この人頭いいなと思ったエピソード

日本が太平洋戦争を回避する道は、

あったのでしょうか。

例えば、満鉄をアメリカと共同で経営していたならば、

歴史は変わっていたでしょうか。

A 回答 (10件)

負けて軍閥・徴兵制亡くなって平和つかんだらしいね。


領土は減ったけど、負けてこんな自由と民主主義の国が来たという。
ロシアは酷い国、北方領土占拠。アメリカは沖縄と小笠原返す。
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回避することができませんでしたね。


そもそもアメリカや他の国が日本に戦争をさせたわけですからなるべくしてなったんじゃないですか?
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無かった、と思います。



イラク戦争を見て下さい。

イラクは嫌がったけど、結局
米国が攻め込んで
数十万を殺害し、大統領まで
処刑しました。

一方が、やる気満々で、
やる必要があれば、どんな手段を
使っても戦争に引きずり込みます。


当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が
失業し、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
はっきりしません。

これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに
なりつつありました。
うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。

また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を
貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く
可能性がありました。

それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
それでハルノートなどをつきつけたり
ABCD包囲網を敷いたりして、日本を追い込み
戦争に持ち込んだのです。

戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きずり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。
ルーズベルトの責任 〔日米戦争はなぜ始まったか〕

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」

また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら
モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう
と述べています。



●では、日本が米国に屈してハルノートを受け入れれば、
戦争を避けられた
でしょうか。

私はそうは思いません。イラク戦争を見て下さい。
ありもしない大量破壊兵器を口実に戦争を始めたのは
米国です。
その後、英国BBCは、911以前から米国はイラク、
アフガン戦争を計画していたことを暴露しました。

米国は何か罠を仕掛けて、戦争に持って行ったと思います。


1898年 2/15 ハバナ湾で、米国戦艦メイン号が
謎の爆発沈没しました。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり、あの米西戦争が始まっています。
後になって米国政府は、事故だと発表していますが
陰謀ではないか、という説が強いです。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、
それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。
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単純に、1941年(昭和16年)11月26日にアメリカ側から日本側に提示された交渉文書である「ハル・ノート」の内容を日本が受け入れていれば太平洋戦争は回避できた。

 また、ハル・ノートを拒否しても、日本側から開戦さえしなければ、太平洋戦争は回避されただろう。  

アジアでの植民地獲得で、欧州列強に後れを取った米国のルーズベルト大統領は、満州を植民地にしようと狙っていた。 ところが、トンビが油揚げをさらうように、日本に満州を取られてしまい、ルーズベルトは烈火のごとく怒ったという。 よって、満鉄をアメリカと共同経営する程度では、ルーズベルトは日本を許したはずがない。 

いずれにしても、歴史に「if」はないから、質問も回答も何の意味もないけど。
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未来の可能性は無限大です。

台中戦争が起こらない道筋を考えましょう♪
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日米の緊張は満州だけでなく、中国大陸や太平洋地域全体での勢力​​拡大をめぐる対立や、経済情勢(特に石油禁輸措置)など複数の懸念が重

なった結果であり、これらすべての要素が同時に変わらなければ戦争の回避は難しかったかもしれないです
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太平洋戦争を回避する道が日本にあったかどうかについては、歴史家の間で議論があります。

いくつかの視点から考えられますが、以下のような要因が戦争回避の可能性を左右したと考えられています。

外交的な解決策: 日本がアメリカとの外交交渉で妥協し、資源の供給を確保する道を探ることができた可能性はあります。アメリカとの対立の主な要因の一つは、日本が東南アジアへ進出し、資源を確保しようとしたことです。アメリカが石油の禁輸措置をとったことが、戦争に突入する大きなきっかけとなりました。日本が領土拡張を抑え、経済的に解決を図ることができていれば、戦争は避けられたかもしれません。

軍部の抑制: 日本の軍部が強硬路線を進めていたことも、戦争回避の難しさを増していました。政府や天皇が軍部を抑えることができ、より柔軟な外交政策を取れたなら、戦争は回避された可能性も考えられます。

経済制裁に対する対応: 日本は当時、石油や鉄鋼などの資源が不足しており、東南アジアへの進出が急務だと感じていました。しかし、経済制裁を乗り越えるための他の手段(例えば、技術革新や貿易パートナーの拡大など)を模索することができたなら、戦争は避けられた可能性もあります。

アメリカとの戦略的な関係改善: 日本とアメリカの対立が深まる前に、より強固な経済的・外交的な協力関係を築くことができたなら、戦争への道は避けられたかもしれません。

ただし、これらの可能性は現実には多くの複雑な要因が絡んでいたため、実行可能だったかどうかは難しいところです。結果的に、各国の利害や国内外の政治的・経済的圧力が、戦争回避を非常に難しいものにしていたと言えます。
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回避する道なんていくらでもあるでしょう。


満州の権益を自由化しても良いでしょうし、それが難しいとしても、それ以外の中国本土に軍事介入しなければ戦争までは起きなかったでしょう。
最悪は、独軍に本国を占領されたベトナムに軍を進駐して、英米植民地に軍事侵攻の恫喝をかけるようなことをしなければ、戦争は回避できた可能性が大きい。

もちろん、そうなれば、重慶まで下がった中国国民党軍に日本が勝利することは不可能になるので、とにかく外交的には大幅に譲歩して軍を中国から撤退するしかなかったはずだが、それで確実に戦争は回避できた。
以後は、植民地主義反対で米国と足並みを揃えて、英仏蘭などの欧州植民地国を外交的に糾弾して行けばよかった。
実際に第二次世界大戦終了後は、そういう方向に世界が動いて、一時的には日本は米国以上に大繁栄している。

それなのに、戦争反対派まで「米国と戦争すれば日本は滅ぶかもしれないが再生はできる。しかし妥協すれば日本は精神的に滅んでしまうので二度と立ち上がることは出来ない」などと屁理屈を唱えて戦争に突っ走ってしまった。

日本の軍国主義化は、言論の自由無き社会の恐ろしさをしみじみと教えてくれる歴史的教訓でしょうか。
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回避する道はありません。



必然です。

日清、日露の戦争で、軍部が有頂天になっていたのですよ。

神州不滅などと平気だ思っていたのです。

アメリカなんか、なんぼのもんじゃ、ですよ。

で、結局ボコられて終わりです。
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満州に駐留してた関東軍と張作霖の軍隊と合同演習していたら回避できたかな?

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