメリカは日本に「4島返還」を主張させる方が日ソ間を分断できると考えていました。 北方領土問題を日ソ間のくさびとして残した方がアメリカの国益になるとの考えがあったのです。
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この回答へのお礼

中学の歴史の授業でなぜそれを話さなかったのだろう?授業ではソ連がいきなり北方領土に攻め入ったかの様な話でした。

お礼日時:2024/09/10 10:37

戦勝国会議で決まりました


ソ連は北海道全てを要求したが、蒋介石がそれを許さなかった
アメリカは州戦による自国産業のデフレを避けるため、日本を占領するより実質植民地にした方が自国経済にプラスだと判断した
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この回答へのお礼

蒋介石が許さなかった理由について詳しくお願いします。彼にとってソビエトの北海道侵攻はどんなリスクやデメリットがあったのでしょうか?

お礼日時:2024/09/10 13:17

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