【大喜利】【投稿~9/18】 おとぎ話『桃太郎』の知られざるエピソード

佐藤優が立花隆との対談で次のように話しています。

<立花さんはキリスト教的な環境の中に育ちながら、全人的なことをやろうとしている。事後的にみると、立花さんは、神様なしで、世界を記述するという大いなる課題に挑戦しているということになるんじゃないか。こんな感想を持ちました。>

質問は、神様なしで世界を記述する、ということはどのくらい困難なことなのですか?

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A 回答 (9件)

質問文中に立花氏宛の佐藤優氏のコメントと立花氏の著書を照らし合わせると佐藤優氏が述べている「世界」とは世界中の全ての分野の情報の事であると察しられます。


そうだとするとその情報量は天文学的な量をはるかに超える程の量となります。それを一人の人間が全て把握する事が不可能であることからその意味において一人の人間が世界を記述することは不可能であると言えます
それを踏まえて質問の答え
上記理由によって一人の人間が世界を記述することは不可能であると言える程度の困難さはあるでしょうね
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
神のいる/なしにかかわらず、<一人の人間が世界を記述することは不可能>
ということですね。

お礼日時:2024/09/25 11:24

立花さんの議論の前提には、社会の 「法則 」は人間の理性によって解明され、言語によって表現し、そこから解決策を示そうとする、信念があることに注意しなくてはなりません 。

つまりロゴス(言語)中心主義なのです。
しかし、
その神でさえも「太初に言(Logos)あり、言 は神と供にあり、言は神なりき」とあるのです。
しかし。そこに人間の知恵を信ずる、不可能を可能 にする宗教性が無ければ「言語の虚構性」の罠、知識中心の外在的規範 の落とし穴に落ちる事に、注意しなければなりません
私はロゴスで表現される理論が現実を説明し尽くすことは絶対にない。
出発点とすべ は、ロゴスではなく、人間の「行」である。と結論します
これはゲーテのファウストの冒頭の「太初に行ありき」に象徴されます

そのため佐藤優さんに賛同します
佐藤優さんの言う神とは、人間の「外」 にある抽象化された神ではなく、内在的規範による、人間の可能性を説いた宗教の事だと思います。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<人間の知恵を信ずる、不可能を可能 にする宗教性が無ければ「言語の虚構性」の罠、知識中心の外在的規範 の落とし穴に落ちる>のですね。

お礼日時:2024/09/23 11:42

キリスト教的世界観・宇宙観は単純ですね。



立花さんの神様なしでの世界観とは、科学的なと言うより西洋哲学的な世界観と言えると思う。
それは、一往記述はできると思うが、矛盾が生ずると思う。仏教の「空」を定義できなければ結局不可能だろうと思う。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
空ですか。

お礼日時:2024/09/23 11:41

自然科学を中心に、社会科学も加味して、数千年の積み重ねで、宇宙や太陽系や地球、そして人類を中心とした生態系をある程度記述することに成功した。


ある程度とはいえ、例えば一神教の聖書に記述された神の天地創造と世界の記述を遥かに超えた成果を上げていると言えるでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
神なくして/神がいないからこそ<遥かに超えた成果を上げている>のですね。


地動説と種の起源により神から離反した、と私は思っています。

お礼日時:2024/09/23 11:40

単に


「科学的に」「どういうことなのか」ということを知りたいと思っている
ということを言っているだけです。

「大いなる挑戦」というのは立花さんの興味の範囲があまりに広範で
世の中の全てを解明しようとしているという意味で言っています。
なので質問の答えとしては、
「世界の全てを科学的に知ろうというのは
それは大変なこと、困難なことです」


神様というのは「科学的に」というのと反対の意味です。
神様を持ち出してくると、それ以上何も説明が要りません。
立花さんはそういう姿勢ではないということです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<神様を持ち出してくると、それ以上何も説明が要りません。
立花さんはそういう姿勢ではないということです。>ですね。

お礼日時:2024/09/22 15:08

何の困難もありません


商船する必要も意味も価値もありません
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/09/22 15:06

たくさんされていますよ。

世の中には大量の論文があります。

科学というのは世の中の分からないことを解明しようとする動きのことで、世界を記述すると言えるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/09/22 15:06

困難ではありません。


神という存在を、自分の理想的な姿に置き換えればいいだけのことです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/09/22 15:06

困難とは思いませんが。


というのも神様が実際に何をしてくれたことはまったくないです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/09/22 15:06

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