都道府県穴埋めゲーム

よく、カウンセラーなどが
「自分を愛して下さいね」「自分を許してあげてください」などと言っているのを見かけるのですが、それってどういう事ですか?
自分を愛している人はどんな思考を持っているのですか?
例えば自分の欠点があって、自分でも認識している場合、それでも私を愛してる!!と心で考えているのですか?
でもその欠点で傷付いた人がいる場合、愛すんじゃなくて改善すべき、もしくは愛する前に相手に対して謝るべきじゃないですか?

  • 画像を添付する (ファイルサイズ:10MB以内、ファイル形式:JPG/GIF/PNG)
  • 今の自分の気分スタンプを選ぼう!
あと4000文字

A 回答 (13件中1~10件)

幸せになる考え方だから


自分を責め続けると
死にたくなる

自分の欠点を裁くと
人を裁くから

自分の欠点を許すと
他人の欠点も許せるから

自分の良きところをみると
幸せな気持ちになるから

反省し悟ると感謝に変わる
欠点も欠点に気づかせてくれた
環境や人にも学びという感謝になったとき自分を愛するという感覚を味わうものだと思ってる

反省して
悪いと思って謝っても良いけれど
受けとめてくれたらいいが
相手の気持ちの整理ができてない時は
謝ってきたから許すとは限らないし
相手の心のタイミングもある場合もあるんじゃないかな。
    • good
    • 0

カウンセラーに世話になる人は大体自分を責めたり


自分に厳し過ぎたりの人が多いのでそう言うんだと思います
    • good
    • 0

言葉が滑ってる。


本文例えば〜以下、そういう話じゃない。
自分を愛する=自分の存在意義を否定しない、尊厳を捨てない、自己を肯定する、です。
欠点などよりもっと深い人格の話です。
自己肯定感は持ってる人は当たり前過ぎて説明されるとかえって意味が分からないが、持ってない人にはどこまで説明しても分からないかも知れない。
    • good
    • 1

「愛する」「許す」と言う行為が不足し過ぎていて、脳の機能不全を起こしている、だからリハビリしましょう。

まずは「何時でも出来る自分から始めましょう」という話です。

カウンセラーが分かっていて発言しているかは保証できません。

以下は長いので興味があればお読み下さい。

●脳の構造の問題

昨今は脳の仕組みを模倣したAIが人間を超えるクリエイティブな作業を実施し、注目を浴びています。つまり人間には神秘性が無く、神秘性の正体は脳細胞で作り上げたネットワークの構造上の特質でしかなかったという事です。人の手で心を作り上げる事が可能です。

しかし、この構造は万能ではありません。「正しさは理解しない」というものなんです。

犬の写真を見せて「猫である」と教え続ければ、そのAIは犬を見ては猫と言い出します。これを元に戻すのは大変です。学習させた時間の倍はかかるでしょう。人間の脳も日々、一秒一秒学習をしています。そのため今ある自分を変えるには、学習を始めた期間の倍を要すると想像できます。

●同じ行為や思考を続けると危険である

うつ病の原因となる過重労働も大変危険です。「疲れたと感じる」感覚を繰り返し過ぎて「疲れを感じるのが正しいのだ」と脳が誤解するのです。そのため会社が慌てて休暇を取らせても「疲れが取れない」となるんです。3か月続けたら必ず影響すると言われています(激しい労働の場合は一か月で危険水域になる)。

●もしも「誰かを恨み、許さない」と考え続けたらどうなるか?

「疲労感」ですら学習してしまい、どんなに休んでも疲れが取れなくなるんです。恐らく肉体は疲労を感じていませんが、脳は「疲労感を感じさせることが大事だ」と思い込んでしまうんです。

「貴方の為に疲労感を維持します。働き者の脳より」

では「不幸だ」「悲しい」「悔しい」「許せない」「絶望だ」と言うの「繰り返し自分に感じさせたら」どうなるでしょうか? どんな感じ方であろうとも学習は進み「何もしなくても容易く実現できる達人」の域にまで達します。

●脳が学習したスキルは、対象が誰であっても働く

礼に欠ける態度や発言をする人を見かけます。

「大事な時と大事な人には、そんなことしないよ」

と思っている人が多いです。しかし脳は対象が誰であるか、どんなシーンであるかを識別していません。リラックスすると無意識に出てきます。

「うっかり失言しました。どうしてあんな時に・・・」

転落する人は無意識の領域に阻害されているんです。この無意識の領域こそ学習によって構築されたものです。自分の心は自分で正して行かないと道はないのです。

●転落しつづけるとどこかで解放されるのか?

解放されません。脳は単なるマシーンですので「いつも通り平常運転」を繰り返します。

「なるほど。うつ病で会社をおやめになったんですか。
 わかりました。私は休まず貴方に疲労感を感じさせます
 のであきらめず頑張ってください。応援します」

こんなAIがいたら困りますよね。しかし、間違った学習をさせてしまえばそうなりますよ。そしてAIのオリジナルである私たちの脳も同じ性質を持っているんです。脳にどのような学習をさせたのかは自己責任です。

●昔から知られており、晩年になって気がつくもの

心の中は自由であると(子供たちは)思いがちです。しかし「本音を隠す」事には負い目を感じているでしょう。これは本能的なものだと思います。

「他人にバレなければいいんだよね。だけど、なんだろう。
 凄い大きな間違いをしている感じがする。そうか。本音を
 外に出すのが正しいのかな?」

「心は自由なのかそうでないのか」「本音を隠すべきか晒すべきか」という二つの命題があった時「心を自由にしてはいけない」と言う結論は都合が悪すぎるわけです。そこで本音で語ることで免罪符を得られると(余計に)間違った回答を出すわけです。これが間違いだと気がついたときは中年を過ぎており、手遅れになるものです。だから不幸な人生と言うのが存在します。

●正しくは?

心を自由にさせ過ぎると「命取りになる学習」を脳がしてしまい、無意識の領域に定着してしまいます。本来は「理想的な感じ方をする」様にあらかじめ脳にインストールをし、その上で自由に考えるべきなのです。間違ったものをインストールした上で本音を晒せば結果は悪くなります。

「心に理想的な感じ方を定着させるのを待てませんでした。
 というか、サボっていました。今僕はどんな状態ですか?」

「う~ん。何かあると許せないって言ってるかな。普通の人
 より目立って多い。普通の人は10年に一回くらいなのに、
 君は常にやってる様に見える。試しに許そうとして見てご
 らん」

●転落しても死ぬまで続く

「そんなの酷いよ。どこかで許して貰わないと困るよ。謝る
 よ。謝るから許してよ。このままじゃ死んじゃうよ」

「だよね。うつ病の人がどうして自殺するのか経験した人は
 良く分かるもんだよ」

他人を許さないとし続けた事で「許す」と言う機能が脳からなくなってしまったんです。そしてその刃は自分にも向きます。最後の方は「そんな自分を許せない」とマシンの様に繰り返し続けるのです。

私は徹夜を続けて睡眠障害になったことがあります。眠いという感覚を拒否続けてきたため「眠いと感じる機能」が無くなってしまったんです。3年ほど睡魔を感じる事が無くなりました。3日徹夜して突然倒れる。そういう事を繰り返していました。

脳が自分の都合を考える事などありません。

●意識の役割とは何なのか?

無意識の領域に学習をする。それがスキルや能力、場合によっては直観力や共感力などの超能力の領域まで達します。脳はコンピュータですので予想精度が高くなれば(一般の人には)超能力と見えてしまうでしょう。

しかし無意識の領域の弱点は「何を学習するのか選べない」事なんです。幼い子供の様な状態です。なので自意識が守ります。何を学ぶべきかを選び「その分野の天才」に仕上げるわけです。これを物心がつくと言います。

●心の動きを観察されている事に恐怖を感じるべき

無意識は心の動きに呼応して「それを強化する」「そこに関連する情報をピックアップする」「より上達を目指す」様に働きます。しかし「いや、これは学習しないで欲しい」と思っても理解しないのです。

「何でもかんでも覚えちゃう。心の動きから矯正しないと、
 僕は面白いジャンルの達人になっちゃうよ」

野球の達人になる人もいれば、誰かをディスる達人になる人もいます。どちらも達人ですが、どちらの都合が良いのかは私たち自意識が自分で判断し、良いと思った方しか考えてはいけないのです。

●ボロボロになった人を救うには?

投薬して脳に(薬などを飲んで直接的に)脳内物質を投与する方法もあります。脳内のコンディションを良くしつつ「この状態が正しいよ?」と脳に学習させるわけです。この方法が開発されたため精神病も「不治の病」ではなくなりました。

しかしこの方法も「無意識が学習する」というメカニズムを知っているから行える治療なんです。

そして「機能そのものが無くなった」人には再構築するしか手はありません。弱っているだけならばリハビリで蘇ります。

●無くしても大丈夫な脳の機能ってあるの?

体内にも盲腸の様なのがあります。これが結構簡単に腐ります。放置すると死にます。また親知らずと言う物があります。これは確実に虫歯になります(虫歯菌がいない人は除外ですけど)。この様に切除しても大丈夫と言う物が心にもあるそうです。それを研究した人がお釈迦様(仏教)です。彼らはこれを煩悩と呼んでいます。特に早めの切除すべきという心の機能は三毒(貪(とん):強い物欲や権勢欲、瞋(しん):怒り、痴(ち):表面的なきめ付け、侮り)と呼ばれています。

例えば、

「物事をステレオタイプに決めつけて言い放つことに
 快感を覚え、その上でその発言は侮り、怒りに満ち
 ており、加えて力や高価なものを欲して他人を羨ま
 しがる」

と言う人は3つの毒に犯されています。助かりません。

●自分の達人レベルを判別する

他の人はスルー出来るのに「許せない」と感じ、他人の話なのに「怒りを覚える」と言う人は達人です。試しに逆をやってみてましょう。出来ないはずです。いつかは「あれ?できないぞ?」と気がついて焦るはずです。そこから治そうとしても「それまでそうしてきた期間」逆の学習をしないと普通に戻れないんです。自業自得です。

●怒りを感じるコンテンツや話題には参加しない

怒りは毒の一つであるのに積極的に脳に学習させるのは非合理的です。他人が何をしていようとも「自分の脳を破壊してよい理由」にはなりません。しかも何の得もしないのにです。これほどマゾい行為は無いでしょう。

「だったらそういうコンテンツ配信する奴らが悪い。
 そういうやつらは許せない」

「またやってるのか。ほんと君は達人だ。ネタは何で
 もいいってことだな。練習熱心なことで」

●総括

軽症のうちに「安全な心の動き(道徳の五常など)」を参考にして「道徳的な心」が定着するのを待つしかないのです。これをしてから物事を考えると幸福感が押し寄せます。

「愛する」「許す」が足りなくて脳が壊れそうになっている人は、ネタは何でも良いので実践し、リハビリするべきです。

けっして「このカウンセラーの助言は許せない」と逆の練習をしては行けませんよ。それをしてしまうと、もはや達人です。お釈迦様でも救えないでしょう。

以上、ご参考になれば。
    • good
    • 1

おそらく、自分を過度に否定せず、適度な自尊心を持つという意味だったり、過度に思い悩まないように、現状を受け入れる、という感じではないですかね。



自分を愛する人というのは、おそらく適度にポジティブな思考ができるのではと思います。
そういう人が自分に欠点があると自己認識しているのであれば、欠点を克服する方向に思考が向かうのではないですかね。
またその欠点で傷ついた人がいる場合には、上記のような人であればその状況を改善し自己を向上させていこうとするのではないですかね。

これが一方で、自分を愛することのできるほど余裕のない心の状態であるなら、改善しようという思考にはならず、自分の過ちを過度に責め、自分が惨めだと思うことで劣等感を抱き悪循環に陥り、より心の状態が悪化するのではと思います。

同じ物事であっても、それに向かい合う心の状態によっては、自分を蔑む劣等感(下方比較)にもなるし自己を向上させる優越感や向上動機(上方比較)にもなり得ると考えられますし、その物事と自分との心理的な距離感もそれに影響するかもしれません。

例えば、あるピアニストの親友が文学賞を受賞した場合、自分とは異なる領域での親友の成功はピアニストに喜びをもたらし親友を誇りに思うだろうけど、他方で別の親友がショパン・コンクールで入賞したなら、ピアニストはそれを脅威と感じ、その時に劣等感を抱いてマイナス思考になるなら、その親友とは距離を置くようになるかもしれないですね。
    • good
    • 0

「愛する」というのは、考え方や気持ちの問題ではなく、それは技能なんですよ。



これ他人ならばね、「私はその人を愛している」という気持ちがいくらあったところで、その考え方がいくらあったところで、その人の欠点や間違いに傷付いて責め立てているだけならば、それは人を愛する能力が足りないよね。愛することのその技術を知らんよね、って話しなんですし、愛してたら気持ち次第で考え方次第で何でもやりたい放題かよ、ってな話しなんです。

それは自分に対しても同じなんですよ。自分のしたい放題を自分に対してもやるなって話しなんです。自分が自分を責めたいからと責め続けるのって、それこそ自己中なんですよ。そういう自己中な人の謝罪なんて人に押し付けんなよって話しなんですよ。

自分を愛しなさいというのはね、自分を愛するに足る自分になれ、ってことだし、自分に愛されるに足る自分になれってことね。これ、なかなか難しいことよ。
人ってすぐ自分に甘えて、自分のケアをおろそかにし、挙げ句の失敗や欠点を責め立てて、私は自分が嫌いなんですってゆう安易なことをやる訳よ。自分で自分を責めていれば、人からの非難をある程度かわせるからね。

そういうズルいことをするな、ってことなのよ。
    • good
    • 0

①自分を愛するのは当然です。


②他人に対しても、ある程度の敬意や愛を持つべきです。
・それができない他人とは、完全に関係を断てば良いです。
・それが無理な相手なら、形だけの付き合いをすれば良いです。

真面な人間は、①と②を満たします。

>でもその欠点で傷付いた人がいる場合、愛すんじゃなくて改善すべき、もしくは愛する前に相手に対して謝るべきじゃないですか?

傷付いた他人は、謝罪すべきです。
それが出来ないのは、①しか考えてない人間です。
自分さえ良ければ、それでいい。つまり自己中である②が欠落した欠陥人間です。

そんな人間とは縁を切るべきです。
    • good
    • 0

自己肯定感の低い人は


何を言っても、何をしても自分はダメだと言う方向に
解釈してしまいます。
聞く耳を持たない状態ですね・・・
これではどうしようもないですからね・・・。
    • good
    • 0

そういう抽象的な表現がカウンセラーの得意技です。


あとはそれを受け取った人の解釈次第。
で、「ワタシのアドバイスを活かせなかったんですね」で逃げる。
ヘタな気象予報士の「雨、時々曇り、所によっては雨」の天気予報と同じです。
    • good
    • 1

そんな大層な話ではありません。


カウンセリングに来る人の中には、自分を責め過ぎて心を病む人が多いのです。
そういう人に、そんなに自分を責めるな。という意味でそのような言葉をかけているだけです。
カウンセラーじゃなくても普通に言える言葉でしょう。
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!