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現在、最も成功している国は、イギリスとスペインだと言って良いでしょう。この二か国は早い段階で植民地獲得に乗り出し、南北アメリカ大陸を植民地にしました。特にイギリスはインド、オーストラリア、ニュージーランドまで植民地にする事に成功し、その結果、英語を世界語にする事に成功しています。

日本が植民地獲得に乗り出したのは、1868年、明治になってからで、250年遅れて植民地獲得に乗り出したものの、第二次大戦の敗北で、日本の植民地主義は失敗に終わりました。しかし、もっと早く植民地主義を進めていれば、日本も植民地を獲得できるチャンスは有りました。

家康の後を継いだ、2代将軍秀忠(在職1605年 - 1623年)3代将軍家光(在職:1623年 - 1651年)4代将軍家綱(在職:1651年 - 1680年)が、鎖国などせずにスペインに学んで植民地主義を進めていれば成功したでしょう。

しかし、アメリカ大陸に植民するのは無理で、例え植民に成功したとしても、遅かれ早かれ欧米の白人との戦争に成り、アメリカインディアンと一緒に滅ぼされたでしょう。可能性が有るとすれば、ニュージーランドの北島です。

1642年12月、ニュージーランドに最初に到達したヨーロッパ人探検隊を率いたのは、オランダ人のアベル・タスマンでした。タスマンが訪れてから100年以上後、イギリスのジェームズ・クックが1769年に訪れました。

英西戦争 (1585年-1604年)イギリスとスペインの戦争。
八十年戦争、1566年/1568年から1648年。スペインとオランダとの戦争。
英蘭戦争1652年から1784年。イギリスとオランダとの戦争。
大同盟戦争 1688年 - 1697年。イギリス、フランス、オランダの戦争。
スペイン継承戦争1701年 - 1714年。イギリス、フランス、オランダの戦争。
オーストリア継承戦争 1740年 - 1748年。イギリス、フランス、オランダの戦争。
カーナティック戦争(1744年 - 1763年)インドでの、イギリスとフランスの植民地戦争。
アメリカ独立戦争1775年から1783年。英米戦争。
フランス革命戦争1792年から1802年「ナポレオン戦争」ネルソン率いるイギリス艦隊にフランス艦隊は大敗。

以上ように、欧米では、1600年から1800年にかけて、イギリス、スペイン、オランダ、フランスといったヨーロッパの大国は、戦争に明け暮れており、いわば、自分の尻に火が付いた状態で、太平洋で日本が植民地を拡大しようが、それを邪魔できる状態ではなかったのです。

イギリスがニュージーランドを植民地にし始めたのは、1800年頃からですから、日本が1700年頃から、ニュージーランドに植民を始めていれば、百年間、邪魔される事は無く、百年も有れば、最悪でも、北島の北側半分くらいは、日本の植民地にできたでしょう。

質問者からの補足コメント

  • 朝鮮、中国に行ってむ無駄ですよ。それは秀吉の大馬鹿が証明した事です。

    イギリスだって、大陸に兵を出しても、何の利益も有りませんでした。そこで、反対方向のアメリカ大陸に植民地を持つ事で成功したのです。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/10/15 22:46
  • へこむわー

    イギリスは成功して、何故、日本は失敗したのか?

    それを考える事が「歴史から学ぶ」と言う事です。どうやら、あなたは歴史から学ぶ事ができない人のようだ。要するに頭が悪い。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/10/16 01:16
  • うーん・・・

    ChatGPT先生の御高説

    イギリスと日本の植民地主義の成功と失敗の違いは、いくつかの要因によって説明できます。

    タイミングと歴史的背景: イギリスは16世紀から19世紀にかけて植民地主義を推進しました。この時期、ヨーロッパの大国は科学技術、軍事力、航海技術などで世界をリードしていました。一方、日本は19世紀後半、明治維新の後に植民地拡大を始めましたが、西洋列強に比べて植民地化のタイミングが遅れていました。

    技術と軍事力: イギリスは産業革命を経て、優れた技術力と強力な海軍を持っていました。これにより、世界中に影響力を持つことができました。日本も明治維新後に近代化を進めましたが、イギリスほどの技術的・軍事的優位性は持っていませんでした。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/10/16 12:11
  • うーん・・・

    ChatGPT先生の御高説
    日本の歴史の中で「最大の失敗」と言える出来事は、意見によって異なりますが、よく挙げられるのは第二次世界大戦への参戦です。この戦争によって日本は大きな被害を受け、多くの命が失われ、1945年の敗戦後、国は占領され、戦後の再建を余儀なくされました。

    戦争中の決定や行動、特に真珠湾攻撃や中国侵略が、後の悲劇的な結果を招いたとされています。また、戦後の憲法改正や平和主義の採用も、戦争の反省から生まれたものです。この出来事は、日本の現代史に深い影響を与え続けています。

    歴史の評価は多様なので、他の視点から見ると、違った解釈もありますが、第二次世界大戦はよく「大きな失敗」として語られることが多いです。
    ___________
    では、第二次世界大戦への参戦の原因は何かと言えば、植民地主義に乗り遅れた事でしょう。

      補足日時:2024/10/17 06:41
  • HAPPY

    >それが「植民地化に遅れたから」とはいえないです。


    植民地を持とうとして、朝鮮、中国に進出し、それがアメリカとの対立に発展し、太平洋戦争に成ったのです。

    それを避けるには、イギリスの植民地主義に遅れる事無く、1600年頃から、植民地主義を始めていれば良かったのです。もちろん朝鮮や中国大陸に行くのではないです。現在、イギリスの植民地に成っている国を、イギリスに代わり、植民地にすれば良かったのです。

    No.12の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/10/17 13:48
  • 1642年、ヨーロッパの探検隊、オランダ人のアベル・タスマンがニュージーランドを「発見」しました。

    それから、100年間、イギリスのジェームズ・クックが1769年に訪れるまで、ニュージーランドは「放置」されていました。

    欧米では、1600年から1800年にかけて、イギリス、スペイン、オランダ、フランスは、戦争に明け暮れており、戦争の事で頭が一杯で、日本が太平洋で何をしようが、それどころではない、そんな事に関わってられなかったのです。

    イギリスがニュージーランドを植民地にし始めたのは、1800年頃からですから、日本が1700年頃から、ニュージーランドに植民を始めていれば、百年間、邪魔される事は無く、百年も有れば、最悪でも、北島の北側半分くらいは、日本の植民地にできたでしょう。

    「日本の最大の歴史的失敗は植民地主義に乗り」の補足画像6
    No.16の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/10/18 00:46

A 回答 (15件中1~10件)

>鎖国などせずにスペインに学んで植民地主義を進めていれば成功したでしょう。



はい、植民地化したかどうかは分かりませんが、今の世界情勢とは全く違うものになっていたことは間違いないです。

まず、時代背景として「遠洋航海技術が無かった」という人たちが必ず出てきますがそれは嘘です。

なぜなら、戦国末期から江戸初期ぐらいまでの間に、シンガポールやタイのアユタヤには日本人街ができるほど多くの日本人が住んでいたからです。
その多くは男性なら傭兵として雇われた武士、女性なら売春婦、後は貿易を担う商人が少し居たようです。

当時の日本は長い戦国時代を経験しているため、個々の武士の戦闘力は非常に高く、東南アジアに進出していたヨーロッパ人も、アユタヤなどの現地王朝も日本武士を傭兵として高値で雇ったという記録があります。

そしてその中で一番有名なのが「山田長政」で、彼はアユタヤ国王から領土を与えられた領主(王)として出世しました。

このような事例をみれば、日本に航海術が無かったというのは嘘だし、それが「日本人の手によるものでは無かった」というのはあまり重要ではありません。

逆に日本人が植民地支配をしたいなら「武力」は重要で、この点において当時の武士は世界最強レべルであったことも間違いないです。

では、具体的に日本がどのように植民化を進めだろうか?という考察をすれば、それは間違いなく秀吉の大陸出兵が基礎となったはずです。

近年の研究で秀吉は高齢で頭がおかしくなったのではなく「現実的な南蛮の植民地政策に対抗するために、明を征服しようとした」と解釈されるようになっています。

これが成功していれば、いや成功していなくても秀吉の後を継いだ家康などが継続して大陸に進出していれば、アジア全体が「日本」だった可能性もあります。

逆に日本人が太平洋に出ていくことはあまり重要では無かったはずです。なぜなら、日本人にとって重要なのは「米が栽培できること」であり、当時の課題としては「南蛮人を排除するためにどうすればいいか」だったからです。

1603年の江戸開闢当時、まだアメリカは最初の植民が始まる直前でアメリカ建国の始祖となるピルグリム・ファーザーたちを載せたメイフラワー号は1620年にアメリカに到着しています。

家康が植民地政策を継続していたらどうなっていたか?
朝鮮半島から明を経由して東南アジアに至る征服ルートと、シンガポールやアユタヤを起点とし、南蛮人を追い出しつつ明に至るルートの二つが成功していれば、清朝のかわりに日本皇朝がアジアの中心になっていたでしょう。

でも現実的には、当時3000万人ぐらいの日本人が1億もいる明を征服することは不可能で、泥沼の内戦を収拾できずに撤退していたと思います。これは満州国建国から日本陸軍が進んだ失敗と全く同じになっていたでしょう。

ただ、これらの進出によって、たぶん台湾とフィリピンは江戸時代には事実上日本の領土になっていたと思います。朝鮮半島の支配権まで得られたかどうかは分かりませんが、少なくとも「太平洋の海洋国家」としてかなり早い段階から西洋の強豪と肩を並べる国家を作れていたでしょう。
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#12です。

お礼ありがとうございます。

>それを避けるには、イギリスの植民地主義に遅れる事無く、1600年頃から、植民地主義を始めていれば良かったのです。もちろん朝鮮や中国大陸に行くのではないです。現在、イギリスの植民地に成っている国を、イギリスに代わり、植民地にすれば良かったのです。

それは不可能ですよね。
もしそれを行うなら「イギリスが日本に到着する前から、ポルトガル・スペインに伍して植民地主義で行動する」しかないです。

ご存じだと思いますが、時系列を整理しましょう。
まず、イギリスが植民地主義を具体的にスタートさせたのは1588年にスペイン無敵艦隊と対決したアルマダ海戦に勝った後です。これによりイギリスは大西洋を自由に南下しインドなどの植民地政策を開始できるようになり、1600年に東インド会社を設立しています。

一方、日本が南蛮と接触したのは1543年の種子島の鉄砲伝来の時で、ザビエルの来日が1549年で、この辺りから日本が貿易でヨーロッパ諸国や東南アジアの状態を知るようになり、1587年に秀吉によるバテレン追放令・1592年の朝鮮出兵につながります。

秀吉を含め、日本人が「南蛮人は世界征服を目論んでいて、日本を含めて世界中を植民地化するつもりだ」と知ったのは、どんなに早くても1587年の伴天連追放令の直前だったといえます。

ということは、日本が東インド会社に相当する植民地政策を開始するのには、たった13年しかなく、しかも自前で外洋航海船を作り、スペインやポルトガルが邪魔するのに対抗して東南アジアに進出し、すでに橋頭保を築きつつあるイギリスを出し抜いて植民地化を進めないと「イギリスよりも先に植民地化政策を実行する」ことは不可能です。

ヨーロッパ諸国は1494年にトルデシリャス条約の時点ですでに地球全周公開を終えていて、アジアの植民地化まで100年程度の準備期間があります。

いくらなんでも「日本がイギリスと同じ時期から植民地化政策を実行する」のは無理です。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

1642年12月、ヨーロッパの探検隊、オランダ人のアベル・タスマンがニュージーランドを「発見」しました。

それから、100年間、ニュージーランドは「放置」され、イギリスのジェームズ・クックが1769年に訪れました。ニュージーランドへのイギリスの植民が始まったのは、それ以後です。

英西戦争 (1585年-1604年)イギリスとスペインの戦争。
八十年戦争、1566年/1568年から1648年。スペインとオランダとの戦争。
英蘭戦争1652年から1784年。イギリスとオランダとの戦争。
大同盟戦争 1688年 - 1697年。イギリス、フランス、オランダの戦争。
スペイン継承戦争1701年 - 1714年。イギリス、フランス、オランダの戦争。
オーストリア継承戦争 1740年 - 1748年。イギリス、フランス、オランダの戦争。
カーナティック戦争(1744年 - 1763年)インドでの、イギリスとフランスの植民地戦争。
アメリカ独立戦争1775年から1783年。英米戦争。
フランス革命戦争1792年から1802年「ナポレオン戦争」ネルソン率いるイギリス艦隊にフランス艦隊は大敗。

以上ように、欧米では、1600年から1800年にかけて、イギリス、スペイン、オランダ、フランスといったヨーロッパの大国は、戦争に明け暮れており、いわば、自分の尻に火が付いた状態で、太平洋で日本が植民地を拡大しようが、それを邪魔できる状態ではなかったのです。

つまり、ヨーロッパの国との戦争の事で頭が一杯で、日本が太平洋で何をしようが、それどころではない、そんな事に関わってられなかったのです。

イギリスがニュージーランドを植民地にし始めたのは、1800年頃からですから、日本が1700年頃から、ニュージーランドに植民を始めていれば、百年間、邪魔される事は無く、百年も有れば、最悪でも、北島の北側半分くらいは、日本の植民地にできたでしょう。

お礼日時:2024/10/18 00:40

米国を成功例と見たりする者がいるが、(自国への)移民受け入れをしてきたからこそだろう。

が、その分、国内の治安を極端に悪くさせた。

米国と全くソックリな手法をすれば、疫病蔓延などの神罰が下るだろう。
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アンタ、相当の【人でなし】やな。


植民地政策に走るというのは、他国の領土を盗み取る行為であり、そこの文化を全否定する「【神罰】に値する行為」と言うもんやで!!

いっぺん、「コロナの【神罰】」でも食らってみるかアンタ。
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この回答へのお礼

ChatGPT先生の御高説
イギリスは歴史的に見ると、非常に影響力のある国の一つです。特に18世紀から20世紀初頭にかけては、イギリス帝国として多くの地域を支配し、経済的・政治的に大きな影響を持っていました。また、産業革命もイギリスから始まり、世界中にその影響が広がりました。

イギリスは、過去の栄光を持ちながらも、今でも文化や教育、金融の面で世界に大きな影響を与えている国の一つです。
____________
上記のように、ChatGPT先生もイギリスが成功した国だと認めている。例えば世界語が英語だと言う事を見ても分る。英語が世界語に成ったのは、英語が優れた言語だからではない。それは多言語話者が英語が一番だとは言わないのを見れば分かる。実際、英語を学べば、不規則変化が多く、出鱈目な言語だと分かる。

つまり、英語が世界語に成ったのは植民地主義で成功したからなのだ。

お礼日時:2024/10/17 13:38

君は歴史を知らないの。


ソ連があった頃、ソ連は太平洋戦争に参戦して
樺太・千島などを襲い、さらに終戦したはずなのに
北海道まで攻め込む。
日本軍は必死に抵抗。
あそこで頑張ったから北海道占領されずに済んだ。

あのまま行けば、やがて日本は東日本はソ連の共産圏
西日本がアメリカの支配
なんてことになり、日本にもドイツみたいに
ベルリンの壁の日本版が出来ていたかもね。

そうならなくてよかった。

北方領土も今は4島だけ。
江戸時代に飛ぶが、ソ連というかロシアは利尻・礼文も狙っていた。
幕府が守ったというべきか。

早く、日本がもっと強くなってロシアを外交で負かして
平和的に北方領土を取り返し、当然、全千島・樺太も日本復帰。
北朝鮮からは拉致問題全面解決で被害者全員帰国。
韓国からは竹島も戻って
名実ともに平和が来ればいいと思うが、
そんな日は夢のまた夢ね。

北朝鮮は滅ぼさねばだめ。

やがて植民とか騒がず、国境消えて
世界連邦なんてできないかです。

廃藩置県ならぬ廃国置州で世界が一つの国みたいになる。
そういう夢みたいな世界、できたら、
君の言う植民とか騒がなくていい物ね。

でも俺の生きている内は無理だろうなあ。
そんな夢みたいな世界。

5体さんにはこんな話書いても
何を夢みているのにしか見えないだろうね。
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>では、第二次世界大戦への参戦の原因は何かと言えば、植民地主義に乗り遅れた事でしょう。



それは違うと思います。なぜなら日本は第一次大戦で戦勝国側になり、国際連合の理事国になっているからです。

「乗り遅れた」なら、戦勝国にもならないし理事国なんてありえないです。

明治維新の時は、確かに西洋列強に出遅れていました。南蛮船が日本に渡来し、鉄砲を初めて見た300年前の日本が家康によって鎖国していなければ、出遅れなかっただろうことは間違いないと思います。

しかし、日本は明治維新で西洋化と富国強兵を目指し、日清戦争から第一次世界大戦まではずっと戦勝国側であり、その結果、イギリスには敵わないとしてもドイツやオランダなどの「出遅れた西洋国」と肩を並べるぐらいには追い付いていたと言えます。
 
 またアメリカも第一次世界大戦までは影響力が薄い国でしたが、アメリカ軍の参戦と戦後復興で頭角を現したといえます。

つまり、日本とアメリカが対立する要素は「第一次大戦の成果と戦後の世界経済の状況」によるわけで、どちらも「植民地化に乗り遅れた国」であり、20世紀初頭になってから両国とも西洋列強に追いついたことで「日米の直接的な対立構造が生まれた」ということです

なので太平洋戦争で日米が直接対決したことを「日本の最大の失敗」という事はできても、それが「植民地化に遅れたから」とはいえないです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

>それが「植民地化に遅れたから」とはいえないです。


植民地を持とうとして、朝鮮、中国に進出し、それがアメリカとの対立に発展し、太平洋戦争に成ったのです。

それを避けるには、イギリスの植民地主義に遅れる事無く、1600年頃から、植民地主義を始めていれば良かったのです。もちろん朝鮮や中国大陸に行くのではないです。現在、イギリスの植民地に成っている国を、イギリスに代わり、植民地にすれば良かったのです。

お礼日時:2024/10/17 13:47

君は何も分かってない。


大日本帝国軍部の生き残り?

俺はそんなところとは無関係だよ。

だれも擁護などしとらんよ。

君がまっすぐ物を見ないだけだよ。

日本は進むべき道を間違えただけ。
戦争に負けて、軍部がなくなり、こういう世が出来て
それをすなおに喜び、二度と戦争はしない。
何事も平和的手段で解決をと願うが、
拉致も領土も全く進展なし。
日本政府は失速だらけ。
ああ、じれったいて感じだよ。

戦争は負けてよかったという見方もあるでしょう。
ロシアや北朝鮮・韓国・中国みたいな馬鹿国に囲まれて
日本政府も苦労してるね、
神様がああいう国を葬る日が来ないかと祈りたいわなあ。
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戦後もっとも成功したのはアメリカです。


理由はいくつかあり、まずアメリカ本土が戦火にさらされず無傷だったこと、終戦間近に参戦して美味しいところだけもっていったこと、豊富な資源と過去に縛られない自由な風土で移民を集めて経済発展のための原動力を得られたこと、などです。

近代において、国家として強大になりつつあるのがロシア、中国などの独裁国家です。独裁国家の強みはなんと言っても国家による統率力です。人権や国民の不満など無視して、国家の意思を無理やり押し付けて政策を推し進める事ができることです。議会での議論や国民への説明も一切必要無いので政策実行のスピードも桁違いです。ただしそんな国に生まれてしまった国民は国家の捨て駒として使われるので超絶に不幸な人生になってしまいます。更にトップが無能だと悲惨なことに・・・。

現代において日本の最大の歴史的失敗は政治家と官僚が無能すぎることです。彼ら自身はプライドも高く「我々が日本を動かしてやっているのだぞ」と言う態度ですが、やることなすこと全て空回り、裏金、パパ活、不倫、悪いことや違法行為をやるのは二世政治家と特殊詐欺師たち、と言った腐敗ぶりです。
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この回答へのお礼

>戦後もっとも成功したのはアメリカです。


アメリカ人はイギリス人の子孫ですよ。彼らが英語を話している事が何よりの証拠です。

だから、第一次、第二次大戦で、イギリスの味方をして戦ったのです。普通は赤の他人の為に血を流して戦ったりしませんよ。

お礼日時:2024/10/16 12:15

日本人は、有色人種だからです



有色人種の国は、被植民地になることはあっても
植民地を持つことは白人には理解できません

欧米人から見たら犬が犬を飼うようなものです(80年前)
たとえ優秀な犬でも、犬は犬というのが白人至上主義です
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日本の場合は、植民地にする側ではなくて植民地にされる側だったのですよ。



江戸時代の末期になってフト気が付いたら植民地にされる一歩か二歩手前だった。
それで慌てて開国・尊王攘夷ってやって夷敵を打ち滅ぼさんとて危機感を持って明治維新になだれ込んだ。

寸前で植民地にされ化をのがれて、そして勢い余って自分の方から植民地政策に乗り出した。
対象は近場の大陸や島々でした。
当時は国がそういう方向に動くのが世界の趨勢でしたからね。
弱い奴は植民地になって強い奴は宗主国になって、そういう序列が世界の秩序だった。
当時の日本は、極めて世界の常道に従ったわけです。

が、しかし。
植民地思想には一つの重大な価値観があった。
それは【人種差別主義】です。
白人っつうのが偉くて優秀で普通の人間で、一方で有色人種というのは人間以下の野生動物並みで馬鹿で下品で白人世界を汚染するから殺すべきだがただ殺すのはもったいないのである程度は利用してから殺してやろー、というのが人種差別主義に元ずく植民地主義だったのです。

白人国は白人の国々を植民地にしたわけでは全然なくて、ほぼ全て有色人種の国々を植民地にしたわけですからね。
そこんとこに不遜にも加わってきたのが日本のエテコー(黄色いサルと当時は呼ばれていた)ですよ。
差別される側が差別する側に加わろうとして植民地政策の仲間入りをしようとしてた。
馬鹿じゃねーの? そもそも殺される側が何で殺す側に回ってん?
邪魔で不快だから殺してやるわー、という事で日本を排除・滅亡させる方向で世界の対日政策は決まったのです。

世界にとって日本は植民地される側の、そもそも奴隷になるべき国だったのです。
日本の植民地にされた側の有色人種の国々も、「なんで植民地にされる側が俺たちを植民地にしてるんっ、おかしいだろっ」つうて怒ったわけです。

そこで日本の思想家たちがひねり出したアイデアが、西洋諸国の植民地政策からアジア諸国を守る、開放する、という大義名分だった。
有色人種が同じ有色人種を白人たちから守る・開放するっつう大義名分ですね。

これで一層白人世界は頭来た。
それって有色人種の反乱じゃんっ、つうて。有色人種は黙って植民地になってればいいのに、反抗して、解放だと?
生意気だからコロス、というのが当時の白人世界の基本思想になった。
コロス前に百叩きの刑にしてうんとイジメてからコロス、そういう計画だったわけです。

現代になって、そんな昔は酷い世の中だったよなー。反省するベー。
人種差別はやっちゃいけないことで、百叩きも自粛すべきだよな。という世界に様変わりしてます。
百叩きされた側にもノーベル平和賞が回ってきますしね。
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この回答へのお礼

ChatGPT先生の御高説

イギリスと日本の植民地主義の成功と失敗の違いは、いくつかの要因によって説明できます。

タイミングと歴史的背景: イギリスは16世紀から19世紀にかけて植民地主義を推進しました。この時期、ヨーロッパの大国は科学技術、軍事力、航海技術などで世界をリードしていました。一方、日本は19世紀後半、明治維新の後に植民地拡大を始めましたが、西洋列強に比べて植民地化のタイミングが遅れていました。

技術と軍事力: イギリスは産業革命を経て、優れた技術力と強力な海軍を持っていました。これにより、世界中に影響力を持つことができました。日本も明治維新後に近代化を進めましたが、イギリスほどの技術的・軍事的優位性は持っていませんでした。

経済的資源とネットワーク: イギリスは広大な植民地ネットワークを持ち、貿易や資源の獲得で経済的に大きな利益を上げました。インドやアフリカ、アメリカ大陸などの植民地からの資源供給がイギリスの経済を支えました。日本は中国や韓国、東南アジアを対象に植民地支配を試みましたが、資源や国際的なネットワークの面ではイギリスほどの成功は収められませんでした。

国際的な圧力: 日本が植民地拡大を試みた20世紀初頭には、すでに植民地主義に対する国際的な反発が強まっていました。第一次世界大戦後、植民地支配に対する反植民地運動が各地で活発化し、日本もその影響を受けました。また、第二次世界大戦後には、連合国による制裁や占領があり、植民地政策を続けることが困難になりました。

戦争の影響: イギリスは第二次世界大戦後もいくつかの植民地を維持していましたが、日本は戦争に敗北し、植民地を失いました。特にアジアでの日本の軍事行動は、周辺国の反発を招き、戦争後に植民地政策を続けることが不可能になりました。

これらの理由から、イギリスは長期間にわたり植民地主義を成功させた一方で、日本は限られた期間でしかその影響力を発揮できなかったと言えます。

お礼日時:2024/10/16 12:10

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